39 、決別
その場に流れるのは静寂。グロリアはソムヌスに目を奪われていた。いつもは見ることができない、感情的なソムヌスは珍しい。
グロリアのことでここまで怒ってくれている。それに喜ばしさを感じて。グロリアはその表情が悟られないように下を向いた。
「へえ。良いこと言うじゃないかソムヌス。俺も混ぜてくれよ」
突如声が聞こえて、グロリアはそちらに視線を向けた。橙の派手な髪色の男は、ソムヌスに向かって笑みを浮かべていた。
「フラマ。どこから見ていた?」
「お前がそこの男の腕を掴んだところだ」
ほとんど最初からだ。フワリと橙の髪を揺らしながら、フラマはトニトルスへ視線を向ける。
「それにしてもどうやってこいつを潰すんだ?」
どこか挑戦的にも、面白がっているようにも見える表情でフラマは問う。ソムヌスはほとんど表情を変えないまま答えた。
「方法なんていくらでも。暴力を使うのも手だが……」
ソムヌスの金の瞳がトニトルスの方へと向く。
「たとえば過去の楽しかった記憶、嬉しかった記憶、幸せだった記憶。その全てを消し去ったとしたら。過去の辛い記憶や苦しい記憶だけを残すとしたら。人は生を価値あると思えるだろうか?」
ソムヌスの言いたいことがわかり、グロリアは思わず息を呑んだ。ソムヌスの力は、人を絶望に堕としうる。彼の「記憶を消す魔法」はそれだけの力を持つ。
ソムヌスからの視線や言葉で、トニトルスの顔色が悪くなっているのがわかった。彼にもソムヌスの意図が伝わったんだろう。
一方で楽しげな様子を崩さないフラマはまた質問を投げかけた。
「試したことあるのか?」
「ない。だからやるとしたら『実験台』と言うことになるな」
フラマが一瞬顔を歪めた。実験台。それはソムヌスの兄、アエラスが使ったのと同じ言葉だ。自分が実験台にされた時のことを思い出したのか。しかし、すぐに笑い出した。
「ははは。そういうところはあの人と似ているな。さすがあの人と兄弟」
「そうか?」
ソムヌスは不思議そうにしているが、グロリアもフラマに同意する。先ほどからの鋭い怒りを孕んだ瞳は、アエラスと似ていると思う。
「ソムヌスさん」
グロリアがソムヌスの名を呼ぶと、彼がこちらを向いた。その金の瞳をじっと見つめる。
「だめです。あなたの大切な力をそれに使うのは、無駄です」
グロリアが言うと、ソムヌスが目を見開いた。手で紫の髪を乱雑にかきあげると、深く息を吐いた。
ソムヌスがグロリアだけを見つめる。その目に宿るのは、心配と後悔に見える。
「悪い、グロリアさん。順番を間違えた。本当に悪い。グロリアさんは大丈夫だったか?」
「はい、私は大丈夫ですが……」
グロリアはトニトルスを一瞬見た。しかし、すぐにソムヌスへと視線を戻す。
「ソムヌスさんのお気持ちは嬉しいです。それでも、私が終わらせます」
そう言ったグロリアはトニトルスへ向き直った。彼の目を見ながら、できるだけ笑みを浮かべて言った。
「もう、私に会いに来ないで。私の人生にあなたは必要ないの。さようなら、トニトルス・ノックス」
グロリアはトニトルスに言い切った。トニトルスと話し合う気など一切ない。
結局、何をしたかったか分からないし、何を思っていたのかは分からない。
しかし、話し合いの段階はもう終わっている。説明があるのなら、婚約を解消する時点ですべきだった。
だから、もう終わりだ。会う気なんてない。
自分の言いたいことを言い切ったグロリアは、ソムヌスの方を見る。彼は金の瞳を見開いていた。
「ソムヌスさん」
「なんだ?」
グロリアが名を呼ぶと、ソムヌスがこちらを見る。しかし、どんな顔をしているか分からず、目を逸らしながら口を開いた。
「今からお時間を頂いても?」
「俺は構わないが、君はいいのか?」
「はい」
グロリアは、息を吸った。
きっとソムヌスに気がつかれた。トニトルスから婚約をなくされたことでできた痛みを感じていないことを。記憶を消す必要がないことを。
――店にいる理由がないことを気づかれた。
皮肉な話だ、とグロリアは苦笑した。トニトルスとの終わりが、ソムヌスとの終わりになるなんて。
グロリアが諦めの気持ちで息を吐く。
唐突にフラマが口を開いた。
「トニトルス・ノックス。俺のことがわかるか?」
顔は笑っているが、薄茶色の瞳は無感情だ。
「分からないはずはないよな? 俺はフラマ・ヴァラトス」
フラマが国王陛下直属の部下だというのだから、行政科の中では有名だろう。ソムヌスと同じ年齢、28歳だというのだから、若くしての抜擢といえる。
そもそも32歳で国王というのも若いから、年齢層が若いのかもしれないが。
フラマはそのままの表情だ。
「行政科の人間として、相応しくない行いをしているのは分かっているのか?」
「……」
黙っているトニトルスを見て、フラマは冷たさを含む声で言い放つ。
「明日。朝一番に俺のところへ来い」
そのフラマの声には逆らえない圧があった。この人はやっぱり行政科の人間なんだ、とグロリアは納得した。
◆
トニトルスが帰ったあと、グロリア、ソムヌス、フラマはソムヌスの店へと入っていた。
「グロリアさん、大丈夫だったか?」
「はい、ありがとうございます」
ソムヌスが不安げな様子を崩していない。その金の瞳に気を取られていると、フラマに名を呼ばれた。
「グロリアさん」
「何ですか? フラマさん」
フラマは真剣な表情でグロリアを見つめるため、グロリアも姿勢を正す。
「先に謝っておく。申し訳ないが、おそらくトニトルス・ノックスにできることはない」
フラマがガシッと自身の橙の髪をかきあげた。
「正直手を掴んだくらいでは、大した罪にはとえない」
それはそうだろう。暴行、とも言い難い。ただの痴話喧嘩とも言える。フラマが考え込んでから口を開いた。
「接近禁止が限度かもなー」
「……できるんですか? そんなことをしてもらっても良いんですか?」
グロリアがおそるおそる尋ねると、フラマが嫌な顔一つせずに言う。
「言ったろ? これは行政科の汚点にもなり得る。むしろ俺たちがなんとかしないといけない」
確かにフラマは、『行政科の人間として相応しくない行い』と言っていた。
グロリアはフラマを見て、頬を緩めた。
「ありがとうございます」
「礼を言われることじゃないよ」
フラマは軽く答えるとすぐに立ち上がった。
「じゃあ、俺は帰るな。また来るわー」
「もう帰るのか?」
ソムヌスに聞かれたフラマは、グロリアに優しげな笑みを浮かべる。
「グロリアさん、ソムヌスに話があるんだろう?」
「はい、ありがとうございます」
フラマはグロリアに気を使ってくれたのだろう。彼はもう一度グロリアとソムヌスに微笑みかけると、手を振って店から出ていった。




