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籠の鳥は虚ろう

ミレイラの悪夢に纏わる話(前編)です。

 

 

 

 暗闇が支配する世界に、甲高い音が響き渡る。

 

 その音は聞いたことがないのに、どこか心がざわつくような……不快な音だと思った。

 

 その音が意味することは何か、不思議と知っているような気がした。

 

 でも、思い出してはいけないような気もする。

 

 

 だって……あの音は。

 

 

 

 

「ミリィ、起きて」

 

 肩を揺すられる感覚がして、夢の中から現実へと意識が浮き上がって来る。

 

「ミリィ」

 

 聞き慣れたその低い声は、どこか不安そうな色を含んでいた。呼ばれるままに重い目蓋を開くと、アードルフが心配そうにこちらを伺っていた。

 

「……アーディ?」

「ミリィ、大丈夫か?」

 

 問われた意味が分からず、顔を少しだけ傾げて見せる。大きな手がミレイラの目元を拭う動作をしたことで、初めて自分が泣いていたことに気付いた。

 

「魘されていた。悪い夢でも見たのか?」

「夢……」

 

 そう言えば、何かを見たような気もする。夢の名残を思わせる涙はアードルフが拭ってくれたが、何故涙が出たのかは思い出せない。

 

「あの夢に関連のあることか?」

 

 ミレイラ達にとって、夢と言って一番最初に思い起こすのは死に纏わるものだ。

 

「分からない……どんな夢だったのかも思い出せないの」

 

 曖昧過ぎる夢のかけらはすぐに霧散してしまい、記憶の中からは消え失せていた。

 

「忘れてしまったのなら、多分夢見が悪かっただけなんだと思うわ」

「だが……随分苦しそうだった」

 

 夢に魘される様子を垣間見たアードルフには、夢見が悪かっただけとは思えないだけの要素があったらしい。

 

「そんなに心配しないで?悪夢を見るほど天気が崩れているわけでもないもの」

 

 現にカーテン越しに入って来る日差しの様子から、少なくとも雨が降る様子もなければ、強風が壁を叩き付けるような天気でもない。

 

 アードルフもそのことには気付いているが、心配からかギュッと抱き締めたまま頬を撫でてくる。

 

「本当に大丈夫なんだな?」

「ええ、言葉だけじゃないでしょう?」

 

 触れることで伝わる感情からも、多少の動揺は見られるものの不安や恐れのようなものは感じられないはずだ。

 

「朝から心配させてごめんね?起こしてくれてありがとう」

 

 そう言ってから、心配するアードルフに触れるだけの口付けを送る。それを受けたことでとりあえず納得してくれたのか、アードルフもまた口付けを返してくれた。

 

「俺が登城したら、せめてアーニーかサリアのどちらかと一緒にいるようにしてくれ」

「分かったわ。なるべく一人にならないようにするから」

「ああ。本当は俺が付いていてやりたいが……」

 

 今日はウィルフレッドの視察に同行する日だと聞いている。視察先は遠方ではないため外泊することはないが、今日になっていきなり休暇を取ることは難しいだろう。

 

「あまり迷惑は掛けたくないわ。それに、何かあったらアーノルド様に伝えてもらえるから」

「そう……だな。アーニーが影伝いの魔法を習得してくれて、本当に良かった」

 

 最悪何かがあった場合、アーノルドは影から影へ移動することが出来る。しかもアードルフの影は感覚で位置を把握出来るらしく、視察先が知らない土地でも関係なく異常を知らせることが出来るだろう。

 

「さ、起きましょう?遅くなってはウィルフレッド様に申し訳ないわ」

「……未だにミリィがウィルフレッドの名を呼ぶのが気に食わない」

 

 後ろ盾となってくれたウィルフレッドには、正直未だに畏怖を感じることがある。

 

 それを本人は地味に気にしているらしく、ウィルフレッドと彼から相談を受けたフィオレンサ両名から、せめて王太子ではなく名で呼んで欲しいと懇願された。

 

