遭遇
「ぐぎぁあ…!」
ゴブリンが放った棒切れによる一撃を軽くいなし、渾身のボディブローを叩き込んだ。
断末魔の悲鳴を上げ、よろよろとその場に倒れ込むその姿に容赦せず、そのまま首の骨を折り完全に息の根を止めた。
もう一匹のゴブリンが動揺しながらも短剣を突き刺してくるが、それを右、左と最小の動きで躱した後、一瞬の隙を突いて先ほど宜しく拳をその身体に繰り出した。
呆気なく崩れ落ちるゴブリン。その瞳から生気が消え去るのを確認すると、ハルトは一息つく間も無く周囲の警戒を行った。
「響音」
発動すると同時に、周りにいる生物の声が聞こえてくる。ある程度距離を限定して危険な魔物が潜んでいないかを探る。これは既に慣れたものであり、特に負担もなく使いこなすことができた。
警戒する必要がないと分かると、ようやく肩の力を抜いた。先ほど倒したゴブリンに近寄り、役に立ちそうな物がないかを調べる。
流石にゴブリンを食べる訳にはいかないが、短剣などは何かと使えそうと判断して有り難く拝借させてもらった。
「…ふう。こういった敵なら、問題なく倒せるようになったけど」
何処か上の空で呟くハルト。
ハルトが『誘いの森』に放り込まれてから、一週間が経過していた。と言っても森の中は外部への様子が完全に遮断されており、常に薄暗い景色が続くだけなので、いつ日が昇りいつ沈んだのかハルトに知る由もなかった。
戦利品を片手に、ハルトは寝床としている場所へと足を向けた。迷う心配はない。割った木の枝を目印代わりに落としたり、木に印を付けてちゃんと戻れるようにしていた。
想像していたよりも、この森での生活は過酷ではなかった。真っ先に心配したのは安全に休める場所の確保だったが、手頃なところが見つかったので心配も不要になった。
次に食料の問題もあったが、この森に生息している小動物や魔物などを簡単に捕獲できたのですぐに解決した。これは自分の煌力である響音も大いに役だった。血抜きや解体は少し手間取り、調理技術など持ち合わせていないので焼いて食べるくらいしかできなかったが、それでも飢えを凌ぐことはできた。
水についてもここでは川も流れていないので絶望視したが、雨水を貯めて時間を置くことで大気中に含まれていた物質が少なくなり何とか飲むことができた。完全に清潔とはいかないが、贅沢は言っていられない。
遭遇する魔物も今のところは問題なかった。向かってくる敵は躊躇いなくこちらの命を奪ってくるため、こちらも遠慮なく迎え撃った。まだ少し苦戦する魔物もいるが、複数回相手をすればさしたる事ではない。手を血で染める感覚には抵抗があったが、これも生き抜くためだと苦渋を飲んで割り切った。
このまま行けば普通に一ヶ月は持つだろう。そしたら迎えに来た彼女に盛大に文句を言ってやればいい。それぐらいの権利は自分にあるはずだ。しかし––––
「多分、ソフィアさんが言ってるのはそういうことじゃないんだよなぁ…」
頭を掻きながら嘆息する。
彼女は今の自分では勝てない存在がこの森にいると言っていた。そしてそれが何なのか、既にハルトは把握している。煌力の賜物、というか否が応でも聴こえてくる。ハルトは意図的にその存在を避け、遭遇しないように気を付けていた。
避ける理由は単純に身体能力だけでは勝てないと自覚したからだ。策を練れば勝てるかもしれないが時間がかかり過ぎるし、肝心の策が全く思い浮かばない。
なればこそ、彼女に言われた通りの手段を実行するしかないと考えていた。
「…俺の“音”を武器にする」
いつか彼女に言われた言葉。空気を振動させて相手に叩き込む。それがどのくらいの効力を与えるかは見当がつかなかったが、確かに攻撃手段にはなると納得している。
それを実戦レベルにまで鍛え上げろ、というのが彼女が課した目標なのだが、そうそう簡単にはできないとハルトは困った表情で息を吐くだけだった。
しばらく歩いていると、高速で森を駆ける音が聞こえた。煌力を使った訳ではないが、こちらに向かって近付いてくる。何の魔物か大体の予想を付けて身構えた。
「ブルルル…」
現れたのは黒い巨体。みっともなく涎を垂らしてこちらを静かに見据えている。間違いない。図鑑で何度も見たし、先日何回か戦った。ブラックボアーがハルトを獲物として見定めていた。
「丁度いい。お前が実験台になってもらおうか」
その言葉を合図に、ブラックボアーはこちらに向かって突進してくる。当然、軽やかにステップを踏んで避ける。既にこの魔物の戦闘スタイルは熟知している。避けるだけなら一晩中でも付き合えるほどだ。
即座に距離をとって右手をかざす。考えるべきは目標に音を響かせる感覚。正確に、且つ確実に自分の音を届かせるイメージだ。
集中する。徐々に身体が熱くなり、それが右手にまで流れていく。熱く熱く––––それが限界まで達した時、大きく目を見開いて眼前の敵に打ち出した。
(出ろ……!)
