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ミレイラの前世の死に纏わる話です。
病死・意志に沿わない死に抵抗のある方はご注意下さい。
真っ暗な世界だった。
光は一筋も存在せず、只々暗闇の支配する世界。
そこにあるのは、音だけだった。
自分の感覚すら存在しない。視覚も、嗅覚も、触覚も、そしておそらくは、味覚も。
唯一残った聴覚だけが、そこが何処かの一室だと感じさせる。
激しく窓や壁を叩きつける暴風雨の音で、外は嵐が来ているのだろうことが伺えた。遠くの方では何かの警報が暴風雨の音にかき消されながら鳴り響いている。
そんな、どこかの部屋の中。そこは今、色んな音で溢れていた。
一定のリズムで鳴り続ける音。それは、自分の心拍を伝える機械の音。
シュー……と空気の抜けるような音は、私の呼吸を助ける為の装置の音。
(……そうだ、ここは)
ここは病室だった。
数年前に交通事故に巻き込まれて、重症を負った。本当は心のどこかで死を望んでいた私は、そのまま緩やかに死んでしまえればいいのにと願っていた。
それなのに、両親は私が自殺を考えていたことを何かで知ったのだろう。
『絶対に死なせない。親に貰った命を蔑ろにするなんて、とんだ親不孝者だ』
『お願い○○ちゃん、お母さんの為に生きて……!』
今まで、ずっと蔑ろにしてきたのに、こんな時ばかり二人は親であろうとした。
友人関係に悩んでいても、一度も相談させてくれなかった。振るわない成績は責められるのに、努力して高得点を出しても、これまでは真面目に取り組まなかったのかとまた責められた。将来に悩んでいても、決められた大学へ行くことを義務付けられ、遊ぶことも許してもらえなかった。
何処かで疲れてしまった私は、もう全部を手放したかった。
だから、事故に遭ったのは偶然だけど、死にたい気持ちがそうさせたのだと思う。
それでも、遂には死ぬことも自分で選ぶことは許されなかった。
そのことに絶望して、生きる意欲を失った。
そんな私の心がそうさせたのか、知らぬ間に昏睡状態に陥っていたらしい。時々聞こえていたお医者さんと両親の声で、自分は昏睡してから植物状態になったらしいことは、何となく把握していた。
随分長く眠っていたようだ。そんな私の耳に、聞き慣れたはずの耳障りな罵倒が届き始める。
「いい加減にしろ!もう充分だろ!!」
「でも!〇〇はまだ生きているのに!!」
「死んでるのと変わらないだろう!こんな機械、外してしまえば一瞬なんだぞ!!」
ああ、これは両親の声だ。二人が怒鳴り合っている。
「これに幾ら金をつぎ込むつもりだ!」
「そんな事言っても、この子はまだ」
「おまえだって、本当はとっくに諦めているんだろう!」
私の事を話しているのだろう。最近はずっと、口論が聞こえていたような気もする。
「こいつは死にたがっていた。だったら望み通りにしてやればいい」
「そんな……っ!!」
「会社が傾いてきたせいで、これ以上こいつに無駄金を使う余裕はない。こっちの生活が危ういんだぞ!」
「だって……この子は、大学を出て、立派な会社に」
まだそんなことを言っているのか。母にとって一人娘の私の人生は、母が生きたかったレールの上を走る為のものだったのだろうか。
植物状態になっても、私は時々意識が戻る時があった。
けれど聴覚以外はまるで感覚がなくて、それを伝える術すらない。そんな状況に絶望していた私に、母は随分献身的に介護してくれた。
数年続けられたその様子を見て、私は少しずつ心を傾けるようになった。
もし、本当に生きることを望んでくれるなら。起きることで、母だけでも喜んでくれるのだとすれば。
そんな希望を持ち始めた私を前に、二人は次第に口論するようになった。
父は見限ろと言い、母はそれを止める。そんな状況でまた月日が流れ、私はまた次第に心を閉ざし始めた。