 当時はそんな恐れ多いこと出来ないと涙目になりながら断ろうとしたが、あからさまに落ち込んで見せたウィルフレッドの姿と、いつまでも他人行儀なのが悲しいらしいと伝えたフィオレンサの言葉を受けて、何とか敬称呼びで妥協してもらったのだ。

 

「私も慣れてはいけない呼び方だと、今でも思っているんだけど」

「……そういう意味じゃない。ミリィから他の男の名を聞くのが嫌なだけだ」

 

 不機嫌そうに溜息をつく様子から、名を呼ぶことにすら嫉妬したことが伺える。そんな夫を愛しく感じて、ミレイラは甘えるようにアードルフの胸に顔を埋める。

 

「私はあなたのものでしょう?旦那様」

「……ああ、俺だけのものだ」

 

 ベッドの中で抱き締め合い、お互いの温もりに身を委ねる。

 

「なるべく早く帰って来れるようにする」

「うん、待ってるわ」

 

 そうしてこの日も、いつものように一日が始まった。

 

 

 

 

 

 ✻✻✻✻✻

 

 

 

 

  

「なるほどね、それでわざわざ本邸に顔を出したのか」

 

 アーノルドはサリアの入れた紅茶で喉を潤しながら、兄が何よりも最優先とするミレイラへと視線を向ける。

 

「わざわざ足を運ばせてしまって申し訳ありません」

「気にしないでって言っても無理だろうけど、まぁアーディの頼みだからね」

 

 二人は今、別邸の居間で紅茶を飲んでいた。

 

 アードルフは登城する際に、先に本邸へと顔を出してアーノルドに直接頼みごとをしていた。

 

『午後のティータイムだけでもいい。可能な限りミラと一緒に過ごして欲しい』

 

 最初は何があったのか疑問だったが、アードルフ自らそんなことを言ってくることは滅多にない。ミレイラについては兼ねてから気に掛けるよう頼まれていたこともあり、特に理由を聞くこともなく了承していたのだった。

 

「本当なら義姉上から離れたくないだろうに、よくもまぁ素直に登城したね」

「私も悪夢を見た覚えはなかったので、何とか納得してもらえました」

 

 小さく苦笑しながらも、その時のことを思い出してかミレイラは穏やかに笑って見せた。

 

「アルは昔からあんなに心配性だったのですか?」

「今でこそぶっきら棒だけど、昔は面倒見が良い方だったんだよ。多分義姉上と一緒にいる時は、本来の性格が出てるんじゃないかな」

 

 アーノルドはそれが一番嬉しく思う。

 

 二人が一緒に暮らしていた幼い頃、アードルフは面倒見の良い穏やかな性格だった。アーノルドはどちらかと言えば兄に甘える弟らしい性格で、常に二人で行動して過ごしていた。

 

「義姉上と一緒にいることで、アーディはやっと穏やかに暮らせるようになった。それが何より嬉しいよ」

「アーノルド様……」

 

 その言葉を受けて、ミレイラは少しだけ表情を曇らせる。その表情にアーノルドは疑問を感じたが、本人の口からその理由を告げられた。

 

「せっかく婚姻を早めてもらったのに、子を授かることが出来ないのが申し訳ないです……」

 

 前公爵が亡くなってから、もうすぐ二年が過ぎようとしている。婚姻を早めた理由の一つが子を成すことであったにも関わらず、未だにミレイラは子を授かることが叶わなかった。

 

「義姉上、気にしすぎるのは良くないよ?」

「ですが……」

「確かにアーディの子は成して欲しい。でもね、それは強制じゃない」

 

 復讐としてアードルフの子を後継ぎにすると決めてはいるが、それはあくまでアーノルドの個人的な思惑なのだ。

 

「二人が幸せに暮らしていく中で子を授かることが重要なんだ。だから、そんなに重く考えなくていいよ」

「アーノルド様……」

「それに、アーディは義姉上を愛でたくて抱いてるだけだと思うから、子供はついでぐらいにしか考えてないんじゃないかな?」

「……っそ、それは……」

 

 あからさまに動揺するミレイラを見て、微笑ましく思いながらも言葉を続ける。

 

