叶わぬ夢
視点がノエルから変わっています。
今日という日は人生最良のものになると、コンスタンスは確信していた。
ついに彼が彼女を番として迎え入れる決意を固めてくれたのだ。素晴らしい日になるに決まっている。
コンスタンスは一番お気に入りのドレスを身に纏い、彼女を歓迎する夜会に出席した。
エスコートはない。名前を呼ばれ、ひとりで入場しても恥ずかしくはなかった。
じきに彼がこの手を取ってくれるのだから、恥じる必要などないのだ。想像するだけで笑みを堪えられない。
ズメイ王宮の大広間は百年前と変わらず豪壮で、ミルメコレオとは大違いだった。
あちらはずっと規模が小さいくせに何かとギラギラしていて品がなく、いまいち趣味に合わないとずっと思っていたのだ。
集まった貴族たちもずっと多く、和やかな空気が流れている。誰もが彼女に注目していた。
華やかであってもどこか殺伐としていて、彼女を無視するあの国とは全然違う。食事も口に合わず、ずっと馴染めなかった。
でも、それもこれまで。彼女はやっと本当のふるさとに帰れる。長い苦難も今日でおしまいだ。
やっと――。やっと彼女は番の隣で安息を得られる。
客人である彼女の入場は最後だ。会場には既に彼が彼女を待っていた。
コンスタンスは目を輝かせる。鮮やかな朱色の髪をきっちりと纏めた彼はよく似た母親と共に男たちと話している。
そう、彼の隣に立つのは母親だ。妊娠中の妃ではない。
もしあの女が隣にいたらただではすまさなかった。
彼の隣に妻として立っていいのは番の彼女のみ。勝手に彼と結婚して、子供を作るなんて許されざることだ。
今はまだ手を出せないが、王妃になったら子供諸共あの女を始末する予定であった。
それも、すべてはここから。コンスタンスは真っ直ぐ彼の元へ歩み寄った。正しい伴侶として、手を取ってもらうために。
涼やかな碧の瞳が彼女を捉える。うっとりするような微笑みを彼は浮かべた。
前に立ち、彼女は彼をぼんやりと見つめた。
彼は――こんな顔だっただろうか。
こんな髪の色をしていただろうか。
瞳はもっと別の色ではなかったか。
彼女は自分を見下ろした。お気に入りのグレーのドレスは光を浴びて銀色に輝いている。
彼女の大好きな色だ。そう、これが彼の色のはず――。
「ご機嫌よう、コンスタンス王女殿下。あなたのための夜会は如何ですか?」
トラヴィスの声に急に目が覚めたように現実を思い出す。彼女は番の顔を見上げた。
「ご機嫌よう。トラヴィス様。大変素晴らしくて、胸が一杯です」
トラヴィスはコンスタンスの異変に気づかなかったようだ。
彼女は彼の名前を舌へ乗せて、少しの違和感を覚えた。
トラヴィスは彼女の返答を受け、「それは良かった」と笑みを深めている。
それに見惚れて、コンスタンスは違和感など一瞬で忘れてしまった。
「そうだ。これを味わっていただけますか。今日のために用意した、秘蔵のワインなのです」
「まあ、素敵」
トラヴィスは給仕に指示して、深い赤色のワインを持って来させる。
番が彼女ために用意してくれた特別なワイン。断るはずがなかった。渡されてすぐに一口味わう。
馥郁と口に広がる芳醇な香りは上質な、年代を感じる味だった。
「とてもおいしいですわ」
「お気に召したようで何よりです。そうそう、先日差し入れたチョコレートは如何でした?」
「大変美味しく頂きました。ありがとうございます」
「そういえば、我が国の食事はお口に合いましたでしょうか。侍従から、玉ねぎをよく煮込んだスープが好きだとは聞きましたが」
「お気遣いありがとうございます。何を食べても美味しくて、食事が毎回楽しみですわ」
「コーヒーも紅茶と同じくらいお好きだと聞いて用意させましたが、銘柄はあれでよろしかったですか?」
「はい! わたくしのために気を配ってくださって嬉しいです」
コンスタンスはうっとりと微笑んだ。
出会ったその日は冷たい態度だったが、その後の彼は実に優しかった。
