5、救国者
がらりとドアの開く音がした。グロリアははっとしてそちらに視線を向ける。開けられた扉から目に入った空の色は橙に染まっており、いつの間にか時間が経っていたようだ。
今日は来客の予定はない、とソムヌスは言っていたはずなのに、とグロリアは考えながらソムヌスの方を見る。
立ち上がったソムヌスが、入ってきた人を見て驚いた顔をする。
「兄さん」
「ソムヌス。お邪魔するね」
「珍しいな。急に来るなんて」
ソムヌスの兄らしい。グロリアはそちらを見ていたのだが。
どこかで見たようなのは、気のせいだろうか。
それにしてもとんでもない美貌だ。スカイブルーの髪がさらさらと肩から流れ落ち、年齢がよめないその顔には穏やかな笑みが浮かべられていた。白に近い金の瞳は日の光で輝いているはずなのに、どこか影があり、それすら彼の美しさを引き立てるものだった。
ぱちりと視線が合う。そこで、グロリアは思わず息を呑んだ。
この人は。知っているどころの話ではない。思い出した。気がつかない方がおかしかった。
「……アエラス・クレアティオ公爵」
「あれ? 知っているの?」
そう言ってアエラスは軽く首を傾げた。その動作も品があるもので、グロリアは言葉を失ってしまう。
兄さんとソムヌスは言った。つまり、ソムヌスと兄弟ということで。衝撃的な事実をグロリアは上手く消化できない。
アエラスに向かってソムヌスが呆れたような表情を浮かべる。
「兄さん。貴族の関係者の中で知らない人はいないだろう」
「あ、そのご令嬢は貴族なんだね」
「一応、ですが……」
グロリアの立場は曖昧だ。婚約者との婚約がなくなり、これからが決まっていない。貴族社会に残るのか、全てを投げ出すかは考え中だ。
「兄さん、彼女はグロリア・ノーティカさん。うちの店で半年間働くから」
「そうなんだ。グロリア嬢。改めまして、アエラス・クレアティオです。ソムヌスの兄で、ここの魔法書店の方はたまに来ます。記憶消し屋の方は行ったことないけど」
「はじめまして。グロリア・ノーティカです」
震えそうな声で頭を下げた。そんなグロリアをみてアエラスは困ったように笑う。
「ソムヌス。私ってそんなに怖い? 威圧感ある?」
「さあ。俺は慣れているから知らない」
「確かに。それもそうか」
怖いというよりは緊張して会話ができないが。この国でアエラス・クレアティオを知らない人間はいない。魔法の天才。救国者。公爵。彼を表す名はいくつもある。王にもなり得た人物。そして現在の王、フィニス陛下からも重宝されている大物。
魔法に詳しい人の中でももちろん有名だ。彼は自分と適性のない魔法でも平気で使う。そして莫大な魔力量。人の意思や感情を消し去れるという希有な特殊魔法の持ち主。それでいて、その全てを投げ捨てるような行為をした。
国の機関には魔法科、行政科、騎士科とあるが、アエラスは魔法の才を持ちながら、魔法科に所属することはなく、行政科へ所属した。さらに、公のために魔法を使わないという宣言をしている。
当時の魔法科は大混乱だったらしい。アエラス・クレアティオは当たり前のように魔法の道に進むと考えられていたのに、それに見向きもしなかったのだから。
一体、アエラスは何を考えていたのか。
その理由に興味はあるが、少なくとも今目の前にいるアエラスは不幸には見えない。
きっと彼なりに何か考えがあったのだろう。
「私は『天才だった人間』にすぎないのにね」
「それは世間の評判だろう」
「ソムヌスは私のことを天才だと思ってるの?」
「……」
「ねえ、そこで黙らないでよ。どっち?」
「天才と言っても、天才じゃないと言っても、兄さんの慰めにはならないだろう? 結局は人からの評価なんてどうでもいいのだから」
「嫌だな。大切な弟からの評価なら甘んじて受け入れるよ」
「……やっぱり言わない」
アエラスから視線を逸らしたソムヌスをみて、アエラスがくすくすと笑う。アエラスがソムヌスの髪に手を伸ばし、優しく撫でた。その表情は仕方がないな、と言いたげで。ソムヌスは頭を撫でてくるアエラスから逃げたが、彼の表情は嫌がっている様子はない。照れているだけに見える。仲の良い兄弟なのだろう。
内容はともかく、楽しそうに会話をしている2人を見る。よく見たら似ているかもしれない。美しさの系統は少し違うが。アエラスは儚げに見え、ソムヌスは妖しげな美貌を持っている。どちらが好みかは分かれそうだ。
