003 ボーイミーツガールの資格
最後に泣いたのいつだっただろう
ふと、そんなことを思った
ーーーーあれは僕が10歳になった時だった
母が手によりをかけて作った料理を食べ終わった後、「父さんからよ」と渡してくれたのは短弓だった
弓とは僕達、森人の誇りと力の象徴だと母から聞いた
10歳を超え成人を迎えた森人は親から子へ弓を贈られる習わしなのだそうだ
余りの嬉しさに飛び上がった僕は母に抱きつきキスをした
そして次の日から2つ下の妹のエリスを引き連れて森へ向かい、朝日が出てから夕日が沈むまで弓の訓練をした
射た矢を拾わせに走らせていたエリスは、つまらないと不貞腐れたが偶に弓を貸してやるとそれはもう目を輝かせていたのを覚えている
ーーーーしかし
「おい、亜人がなんか持ってるぞ」
いつもの様にエリスと弓を射ていた僕たちの前に現れたのは、近くの村に住む人族の子供達だった
「おい、亜人。かせよ」
ヒューマンの子供達の一人が「いやだ」と、僕が言ったのを無視して僕から弓を取り上げようとした
僕も奪われまいと力を込めたが、そのヒューマンが数歳年上であった事もあり直ぐに奪われてしまった
「なんだこれ、どうすれば良いんだ?」
「ロイ、俺さっきちらっと見えたけどよ、この糸にあの亜人のガキが持ってる棒を引っ掛けて飛ばすらしいぞ」
「ふーん、面白そうじゃん」
ロイと呼ばれた少年はエリスが大事そうに持っていた弓矢の矢筒を取り上げ、中から矢を取り出し遊び始めた
僕は気が気でなく、早く返してくれと心の中で祈った
「なんだこれ、全然前に飛ばねーじゃん」
数分後、ヒューマンの子供達は僕の弓を投げ出していた
それもそうだろう、弓を射るのには力だけでなくコツがいる
地面に落としてある弓を拾う僕にロイと呼ばれた男の子は嫌味を込めて言い放った
「なんだよそのガラクタ。全然前に飛ばないじゃないか。亜人はそんなもので遊ぶのか?」
「ガラクタじゃないよ!」
母と父から贈られた弓を馬鹿にされてカチンときた僕は弓を構え、そして射た
練習の成果が出たのか放たれた弓は綺麗な放物線を描き、20メートル先に置かれた木の的の真ん中に突き刺さったのだ
「……マジかよ」
唖然とする彼等と、自分が射た訳ではないのに「どうだ」と言わんばかりに胸を張るエリス
僕は少し得意になって彼等に言ってやった
「ほら、ガラクタなんかじゃないだろ?」
「……うるせー、亜人のくせに生意気だぞ!」
「僕達は亜人じゃない、エルフだ」
「同じ様なもんだろ!どうせインチキしたんだろ!」
「そんなことしてないよ!」
「良いから貸せ」
「いやーーだッ!」
顔を真っ赤にしたロイが僕から強引に弓を奪おうし、僕も今度こそは取られまいと力を入れた
その結果ーーーー
バキリッと、乾いた音が響き僕とロイは地面に倒れこんだ
「あ……うそ、嘘だろ……」
溢れ出る涙で視界がぼやける
しかし、そのぼやけた視界でもはっきりとわかった
「お……お前が貸さないから悪いんだぞ!」
弓が半ばからポキリと折れていた
バツの悪そうな顔をしながらヒューマンの子供達は足早に村の方へ帰っていった
僕はその場に立ち竦み、何時間も泣いていた
しかし、ふと気がつくと自分より大声で泣いているエリスがいることに気がついた
感情とは不思議なものであれ程悲しかったのに、自分より大泣きしているエリスを見て僕は思わず笑ってしまった
「エリス、もう帰ろ」
「でも、おにいぢゃんのゆみが……」
「……良いんだよ。丁度、弓は暫く良いかなって思ってた所だし。早く帰ろ」
泣き止まない妹の手を繋ぎ、燃えるような夕日が赤く染める森を歩く
あれから、僕は泣かなかった
ヒューマンの子供達に嫌がらせをされても
