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籠の鳥の何もない幸福な日

題名通り、とある一日の様子です。

 

 

 

 カーテン越しに明るくなり始めた主寝室で、ミレイラは夢と現実の狭間を微睡んでいた。

 

 静かな室内に聞こえ始めた鳥の囀りを聞きながら、そろそろ起きる時間だろうかと働かない頭で考える。

 

 そんな時、すぐ傍で温かい何かの気配がこちらに向いているを感じ取った。

 

「ミリィ」

 

 甘く、されど少しだけ掠れた低い声が愛称で呼び掛ける。呻きつつも何とかそれに応えようとするが、中々微睡みの中から抜け出すことが出来ない。温かい鼓動のするそれに頬を摺り寄せ、まだ寝ていたいと甘えるようなしぐさをする。

 

「ミリィ、そろそろ起きる時間だ」

 

 優しい声と共に、何かが頭上に触れる感覚がした。タイミングを同じくしてリップ音が聞こえたため、おそらく口付けをされたのだと何となく分かった。緩慢な動作で顔を上げると、今度は額に、続いて鼻先へと次々口付けを落とされていく。顔を隠していた髪を耳に掛けられると、くすぐったさから小さく笑いが零れる。

 

「ふふっ……くすぐったい」

「起きた?」

 

 その問いに、ようやく微睡みから離れることが叶った目蓋が開かれる。

 

「おはよ、アーディ」

 

 寝起きの幼い表情を隠すこともなく、ミレイラは目の前にいる愛する夫へ挨拶する。

 

「おはよう、ミリィ」

 

 甘い声と愛しそうな表情で答えるアードルフは、自然なしぐさでミレイラに口付けをする。

 

「今日はどうする?」

「果実水でいいわ」

「分かった」

 

 そう言うと、アードルフは起き上がってサイドテーブルに用意してあったピッチャーに手を掛ける。

 

 今までアードルフはコーヒーしか入れたことはなかったが、ミレイラと婚姻後は紅茶の入れ方も練習するようになっていた。そしてミレイラのために、わざわざモーニングティーを用意してくれる。

 

 しかし毎回それを用意してもらうのは申し訳ないと話したことで、今はこうして本人の希望を聞いて選ばせてくれるようになった。

 

 妻の為に果実水を用意するアードルフは、少しだけ乱れた髪と着崩れたシャツが色っぽくて、ミレイラはそんな夫の姿を静かに眺めていた。 

 

 コップに果実水を注ぎ終わり振り返って妻の様子を伺うと、横になった状態でこちらを眺めているだけで起きる様子はない。そのことを確認すると、アードルフは先に果実水に口を付ける。そしてそのままミレイラに近付いてくる。

 

 不思議に思ってきょとんとしたままアードルフを見上げるミレイラに顔を近づけると、彼はそのまま口付けて来た。

 

「……んっ」

 

 不思議に思いつつ口付けを受けると、舌を使って口を開くよう促される。促されるままに唇を少しだけ開くと、舌と共に果実水を口移しで流し込まれた。少しだけ驚きつつ、零さないよう喉の奥へ流し込む。

 

「びっくりした……」

「体を起こしたくないのかと思ったんだが、この方法は嫌か?」

 

 嫌かと聞かれて素直に返答出来ないミレイラは、頬を染めつつ言い訳をする。

 

「その……恥ずかしいから」

「嫌ではないんだな?」

「うぅ……」

 

 否定の言葉がないことで、再びアードルフが果実水を口に含む。それを見たミレイラは待つように声を掛けるが、聞こえていないとでも言うようにアードルフが顔を近づけてきて、口を開けるよう視線で促される。

 

「んぅ……っ」

 

 断り切れず小さく口を開けると、再び口付けると共に果実水を口内に注がれる。何とか零さないよう飲み込むが、舌先がミレイラの舌や歯列を舐めるように動き出せば、口移しとは違う意味合いの口付けとなってしまう。

 

「は……っ、待って」

「駄目だ」

「アーディ……んっ」

 

 今度ははっきりと深く口づけられて、微睡みの続いていた思考からは眠気が吹き飛ぶ。それと同時に体が疼くような感覚を拾い始めたため、ミレイラは慌ててアードルフの胸を叩いて訴える。

 

「はぁ……っアーディ、仕事でしょ?」

「…………そんな潤んだ瞳で仕事と言われてもな」

 

 そうしたのは他ならぬアードルフなのだが、伝わっているので言葉にはしない。アードルフも言われずとも自分がそうした自覚はあるので、小さく溜息を付いた後に飲みかけの果実水を手に取る。