中々一緒に過ごす時間は作ってくれなかったが、それは仕事が忙しかったせい。きっと、彼女が番だと気づいて、結婚式の準備を進めていてくれたに違いない。
彼女は番に愛されて王妃になる。
だからそれを貴族たちにも知らしめ、身の程を弁えて貰わなくてはいけない。
一度彼女に会いに来たジャスティーナ。
彼女が彼の側室の座を狙っていると、あとから知った。
そんな碌でもない人間に近づいたからコンスタンスは彼に叱責されてしまった。
そもそも彼女を利用しようと接近してくる者たちが悪いのだ。
だから、コンスタンスこそトラヴィスの唯一無二だとこの場でしっかりわからせ、もう同じ真似は二度とするなと牽制しておかなくてはならない。
彼から渡されたワインを彼女は一滴残さず飲み干した。
くすり、と誰かが笑う。くすくすと笑い出したのはエメラインだった。
「トラヴィス、茶番はそれくらいにして。おかしくてたまらないわ」
「そうですね。あまりに簡単に引っかかるので退屈です。さっさと片付けましょうか」
大人数が集まっているというのにあまりにも静かな空間にエメラインの笑い声だけが響く。
トラヴィスの表情が柔らかな微笑から冷笑に変わる。
「チョコレート、玉ねぎ、コーヒー、紅茶」
「……え?」
「美味しく召し上がっていただいたそうで良かった。あなたは獅子の獣人であるはずですね? あれらはどれもあなたにとって有害なはずの食べ物なのですが、ご存知なかったようだ」
「な、なんですって……?」
「それからワイン。葡萄は中毒を起こすんだとか。あと、獣人はアルコールへの耐性が低い者が多いから基本的に酒も飲まない。死んでしまう可能性もあるから。……あなたは平気なようだ」
違う、と思わず言っていた。
違う、違うのだ。これは何かの間違いだ。
ざわりと空気がうねる。群衆の小さな騒めきが妙に気に障った。
「何が違う? 毎朝出してやっていた干し葡萄のパン、気に入っていると聞いたが。玉ねぎ以外にも長ねぎやにんにくも獣人は食べない方がいいそうだ。あなたの食事に毎食使っていたが、体調も崩さなかったな。夕食に必ず食前酒や食後酒をつけてあげただろう。毎晩たっぷり嗜んでいたようで、何よりだ」
ぶるぶると体が勝手に震えた。違う、違う、と何度も繰り返すが、意味のわからない群衆の騒めきにかき消される。
無遠慮な視線が彼女に突き刺さった。
「違うっ! 違うわ! わたくしは確かに獣人なの! あなたの番で……」
「まだそんなことを言うのか」
「だってわたくしは人より聴覚が優れているわ! 獣人だからこそよ!」
「本物の獣人たるブラックウッド侯爵と比べものにならない能力だがな。それについても、こんなものがある」
トラヴィスは上着の内ポケットから小瓶を取り出した。
香水瓶にも似た優美な容器を揺らすと、どろりと沼色の液体が中で動く。コンスタンスの血の気が引いた。
「ミルメコレオで密かに流通する獣人になれるという触れ込みの怪しい薬だ。我が国の薬師たちが調べたところ一時的に五感や身体能力を高める効果があることがわかった。
一昨日、暴漢による襲撃事件が起こったが、犯行に及んだ者たちはこれを服用していたそうだ。そのせいか、獣人に対抗できるほどの腕力を発揮したとか。
ちなみにコンスタンス王女、これに見覚えは?」
「あ、ありませんっ! そんなもの知りませんわ!」
「では、今からあなたの部屋を捜索しても構わないな? この薬、我が国への持ち込みを禁止している薬草が使われている。後ろ暗いところがないなら何も問題ないだろう?」
「だめっ! やめて!!」
「何故? この薬がないか調べるだけだ。立ち会いしてくれてもいい」
飄々としたトラヴィスに対し、コンスタンスはまったく余裕がなかった。耳障りだった騒めきも今は遠い。
番が酷い勘違いをしている。彼女は必死で訴えかけた。
「違うの! わたくしが獣人でなくても、番であることは確かなの! わたくしたち、百年ぶりにやっと再会できたんですもの!