母が、少しずつ病室を離れるようになったからだ。介護に疲れたのか、父の言うように諦め始めたのか。
それを証明するように、平行線をたどっていた会話が歩み寄りを見せたのだ。
「○○ちゃんは……死にたかったの」
声が先ほどよりはっきりと届く。こちらに顔を向けたようだ。
「あんなに手を掛けたのに、それでも……死にたいのね」
どうして二人は、いつでも私の心を理解してくれないのだろう。
一時は、母の望むように生きることを望みかけたというのに。こんな体だから、伝わらないのだろうか。
いや、五感のあった私の事すら気付けないような人が、そもそも気付くはずもないのか。
私の言葉すら聞いてくれないのだから、それもそうか。
「ごめんね……ごめんね、○○ちゃん」
「どけ」
何かに手を掛ける音がする。それはナースコールを鳴らす為の動作なのか、それとも私を生かすために繋がれた機械を外す為の動作なのか。
そんなことに意識を向けることすら、疲れてしまった。
ああ……今になって、苦しさを感じるのか。
そんなことすらも、どうでもいい。
死を、望まれた。
そんな私は、もう何も、何もない。
どうせなら、触れるだけで心が通じれば良かったのに。
感情だけでも伝われば、或いは何かが……変わったんだろうか。
やがて仄暗い沼の底に沈んでいくように、私の意識は消えていった。
✻✻✻✻✻
「………………」
気がつくと、アードルフはミレイラを抱き締めた姿勢で虚空を見つめていた。
長いようで短い夢のようなソレは、亡くなった女性の視点から見せられたもの。
死を望まれた、女性の最後だった。
聞いたことのない単語に、激しく罵倒する両親と思われる男女の声。そして、その女性の命を繋いでいた機械と呼ばれるものの無機質な音と、背後で激しく叩きつける嵐の音。
あの日ミレイラの話した夢は、まさにこれだったのだ。
「ミラ……」
腕の中で抱き寄せた彼女は、震えながら泣き縋っていた。
「ごめんなさ……ごめ、なさいっ」
嗚咽交じりに、ひたすら謝罪を繰り返す。
あれは、あの女性は、ミレイラじゃない。
それなのに、何故か漠然とミレイラだと感じてしまう。おそらくは全く違う見た目をした、赤の他人であるはずなのに。
シュミット伯爵や夫人の声ともまるで違う。
だが、夢だと断言することが出来ないほどに現実じみている。
「ミリィ……」
それでも、あれは現実ではないはずだ。
「ミリィ、あなたはここにいる」
あそこに、ミレイラの兄は存在しない。そして自分もまた、あの場にはいない。存在し得ないのだ。
「ミリィは確かに、ここにいる」
「アル……っアル!」
必死にここにいるアードルフを確かめるように、強く抱き締めて縋るミレイラは、あまりにも幼く弱い存在に見えた。
繋がった感情から、絶望し死んでいく夢を見せてしまったことを嘆き、後悔し、そんな自分に縋られたアードルフに罪悪感が溢れだしていく。
紛い物かもしれないミレイラと言う人格が、彼女の生きるべき命を生きているのではないか。それに対する罪悪感もまた、深くその心に根付いていた。
残酷なほどに、あの夢はミレイラと言う人格を否定する。それはまるで、あの女性が生きるはずだった命を奪ったとでも言うように、ミレイラの心を蝕んでいた。
「俺は、ミリィしか愛せない」
「……っ!」
そんな悪夢に囚われたミレイラに、出せる答えはひとつだけ。
「夢の女性には残酷だが。俺は……俺が愛してるのは、今抱き締めているミリィなんだ」
決して、夢の中で死んでいった彼女ではない。例えあれが、ミレイラだった人だとしても。
「俺が欲しいのは、今苦しんで泣いているあなただ」
だから、お願いだから。
「ミリィ、お願いだから……これ以上俺の愛したあなたを、否定しないでくれ」
「……アルっ」
「あなたが許せなくても、俺が許す。だから、俺を受け入れて」