 

「起きられるか?」

「うん」

 

 胸元までブランケットを引き寄せながら体を起こし、果実水を受け取る。全部飲み終えると、そのコップをアードルフが受け取ってもう一杯分果実水を注いでいく。そして彼も喉を潤し終わると、名残惜し気にミレイラと視線を合わせる。

 

「その様子だと、今日もどちらかしかさせてもらえなさそうだな」

「……着替えは、駄目です」

 

 頬を染めながらそう答えると、あからさまにアードルフが肩を下ろす。素肌をさらしたままのミレイラにガウンを掛けながら、アードルフは分かりやすく溜め息をついた。

 

「最初の一週間は許してくれたのに」

「あの時はサリアがいなかったから……」

 

 二人が今話しているのは、ミレイラの世話をどこまで許すかについてのことだ。

 

 婚姻当初、ミレイラ付きの侍女であるサリアは研修期間として一週間本邸勤務となった。その間ミレイラに纏わるあらゆるものについては、全てアードルフが献身的に世話をしていたのだ。それは着替えから髪の手入れ、果ては入浴の一部始終まで全てに及んだ。

 

 別邸には最低限の使用人しか置いておらず、尚且つアードルフは自分付きの侍従を雇っていないため、彼は全てにおいて自分で済ませるようにしていた。

 

 ミレイラには流石に同じようにさせる訳にはいかないと、シュミット伯爵家からサリアを引き抜いたが、仮に初日から別邸勤務だったとしても部屋に通すことはしないと断言していた。部屋に入ることを許すのは、あくまでアードルフ本人が部屋にいない間のみ。本人がいる時は誰一人私室へ通すこともしない徹底ぶりだった。

 

 アードルフからは過去に自分が別邸でどのように過ごしていたかは掻い摘んで説明されており、私室への入室を許さない理由もその時に教えてもらっていた。

 

 一度は生を諦めかけた当時、長いこと介護される側を経験していたアードルフは、人に世話をされることで当時を思い起こすため侍従の類を雇うことを強く拒絶した。食事の準備や清掃、洗濯などは本人のいない所で出来るため問題ないが、目の前で世話を焼かれるのだけは心底嫌なのだと。

 

 その割に世話を焼く側は性に合っているのか、それとも対象がミレイラだからなのか。妻に対しては人一倍手を掛けてまで世話をしたがる。そのため、ミレイラが特に嫌がる着替えや入浴時の手伝いなどは、どちらかが意見を譲る形で何とか折り合いを付けることにしていた。

 

「着替えを手伝う間に悪戯(・・)はしてないだろうに」

「……っそれはそれで恥ずかしいのです!」

 

 情事を思わせるような怪しげな手付きで手伝われるのも問題だが、だからと言って献身的に手伝われるのも困るのだ。慈しみすら感じられる瞳で手伝われると、何と言うか……くすぐったいと言うか、恥ずかしいと言うか。今更素肌を見られることに羞恥心を覚えるのもどうかと思いながらも、ミレイラ本人からすれば色々葛藤があるのだ。

 

「着替えが駄目なら、今晩の風呂は良いのか?」

「それは……」

 

 どちらかを断るのならば、どちらかを許してほしい。アードルフから出来る譲歩はそこまでだと言われている。そこを譲らないのもどうかと思うが、他ならぬ夫の気持ちは出来るだけ尊重したい。

 

 今まで一度も人に何かを願うことすらなかったアードルフに、ミレイラがしてあげられることは本当に少ない。ならばせめて、願いだけでも叶えてあげたかった。

 

「………………はぃ」

 

 向かい合ったこの距離間ですらギリギリ聞こえるぐらいのか細い声で、是と答える。

 

「そうか」

 

 一言。たったその一言に、愛しさを全て閉じ込めたような甘さが含まれていた。

 

「ありがとう、ミリィ」

 

 感謝されるようなことじゃないのに、本当に嬉しそうな表情でミレイラを抱き締める。そんな夫の姿を愛しく感じ、恥ずかしくとも受け入れて良かったと感じた。

 

「サリアが着替えを準備して待っているだろう。俺も着替えて来るから、ミリィはここで待っていて」

「ええ、そうするわ」

 

 こうして今日も、ミレイラの一日は穏やかに始まる。

 

  

 着替えと化粧を終えた頃、続き部屋の私室から着替えたアードルフがノックをした後に顔を出す。それを確認すると、サリアは一礼して主寝室から退出した。

 