信じて、サディアス様!!」
「百年前? サディアス?」
彼が首を傾げる。隣のエメラインは目を見開いた。
彼女は昔のことを思い出して貰おうと、さらに畳み掛けた。
「わたくし、レスリーよ! 百年前は結ばれなかったあなたの運命なの! お願い、思い出して!」
「……なんだかすごい話を始めたわねぇ。どうするの、トラヴィス」
「どうもこうもありませんよ。妄想でしょう。まあ、少し付き合ってあげましょうか。
ねぇ、コンスタンス王女改めレスリーとやら。何故百年前我々は結ばれなかったのかな?」
トラヴィスは皮肉げに口元を歪めて質問してきた。彼女は喜び勇んで答える。
「あの時はよく知らない女があなたを奪ったの! 今勝手にあなたの妻に収まっている女のように、わたくしが知らないうちに勝手にあなたの婚約者になっていたのよ!」
「なんだ。サディアスとやらにはもう相手がいて、横恋慕しただけか」
「違うわ! 結ばれるべきわたくしたちの間にあの女が割り込んだの!」
彼女は必死で訂正した。そこを間違えて貰っては困る。
横恋慕なんかではない。二人は絶対的な番という運命で結びつけられていたのだ。
それを引き裂いたのは名前も知らないあの女である。
再び出会った今度こそ、間違った相手を排除して、幸せになるのだ。
「はぁ、付き合ってられないな。
どうやらコンスタンス王女は心の病のようだ。特別な部屋を用意しているから、帰国の準備が整うまでそこにいて貰おうか」
「なに……!?」
彼女の周りを騎士たちが取り巻く。腕を掴まれ引き摺られた。
トラヴィスはもう彼女に一瞥もくれない。再び彼女は違和感を覚える。朱色の髪、碧の瞳。彼の色はそんなに鮮やかではなかった。
ふと、彼女を捕らえる騎士の姿が目に入る。ダークグレーの髪の若い男だ。
「サディアス様……?」
彼の色は灰色と榛色。騎士の髪は濃い灰色で、照明を反射して鈍く銀色に光っていた。瞳の色は明るい茶色だが、榛色と言えなくもない。いや、これは榛色だ。彼こそがサディアスだ。
「ああ……! サディアス様! あなたがサディアス様だったのね!
わたくし、間違えてしまって……。ごめんなさい! でももう間違えないわ! わたくしの番!!」
「おやおや……」
彼女は喜びのあまり抱きついていた。騎士は戸惑った様子でそれを振り払う。
「どうして? わたくし、あなたの番のレスリーよ。お願い。思い出して!」
「……これは相当重症ねぇ」
「やれやれ。コンスタンス王女、誰かれ構わず迫るのはやめて下さい。そこの彼は既婚者ですよ」
「どうしてわたくしから離れるの!? いやっ、触らないで!!」
不気味なものを見る目で番が離れていく。代わりに別の騎士が彼女を拘束する。
「さて、それじゃあミルメコレオの外務大臣と話してきましょうかね。こんな狂人を我が国に押しつけようなんて、どんな意図があったのか、詳しく聞かせて貰わなくては」
「うふふ、しっかり搾り取ってくるのよ」
彼女は騎士たちにずるずると引き摺られながら、会場を見回した。誰もが彼女を遠巻きにしている。
彼らがどんな表情をしているか、どんな色彩を持っているかも、彼女にはもう、判別がつかなかった。
「なんで……。どこなの! ねぇ、サディアス様!」
それでも、必死で彼女は番を探す。
やっと、ここまで来たのだ。今日のために知らない土地での暮らしを我慢して、べったりと甘く苦い、変な薬を何度も飲んだのに。
今日のために百年待ったのに。
「サディアスさまぁ!!」
彼女はふるさとに帰り、番と再会して永遠の安息を得るはずだった。
しかし、何度呼んでも番は彼女の前に姿を現すことはなかった。
ライオンが食べてはいけないものに関してはよくわからなかったので、猫ちゃんを参考にしています。
今日はあともう一話更新します。




