再会
レティから手紙が送られてきて二週間後。村の入り口がやたらと騒がしいのに気付き、何人もの村人が集まってきた。
何でも客人のようだ。こんな辺境の村を訪れる客人など余程の変わり者か、何かしら村に関わりがある者のどちらかである。おそらく後者だろう、とハルトは予測して村の入り口から遠く離れた場所からその一団を目にした。
まず派手な甲冑を身に纏い、乗馬して進んでくる騎士たちが嫌でも目に入った。特徴的な甲冑と、掲げている旗のマークからして王都騎士団–––––世界の至るところから集められた選りすぐりの人間たちである。王都騎士団は十の部隊で構成されており、今回村に訪れたのは七部隊であった。見たところ隊長と思わしき人物はいないようだが、それでも世界最高峰の騎士団がこうして行進するのを目撃しただけで圧巻である。
次に見えるのは同じく乗馬した金髪碧眼の青年だった。騎士団に比べれば軽装であるが、変わりに身の丈に合わない大剣を背負い、村人たちに陽気に手を振っていた。
勇者。女神の寵愛を受け、世界を救うことを約束された、人類の頂点に立つ選ばれし人間。戦場では誰よりも先陣を切り、誰よりも多くの敵を屠るという。しかしそんな威厳を全く感じさせることなく、パーティと思われる女性たちと談笑している。
そして一団の最後尾。手慣れた様子で手綱を握り、馬に乗る少女を見てハルトは思わず息を呑んだ。
間違いない。陶器人形のように白い肌、ハルトと同じ栗色の髪は綺麗に手入れされており、焔色の瞳は見る者全てをそれだけで魅了する程の美しさを醸し出していた。レティーシャ・ディオンは半年しか経っていないというのに、とても出自が村娘とは想像できない女性へと変貌していた。佇むだけで気品があり、馬に乗るだけで優雅を纏う彼女は、村の人間たちの歓声に迎えられながらおずおずと手を振り返した。
ハルトは自分の目を疑う。
レティの女性としての成長に驚いたからではない。それはハルトとしても喜ばしいことのはずだ。目を疑ったのは、かつてのレティの魅力とはあまりにもかけ離れていたからだ。
見窄らしい少女だった。されど、無邪気に笑う彼女は村の人々に癒しと安堵感を与えた。心惹かれた子供たちは数知れず。無理に背伸びをして大人ぶるレティには、確かに他人を惹きつける何かがあった。
しかし、目の前にいる彼女はハルトの知る人物ではなかった。頼りなさなど微塵も見せず、しゃんとした態度で馬を進ませるレティに、ハルトは昔の面影を見出すことが出来なかった。
彼女は本当に、遠いところに行ってしまった。
絶望に打ちひしがれてると、レティと目が合った。彼女は一瞬戸惑ったが、意を決したように首を振ると馬から降りて彼の元に寄って行った。目の前に立つと、綺麗な唇が静かに言葉を紡ぐ。
「久しぶりだね、ハルト。元気にしていた?」
「……」
「ええと、手紙、読んでくれたかな? あんな風に書いてたけど、こうして面を向かって謝りたくて」
「……」
「…ハルト? 聞いてるの?」
「…ッ! あ、ああ。久しぶり、だね」
心配そうに顔を覗き込む彼女から距離を取る。半年ぶりの再会に胸を弾ませるどころか、何とも言えない違和感で押し潰されそうだ。どう対応していいか分からず、ただ曖昧な相槌を返すしかない。
そしてハルトは、違和感の正体に気付く。
自分は彼女と話すとき、どんな顔をしていたのだろうか。
思い出せない。思い出そうとしても、見えない何かが阻害して過去の記憶を閉ざす。彼女との思い出が、泡沫のように消え去っていく。おぞましい恐怖感に、ハルトは頭を抱えたくなった。
彼の異変に気付いたのだろう。レティは再び声を掛けようとした。しかし、そこに近付く影が一つ。
「やあ。水を差すようで失礼。君がハルト君かい?」
そこには勇者が立っていた。軽く手を上げてこちらの様子を窺っている。二人の会話から察して話しかけてきたようだ。
「僕はアゼル。アゼル・ジルフォードだ。これでも勇者をやっている。今回の訪問は僕の我儘でね。愛しい婚約者とその幼馴染がいる故郷をどうしても見たくなったんだ。押しかけるみたいになってすまないね」
ハルトの視線がレティから勇者に移る。レティを視界から外したからか、謎の安心感が全身を覆った。正直、彼女の目を見て話す自信が無かった為、勇者の介入は有り難かった。…自身の婚約者を奪った男を見て安心するとはまた皮肉なことではあるが。
「中々良いところじゃないか。空気は美味しいし、見える景色もそれなりに悪くない。村の人間も良い人そうだし、何よりレティという大切な存在を産んでくれたことには感謝しないとね」
途端にレティが顔を赤らめる。自分が褒められたと思い、照れているようだ。そんな彼女を横目に、勇者は言葉を続けた。
