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49、宝物は消えた

 休暇も終わり、しばらくしてから。いつも通りの校舎裏で、ソムヌスの元にやってきたグロリアが神妙な顔をしていることに気がつき、ソムヌスは首を傾げた。


「グロリア、どうした?」

「ソムヌスさんって、6年生よね? 学校には来なくなっちゃうの?」

「ああ」

 

 順当にいけば9ヶ月後には卒業しているから、学校には来なくなる。返事をしたソムヌスのことを、グロリアが見上げる。その顔は不安でいっぱいだった。


「卒業したら会えなくなっちゃうの?」

「……そうかもしれない。でも、俺の将来は何も決まっていない。留年してもいいかもな」


 そう言って視線をグロリアから外し、目線を下げる。グロリア相手に自分を取り繕っても仕方がないから、今のは本音だ。

 

「でも、ソムヌスさん、すごい人じゃない。ソムヌスさんの特殊魔法、記憶を消せるんでしょう?」

「ああ。でも、俺の何の役にも立たない特殊魔法なんて利用価値もないだろう」


 グロリアの方に視線を戻しながらソムヌスは答えた。

 

 魔法科以外の選択肢が見えない。特殊魔法に価値を感じられない。そう言ったソムヌスに、グロリアは首を振る。

 

「そんなことない」

「記憶を消すなんて、無意味だろう」

「きっと、役に立つはずよ!」

「そうか?」

 

 必死で考え込んでいたグロリアが急に瞳を輝かせてソムヌスの方を見る。


「そうだ! お店をやるのは?」

「店を?」

「記憶消し屋さんってどう?」

「記憶消し屋?」

「そう! お店にすれば、必要な人がたどり着くんじゃないの?」

「それは、確かに。いいかもな」


 記憶消し屋。考えもしなかった。

 グロリアの思いつき。それでも、名案に感じた。


「グロリア、ありがとう。検討する」

「思いついたこと、言っただけよ?」


 準備もいるだろうし、実現をできるかは分からないだろう。それでも、新たな選択肢となったのは事実。


 自分の力を活かせる場がないのなら、その場を作ってしまえばいいのか。


 それでも、初めて未来が明るく見えた。霧に覆われていた未来に、初めて希望を持つことができた。


 これがどんなに素晴らしいことか。グロリアはきっと知らない。


「ありがとう。本当に」

「え? うん」


 なぜそこまでお礼を言われているのか不思議そうにしているグロリアに笑みを浮かべた。グロリアも嬉しそうに笑う。


 しかし、そこで唐突に顔をこわばらせた。

 

「でもソムヌスさん、卒業しちゃうのか……。会えなくなるの、いや」

「……きっと、会う機会はある」


 そう言いながらも、自分の言葉がただの慰めにしかならないことは承知している。ここを卒業したら、会える保証なんてない。

 俯いていたグロリアが急に顔を上げる。漆黒の瞳とはっきり目があった。

 

「ソムヌスさん、私と婚約してください」

「……は?」

「だめ?」


 今回ばかりは駄目じゃない、とは言えなかった。ソムヌスは浅く呼吸をする。

 

「婚約、って何か知っているか? 結婚の約束だぞ?」

「知ってるよ。私、ソムヌスさんのこと好きだから結婚したい」

「それは……」

 

 それは本当に恋愛感情なのか。ただの親愛なんじゃないか。そう聞こうとしたソムヌスだが、グロリアの漆黒の瞳に押し黙った。


 その瞳には、息を呑むほどの強い感情がこめられていた。好き、が恋愛かは分からなくとも、ソムヌスと婚約をしたいという気持ちが本物のように感じられてしまう。


 ソムヌスは、自身の紫の髪をかき混ぜた。どう、返せばいい。どうすれば、グロリアを傷つけずにすむ?


