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「じゃ、いいですね? この陸上競技場を一周してから橋を渡って、次の橋で戻ってきてここでゴール。結果は僕が見守ってますから、お二人とも適当に頑張って下さいね」
結城店長はスタートラインでスタンバってるあたし達に向かってにこやかに説明した。
彼にとってこのレースは所詮は人事。
「どーでもいい」モード全開の笑顔だ。
「私はどんなコースでも構わないわよ。負ける気しないし。でも、一つだけ条件があるの」
真っ直ぐ前を見据えたまま涼子さんが言った。
あたしの事なんか眼中にないと言わんばかりだ。
アキレス腱をクイクイ伸ばしながら、あたしは背の高い彼女を見上げる。
勝負は見えてる筈なのに何だろう。
尤も、どんな条件を提示されてもあたしが拒否する権限はない。
この無謀な闘いに運動神経ゼロのあたしが勝てる要素は全く見当たらなかった。
「何ですか?」
「私が勝ったら、あなたに井沢先輩のお墓参りに行って欲しいの。彼の墓前であなたがしてきた非道の数々を懺悔して欲しいわ。本来なら私があなたの首を持って供養にしたいくらいだけど。そうされるのが嫌なら約束してちょうだい。負けたらお墓参りに行くって」
墓参り。
涼子さんに言われて、あたしは初めて自分が孝之のお墓のある場所も知らない事を思い出した。
それはそうだ。
霊体とは言え、孝之自身と毎日会ってたらお墓に行くなんて思いつかない。
ハッキリ見えてしまう体質のあたしには彼が死んでるって事は受け入れがたいのだ。
元カノとしては、一度は行くべきだとは思う。
でも、それって、ヤバイんじゃなかった?
『井沢君がはっきりと自分の死の状況を思い出したら、消えてしまうかもしれませんね……』
唐突に、店長が言った言葉があたしの脳裏に浮かんだ。
自分のお墓を見る事ほど死んでる事を自覚する事が他にあるだろうか。
あたしがお墓参りしてるところに孝之がついて来ちゃったら本当に消えちゃうかもしれない。
孝之にとってそれがいい事には違いないんだろうけど。
でも、成仏しちゃマズイでしょ!?
「分かりました。でも、あたしも負けませんから!」
元より選択権のなかったあたしは、せめてもの強がりにこういうしかなかった。
これは本気で負けられなくなってきた。
あたしは緊張でドキドキする胸を抑えて深呼吸する。
涼子さんは、こちらを見ることなく真っ直ぐにコースを見据えていた。
彼女には既にゴールが見えているんだろう。
彼女の描く未来予想図にはあたしが勝つという可能性は皆無に違いない。
「では、お二人とも頑張って下さいね。ヨーイ、スタート!!!」
結城店長の間延びした掛声が響いた途端、隣で微動だにしなかった涼子さんが弾かれたように飛び出した。
◇◇◇◇
スタートダッシュだけ涼子さんにつられて全力で走ったあたしは、200mも走った頃には既に息が上がっていた。
コースは5Kmといったところだけど、最初の1Kmだって走れるか分からなくなってきた。
目の前にいた涼子さんは、カモシカのような長い足で跳ぶように走り去っていく。
だんだん遠くなるその後姿を見つめながら、あたしはただ走るしかなかった。
最初から分かってた状況だった。
想像以上の実力の差と、自分の体力のなさに愕然とする。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。
これで負けたら、あたしは孝之のお墓参りに行って、彼の死を認めなければならなくなる。
孝之もそこで成仏してしまうかもしれない。
でも、それは彼にとってはいいことなんだろうか。
無神経に生きてるあたしの周りでフラフラ彷徨っているのは、本当は孝之にとって辛いことなのかもしれない……。
もつれる足を必死に前に出す。
もう既に酸欠状態だ。
苦しくて、悔しくて、あたしの目から涙が溢れてきた。
「おい、恵理っぺ! 大丈夫かよ?」
突然、誰もいない筈のあたしのすぐ横で聞き覚えのある低い声がした。
びっくりしたあたしは思わず飛び上がったが、足だけは立ち止まらないように稼動し続けていた。
首を動かすのも辛かったあたしは、チラリと目だけ動かして声の方向を見る。
そこにはいつもの黒いパーカーとジーンズで、あたしの速さに合わせて並んで走っている孝之がいた。
