57、この温もりを
目の前で笑みを浮かべているソムヌスを見ていると、少し疲れた表情が混ざっているように見えた。結構な時間がかかってしまっただろうか。
「ちなみに、何時間かかったの?」
「20時間だ」
「え、ソムヌスさんより長い時間?」
外を見ると完全に明るい。驚いているとソムヌスが難しい顔をしていた。
「グロリアと俺の時間の差はなんだろうな。記憶の量はほとんど同じはずだから……。そう考えると……」
ぶつぶつ呟きながら考え込んでいるソムヌスを、グロリアは目に焼き付けるように見つめた。
ソムヌスのこういうところも好きだった。ソムヌスが夢中になって魔法のことを考えている姿は楽しそうだ。そんなソムヌスを楽しませる存在について知りたくて、グロリアも魔法に興味を持っていたのだ。
ソムヌスはしばらく自身の思考へと沈んでいたが、軽く首を振った。
「今の情報からだと、結論は出ないな」
魔法のことを考えている姿は昔と変わらないと思いながら、ふと思い出すことがあった。
「そういえばソムヌスさん、卒業研究はどうしたの?」
魔法を心配するグロリアのために、『魔法を抑制する方法を探す』と言ってくれていたような気がする。ソムヌスはあっさりと頷いた。
「ああ。俺は自分の記憶が消えるまで学校にも行かず家に引きこもっていたけれど、記憶がなくなってから卒業までの1ヶ月くらいで終わらせた」
言葉が上手く飲み込めず、グロリアは瞬きを繰り返した。
「え? 待って。そう、よね。ソムヌスさんが覚えていなかったということは記憶を消したっていうことよね」
いろいろ聞きたい部分はある。1ヶ月で卒業研究を終わらせるなんて、そんなこと可能なのか、と一瞬思ったが、ソムヌスならできてもおかしくない。
それ以上に分からないのが、なぜ記憶を消したか、だ。ソムヌスは自分で記憶を消したと言っていた気がするけれど、なぜ消したのか。
「私のこと、覚えていたくなかった?」
そう思うと少し悲しい。しょんぼりしながら彼を見つめると、慌てたように首を振った。
「違う。そうじゃない。……耐えられなかった。君のいない世界と、君を傷つけたという事実に。俺がもっと上手く動ければ、と思って。全部忘れてしまいたい。そんなことを考えているうちに記憶が消えた」
「『消した』ではなく『消えた』?」
言葉が気になって聞き返すと、彼は頷いた。
「ああ、魔法を使おうとして使ったのではなくて、勝手に……。魔法を使おうとしなくても、自分の心に特殊魔法の方が反応したんだと思う」
「そういうことあるの?」
あまり聞いたことがない。魔法の授業で習ったかもしれないと記憶を辿るが、少し話題にあった程度かもしれない。
「たまに見かける現象だ。兄さんとか、自分の感情を堪えられていないときは風で周囲を荒らしている」
「そんなことあるのね」
「ああ。俺はそれまでになかったが、現象としてあるのは知っていた」
その現象に、少し恐れを抱く。それはグロリアが気をつけなければならない部分だ。勝手に人の秘密を知ってしまうなんていう恐ろしいことにならないために。
「どういう人がそれをしてしまうの? 魔力の量?」
「いや、どちらかというと魔法との親和性の高さじゃないか?」
それなら自分は大丈夫かもしれない。魔法への親和性の高さと特殊魔法の有無は関連していると考えられている。特殊魔法を持たないグロリアはそこまで親和性が高くないといえる。それならあまり気にしなくても良さそうだ。
安堵をしたところで、先ほどのソムヌスの話を思い出す。グロリアの記憶を消した後、ソムヌスの記憶は消えた。そこまで考えたところで、グロリアは首を傾げた。
「え、制約が半年よね? その間は?」
「ずっと家に引きこもっていた」
先ほども『家に引きこもっていた』と言っていた気がする。
どうりで卒業研究を1ヶ月で終わらせないといけない事態になるわけだ。
ソムヌスはグロリアが傷ついたことにそこまで。記憶を消さないと耐えられない程度ほどグロリアのことを想っていたのか。
それに嬉しさと悲しさを感じて、複雑な感情になった。どちらかといえば嬉しさの方が上回っているかもしれない。
「ソムヌスさん。私の記憶を消してから、ソムヌスさんの記憶が消えるまでの半年の話を教えてくれない?」
「ああ」
ゆっくりと話を始めたソムヌスによると、グロリアが意識を失った後、グロリアを落とした人は退学になったらしい。いくら実力がある者が優遇されるとしても、人に怪我をさせるような危険因子を国が運営する学校には残せないからだそうだ。
この学校の出身者で国の機関に入る人間は多い。そんな中でその生徒達を残しておいて、同じことをもう一度起これば信用はがた落ちとなる。一度ですら大問題だというのに。だからこそ、そのような処遇になったのだろう。
ソムヌスも、その後の彼女らの全員の行方は把握していないが、グロリアを突き飛ばした人は、修道院行きらしい。
グロリアは起きたとき怪我がなかったのが不思議だったが、光魔法に適性を持つ人間が、治癒魔法を使ってくれたようだ。そのおかげで後遺症もなく、今も元気に暮らせているのだろう。
ソムヌスがグロリアの両親と会う機会があり謝罪をしたが、グロリアの両親は、大事な娘が傷つけられたことを酷く怒っていたそうだ。そしてグロリアに二度と近づかないこと、グロリアの記憶を消すことを要求した。
ソムヌスはその要求を呑んでグロリアの記憶を消し、半年間家に引きこもった後、自分の記憶が消えた。そのような流れだ。
話が終わり、口を閉ざしたままぼんやりとしているソムヌスは何を考えているのだろうか。
「ソムヌスさん、教えてくれてありがとう」
「ああ」
「ごめん、グロリア」
その悲痛そうな表情は、過去のことを思い出させたからだろうか。
「何回謝るの? もう一度キスしたいっていうこと?」
「ああ」
冗談まじりで言ったことをソムヌスから肯定されるとは思わなくて、グロリアが驚きのあまり固まる。
ソムヌスがグロリアの方へと顔を近づけてきた。
唇が触れそうになったとき、急にソムヌスが身体を引いた。
「あ……。さっきから触れないという約束を破りまくっているな。悪い」
そう言って距離を取るソムヌスをグロリアは睨んだ。
「そこで止めるんですか?」
「元々、触れない約束だっただろう」
「それ、ソムヌスさんが勝手に言っただけじゃない」
そう言ってグロリアがぷいと顔を背けると、ソムヌスの焦った声が聞こえてきた。
「そんな怒らないでくれ」
「それじゃあ、抱きしめて」
グロリアがソムヌスの方へと視線を戻してからそう言うと、ソムヌスが少し躊躇う素振りを見せながらも、グロリアを抱きしめた。
グロリアもソムヌスの背に腕を回しながら、その温かさに不意に泣きそうになった。
「ソムヌスさん、愛してる。私を好きになってくれてありがとう」
「いや。こちらこそ、ありがとう」
どうかこの温もりが失われることがありませんように。祈りを込めて、強く抱きしめた。




