9、来客
「ここが記憶消し屋であっていますか?」
「ああ」
やってきたのは優しげな男性であった。ソムヌスの肯定に、お客さんは表情を明るくする。
「よかったです。記憶を消していただけるんですよね?」
「約束はできない。内容をきいてからだ」
ソムヌスがそういうと、客は顔を曇らせた。あれ、とグロリアは思う。記憶消し屋が消す記憶を選ぶというのは噂になっていると思ったが。このお客さんは知らないのだろうか。
「内容を……。どこまで言わなければいけないのですか?」
「消したい記憶の具体的な内容を」
「……消してもらえると確証が得られるまでは言いたくありません」
嫌な記憶を人に話すのは、その記憶を思い出す行為であるから、避けたい気持ちは分かる。それでも、魔法は万能の道具ではない。何も伝えずに記憶を消すなんて芸当は不可能だ。このお客さんは自分がここにいるから話しにくいのだろうか。席を外した方がいいかもしれない。そう思ってグロリアがソムヌスの方を見るが、彼はいつもより険しい表情だった。
「それなら依頼を受けることができるかの判断もできない。お前が事情を話さない限りは依頼を受けられない」
そう言うと、お客さんは焦ったようにソムヌスの方へ身を乗り出した。その必死な剣幕に、グロリアは少し恐怖を感じたほどだ。
「金なら積みますから!」
「そういう問題じゃない」
「それなら……!」
「俺だって選ぶ権利はある」
ソムヌスが口元に笑みを浮かべる。しかし、彼の目は笑っていない。ソムヌスがゆっくり頭をかしげた。その動作の妖しい魅力にグロリアは思わず息を呑んだ。
「なあ。お前はなにを隠している」
「……」
ソムヌスの質問で、相手の表情が一変した。その人は薄っすらと笑みを浮かべてソムヌスの方を見る。先ほどの人の良さそうな顔はどこかへ行ってしまった。探るような目でソムヌスを見る。
「なぜ分かった?」
「目を見ていれば分かる。瞬きの回数も多いし、視線も定まっていない」
グロリアは黙って様子を見ていたが、内心驚いていた。そんなこと、気付けるものだろうか。グロリアは全く分からなかった。商売をしているうちに身についたのか、あるいは彼が生きていくうえで「身に着けなくてはいけなかった」のか。
ソムヌスがグロリアへと視線を向ける。
「グロリアさん」
「はい」
グロリアだけに名を聞こえるように呼ばれ、同じように小声で返す。ソムヌスは少し申し訳なさそうな表情に見える。
「この部屋から出てもらってもいいか?」
「……分かりました」
ソムヌスの意図は分からなかったが、ソムヌスの判断に逆らう必要もない。グロリアは大人しく部屋から出ていった。
◆
グロリアが部屋から出るのを見守ってから、ソムヌスは自身の表情を消した。客、と呼んでもよいのか分からない相手を見据える。
「それで? お前の妻に浮気でもバレたか? それとも浮気相手に結婚すると調子のいいことばかりいって本気になった浮気相手の記憶を消したいのか?」
「なぜ……」
たじろぐ相手に、ソムヌスは内心ため息をついた。こういう客は初めてではない。特徴はよく分かる。
記憶を消したがっているはずなのに、悲嘆が全くない表情。金を持っていると分かる上質な服装。結婚している人間は結婚指輪をつける習慣があるが、この男は現在結婚指輪をつけていない。しかし、日に焼けた跡から通常はつけていることは簡単に分かる。
まあ、金をチラつかせてきた時点で、疑念は深まっていたのだが。立場、権力がある人間というのは容易に推測できる。
しかし、それをわざわざ説明する必要もない。
「この商売をしていれば、いろいろな人が来る。見れば分かるさ」
「……」
黙り込んだ相手へ、ソムヌスは出口を示した。
「俺は都合の良い道具として提供するつもりはない。帰ってくれ」
「それでも……」
なかなか帰ろうとしないその男をみて、ソムヌスは意識的に面倒くさそうな表情を浮かべる。自分の後始末もできない人間に敬意を払う必要もない。
「きこえなかったか? 帰れって言ってんだ。二度も言わせるな」
「お前は、本当に記憶消しなんてできるのか? 詐欺じゃないのか?」
ソムヌスがなかなか頷かないからだろう。ついには疑いだした。ソムヌスはため息をついて目の前の相手を見据える。
「お前は、貴族関係者だろう? 学校に通っていたんじゃないのか?」
「通っていたに決まっているだろう」
「俺と同じくらいの年代、だよな? 記憶を消す特殊魔法。本当に聞き覚えないのか?」
特殊魔法は学校へ入学する際、公表の義務がある。しかし、同学年だとしても、生徒数が多いため、記憶を消す特殊魔法、というだけなら覚えていなくても不思議ではない。しかし、アエラス・クレアティオの弟であるなら話は別だ。
ソムヌスは確信している。同世代なら、一度は確認したことがあるはずだ。アエラスの弟がどんな能力を持っているのかを。
興味本位、あるいは対抗心を持って。
魔法の天才、アエラス・クレアティオの弟であるというのはそういうことだ。
ソムヌスの予想通り、気がついたのだろう。その男はソムヌスを凝視したと思うと、だんだん蒼白になっていった。
「まさか、ソムヌス・クレアティオ……」
「知っているんじゃないか」
「なぜ、お前みたいな実力者がこんなところで……」
ソムヌスは口元に笑みを浮かべた。そして吐き捨てるように言う。
「あの場に残り続けている人間に、俺の気持ちが分かるとは思えないが」
目の前の男は、フラマ・ヴァラトスと名乗った。行政科に所属しており、あろうことか国王であるフィニスの部下だと言うのをきいて、ソムヌスは国の未来が心配になる。
「フィニス陛下に人選ミスだと伝えておくか」
「やめてくれよー」
フラマは自分の話をしているうちに、態度が砕けてきた。彼は浮気をしようとしてしたわけではなく、仕事で情報を集めるために女性を口説く演技をしていたときに、その様子を妻に見られてしまったらしい。その妻の記憶を消してほしくて来たようだ。思ったよりも重大な話ではなく、ソムヌスは肩の力をぬいた。
「それなら他の人の記憶を消す前にやることがあるだろう」
「ソムヌスー、俺、どうしたらいいと思う」
「ちゃんと話し合え。事情を伝えられる範囲で伝えればいいだろう。お前が国王の部下だというのは知っているんだろう?」