 必死で考えるソムヌスだったが、分からない。ああ。傷つけるしかない。

 

「……駄目だ」

「なんで?」


 縋るような目をしているグロリアに、喉を掴まれたような感覚がある。息がしにくい。それでもソムヌスは言葉を絞り出す。

 

「……君にはもっと合う相手がいるはずだ。俺ではなく」

「そんな……」

「君の未来を潰したくない。枷に、なりたくないんだ」


 諭すように。自分に言い聞かせるように。ソムヌスは言葉を紡ぐ。

 

「グロリア、君はまだ幼い。君の世界はまだ狭い。もっと人と知り合うだろう。きっと、後で後悔する」


 どこかで惹かれている自分もいた。それでも、ソムヌスは拒絶した。5学年も年下の少女に、道を誤らせるわけにはいかないから。

 しかし、グロリアはそれくらいで諦めるような人間ではなかった。

 

「私の話は聞いていない。あなたの気持ちを聞いているの」


 グロリアにこれ以上、強く言うことはできない。嫌いだ、と嘘をつこうかと思ったが、その嘘は喉から出てこなかった。ソムヌスの口から、息だけが吐かれる。


「ねえ、ソムヌスさん。どう思っているの?」

「……」


 そんなグロリアは眩しすぎた。彼女の光で、自分は消えてなくなれたら良かった。今、この瞬間の時を止められたら、どれほど幸せかと思った。

 やはりソムヌスの口から言葉はでてこない。グロリアが、ぐっと右手に力を入れて握りしめているのが目に入った。

 ソムヌスのことを睨み付ける勢いで見つめた彼女が口を開く。

 

「絶対に、私のことを好きと言わせてみせる」


 そう言った彼女に、かける言葉が見つからなかった。


 ◆


 次の日から、グロリアは人目を(はばか)らず、ソムヌスのところを毎日のように訪ねるようになった。断ることしかできないソムヌスは、困りはしたものの、いつも通りの会話をした。


 しかし、ソムヌス・クレアティオは良くも悪くも目立つ。『ソムヌスに1年生がつきまとっている』という噂が流れ出した。


 ソムヌスは、それを大して問題視していなかった。自分の行動が噂になるのは今に始まった話ではない。いつもの光景として、放置していたのだ。


 それが間違いだと気がついたのは、1週間後のこと。


 珍しくグロリアが来なかったことを不思議に思い、グロリアを探していたソムヌスが目撃をした光景は。



 階段の下で倒れているグロリアだった。そして階段の上から慌てたように立ち去る人影。


 事故ではなく、明確な悪意を持った行動。


 グロリアが倒れているところは、赤に染まっていた。

 

 ソムヌスはグロリアの手に触れた。温かい。


 グロリアを抱きあげようとしたが、頭を打った人間を動かさない方がいい、と聞いたことがあるような。

 回らない思考で他にもいろいろと考えていた気がするが、思考はぐちゃぐちゃだった。


 その後のこともよく覚えていないけれど、おそらく必死に応急処置をし、医務室の医者を呼んだ、のだと思う。

 医者は、命に別状はないと言った。それでも、包帯をまかれてベッドで横になっているグロリアは、酷く痛々しかった。


 グロリアの両親に謝罪をした。自分が、警戒心すらなかったせいで、グロリアを傷つけたから。グロリアの両親は、大事な娘が傷つけられたことを酷く怒っていた。グロリアに二度と近づかないこと、グロリアの記憶を消すこと、を要求した。


 保護者を交えての話し合い、ということでアエラスもいたが、彼だけはグロリアの両親に反対してくれた。

 グロリアの記憶を消すのはやりすぎじゃないか、と。


 しかし、ソムヌスがやると言った。従うことしかないと思ったから。グロリアを傷つけたのは、自分だ。彼女の家族の言葉を、拒絶できるわけがない。


 初めて消す記憶が、グロリアの記憶。その事実が、胸に突き刺さる。


 こうして、グロリア・ノーティカの中から、ソムヌスの記憶は消えた。


 犯人は後に分かった。ソムヌスを密かに好いていた()()()らしい。グロリアが複数の人に悪意を向けられた。その状況は、怖かっただろう。だから、グロリアの記憶を消すことは良かったのかもしれない。そう思い込んだ。


