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 約束の日曜日の朝。


 あたしは大学の時に買わされた上下セットの紺色ジャージを纏って、陸上競技場の前にやってきた。

 涼子さんと約束してから6日間、夜のランニングの成果は全く期待するべきものではなかった。

 店長のお尻を蹴り飛ばして付き合わせたくせに、いざ走り出したら、お尻を蹴り飛ばされるのはいつもあたしの方だったのだ。

 見かけより運動神経のいい結城店長は、あたしに付き合って走っているうちに自分の方が燃えてきて、ヒイヒイ言ってるあたしをサボらせないようにコーチよろしくガンガン追い立ててくれた。

 その姿は傍から見たら、牧羊犬に追い立てられて逃げ回ってる羊みたいだっただろう。

 とにもかくにも、35歳の体に鞭打って走った6日間。

 なんの成果もでないまま、決戦の今日を迎えた。


 ウォーミングアップに屈伸を始めたあたしの後ろで、わざわざ早起きして見物にやってきた結城店長はベンチにふんぞり返ってニヤニヤ笑っている。

 監督気取りの店長を、あたしは一瞥してから深呼吸した。

 走る前に、あたしは涼子さんに話をしなければならない。

 孝之を捨てた極悪女があたしだって事実を。


 やがて、陸上競技場の向こうの道路から背の高い女性が現われた。

 あたしよりもっとスポーティーなアディダスの上下黒のスポーツウェアを纏っている。

 スラリとしたスタイルにスポーティーな装いは良く似合っていた。

 てか、むちゃくちゃヤル気じゃん!?

 仇を討つという彼女の本気っぷりが全身にみなぎっているようだ。


 険しい表情で道路を渡ってきた涼子さんは、屈伸しているあたしと、ベンチに悠々腰かけている部外者・結城店長を交互に睨んだ。


「あなた、占いカフェのメイドさんじゃない。どうしてここにいるの? 私は井沢先輩の仇に会う為にここに来たんだけど?」


 開口一番、涼子さんはニコリともせず挑戦的な口調であたしに問いかけた。

 うわ……。

 美人が怒ると余計に怖い。

 緊張でドキドキと鼓動が速くなる。

 でも、ここまできて逃げるわけにもいかず、あたしは仁王立ちになった涼子さんの前に正面から立ちはだかった。


「涼子さん、私、言わなければならない事があるんです」

「何よ?」


 背の高い涼子さんの切れ長の目に見下ろされて、あたしは怖気づくも懸命に踏ん張った。


「あ、あたしが涼子さんの探してる仇です。つまり、大学の頃、孝之と付き合ってたのはあたしなんです」

「え……!?」


 彼女の表情が一気に険しくなった。

 それに怯まない様に、あたしは懸命に続ける。


「孝之に駅伝見に来るように言われたのに断わったのも、結婚する予定だったのに彼と別れたのも、全部あたしです。孝之がこんな事になるなんて思ってもみなかったから……。今、あたし、すごく後悔してるの。だから、涼子さんが仇を討ちたいなら好きにしてくれてもいい。でも、孝之の為にもあたし、涼子さんと走って勝負したいんです。それが供養になればいいと思って……」


 一気にそこまで言ったあたしを、涼子さんは無表情に見下ろしていた。

 やがて、その美しい顔に自嘲的な笑みが浮かぶ。

 心からバカにしたような口調で、涼子さんは唇を噛み締めているあたしに向かって言った。


「……やっぱりインチキだったのね。井沢先輩の霊が店長さんに乗り移ったなんて嘘なんでしょ? 店長さんもグルで霊感商法で客を騙して、取り繕う為にわざわざこんな茶番をセッティングしたのね。騙された私もバカだけど、人の弱みに付け込むあなた達はサイテーだわ!」


 え、えええ!?

 ちょっと待て!

 どーしてそういう発想になっちゃうんですか!?


 予想外の展開に、あたしは声も出ず、慌てて首をブンブン横に振った。

 そりゃ、そう思われても仕方がないくらい胡散臭いカフェ&怪しい店長だけど!

 あたしの真摯な思いを分かってもらうどころか、これは完全に想定の範囲外だ。

 この一週間のランニングも無駄になってしまう。

 考えている内に、涼子さんはクルリと背を向けると元来た方向に向かって歩き出した。

 ちょ、ちょっと待て!

 せめて誤解は解かなくちゃ!


「ち、違います! あれは本当に孝之だったんですよ。孝之は本当にいます! 信じてください! 今日もきっとどっかで見てる筈です!」


 あたしの声に涼子さんはピタっと立ち止まると、ゆっくりと振り返った。

 小ばかにした表情に加えて軽蔑の色さえ浮かんでいる。

 あーあ。

 全く信じてないよ、こりゃ。


「井沢先輩があの世からわざわざこのくだらない茶番劇を見に来るっていうの? それはご苦労なことだわ。もう、いい加減な事いうのは止めて下さい」

「すいません、その、今はいないんだけど、走ってる内にきっと現われると思います。でも、あたしが孝之と付き合ってたのは本当です。駅伝もすっぽかして、最終的に別れたのも私なんです」


 そう言いながら、あたしは今日一度も姿を現していない孝之を探して、キョロキョロと宙を仰いだ。

 そうなんだ。

 今日に限って、孝之はどこにもいないのだ。

 神出鬼没の霊体とは言え、ドラマだったら今こそ姿を現す時じゃないのか!?


 だが幸か不幸か、その言葉を聞いた涼子さんの表情が更に険しくなった。


「まあ、いいわ。降霊はインチキだとしても、あなたが井沢先輩の仇だってことは間違いなさそうね。先輩の恨みを晴らせるなら殺してやりたいくらいだけど、そういう訳にもいかないしね。あなたが走って勝負をつけたいなら受けて立つわよ。自分から言い出すくらいだから、よほど自信があるんでしょうね?」


 何とか留まってくれたものの、痛いトコ付かれたあたしはグッと言葉に詰まって唇を噛んだ。

 自信なんかあるわけない。

 勝てるなんて思ってない。

 ただ、あたしは孝之と涼子さんへの罪滅ぼしの為に思いついたんだ。

 でも、やる気になってきた涼子さんにそれを言う訳にもいかず、あたしは勢いで啖呵をきった。


「あります! だから勝負して下さい」





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