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翠煌のトカク  作者: 筧 黎人
プロローグ
5/26

運命の日

 

「そうか…聖騎士の少女と同じ村の者だったか」



 ソフィアと名乗った女性は倒れた木に座り、馬の首筋を軽く撫でる。ハルトも彼女に勧められ、向かい合う形で腰を下ろした。



「今回は勇者の急な要望でな。君の村に行くことになったんだ。勇者一行と言えど、未知の敵と交戦し苦戦する可能性もある。それで私の部隊が道中彼らの護衛として遣わされた」



 それは知っている。何人もの騎士を村で見たからだ。明らかに大袈裟だと感じたが、王都としては万が一の事態を考えての結果だろう。



「無論、私も同行するよう命令された。…が、先ほど言ったように急な要望でな。私にも別件の仕事があり、そちらを早急に片付ける必要があった。仕方なく私が選抜した騎士たちを勇者一行の護衛に付けさせたわけだ」


「そうだったんですか…」



 ハルトの返答にソフィアが首肯する。一呼吸置くと再び口を開いた。



「そしてその仕事が終わり、こちらの為に馬を走らせて来たんだが…見ての通りだ」



 苦笑しながら馬を指すソフィア。とても苦しそうにその馬は蹲っていた。身体の一部を怪我したか、若しくは体調が悪いようだ。



「無理をさせているのは分かっていたんだ。元々、先述した仕事が終わったら休ませるつもりでいた。だがここで力尽きてしまった。私の失態だよ」


「……」



 申し訳ない気持ちで一杯になる。勇者の我儘、いや、幼馴染の故郷がもう少し近ければここまで無理をさせることもなかったかもしれない。自分がレティに手紙を返して来る必要なんかないと言っておけばこんなことにはならなかったかもしれない。


 ハルトは叱られた子供のように身を縮めた。そんな彼を見たソフィアは首を傾げ、腑に落ちた表情で温かい言葉をかけた。



「おいおい。何故君がそんな顔をする。言っただろう。これは私が招いた問題だ。君が責任を感じることなど一つもない」


「しかし…」


「それよりも、だ」



 少年の言葉を遮り、断固とした物言いで目を向ける。彼女の瞳は痛いほどに厳しかった。



「少年。君の身に何かあったのか? 失礼ながら先ほどまでの君は死人のように目が虚ろだったぞ。村からかなり離れたここにいるのも理解に欠ける。まさか散策していた訳でもあるまい。只ならぬ事情があるんだろう?」



 ハルトはしばし逡巡した。簡単に話せることではない。むしろ、話したくなかった。自分が勝手に見限られて別の男に愛する人を奪われた話など。情けなさで恥をかくだけだと感じた。


 過ぎた話だと開き直って彼女に全て伝えるか。自分の苦い思い出として胸の中にしまい込むか。



 悩んだ末に前者を選んだ。

 何故だが目の前の女性には気軽に話せる安心感がある。それはレティとも、育ててくれた義理の母親とも違うものがあった。それに、いつまでも引き摺るのは心を擦り減らすだけだと、ハルトは決心した。



「…実は」



 彼はぽつぽつと語り出す。ソフィアはその言葉一つ一つにしっかりと耳を傾けて、話し終えるまで真剣な表情でハルトを見つめていた。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「成る程。件の聖騎士がよりにもよってあの勇者に奪われた、という訳か…」



 最後まで聞いたソフィアは嘆くように首を振る。その態度を不思議に思ったハルトは彼女に疑問をぶつけた。



「ええと、貴方がそんなこと言って良いんですか?」


「うん? どういうことだ?」


「その…仮にも勇者と共に戦う立場の貴方が、彼を悪く言うのは平気なのかな…って」


「ふふ。王都及び世界の平和を志す者同士、信頼し合って当然。そう言いたいのか」



 蹲る馬を撫でながらソフィアは告げる。



「そう簡単なことではないのさ。彼の実力は信頼しているが、それだけで世界が救える訳ではない。それに私が守るべき王都も現状、腐敗しきっている」


「え?」


「上級貴族における増収賄に犯罪行為、違法とされる亜人種の奴隷売買、飢餓や貧困でまともな治療も受けれないスラムの子どもたち…見えない場所で信じがたいことが山のように起きている」