ホーンラビットに襲われて怪我を負った時も
ーーーーそして、大好きだった母が死んだ時でさえも
ーーーーーーーー
「……うめぇぇッ!」
謎の幼女に殺され、見知らぬ森に飛ばされてから数時間後
俺は森を抜けた先で、流れる小川の水を貪り飲んでいた
「はぁ……、生き返る……」
最初は川の水を飲む、ということに躊躇いはあった
だが、まるでそこには何もないのではないかと思うほどの透明な水は幼い頃より塩素で消毒された水道水を飲んできた俺にとてつもない衝撃を与え、乾ききった喉はすでに限界だった
「こんな水飲んだら、もうミネラルウォーターなんて買えないな……」
いや、まず日本に戻れるかどうすら怪しいのだが……
自分の能天気さを笑いながら川辺に腰を下ろす
慣れない森を歩いたせいか、身体は予想以上に疲れていたようだ
熱を持った足を川に突っ込み、心地よい冷たさを感じながら俺は河原に寝転んだ
「さて、こっからどうするかな……」
喉を潤し、多少の余裕ができた俺は今後の行動について考え始めた
まず此処か何処か、という事だ
目覚める前に白い部屋とかやたら低姿勢な神様とかに会えたなら120%異世界で間違い無いのだが、生憎と幼女に蜂の巣にされてからの記憶はない
とすると、ここが異世界であると考えるのは早計では無いだろうか
もしかしたら案外幼女に殺された云々は夢かなんかで俺はまだ自宅のベッドの上で寝ている……ということはあるかもしれない
うんうんと、現実から逃避する方に思考が行き始めた時
くぅ……と、情けない音が腹の中でなる
「……腹減ったな……」
それもそうだろう
昨夜(?)はカップラーメン一杯だけという軽いものだった
また、目覚めてから数時間も何も口にせずに森を歩き詰めたのだ
途中キノコっぽいモノや、やけにカラフルな木の実らしきものがあったのだが名も知れ植物を採取して食べる度胸は俺にはなかった
「とにかく人に会いたいな。もしかしたら少しくらいは食料分けてくれるかも知れないし」
名残惜しく川の水を最後に一飲みした俺は、とにかく人を見つける事を第一目標にして歩き出そうとした
その時、パキリと乾いた木の枝を踏んだような音が聞こえた
「……誰かいるのか?」
返事はない
だが、断続的にパキリ、パキリと川辺の直ぐ近くの森から音が聞こえる
「…………取り敢えず、行ってみるか?」
音の聞こえた方に向かって森を分け入る
しかし、そこには自分の馬鹿さ加減を呪うような光景目が待っていた
「な……」
河原から数分程歩いた辺り
木々が空に向けて張り巡らした枝
そこから茂った葉が重なり合い、太陽の光を遮断してしまったのかと思うほど薄暗い森の中
そこに、ソレはいた
二足歩行をしているソレの体長は2メートルをゆうに超えているだろうか
黒くて固そうな体毛は全身を隙間なく覆い、ちょっとした大木の幹程はあろうかという太さの両手は地面に着きそうな程長い
白く鋭角な歯が口の端から覗き、見る物を震え上がらせる程の強烈な殺気を放つ眼はギラリと暗闇の中で光を放っている
俺の知識と照らし合わせて一番近い生物を当てはめるとしたらーーーーそれは熊だろう
だが、ソレーーーー化け物と呼ぶ方が相応しいーーーーが纏う雰囲気が熊とは決定的に違う生物としての格を表していた
「なんだ……これ……」
あまりの出来事に思考は完全に停止したが、生存本能のなせる技が俺の足は震えながらも後ずさりをはじめていた
幸いな事に、化け物は未だ俺に気づいていないようだ
このまま気付かれないようにすればこの場から逃げられるかもしれない……
俺の胸に微かに希望が芽生えた瞬間だった
ーーーーパキリ
なんというベタな展開だろうか