 ◆

 

 グロリアの事件があってから、しばらくソムヌスは、学校を休み、寮ではなくクレアティオの家にいた。


 ソムヌスは、限界だった。自覚のなかった恋は永遠に叶うことはなく、愛する人は自分のせいで傷ついた。


 毎日胸の中に鉛で覆われるような感覚に陥り、呼吸が苦しかった。


 それでも、半年間消すことができない。自分は記憶を消せない。いや、消す気はない。これは、自分が抱えながら生きていくべき罪だ。



「ソムヌス」

「……兄さん」

「……ごめん。私には君の慰め方が分からない。だから、人並みの言葉しか言えないけれど。君が求めることを、できるかぎりしよう」

「それ、なら……」


 自分の苦しみを消してくれ、と言いたかったけれどすんでのところでとどまった。そんなことをしたら、兄はもっと苦しむ。かろうじて回っている思考で、教えを乞うた。


「それなら、教えてくれ。兄さんは、どうやってエリー姉さんの恋から立ち直ったんだ?」

「……立ち直ってなどいないよ」


 薄らと笑みを浮かべたアエラスは、右手を自身の胸の辺りにあてた。


「私は、一生この気持ちを離さない。エリーヘの愛を抱えながら生きていく」

「兄さんは、強いな」

「そんなことはないよ。私は、こうやってしか生きられないだけだ」


 

 兄を尊敬し、そうなりたいと思ったものの、ソムヌスの身体はそう単純ではなかった。


 ほとんどご飯は喉を通らない。何度も、グロリアが倒れているところを夢にみて、うまく寝られなかった。階段をみると、その下に幻覚を見るようになり、吐き気がした。


 呼吸の仕方も忘れそうになる。苦しくて、苦しくて。もう、わけが分からなかった。今まで、どのように過ごしていたか、分からなかった。ほとんどの時間を自室に引きこもっていた。


 ソムヌスは、自分のベッドで横になり、天井に向かって手を伸ばす。

 

「グロリア……」


 知らなかった。自分が彼女をここまで愛おしく思っていたなんて。彼女の銀に輝く髪も、吸い込まれそうなほど真っ黒な瞳も。ソムヌスを見つけたときの明るい笑みも。全部。全部。


「愛していた」


 自分が思っている以上に。ソムヌスはグロリアを愛していた。宝物のように思っていた。

 

 それなのに。全てを台無しにしたのは、ソムヌスだ。


「ごめん。グロリア。本当に、ごめん」


 彼女がいたから、ソムヌスは世界の明るさを享受できていた。それなのに、自分がいたから、グロリアは傷ついた。


 苦しむ日々を送りながら、ふと気がついた。

 

 失恋した兄も、これほどの苦しさを抱えて生きているというのか。

 エリーに振られたばかりだというのに、アエラスはクレアティオの家を継いだ。それは、どれほどの苦行だったのだろう。


 それに加え、今。アエラスは弟のことを心配していることだろう。ソムヌスが、さらなる負担をかけている。その事実を認識すると、余計に呼吸が苦しくなった。

 


 大事なグロリアのことも、兄のことも苦しめている自分に、一体何の価値があるというのか。


 もう、全部忘れてしまいたい。


 

 魔法は。時として、本人の心に忠実に反応することがある。本人が魔法を使うように祈らなくても、勝手に。


 ソムヌスは、どれくらいの日が過ぎたか、全く気にしていなかったが、半年が経っていたらしい。

 

 ソムヌスの記憶から、宝物は消えた。


 ◆


 次の日。

 

「おはよう、兄さん」


 そう言って苦しみも悩みも感じさせずに微笑んだソムヌスに、アエラスは絶句したあと言った。


「記憶消しは、()()()()んだね」


 アエラスは、ソムヌスが記憶を消すことを知らなかっただろう。しかし、一瞬で状況を理解した彼は、ソムヌスが自身の意思で消したことにした。


 恐らく、もうこれ以上弟が苦しまないようにするために。

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