「そんな…」


「私が独自に調べたものだがな。そして王都の腐敗が出るたびに果たして自分が守るべきものは、自分が信じるべき正義とは何だったのかと考えさせられた」


「…」


「まぁ、それを差し置いてもあの勇者は気に食わん。軽薄そうな感じが駄目だ。はっきり言って私の嫌いなタイプだな」



 ははは、とソフィアは快活に笑う。その屈託無く笑う顔は、友達同士で会話を弾ませたときの感覚に似ていた。



「レティは、そんな世界でこれから生きて行くんですね…」


「心残りがあるのか?」


「…どうなんでしょう」



 自分を見つめる瞳に耐えられず、ハルトは目を伏せた。


 未練はある。あり過ぎる。幼い頃から一緒に育った大切な幼馴染を簡単に取られて、自分の居場所は完全になくなってしまった。


 居場所があるとすればあの村だが、変わってしまった幼馴染が、何よりあの勇者が数日間とは言え滞在していると考えると、とても戻る気にはなれなかった。



「勇者から婚約者を奪い返す、という気概はないのか?」



 静かな口調。けれどしっかりと耳に入ったその言葉に、ハルトはゆっくりと首を振った。



「…まったく考えなかったと言ったら嘘になります。けど、俺があの勇者に勝る点は何一つない。俺の意地だけでどうにかなるとは思えません」



 それに、とハルトは言葉を続けた。



「こんな形とは言え、俺と別れたのは良いことだと思うんです。彼女が本来望んでいないとしても、聖騎士に選ばれ、勇者に認められた存在になったんです。あのまま村の人間として燻っているよりかは断然いい」


「それは君の理屈だろう」


「そうかもしれません。でも彼女はこれから危険な戦いに身を投じて、それを乗り越えるたびに裕福な生活と多くの仲間に恵まれていくでしょう。…それは多分、俺では成し得ないことだから」



 結局のところ、自分と彼女では住む世界が違った。それを知るきっかけがあの『信託の儀』だったのだろう。彼女は強く、自分は弱い。守るなんて口にするのも烏滸がましい。歴然とした差が、そこにはあった。



「だから、彼女が幸せに生きて行くのならそれでいい。婚約者から幼馴染に戻っただけです。もう、未練も何もありません」


「…君は優しい奴だな」



 慈愛に満ちた表情でソフィアは微笑んだ。僅かにむず痒い感覚。赤くなった頬を隠すようにハルトはそっぽ向いた。



「だが、君はどうなる」


「え?」


「君は婚約者に見限られた。愛すべき人も、帰るべき場所からも逃げてきた。そんな君が、これから何を信じ、何を為して行くつもりなんだ?」




 驚愕–––––そして硬直。完全に予想外だった。レティのこと、勇者のことばかりで自分の行く末なんて考えもしなかった。まさに鈍器で殴られたような瞬間だった。


 ようやくまとまってきた頭でハルトは考える。真っ先に思いついたのは村に残って生計を立てていくことだ。これでもあの村に一五年以上も住んでいる。一通り仕事は教わったし、別段不可能な話ではなかった。



 しかし、それが本当に自分がしたいことなのか? 正直、あの村に貢献したいという気持ちは薄れていた。育ててくれた義理の両親。お世話になった村長もいる。それでも、あの村で生きて行くのは心身共に持たないと何となく分かった。


 ならば村を出て、冒険者や何らかの職について生きて行くのか。それも無理だと思った。自分は只の農民。多少身体を鍛えているとは言え、そのまま通用するほどこの世界は甘くないと実感している。



「俺、は…俺は…」



 何を為したいか。明確な答えが思い浮かばない。暗闇の中を手探りで進んでいるようだ。しばらくすると嫌な汗が頬を伝った。



「難しく考える必要はない。君は何をしたい? 今の時点でいい、答えを聞かせてくれ」



 諭すような声。ハルトは目を閉じて、過去の出来事を思い出した。



 ––––幼少の頃読んだ本。名も無き少年が誰にも抜けないとされた剣を抜き、一人果敢に巨大な竜に立ち向かう。傷つき、蔑まれ、何度も敗北した。けれど少年は諦めず、やがてそんな少年に惹かれて多くの者たちが彼の力になった。



 “出来る出来ないかじゃない。大切なのは常に挑戦し続けること。勝てないと分かってても、諦めない心があれば––––”



 そして少年は世界を救った。英雄として祭り上げられた。作り話だとしても、今のハルトには眩し過ぎる内容だった。



 少年は刻んだのだ。自分が生きた証を。無謀とも言える行動で、自分の存在を認めさせた。



 そしてハルトに、一つの答えを見出した。




「…俺は生きたい。生きて、自分が生きた証をこの世界に残したい。それが善人としてでも…悪人としてでもいい。()()()()()()()()()()()()()()()()()



 決意の言葉。強く拳を握り、ほぼ睨むような瞳でソフィアを見つめ返した。悩んだ末に辿り着いた結論。誰に何と言われようと、譲る気は更々なかった。




「…そうか。ならば私も、問題なくお前を誘えるということだ」



 ソフィアが腰を上げる。言葉の意味が分からず、呆けているハルトに彼女は手を差し出した。



「私の手を取れ、ハルト。お前のような覚悟を持った人間が私には必要だ」



 必要だ、と言われ自分の胸が熱くなるのを感じた。熱くなるのを堪え、その意味を問うために口を開く。




「それは…騎士として戦って欲しい、ということですか?」


「いいや」



 ソフィアは大きく首を振り、一度目を伏せてからハルトにその言葉を告げた。




「世界の変革––––その変革を促す組織の一人として、お前を誘いたい」




 ハルトはその言葉を生涯忘れない。



 彼の運命が決まった瞬間だった。

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