第38話:歩み寄り_1
この一連の流れには凄く疲れたが、母はきっと納得してくれたのだろう。実家へ行った日の翌日に、コウから連絡が来た。母が『もう一度あの人に会わせて欲しいと言っている』と。
私は分かり易く浮かれた。もう駄目だと思っていたのに、それが一発逆転信じて貰えたのだ。こうなったら、きっともう母が、父を『父ではない』と否定することはなく、きちんと『父』として認識してくれるだろう。
そう思ったら、自然と笑みが零れた。落ち込んでいた母の気分も、きっと晴れるに違いない。……それは希望的観測だったが、少しだけその自信があった。
だって、最愛の人に、もう二度と会えないと思っていた人に、もう一度会えるのだから。
「梅雨になる前に、会えて良かったね。何となく嫌じゃん? 雨だとさ、ちょっと気分も憂鬱になっちゃうし」
実家で対面で座っている父と母に向かって、私はそう投げかけた。一応、橋渡し役のつもりで。
二人とも、きっちり背筋を伸ばして、でも目線は少し外して、お互いの方を向いて座っている。
ぎこちない。他人行儀。見ていて落ち着かないし、何だかハラハラする。
まだ恥ずかしいのかもしれないし、百パーセントの信用は出来ていないのかもしれない。それでも、十分な第一歩だと思っている。
「……その。まだ、ちゃんと信じたわけでは無いのだけれど」
意外にも、母が先に口を開いた。
「……あぁ。分かってるよ。でも今日、こうして会ってくれたことが、まず嬉しい。ありがとうお母さん」
嬉しそうに話す父と比べると、母はまだちょっとだけ、微妙な顔をしている。当然、信用度が十分ではないと仮定した上で。……違和感があるのだろう。もうとっくに死んだと思っていて……実際に死んでいて、骨まで拾った夫にまた『お母さん』なんて呼ばれることが。
「名前で呼ぶほうが嫌じゃないかな? 嫌じゃないなら、名前で呼んでもいいかな」
「え……えぇ……」
まるで全て理解して話しているかのように振る舞う父に、母は少しビックリしたような顔をして、それでも一応肯定して見せた。
「佐和さん」
「……何かしら」
「いや、今日は本当ニありがとう。あのまま別れるだけになってしまったら、折角こうして身体を神様からもらったのに、もう佐和さんには会えなくなっていたかもしれない」
「……変な感じね。本当にお父さんなのかしら」
そう言いながら、母は私のほうを見た。そりゃそうだ。至極真っ当な反応だと思っている。
「まるで夢を見ている気分ではあるけどさ。見た目も中身もお父さんだよ。お母さんも、何か聞いてみたら?」
「何か……って、何をよ」
「んー……例えば、私たちが生まれる前の、まだ付き合ってる時の話とか。この家にあるものについてでもいいんじゃない? それぞれの親の話でもいいだろうし」
「急にそんなこと言われてもねぇ」
母は難しい顔をして、押し黙ってしまった。気持ちはよくわかる。そうなのだ。『急に言われても困る』のだ。
でも、時間が惜しい。それはわかってほしかった。
「お父さん、何かない? こう、私たちにはわからないけど、お父さんとお母さんならわかる思い出とか」
「うーん、そうだなぁ……」
父はキョロキョロと辺りを見渡した。
「そうだ! あのクマのぬいぐるみなんかどうだ?」
指差したのは、私が大学の卒業旅行に行った時、お土産に買ってきたクマのぬいぐるみだった。結構気に入っていて、自分用には同じクマの小さなキーホルダーを買った。クリっとした目が可愛くて、やぼったい表情もなかなか愛嬌がある。クリーム色した短めの毛に、ベルベット地のワインレッド色のリボンをつけている。
「そりゃ、美代が大学の卒業旅行に行った時に、お土産に買ってきたやつだろう? えーっと確か、ベルギーだったかな? 佐和さんも気に入って、たまに服を作っていたじゃないか」
「えっ……えぇ……」
今クマに着せられているのは、母お手製の服だった。クマがオスなのかメスなのかは判らないが、ヒラヒラフリフリのワンピースを着ている。メスだとよくあるまつ毛もないから、勝手に男の子なのではと思っていたが、母の機嫌を損ねないように私は何も言わないでいた。
母は、祖母と同じように、裁縫が得意だ。……なぜか私は似ることがなかったが、売ればいいのにと思うくらい、ワンピースの出来はよかった。今でも作っているのは知っている。
「……嫌だわ。これくらいじゃあ、信じちゃいけないのに」
「うん? ……佐和さん?」
父が母に声をかける。
「いつも思っていたのよ? お父さんが会いに来てくれたらいいのに……って。幽霊でも良いから、来てくれないかって、毎日毎日」
「それはその、身体がないからね。見守っていた……って言っても、わからないだろう」
「そりゃそうよ! ちゃんと目に見える形で出てきてくれなきゃ、わかるわけないじゃない!」
そんなこと言われても……と、父の代わりに私がうっかり口に出してしまいそうだったが、ぐっと口を閉じた。余計な口を挟んではいけない。感動の再開に、水を差してはいけない。
母はそのまま、ポロポロと涙を溢した。