そうして、涙に濡れる目元に口付け、涙を吸い取る。両方の目元に口付け、額、頬、そして唇に、優しく口付けを落としていく。
「ミリィ、あなたを愛してる」
「アル……アードルフ、さま」
再び溢れだす涙を親指で拭い取るが、次々と大粒の涙が流れていく。
「愛して……わたしを、あなたの前にいる私を、愛して下さいっ」
それは、何よりも根底に隠されていた本心だった。
ミレイラはあの夢に囚われた日から、ずっと自分の人格が許されないのではないかと怯えて生きていた。
本来ここにいるべきは、自分ではなく彼女だったのではないかと。
だから、両親の愛情を享受できなかった。その愛情は、私ではない私に向けられるべきものだったのではないかと、考えずにはいられなかった。
夢と判断するには難しいあれは、意識が混濁するとどちらが現実かすら分からなくなる。
そして唯一の相違点である兄の存在に依存した。それだけが、ミレイラに許された現実と判断しうる唯一だったからだ。
嵐で夢がフラッシュバックすると、ミレイラは数日意識が混濁する。
その時のミレイラは、まるであの夢の中の女性のように生きる気力を失い、エルネストの傍から離れなかった。
そんな自分を、何よりもミレイラが嫌った。
あの悲惨な生涯を終えた彼女が幸せになる為に得られたはずの能力を、ミレイラは持って生まれた。本当なら彼女が彼女として、ミレイラの一生を生きていくはずだった。
しかし、実際にこの体にある人格はミレイラのもので。そしてミレイラは、自分の幸せを欲してしまった。それを罰するように、夢がミレイラを苛んでいく。
ミレイラの家族の為に幸せになりたい。ミレイラと言う一人の人間として、自分だけの生涯を終えたい。
そんな望みすら、抱いてはいけないのだろうかと。
だからミレイラは望んでしまった。
全てを受け入れてくれたアードルフに、夢の彼女ではなくミレイラを、自分だけを愛してくれることを。
「大丈夫、元からミリィ以外愛することはない」
どれだけあの女性が哀れであっても、仮に自分より悲惨な生涯だったとしても。
最初に出逢ったのは、彼女が欲した能力に苦しめられ、それでもただ一人からの愛情を求めた、腕の中で泣き縋るミレイラだけなのだから。
「ミリィ、あなただけを愛してる」
「アル……っ愛してる。私も、愛してるのっ」
仮に彼女が生きるべき生涯だったとしても、ミレイラはアードルフを愛してしまった。もう、誰の代わりにもなれないのだと。
切々と心を伝えて来るミレイラに、今度は何度も、啄むように口付けを繰り返す。
「ミリィ……っ」
「ん……っは」
苦し気に息を吐き出しながら、必死にアードルフに答えようと口付けを返してくる。健気なその行動と涙に濡れるミレイラは官能的で、必死にアードルフを求め続けている。
「んぅ……っ」
堪らずにまた口付けると、今度は舌で唇をこじ開け、深く貪るように口内を蹂躙する。突然の感覚に驚きながらも、アードルフから与えられる行為を享受し、喜びと微かに浮かび上がった快楽がミレイラの心に広がっていく。
「……っはぁ……はぁ」
「ミリィ、愛してる」
「アル……アードルフさまっ……ずっと、離さないで」
どれだけ夢に囚われようと、アードルフが引き戻してくれるのならば、そこがきっと現実であるはずだから。
「約束する。ミリィが夢に沈んでも、必ず救い出す」
それがミレイラの救いとなり、共に生きていくための方法だというなら、喜んで依存されよう。
「だからミリィ、囚われるなら俺にしろ」
そんな獰猛な視線を受けても、ミレイラの感情に恐れが抱かれることはなく。
束縛されることすら構わないと願うほどに、ミレイラはアードルフに囚われることを強く望んだ。
ミレイラは前世の記憶はこれしか知りません。
だから前世の自分が異世界転生したことも知りません。
そして前世の彼女の意識は一切存在しません。
彼女は絶望から立ち直ることが出来ませんでした。