「ミリィ、髪型はどうする?」

「寒くなって来たので、出来れば下していたいです」

「そうだな、じゃあハーフアップにするか」

 

 そう言うと、手慣れた様子でミレイラの髪に櫛を入れ始める。

 

 ミレイラの一日は、こうしてアードルフに世話をされることで始まる。最初の頃は何をするにも緊張と羞恥心から挙動不審になっていたが、流石に一か月の蜜月期間で慣れてしまった。慣れさせられたと言い換えてもいいが、断り切れないのだからミレイラも大概だ。

 

「最近は前より髪がしっとりしてきたな。新しいヘアオイルが合ったみたいで良かった」

「何だかアーディの手入れの技術が毎回高くなっていくような気がするんだけど……」

「色々学んでいるからな」

 

 一体どこにそんな時間があるんだろうか。

 

 側近としての仕事も忙しいはずなのに、アードルフは基本的には定時で帰って来る。お互いに少ない時間ながらもプライベートな時間は別行動するが、一緒に過ごす時間の方が圧倒的に多い。そうなると、何かを学ぶ時間などそんなにないはずなのだが。

 

「出来たぞ」

 

 そう言うと、満足そうに微笑んでミレイラの頬に口付けをする。

 

「本当はミリィの化粧も施したいんだが、流石にこれは難しいな」

「そこまでされると女性として不甲斐ない気持ちになるので……勘弁して下さい」

 

 頬を染めつつ懇願すると、小さく笑い声をあげたあとにアードルフが同意する。

 

「さ、朝食にしよう」

 

 そう言ってミレイラに手を差し伸べる。素直にその手に自分の手を添えれば、アードルフは嬉しそうに妻をエスコートする。ダイニングルームまで二人で行くと、サリアが二人分の朝食の準備を終えていた。

 

 軽く会話を交わしながら朝食を終えると、二人は一度居間で落ち着き、当日の予定などを話しながらアードルフが登城するまでの短い時間を共に過ごす。

 

 そうして登城する時間となれば、二人でエントランスホールへ向かい、アードルフを見送るまでが朝の流れだ。

 

「いってらっしゃい、アーディ」

 

 触れる程度の口付けをすると、今度はアードルフからミレイラに軽い口付けが返される。

 

「行って来る。何かあれば」

「ちゃんとアーノルド様を頼るわ」

 

 もはや口癖となった夫の台詞を先に口にすると、少しだけ目を丸くした後に微笑みを浮かべる。

 

「約束だ」

 

 そう言ってミレイラの額に口付けたあと、アードルフは仕事へ向かって行った。

 

 

 

 アードルフが出勤した後は、ミレイラが特段しなければならない仕事と言えるものは一つもない。

 

 夫人の仕事と呼ばれるものの多くは社交に関わることであり、別邸の管理に至っても執事に一任されているため、表立った仕事は存在しなかった。

 

 それについて心苦しく感じたミレイラに、アードルフは一つの頼みごとをしていた。

 

 それは、魔法や魔力に纏わる研究をして欲しいと言うもので、それだけを聞くと趣味に没頭すればいいように感じるが、着手して欲しい内容は決まっている。

 

 現在最優先で取り組んでいるのは、魔力過多症となった人間の治療法だ。

 

 今のところ物理的に距離を取る以外の方法は存在せず、違法薬に頼っているのが現状だ。ウィルフレッドが一番テコ入れをしたいのはこの違法薬の横行であり、それを許す貴族達でもある。

 

 しかし他の治療法が存在しない以上、どうしても違法薬を求めてしまうだろう。それでは何度摘発しても意味を成さない。

 

(魔力を全く持っていないならまだしも、持っていても影響を受けるのよね)

 

 潜在魔力量が抵抗力となるのは理解できるが、それだと同等の魔力を持たないだけで影響を受けそうなものだ。だが、実際にはある程度の魔力量の差であれば直接的な影響は与えない。

 

 少なすぎる魔力では影響を受け、ある程度の魔力量であれば影響は受けない。

 

 その魔力量の差は、一体何なのだろうか。

 

(単純に魔力量を数値化した場合の値の差なのかしら)

 

 その場合は魔力を数値として管理しなければならなくなるが、この世界において魔力を数値として計る方法は存在しない。

 

(数値化出来るとは思えないし、今知りたいのは解決方法なのよね)

 

 そう言えば、アードルフも自分の体質を制御する方法を身に付ける過程で、軽度だが魔力過多症の症状を患ったと聞いたことがあった。

 