「焦る必要はないよ。アーディの愛は重いから、そのうち勝手に授かるって」

「……そう、だと……いいのですが」

 

 言葉を濁しながらも、納得したのか小さく息を吐き出したことで体の力は抜けたようだ。

 

 ちょうど話が途切れた頃に、遠くの方で鐘の音が響いているのが聞こえて来た。

 

「そろそろ休憩時間か。アーディ達も休んでる頃かな」

「そうですね」

 

 

 その鐘の音を聞きながら、ミレイラは不意に違和感を覚えた。

 

 鐘の音ではないあの音は、もっと無機質な……不快にすら感じるような耳障りな音だった気がする。

 

「あの音は……」

 

 聞いたことはないはずだ。

 

「義姉上?」

 

 いや、聞いたことがあるのではないか。

 

 あの無機質な甲高い音は、一定の間隔で鳴り響いていたあの音と似ているのではないだろうか。

 

 あの、機械の音(・・・・)

 

 心拍を伝える機械の音が……間隔を空けずに鳴り続けたら、あの音になるのではないか。

 

 その音の意味は。

 

「…………ぁ」

 

 心臓が止まったことを(・・・・・・・・・・)伝える音だ。

 

「……っいやぁぁぁぁ!!」

 

 それを理解した途端、あの悪夢がフラッシュバックした。

 

 

 

 

「義姉上!」

 

 突然悲鳴を上げたミレイラに驚きながらも、アーノルドはすぐにその場から立ち上がって駆け寄る。その尋常じゃない様子から、異変があったことは間違いない。

 

「お待ち下さいっ!」

 

 しかし手を差し伸べようした時、侍女のサリアから制止が入る。

 

 いつになく必死な声に、差し伸べようとした手が反射的にその場で止まる。

 

「アーノルド様、急ぎ旦那様を!」

「どういうこと!?」

 

 今もなお悲鳴を上げながら、顔を覆い隠して身を縮こませて俯くミレイラは、明確に何かに怯えている。

 

「あの悪夢を見た時と同じですっ」

 

 それは、トラウマが再びミレイラに浮かび上がったことを意味する。

 

「何で急に……!」

 

 そう言いながら、アーノルドは急ぎ影を操るべく広いスペースへ移動しようとする。

 

 その時、ミレイラの体がバランスを崩したように傾き始めたのが見えてしまった。

 

「義姉上っ」

 

 咄嗟に体を打ち付けないよう手を差し出してしまい、それと同時に視界が闇に飲み込まれる。

 

 

 そうして、アーノルドもまたミレイラの悪夢を追体験した。

 

「………………っ」

 

 既に気を失ったミレイラを抱えた状態で、アーノルドは硬直したまま動くことが出来なかった。

 

「……これ、が」

 

 二人が話していた、悪夢なのか。

 

「アーノルド様!!」

 

 必死なサリアの呼びかけに何とか意識を引き戻し、アーノルドは悪夢を断ち切るように頭を振って意識をはっきりさせる。

 

「義姉上を……部屋へ連れて行く。気を失ってしまった以上、今この場にアードルフを呼んでも何も出来ない」

 

 苦悶の表情で歯を食いしばりながらも、ミレイラをしっかりと抱き上げる。足取りは覚束ないが、悪夢を垣間見たことによる動揺がそうさせているだけだ。落とすようなことは絶対にしない。

 

 サリアはそんなアーノルドを誘導するようにミレイラの私室へ一足先に足を運ぶ。

 

「待って、扉を開けるなら主寝室にして」

 

 アーノルドの言葉に一瞬躊躇いを見せたが、今後の事を考えると確かにその方がいいだろうと考え直したようで、サリアは言われた通りに主寝室の扉を開ける。

 

 そしてベッドにゆっくり抱き下ろして横たえると、すぐさまサリアが寝苦しくないようにと結い上げた髪を解き、襟元を緩める。

 

 顔色を悪くしたミレイラは、気を失ったまま身じろぐこともなく静かに横になっている。まるで人形のように動かない姿は、先程まで穏やかな表情を見せていた人間とは思えない程に心をざわつかせる。

 

「アードルフを呼んで来る。レイヴン!」

「はい」

 