俺が後ずさるために踏み出した足の裏に、乾いた枝が踏み砕かれていた
ギロリと、暗闇の中に光る双眸が此方に向けられる
ーーーー終わった……
死を確信した俺は頭の中で来たる走馬燈の鑑賞に備え、座り心地の良いソファーに腰をかけようとした
しかし暗闇の中の化け物は俺を一瞥した後、体を元の向きに戻していた
まるで、俺など歯牙にかけないと言わんばかりに
解せない化け物行動を不思議思った俺はそいつの視線の先に目を凝らしーーーーそして悟った
「なっ……」
そこには、一人の少女ーーーーつまりは先客がいたのだ
化け物は俺より先に彼女を追い詰め、そして仕留めようとしていたのだ
見ると、少女は足に怪我をしているようでその場からは動けそうに無い
きっと、この化け物から逃げる際に足を挫いたのだろう
その時新たに俺という獲物がノコノコと現れたとしても先ずは仕留めやすい方を狩る、ということだろう
その事を悟った俺はーーーー
一目散に逃げ出していた
『無理無理無理、絶対無理っ!死ぬって!絶対ワンパンで死ぬって!』
数量限定特装版のラノベを手に入れるが如く、俺はそれはもう只ひたすらに全力疾走していた
そして、頭の中では少女を見捨てた事に対する言い訳が並べられていた
人々を震え上がらせる恐ろしい獣に、襲われる可憐な少女
絶対絶命のピンチ、しかしそこに現れるのは正義と勇気の心を持った少年
少年は剣を持ち、獣を退けるーーーー
まさしく、古来より伝わる伝統的な物語の序章
言うなればボーイミーツガールがあそこにはあった
しかし、それは暫定主人公である俺が獣を倒せる事が前提としてある
だがしかし、それを実行するには俺の装備もレベルも圧倒的に足りず敵の強さは余りにも高すぎる
つまり、俺にはボーイミーツガールの資格は無かったのだ
『せめてチートが……チートさえあれば俺だって助けたさ!だけど………だけど、俺は違う!違いすぎる!取り立てて得意な事もない!あんまり役に立たない妙な力があるだけの普通の高校生なんだ!物語の主人公とは違うっ!』
ある本で知った事がある
野生動物のピラミッドの下部位置する草食動物がなぜ群れているか
曰く、絶対的な強者である肉食獣に襲われた時、群れの仲間の幾つかを犠牲にして自分が生き残るためだそうだ
ならばこの選択は間違ってないはずだ
少女という犠牲を払い、俺が逃げる事はなんの恥じることもないっ!
ーーーーふと、首だけを傾け後ろを振り返る
そこには逃げ出した獲物など気にせずに、その長い腕を振りかぶり留めを刺さんとする化け物と少女が未だ見えた
俺は少女の顔を見た
見なければならない気がした
恐らく彼女は、自分を見捨てて逃げ去る俺を恨み
憎しみを持って俺を睨みつけているだろう
その憎しみに満ちた視線を受け止める事こそが、俺にできる唯一の贖罪だと思い
彼女の顔に目を凝らす
ーーーー何も無かった
彼女の目には何も無かった
化け物に対する恐怖はあった
迫り来る死に対する怯えはあった
しかし、あまつさえ尻尾を巻いて逃げだした俺に対しては、何も無かった
ーーーーまるで、初めから俺が逃げ去る事が分かっていたみたいに
その目がーーーー気に食わなかった
一目散に駆けていた足で、森の土を削りながら急ブレーキをかける
そして、足元に落ちていた拳大の石を掴むとーーーー力のかぎりを込めて、化け物に放つ
当たれ!という気持ちと、当たるな!という気持ちが半々に混ざった気持ちを胸に石の行方を目で追う
ーーーーコツンッ、と鈍い音が薄暗い森に響く
「ははっ……何してんだろ、俺……」
数瞬の後
怒りを含んだ叫び声と共に俺に向かって、地響きを立てながら走り出した化け物
そいつを尻目にため息を吐いた俺は、再び全力疾走を開始した