(アーディは膨大な魔力を持った人間が傍にいたからと言っていたけど)

 

 あの時はそれ以上語られることはなかったが、おそらくはアーノルドのことだったのではないだろうか。

 

(アーディの制御方法は完全に魔力を塞ぐやり方だった。それなのに、制御した状態で私と一緒にいても半日ぐらいでは魔力過多症にはならなかったわ)

 

 全く魔力が循環していなかったのに、外出したあの日にアードルフに不調は見られなかった。いくらミレイラの魔力量が一般的とは言え、一切魔力が流れていない状態で何の影響も受けることがないなんて有り得るのだろうか。


 仮にそれが有り得るのならば、やはり潜在魔力量に帰結してしまうことになるのだが。

 

「奥様!」

「っ!!」

 

 唐突に呼ばれたことに驚き顔を上げる。振り返ると、そこには呆れた顔をしたサリアが立っていた。

 

「何度もお呼びしましたのに、ようやく気付いて下さいましたか」

「ごめんなさい……気付かなかったわ」

 

 相変わらずの集中力に、サリアは小さく溜息を付く。

 

「そろそろ昼時となりますよ?」

 

 言われて初めて時計を確認すると、いつの間にか十一時を過ぎていた。

 

「あまり休息を取らないと、また旦那様に心配されてしまいますよ」

「分かってはいるんだけど……」

 

 集中しだすと時間を忘れてしまうため、再三注意されても中々休憩を挟むことが難しい。

 

「奥様の集中力は知っておりますし、あまり邪魔をしないようにと思っておりましたが。次からは定時に休息を取って頂くことになりそうですね」

「う……」

「準備が出来たらまた声を掛けますから、今度は控えめにお願いしますね」

 

 そう言って優しげに微笑んでから、サリアはミレイラの私室から退出する。その様子を見送りながら、確かにこの調子ではアードルフからも強制的に休憩を取らせろと言われかねないと思い苦笑する。

 

 

 昼食を取った後は、届いた手紙を時間を掛けてゆっくり目を通す

 

 元々閉じ籠っていた方だが、今は閉じ込められていることになっているので、婚姻前よりも手紙で交流する人が増えた。

 

 ティルダはもちろんのこと、母のアンジェリーナをはじめエルネストや義姉のラスティナ、そしてウィルフレッドの婚約者のフィオレンサもだ。

 

 そして、もう一人。

 

(ユリウス様、すっかり魔力循環のコツを掴んだみたい)

 

 フィオレンサの弟であるユリウス・ロージェルからも、手紙が届くようになった。

 

 これについては、ユリウスが魔力暴走を抑える方法を考えたミレイラに直接お礼を言いたいと願い、アードルフはそれを聞いて手紙を書くことだけを許したそうだ。

 

 今では魔力暴走はすっかり収まり、魔力が循環する感覚もすっかり身に付いたと書かれていた。

 

(今まで暴走する魔力を持て余してたくらいだし、人より魔力を感じやすかったのかしら……)

 

 手紙には魔力暴走がなくなったことで使用人が不調で苦しむことも少なくなり、ようやく安心することが出来たとある。

 

(魔力暴走で使用人に不調……魔力過多症とはまた違うのかしら)

 

 魔力過多症は一時的な魔力暴走で起きるほどの即効性はなかったはずだ。だとすれば、他の要因で不調を訴えたことになる。

 

 例えばそれが、活性化した魔力である可能性はないだろうか。

 

(循環したことで影響を受ける者が減ったなら、ユリウス様の膨大な魔力が活性化したことで影響が出た可能性もある……)

 

 もしそれが起点と成り得るのならば……。

 

 ミレイラはいつしか、手紙ではなく魔力過多症と成り得る可能性を追い始めていた。だからこそ、一度集中してしまえば周りが見えなくなってしまう。


 そうしてまた、唐突に声を掛けられる。

 

「奥様」

「っはい!!」

 

 突然耳元に届いた声に驚き体を逸らせる。声のした方へ顔を向けると、ミレイラ付きのもう一人の侍女がすぐ横に佇んでいた。

 

「そろそろティータイムの時間ですので、お声掛けに参りました」

 

 そこにいたのは、長くこの別邸を任されている侍女のルーナだった。

 

「ごめんなさい、また気付けなかったわ」

「奥様、使用人に謝る必要はありませんよ」

 

 ルーナはミレイラ付きの侍女として仕えているが、本来はアーノルドの侍女で本邸勤務だと聞いている。本当ならアーノルド付きの仕事が重要視されるはずだが、アーノルドから執事の補助と共にミレイラに何かあった時の連絡役として、今は別邸での仕事を優先するよう命じられているらしい。