 アーノルドの呼び声に応じて、侍従の格好をした黒髪の幼い少年が主寝室に突然姿を現した。

 

「ルーナに状況を説明しろ。アードルフを戻す代わりに、僕が王太子に同行する」

「かしこまりました」

 

 返答と同時に姿を消した少年の姿に驚くサリアだが、それに気を遣うほどアーノルドにも余裕はない。すぐさま影を使って転移を開始する。

 

「ごめんね……義姉上」

 

 影に飲み込まれる刹那に呟かれた声は、まるで泣き出しそうなほどか細く震えていた。

 

 

 

 

 

 ✻✻✻✻✻

 

 

 

 

 

 アードルフが影を使って別邸の主寝室へと送り戻されると、ミレイラはベッドで静かに眠りについていた。そんな妻の頬に指を這わせながら、掠れた声が吐き出される。

 

「大丈夫って言ったじゃないか……ミリィっ」

 

 その声にはどうしようもない怒りを内包しており、それと同じだけの後悔も滲ませていた。

 

 ミレイラも想定外のことだったのは間違いない。隠し事をしていないのは本人の感情からも読み取れていた。

 

 それでも、恐れていたことは起こってしまった。

 

(やはり無理を言ってでも留まるんだった)

 

 

 

 ウィルフレッドに同行して訪れた視察先で、ちょうど休息を取る為に馬から降りた時だった。

 

 アーノルドの魔力の波動を感知した時点で、嫌な予感はしていた。

 

 アードルフは気配を感じると同時に断りを入れてからその場を離れ、人の目がない場所でアーノルドの影が動けるように体質を制御する。

 

 そうして現れたアーノルドは、目に見えて血の気が失せていた。

 

「アーノルド」

「ごめん……アーディ、義姉上が」

「顔を上げろ」

 

 俯くアーノルドの肩を両手で掴み、目を合わすように顔を上げさせる。

 

「何があった」

「……きっかけが分からない。けど、悪夢がフラッシュバックした」

 

 それを聞いて、やはり今朝魘されていたのは前兆だったのだと確信する。

 

「ミラは?」

「今は気を失ってる。ベッドに寝かせてきたから、このまま送り届けるよ」

 

 ウィルフレッド達には上手く話しておくと話すアーノルドは、しかし顔色は悪いままだ。

 

「……悪夢を見たのか」

 

 その言葉にあからさまに動揺する姿を見て、確信する。

 

 アーノルド自身もあの悪夢を追体験したことによって、己のトラウマを刺激されたのだと。

 

「今はミラを優先するが……アーニー」

 

 呼びかけながら、動揺に揺れる瞳としっかり目を合わせる。

 

「後悔するような生き方はしないでくれ」

「…………っ」

 

 表情を歪ませて苦悶するアーノルドは、顔を俯けながらアードルフの手を握る。

 

「…………三日後に、様子を見に行くよ」

「分かった」

 

 そう言うと、アーノルドの操る影がアードルフを包み込んでいく。そして闇の中に体が呑まれていき、次に目を開けた時には王都にあるエイルース公爵家の別邸へと転移していた。

  

 

 

 そうして戻された主寝室の中で、アードルフは眠るミレイラの頬を撫でたあと、扉の方へと顔を向ける。

 

「近くに居るか、サリア」

 

 少しだけ声を張ると、すぐにサリアが主寝室へ入室して来る。

 

「お呼びでしょうか」

「悪夢がフラッシュバックしたきっかけは分かるか?」

 

 嵐が来たわけでも、それに近い天候でもない。

 

 未だに天候が不安定な時は引き摺られて気鬱になる日もあるが、悪夢を打ち明けられた時のような動揺は随分少なくなってきていた。

 

 それなのに、何のきっかけもなくここまで悪化するとは思えなかった。

 

「直前まではアーノルド様と会話をされていました。不安定になるどころか、むしろ安心すらしていたように見受けられたのですが……」

 

 あの時の会話で不安定になる要素はないと告げる。

 