しかし、女性からの人気は高そうだが、アエラス・クレアティオは結婚しないだろうし、恋人も作らないのだろう。
アエラス・クレアティオがエリー・フローレスという人物に片思いをしていたことは有名だ。そして、エリーは隣国の王に嫁いだ。それ以降、救国者であり、女性を選び放題のはずのアエラス・クレアティオに浮いた話は一切ない。
ソムヌスはどうなんだろうか。
「ソムヌスさん」
「ん?」
「もしかして、恋人や奥様はいらっしゃいました? もしそうなら、私がここで働くことはあまり良くないんじゃないでしょうか?」
「いそうに見えるか?」
「……はい」
見える。ソムヌスも女性を選び放題できそうな美貌だ。しかし、そんなわけがないだろうとでもいうように面白がる表情のソムヌスをみて、グロリアは不思議に思う。
「残念ながら、いないな」
おかしそうに言うソムヌスはどこか寂しそうだ。声のかけ方が分からず、グロリアは黙り込んだ。
「別に辛いことじゃない。ここでの生活は気に入っている」
グロリアはどんな顔をしていたのだろうか。ソムヌスは口元に笑みを浮かべまでみせた。おそらくグロリアの心配を振り払うために。心配をしたくても、本人が気にしないように振る舞うのなら、それ以上深入りはできない。
グロリアはアエラスへと視線をうつした。ソムヌスの兄だといっても、いつもここにいる来るわけではないだろう。
救国者に、ずっと。言いたかったことがあった。
「アエラス・クレアティオ公爵様」
「はい」
「この国を、守ってくださりありがとうございました」
アエラスがいなかったら、スペス国と隣国のコスモ国との戦争はもっと泥沼化していたことだろう。それはもう14年前の出来事であり、当時9歳だったグロリアには朧気にしか覚えていない。しかし、伝説のように今でも当時の話はよく耳にする。
アエラスは自身の特殊魔法を使い、コスモ国を一瞬で絶望に突き落とした。彼の特殊魔法は「人の感情や意思を消し去る」というもの。「有を無にする」という意味ではソムヌスと系統が似ているかもしれない。
アエラスは敵兵の戦意を完全に消し去った。戦う意思がなくなったコスモ国の兵は、兵としての機能を果たさない。それがきっかけとなり、コスモ国はスペス国に降伏したのだ。アエラス・クレアティオのいるスペス国には勝てないと判断をして。
それこそがアエラス・クレアティオが救国者と呼ばれる所以だ。
アエラスが戦争を終わらせたお陰で、グロリアは平和に暮らしている。いつかアエラスと話す機会があれば感謝を伝えたいとずっと思っていたのだ。
グロリアの言葉に、アエラスは軽く首を傾げた。そして穏やかに微笑む。
「えっと……。私はたまたま力を持っていただけの人間だよ」
「それでも、その力を使ったのは公爵様自身です。ありがとうございます」
「……どういたしまして」
アエラスが一瞬苦い表情を浮かべた気がした。それでも、気がつけばいつもの笑みに戻っている。見間違いだっただろか。
その後に少しだけ3人で話をしていたが、目の前に国の英雄がいるという現実を信じられず、グロリアはあまり話が頭に入ってこなかった。
しばらくして時計を確認したアエラスが立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
「兄さん、結局何の用事で来たんだ?」
「ソムヌスの顔を見にきただけだよ」
「明日から気を逸したかったんじゃないのか?」
「……分かっているならきかないでよ」
アエラスの顔には笑みが浮かんでいるはずなのに。ソムヌスからの指摘に弱々しい声を発したアエラスは、酷く切なげだった。救国者としての堂々とした振る舞いしかみたことがなかったグロリアは戸惑うばかりだ。
「苦しいんだろう? 記憶を消したいのなら、安くしておこう。予約が入っているから、空いているのは来年だけど」
「大丈夫だよ。忘れない。この気持ちも、痛みも、記憶も全部エリーへの愛だ」
痛々しい表情であるというのに、やはり彼は笑って見せた。グロリアはそこで気がつく。『忘れないことが愛だ』と言った人がいるとソムヌスは教えてくれたが、それはきっとアエラスだ。
「……気を紛らわせたいのなら、おすすめの本でも渡そうか?」
「じゃあ、買ってくよ」
グロリアはソムヌスの表情を見つめる。彼も、自身の兄への言葉を迷っているようだ。ソムヌスはアエラスを痛ましそうに見ていた。
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