6、導かれたように
ソムヌスから本を買ったアエラスが帰っていき、店にはソムヌスとグロリアだけが残された。グロリアはソムヌスを見る。彼は黙り込み、ぼんやりとどこかを見つめているようだ。グロリアは恐る恐る声をかけた。
「ソムヌスさん」
「なんだ?」
「アエラス・クレアティオ公爵の弟だったんですね」
「ああ」
アエラス・クレアティオの弟、ソムヌス・クレアティオという名は、聞いたことがある。学校の資料室にある論文に名があったような気がする。
しかし、ソムヌスという名からクレアティオの姓を導けるほど記憶にはなかったし、例え思い出したとしてもまさか目の前のこの男だとは思うことはなかっただろうが。
頷いたソムヌスに、グロリアは先ほど気になったことを尋ねることにした。
「私は、公爵様の気分を害したのでしょうか」
「……なんでそう思う?」
「お礼を言ったとき公爵様が、一瞬苦い顔をした気がして……」
グロリアの言葉に、ソムヌスは目を見開いたあと、ゆっくり首を振った。
「君が悪いんじゃない。兄さんは感謝も賞賛も求めていないからな。あの人は、何も」
「えっ……」
「兄さんにとって、感謝も賞賛も何も響かない。言葉は聞こえているはずなのに、全てに興味が湧いていない。そのことを申し訳なく思ったんだろう。たとえいくら感謝をされても、この国への愛着の1つもないことで気まずく感じた」
「そんな……。私はただお礼が言いたかっただけなのに……」
アエラスを困らせるつもりはなかった。ただ、グロリアが感謝を言いたかっただけだというのに。
「お礼を言われることは悪意をぶつけられるよりは喜んでいるはずだ。それにあの時の気まずさもどうせすぐに忘れる」
「なんで……」
「兄さんのことを知っているなら、あの話も知っているんだろう? エリー姉さん……エリー・フローレスへの恋の話を」
「……はい」
エリー姉さん、とソムヌスは呼んでいるようだが、彼女はソムヌスの本当の姉、という意味ではないだろう。姉のように慕っていた、ということか。グロリアがエリーへの呼び名を気にしていると、ソムヌスが呟くように問いかけた。
「明日が何の日か分かるか?」
「いえ」
グロリアは軽く首を振る。ソムヌスは遠くをみながら言った。
「明日は、エリー・フローレスがこの国からコスモ国に行き、コスモ国王と結婚してから12年。そして……亡くなってから5年だ」
「あ……」
エリー・フローレス。現在のスペス国王フィニス、公爵アエラスとは幼馴染。そして、隣国のコスモ国との戦争がなくなったあと、エリーはコスモ国王のマラキアと結婚した。そこにどんな政治的意図が含まれていたか。実際の所は知らないが、いくつか想像はできる。
エリーは聖女のように優しく、穏やかで、高潔な人物だったという。
そして、アエラスが端から見ても分かるほど惚れ込んでいた相手。しかし、彼女は国の英雄であるアエラスからの告白を断った。
そんな彼女は、もうこの世にいない。アエラスの恋は叶うことがなかったし、今後も叶うことはない。永遠に。
「兄さんはエリー姉さん以外への興味は薄い。自分のことさえ」
そう言ったソムヌスは、憂いに満ちていた。
グロリアは口元をおさえる。アエラス・クレアティオという救国者の酷く歪な一面を見てしまった。
苦しみさえも愛と呼ぶ彼は、強い人でもなんでもない。アエラスは忘れ方を知らないし、忘れたくもないということだ。アエラスに会うまでは忘れないのは強さかと思っていたが、確信が持てなくなった。
忘れることと忘れないこと、果たしてどちらの方が強いと言えるのだろうか。
「あの人は世間が言うような英雄でも、天才でもない。ただの不器用な一人の男だ」
この国を救ったところで彼自身は何も救われていない。なんて虚しい話なのだろう。
◆
アエラスは、停めておいた馬車の方に向かいながら、動揺を隠せていなかった。口元をおさえる。
「あの子……。覚えていないはずなのに」
アエラスは彼女、グロリアを知っている。しかし彼女がアエラスに初めましてと言ったことで、覚えていないことは確信になった。
「結局ソムヌスのところに来るんだね。まるで導かれたかのように」
アエラスは、あの場を覚えているのは自分だけであろう事実にため息をついた。
「2人とも、傷つかなければいいけれど」
詳しい事情を知らないアエラスは、ただ祈ることしかできない。
大事な大事な弟であるソムヌスと、かつて弟が記憶を消したくなるほどに愛したグロリアが不幸になりませんように。
誤字報告くださった方、ありがとうございます。