「気になると言えば、ちょうど時計塔の音が響いた時に、奥様が音を気にされていました」

「音……?鐘の音をか?」

「鐘の音だから気にしたと言うより、それをきっかけに何かを思い出していたようなんです」

 

 そのすぐ後に悲鳴を上げて気を失ったらしい。

 

「日中に変わった様子はなかったのか?」

「はい。これまで通り、穏やかに過ごされていました」

 

 そうなると、音以外にトラウマが蘇るようなものは考えられない。

 

「ミラは悪夢がフラッシュバックすると、数日意識が混濁すると言っていたな」

「はい。意識が戻られてもすぐに回復するわけではないので、一週間ほどは共に過ごすことになるかと」

「その間食事は液体のものしか口に出来ないのか?」

 

 以前本人も言っていたが、一週間もその食事では本当に体を悪くしかねない。

 

「残念ながら、固形物の類は全て戻してしまわれるので」

「そうか……」

 

 方法がないことはないが、戻す可能性を考えると無理強いするのは止めた方が良さそうだ。

 

「いつ起きるかは分からないが、とりあえずミラが口に出来る物を用意しておいてくれ」

「かしこまりました。一応湯殿の支度はしておりますが、奥様が眠られている間に湯浴みはなさいますか?」

 

 出先からそのまま戻って来ていたため、確かに汗だけでも流しておいた方がいいだろう。

 

「ああ。終わったらいつものように私室にまとめて置く。夕飯時に一度声を掛けてくれ」

「かしこまりました」

 

 そのままサリアが退出したのを見届けたあと、アードルフは着替えを取りに私室に戻り、そのまま主寝室の浴室で汗を流した。

 

(嵐の日以外にミリィの意識が混濁したのは初めてのはずだ)

 

 長く侍女を任されていたサリアですら原因が分からないのだ。前例のないことなのは間違いない。

 

(音……確かにあの悪夢では、きっかけとなるものは音しかないはずだが)

 

 音が支配する闇の中で、あの女性は絶望に沈む。その夢の中で何の音に反応して、トラウマが呼び起こされたのだろうか。

 

 思考を続けたまま汗を流し終えると、濡れた髪を拭いながら主寝室へと戻る。

 

「……ミリィ、起きたのか」

 

 ベッドへ目を向けると、横になっていたはずのミレイラが上半身を起こした状態で窓の方へ視線を向けていた。

 

 しかし、アードルフの声に反応を示す様子はない。

 

 そんなミレイラの隣に腰を下ろし、もう一度声を掛ける。

 

「ミリィ」

 

 すると、ゆっくりとした動作でミレイラの顔がアードルフの方へと向けられた。

 

「…………」

 

 エメラルドの瞳は、まるで何も映っていないかのように深い色に染まっていた。

 

「ミリィ、帰ったよ」

 

 それでも動揺することなく、優しく声を掛け続ける。そしてブランケットを握る手を、自分の手で覆うように包み込む。

 

 冷えたその手からは、何の感情も伝わって来ない。

 

「……そうか、こうして悪夢に囚われるのか」

 

 ミレイラが身に付けた処世術が精神を蝕む理由がやっと分かった。

 

 心を閉ざし、感情を殺し、貴族令嬢としての仮面を被る。それは、人形に成り下がることと同じだ。そしてその姿は、まさに今のミレイラそのものだった。

 

「ミリィ、その方法で社交なんて……無謀すぎる」

 

 今だからこそよく分かる。明確な閉じ込める理由を作って鳥籠へ入れることこそが、ミレイラがミレイラとして生きる為に必要なことだったのだと。

 

「でも、悪夢(そこ)に囚われるのは許さない」

 

 ミレイラが生きるべきは、アードルフのいる現実(ここ)だけだ。

 

「ミリィ、帰っておいで」

 

 そう言って、アードルフはミレイラを抱き寄せる。人形のようにされるがままに抱き締められたミレイラは、暫くはそのまま佇んでいた。

 

 しかしアードルフの温もりを感じたのだろうか、少しだけ顔を温かい胸に摺り寄せると、静かに目蓋を閉じてその身を委ねた。

 

 

 

続きは明日更新されます。

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