 

 ミレイラからすれば、重要なのはアーノルドの侍女としての務めだと考えているので、こうして彼女の手を煩わせてしまっていることを申し訳なく思っていた。

 

「……じゃあ、お礼だけ。ありがとう」

 

 サリアのように気安く接することはそれとなく断られているので、ミレイラはいつも謝ってしまう。だからせめて、お礼だけを言おうと思った。

 

「……いいえ、これが仕事ですから」

 

 仕事に忠実な印象のある彼女だが、今は少しだけ目を丸くした後に口角が上がった気がした。

 

「そろそろサリアが準備を終えるでしょう。どうぞそのままお待ち下さいませ」

 

 そう言うと、一礼してから部屋を退出して行った。

 

(ルーナさんって……何だか不思議な人だわ)

 

 感情を表に出すタイプではなく、アードルフには昔から仕えていると聞いていたが、どちらもあまり親しい様子を見せたことはない。アードルフに聞いてみたこともあったが、過去の件でルーナには随分世話になったらしく、顔を合わせるのがどうも苦手だと言っていた。

 

(アーディとたまに顔を合わせた時は、どこか感傷的ですらあった気もしたんだけど)

 

 それは過去のことを思い出してなのだろうか。

 

 ミレイラがそうして考え事をしていると、今度ははっきりとノックの音が耳に届いた。

 

「どうぞ」

 

 入出を促すと、サリアがワゴンを引いて入って来た。

 

「今度はちゃんと気付いて下さいましたね」

「ルーナさんには気付けなかったわ……」

「また魔法に関わることを考えていらっしゃいましたね?」

 

 ミレイラの集中力が高まる時は、大体魔法に関連する何かに思考を奪われている時だ。それを知っているからこそ、サリアはわざとらしく溜息を付いて見せる。

 

「一度旦那様にしっかり注意して頂かなくてはいけませんね」

「この際音で知らせる何かを作るべきかしら……」

「失礼を承知で断言しますが、お傍で何度お声掛けしても気付いて頂けないのですから、効果は期待出来ませんよ?」

 

 そう言われてしまうと言い返せず、ミレイラは溜息を付きながら肩を下ろす。

 

「あまり心配を掛けると、ティータイムの度にアーディが影伝いに戻って来るかもしれないわ」

「……旦那様ならやりかねませんね」

 

 その様子が容易に想像できてしまい、二人は同時に小さく笑った。

 

 

 そんな風に何もない一日を穏やかに過ごし、やがて日が暮れ始める。

 

「ただいま」

 

 夫の帰宅を知らされたミレイラはエントランスホールへ向かい、アードルフを迎え入れる。

 

「おかえり、アーディ」

 

 そう言うと、ミレイラはアードルフに抱き縋る。そんな妻を愛しそうに抱き返しながら、行く時と同じように額に軽く口付ける。

 

「ミリィ、今日はどうだった?」

「穏やかに過ごせたわ」

「そうか、良かった」

 

 そんないつも通りの会話を、ありがたいと思いながら繰り返していく。

 

「アーディは疲れてはいない?」

「いつも通りだな。ミリィといれば疲れも忘れる。それに」

 

 そんな返答と同時に、ミレイラは軽々とアードルフに横抱きにされる。

 

「今日は一緒に風呂に入れるしな」

 

 耳元で発せられた言葉に、ミレイラはすぐさま顔を赤らめる。とっさに言い返しそうになるが、見上げた先の幸せそうな夫の表情に言葉を発することが出来ず、見つめ返すことしか出来なくなる。

 

「夕飯にしよう。今日は頑張っていつもより食べような」

 

 その言葉が意味することは、ミレイラだけが知っている。だからこそ顔が熱くなり、両手で覆い隠してしまう。

 

「ミリィ、ちゃんと可愛い顔を見せて?」

「……アーディの意地悪っ」

 

 そんな甘やかな会話をしながら、二人の夜は更けていく。

 

 

 何でもないような、ごく普通の一日の出来事。それは二人にとっては何よりも得難くて、だからこそ幸せを感じることが出来る一日でもある。

 

 今までずっと苦しんで来た二人だからこそ、噛み締めることの出来る幸福な一日。

 

 

 そうしてまた、二人の幸せは明日へと紡がれていく。

 

 

 

まだ書きたい話はありますが、仕事が繁忙期の入ったので次話の更新日は未定です。

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