「ま、ここで一生住めと言われたら死んでもごめんだけどね。彼女のような美しい女性を、こんな牢獄から連れ出してあげたとなれば君も嬉しいんじゃないか? 元婚約者くん?」
聞いてもいないことを流暢に話す勇者。レティと面を向かって話す必要が無くなり精神的余裕ができたのか、ハルトは眼前の勇者を見つめ返し、極力穏やかな口調で語った。
「…突然のお言葉、痛み入ります。確かに僕のようななんの取り柄もない村人より、アッシュ様のように人望もあり実力もある殿方のほうが、女性としてもより魅力的に映るのでしょう。僕の幼馴染であるレティーシャを選んでくれたこと、感謝の念で絶えません。願わくば、これからも彼女の幸せを約束してあげて下さい」
勇者よりも真っ先に反応したのはレティだった。幼馴染の言葉に少なからず動揺している。勇者はつまらなそうに鼻で笑うと、腕を組んでハルトを睨みつけた。
「へぇ。思ってたよりも口が立つじゃないか。顔立ちもまあまあ悪くはないし、ただの盆暗という訳ではなさそうだ」
「…恐縮です」
「君なら可愛い子と巡り会えるんじゃないかな? まあ、レティはもう僕のものだけどね」
ぴたり、と。
時間が止まったような感覚だった。分かっていた現実。そして必死に目を逸らしていた事実だった。無意識に拳を握り、わなわなと身体を震わせた。
「いやぁ、申し訳ないね。最初は剣術を教えるだけのつもりだったんだけどね、彼女の魅力にどんどん当てられていって、今じゃすっかり彼女の虜さ。ま、レティも満更じゃなかったみたいだし」
…頭蓋が砕けそうな程の頭痛がする。呼吸をする度に痛みが増す。ハルトの心情など知らんとばかりに勇者は軽快に笑った。
「昨夜も野営地だと言うのにお盛んでさ。僕も休みたいのに困ったもんだよ。…たっぷりと可愛がってあげたけどね」
「アゼル様、それ以上は…」
「ええ? どうしてだい、レティ。ちゃんと僕らの関係を伝えないと、君のことが好きだった彼に失礼じゃないか」
言葉が剣であるのなら、今頃ハルトは全身を真っ赤に染め上げているだろう。
聞くに堪えないやり取りに、ハルトは自分が泣いているのを理解した。一筋の雫はやがて大粒の涙となって地面に落ちていく。
「レティは彼ではなく、勇者であるぼくを選んだんだから。ちゃんと彼にさようならと伝えてあげなくっちゃ–––––」
もう、限界だった。
ハルトは駆け出した。踵を返し脇目も振らず走り出した。途中、何人かに当たった気がしたが構うことなく村の入り口に向かって行く。
今はただ、この場所に居たくなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「はあっ、はあっ……!」
ハルトは必死の思いで森の中を駆けていた。
森の木々を右へ左へかわし、駆け抜けていく。激しい動悸と止まらない涙。目も眩むような恐怖。その恐怖から逃れるために、彼は駆け続けていた。
それは決して理性的になどではない。ただ本能が勝手に両方の足を動かしているだけだった。
息が苦しい。心臓の鼓動が痛い程だ。頰を伝った汗と涙が顎から滴り落ちる。額に張り付いた髪を、ハルトは乱暴に拭った。
それでも彼は走り続ける。村からかなり離れたというのに、その足は止まることを知らなかった。否、ここで止まったら自分は何処にも行けないと錯覚するぐらいに追いつめられていた。
〝俺は、今まで、何を–––––〟
自分の心を掻き乱す感情が何なのか。具体的に表すことができなかった。それは恐怖だったのか、妬みだったのか。
何も感じず、何もかも忘れたかった。もうあの村に、この世界に、自分の居場所は何処にもなかった。
そう考えたとき、何かにぶつかった。まともに地面に叩きつけられ、勢いあまってそのまま転がる。ぶつかった衝撃で呻き声が漏れた。すると、自分を心配する声が聞こえた。
「すまない。馬の具合を見ていて注意を怠っていた。…怪我はないか?」
声色からして女性のようだ。自分はこの人にぶつかったらしい。ハルトはすぐに動くことができなかったが、手を差し伸べられると特に警戒することなく掴んだ。
「…大丈夫、です」
辛うじてそう答えると立ち上がり、目の前にいる女性を見た。
そこには見目麗しい騎士が佇んでいた。
ウェーブがかった長髪は燃えるような赤色。綺麗に整った顔立ちに、ややつり目の表情。白銀の鎧を身に纏い、一本の剣を腰に携えている。こちらを射抜くような瞳でしっかりと捉えていた。美的感覚に自信がないハルトでも、美しい人だと一目で分かった。
「私は王都騎士団第七部隊隊長のソフィア・ソラリスだ。君の名前は?」
––––そして、運命の歯車は回り始める。