そしてその音が解き放たれる。
しかしそれは––––『攻撃』と呼ぶには余りにも心許ないほど脆弱な一撃だった。
空気は確かに振動した。それがブラックボアーに届き命中した。だが、当たった魔物はどこ吹く風と言わんばかりに勢いよく突進してきた。
「くそっ! 上手くいかない…!」
またも失敗。イメージはできてるのに圧倒的に威力が足らない。目一杯、気合を込めて打ち出してるというのに、その想いに反比例して拍子抜けな攻撃しか出ない。
悔しがり油断したハルトは、本来ならば避けれた筈の突進を真正面からもろに食らう羽目になった。後ろの木々を巻き込んで吹き飛ばされる。
「ぐおぉっ!?」
何とか体を捻って追撃を避ける。傷は負っても致命傷には至らなかった。ソフィアのボディブローの方がマシだ、と心の中で勝手に強がった。
「ええい、もう一回だ!」
再び攻撃体制に入っているブラックボアーを睨みつけ、ハルトは右手をかざして煌力を発動する。
最終的に素手で殴り倒す結果になるのは、それから三十分後のことだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…あれ?」
さらに二週間経過したある日。
煌力の特訓もそれなりに佳境を迎えたところ、この森では初めて見た鹿の群れに心奪われ、鑑賞も兼ねて今日の食料調達をしようかと思い付いた時だった。
ピリッ、と空気が震えた気がした。気温は変わらないのに妙に肌寒い。鹿たちもその異変を感じたのだろう。一斉に奥の方へと走り出した。
ハルトは慌てて響音を発動した。別に警戒を怠っていた訳ではない。かなり距離は開いていたはずだ。それなのに嫌な汗が出てくるのを止められなかった。
…ここに至ってハルトは盛大な思い違いしていた。確かに警戒して一定の距離を保っていた。しかし、それは思った以上に巨体で、その歩幅は保っていた距離も容易く縮めるぐらい広かった。
何より、それも学習していた。こちらの動きを的確に読んでいる。ならば少しの間敢えて分かりやすい動きをしておいて、対象が何かしら油断する機会があれば一気に距離を詰める、と作戦を立てておいたのだ。
周囲の確認が終わり、ハルトは顔を顰めた。早すぎる。これでは逃げることも難しい。諦めにも似た表情を浮かべて、接近するその魔物と対峙した。
薄緑色の肌、腕は丸太のように太く、その手には巨大な棍棒が力強く握られている。下唇から飛び出ているイノシシ染みた二本の牙がギラリと光る。ハルトの身長の三倍近くあるその巨体が、ただ静かにこちらを見下ろしている。
オーク––––醜悪な外見を携えたその魔物が、ハルトを次なる標的として殺し、食そうと下卑た笑いを浮かべるのを見て、ハルトは勘弁して欲しいと苦笑するのだった。




