8、正しさと救い
グロリアが魔法書専門店で働きだしてから1ヶ月。いつものように店に来たグロリアが本を眺めていると、グロリアが来たことに気がついたソムヌスが近づいてきた。
「今日は記憶消し屋の方に来客がある」
「そうなんですね」
「グロリアさんも来ないか?」
記憶消し屋に来客は初めてだ。ソムヌスからの思わぬ提案にグロリアは瞬きをした。
「私が、ですか?」
「ああ。俺が1人で対応すると、話が進まないことが多い」
「話が進まない、ですか?」
ソムヌスと話をしていて、話しにくいと思ったことはない。グロリアが首を傾げると、ソムヌスが頷いた。
「俺の顔を怖がられたり、なぜか客が急に結婚しているかきいてくるような、関係のない話をはじめたり」
「……意外と切羽詰まっていない人も来るのですね」
人と気持ちを比べることはできないが、対応する人の見目を気にする人がいるのか、とグロリアは驚いた。
確かにソムヌスの美貌や彼の纏う気怠げな雰囲気は独特なものだ。ソムヌスのいう「関係ない話」は彼の美貌にあてられた人のものだろう。
グロリアが思わずこぼした言葉に、ソムヌスは頷いた。
「記憶消し屋に来る人は、そこまで切羽詰まった顔で来る人間は少ない」
「そうなんですか?」
「相談だけの人も多い。悩みを口にしたら、気持ちが落ち着いたと言いながら帰っていく客もいる」
「……大変ですね」
記憶消しを専門としているはずが、ほぼお悩み相談ではないか。グロリアはそう思ったが、ソムヌスは嫌な顔をすることなく、微笑を浮かべた。
「まあ、使わないに越したことはない」
「そうですか?」
「記憶を消す、なんてせずに済むならそれでいい。それでも、必要とする人間は確かに存在している。だからやっているだけだ」
ソムヌスの言葉をきいてグロリアは考える。そこで、この前考えたことを思い出した。
「ソムヌスさん、記憶を消すのと、一生残しておくの、どちらのほうが強い人だ思いますか?」
グロリアの言いたいことが分かったのだろう。ソムヌスは苦笑してから、迷うことなく言葉を発した。
「どちらも弱いんじゃないか? 1番良いのは、何とも思わなくなることだ。でも、それをできないくらい不器用な人がここにやってくる」
グロリアも苦笑した。弱くて、不器用。グロリアもそうなのだろう。自身の内面を見られている気がして少し気まずくなった。
「と」という言葉をきくと「トニトルス」の名を思い出すし、鏡を見れば自分の銀髪を褒められたことや、その髪に触れられた手の優しい手つきを思い出す。1ヶ月経ったら変わるかと思ったが、未だに思い出しては蹲りたくなるほどの衝動に駆られる。
不器用、なのだろうか。他の人がどうなっているかは分からないから不器用かは分からないが。しかし、1ヶ月で全てを忘れて新たな恋人を作るほどの器用さはない。
グロリアの表情をどう判断したのかは分からないが、ソムヌスが呟いた。
「俺は自分のやっていることが正しいかは分からない。それでも正しさでは救われない人間はいると思うから、正しくなくても構わないと思っている」
ソムヌスの言葉で、グロリアは弾かれたように彼の方を見た。急な反応に、ソムヌスが首を傾げる。グロリアは浅く息を吸った。
「それでも……。記憶を消してもらった人はみんな、自分の傷だけではなく、ソムヌスさんにしてもらったことも、お話をきいてもらったことも、一緒に苦しんでくれたことも全部忘れるんですよね。それって、ソムヌスさんが辛い、だけじゃないんですか? ソムヌスさんには何が残るんですか?」
グロリアがここで働くことになった日、ソムヌスは記憶を忘れた後はここに関わらない方がいい、と言っていた。それは記憶を消すように依頼した時の会話も、ソムヌスの優しさも「忘れる内容」に含まれているのではないか。ソムヌスという存在もほとんど忘れ、「記憶消し屋に忘れさせてもらった」という事実しか依頼者は覚えていないのだろう。
ソムヌスには前払いのお金以外に何が残るというのか。他人の苦しみだけ押しつけられて、彼は1人で生きていくのだろう。
そう思うと、悔しいようなもどかしいような気持ちでいっぱいになった。グロリアは目を伏せる。
「……君は優しいんだな」
「優しいのはソムヌスさんの方です」
もやもやする。この人が全てを受け入れるのが。神がいるならなぜ、この人に、この人のような優しい人に記憶を消すという特殊魔法を与えたのだろうか。
「多分、君が思っているよりも俺は大変じゃない」
「本当ですか?」
「ああ」
穏やかに微笑むソムヌスは、嘘をついていないように見える。しかし、彼の心は目に見えぬ傷で蝕まれているのではないのか。
「ソムヌスさん。私も記憶消し屋の商売に同席します」
「いいのか?」
「はい」
グロリアがこの場に居られるのは残り5ヶ月。せめてその間だけでも、ソムヌスの力になれるように頑張りたい。グロリアはそう決意した。