「た、孝之?何してんの?」
「こっちのセリフだよ。お前、何やってんの?……てか、想像以上のダメっぷりだな。勝てる訳ねーだろ」
軽い足取りで走りながら、孝之は可笑しそうにハハハと高笑いした。
高校時代から見事なフォームで走っていたけど、霊体になった今は更に軽い足取りだ。
きっと疲れなんて感じない体なんだろう。
あたしは彼に気がつかないように、素早く袖で涙を拭った。
「わ、分かってるってば! もう、ほっといてよ! これはあたしと涼子さんの問題なんだから! あたし頑張るから孝之はどっかに行ってて!」
「ほっとけるか、バーカ。年増がいきなり無茶するとマジでぶっ倒れるぞ」
「と、年増で悪かったわね! 最初から死ぬ気で走ってるんだから倒れたっていいんだもん!」
「へえ……死ぬ気でねぇ。それって、俺の為?」
意地悪そうな切れ長の目を少年のようにキラキラさせて、孝之はあたしを見つめた。
白い顔にかかる柔らかい茶髪が風になびいて天使みたいだ。
ゼエゼエ荒い呼吸をしながらも、覗き込んでくる孝之の顔を見てドキン!と胸が鳴った。
「おい、返事しろよ。それって俺の為に死んでくれるってこと?」
「し、死ぬわけ無いでしょ! でも、死んでもいいくらい頑張るって事! だ、だって、そうしないと孝之が消えちゃうかもしれないじゃない!」
「は? 俺が消える?」
し、しまった。
余計な事まで口走ってしまい、あたしは慌てて手で口を押さえた。
が、もう遅い。
眉間に皺寄せて、孝之は怪訝な顔であたしを覗き込む。
「何で俺が消えるんだよ? このマラソンと何の関係があんの?」
「あ、あるのよ、だ、だって、あたし、負けたらあんたのお墓参りに行くことになっちゃったんだもん。あんたが、自分が死んでる事を認識しちゃったら、きっと消えちゃうと思って」
「………」
孝之は無言のまま、しばらく眉間に皺を寄せたまま考え込んでいた。
勿論、その間もあたし達は足を止めずに走り続けていた。
前方を走っていた涼子さんは既に見えなくなっている。
今の時点で勝ち目は無いのは歴然だ。
「なるほどね。そりゃ、確かに消えるかもな……」
低い声で唸るように言った彼の言葉に、あたしはビクっとした。
「う……やっぱりそう思う?」
「俺が認識するっていうより、俺の幻影を作り出してるお前が自覚することが一番ヤバイ。クリスマスに初めて呼び出された時、俺が死んでるって知らなかっただろ?」
「うん」
「その信じる気持ちがあったから、俺はここまでハッキリした霊体でいられるんだと思う。今でもこのままなのは多分、お前が俺が死んでる事をまだ信じてないからだよ」
「……あ!」
そう言われれば、思い当たる事がいっぱいある。
霊が生きてる人間と同じくらいハッキリ見えるあたしは、霊に遭遇しても霊だと思えない。
結果的に、その気持ちが霊体そのものを強くしてしまうんだ。
子供達が信じなくなった為に崩壊したファンタジーの世界を思い出した。
この孝之の体も『ネバーエンディングストーリー』と同じメカニズムで成り立っているのかと思うと、少し笑える。
「じゃ、負ける訳にはいかねえな。おい、恵理っぺ。本当に死んでもいいんだな?」
「や、やだよ! ホントに死んだらイヤに決まってんじゃない! こ、殺す気!?」
「バーカ、死ぬ気で走る気があるかって聞いてんの! 死ぬくらいの覚悟があれば協力してやる」
「きょ、協力? た、助けてくれるの?」
「お前が後から後悔しなければな。どうする?」
「何でもいいよ! 手伝って! あたしを勝たせて!!!」
それを聞いた孝之の顔がニヤリと悪そうに笑った。
その言葉を待ってました!と言わんばかりだ。
途端に、横に並んで走っていた孝之の姿が忽然と消えた。
同時にあたしの視界が一瞬、真っ白になる。
体から重力がなくなって、自分がどこにいるのか把握できない。
「恵理っぺ、体借りたぞ! これから追い込むから、お前は大人しくしてろよ」
あ、あれ?
喋ってないあたしの口から、あたしの声で孝之が喋ってる。
体の感覚は全くないのに、手足は意志とは無関係にキビキビ動いている。
ハハハ・・・と孝之はあたしの声で高らかに笑った。
「いいか、恵理っぺ! 駅伝で見れなかった俺の走り、そっから眺めてろよ!」
次の瞬間、孝之に乗っ取られたあたしの体は、脱兎の如く駆け出した。




