26、焦りは思考を狂わせる
「それでソムヌス話って?」
ソムヌスがアエラスを連れてきたのは、記憶消し屋で使用する部屋だった。目の前で優美な笑みを浮かべる兄を見て、ソムヌスは彼の本音を見落とさないようにしっかりとアエラスを見つめた。
「兄さん」
「なに?」
「……妙にグロリアさんには優しいじゃないか」
「別に普通だと思うけど」
アエラスの表情は変わらない。ソムヌスは軽く息を吸って、アエラスを問い詰める手札を探る。
「……いつの間にか『グロリアさん』って呼んでいるじゃないか。最初に会ったときは『グロリア嬢』だったのに」
「え? そうだっけ? ……そうだったかも。君やルースがグロリアさんって呼ぶから」
一瞬、金の瞳が揺れたような気がしたが、見間違いだったかもしれない。アエラスの浮かべる笑みは普段と何ら変わりはない。アエラスにとって、人の呼び名なんて取るに足らないこと、ということか。あるいはその一瞬の動揺は、ソムヌスの言葉が核心をついたのか。
いや、アエラスのことだ。その動揺すら、虚構かもしれない。
「じゃあ逆に名前呼びを許していないのは?」
「そうだった? よく覚えているね」
分からない。兄は何を考えているのか。あるいは考えていないのか。それは余計にソムヌスを焦らせた。
「兄さん、もしグロリアさんに恋心を持っているのなら……」
がん、と音が響いた。壁を叩いたアエラスは口元だけに笑みを浮かべる。目は、全く笑っていない。
「なに? ソムヌス。店を私に壊される覚悟ができてその言葉を言ってる?」
「……」
「私が王宮の一室を壊したの、覚えてないの?」
もちろん覚えている。結構な騒ぎになった。そのときは素手ではなく、風魔法を使っていた。今、アエラスが壁を叩いたのは恐らくわざと。ソムヌスの店を壊す気はない。ただ、壊そうと思えばいつでも壊せる、という脅し。
黙ったソムヌスをみて、アエラスはわざとらしくため息をついた。
「ソムヌス。君に似合わないことをしなくていいよ」
「何を」
「だから、わざと私を挑発して本音を見透かそうだなんて。私は君のことは理解しているんだから」
全部バレている。しかし、それは仕方がない話だ。自身の両親より、間違いなくアエラスがソムヌスを庇護していた。大切にしてくれていた。
そんな兄が、弟の意図に気がつかないはずはない。
「変なことを聞いて、悪かった」
素直に謝ったソムヌスに、アエラスは口角を上げるようにして笑った。
「心配する君のために明言しておこう。私は誰とも結婚することはない。絶対に」
「絶対なんて分からないだろう?」
「分かるよ。だって、ないとは思うけど仮に私が他の女性に少しでも心動かされたときには」
自身より色素の薄い金の瞳を見て、ゾクリとした。
「私が私を許さない。エリー以外の恋心なんて、自分の特殊魔法で消してやる」
狂気だ。狂気なまでなアエラスの金の瞳。
アエラスは有言実行する。仮に自身の気持ちが揺れそうになったときは、本当に自身へ特殊魔法を使い、その愛情を消し去るだろう。それぐらいのこと、アエラス・クレアティオは造作なくやる。
知っている。そんなことは。兄がエリーしか見えていないことなんて、ずっと知っている。ソムヌスは浅く息を吸った。
ソムヌスの表情を見たアエラスが表情を和らげた。
「あはは。ソムヌスの前だとつい本音が出ちゃうね。ルースの前でやらないように気をつけないと」
「……ルースのことは、ちゃんと愛しているのか?」
アエラスはエリーへの恋心を捨てる気なんて一切ない。そう考えると、ルースのことはどう思っているのか。そんなソムヌスの問いでも、アエラスの表情に迷いはなかった。
「……あの子を守ることができるのは、私だけだ。私の、役目だ」
その言葉には毅然とした力がこめられている。いつの間にかアエラスは「父」へとなったらしい。それをようやく実感したソムヌスはまじまじとアエラスを見つめた。
そんなソムヌスを見たアエラスが少し目を細めた。
「……君は私のことを気にしている場合じゃないだろう?」
「え」
「私を試そうなんて君らしくない。なんで私がグロリアさんに優しくすると、君が気にするの? なんで呼び方とかをわざわざ確かめるの?」
「……」
「人の気持ちを確かめる前に、自分の気持ちを明白にしな」
ソムヌスは何も言うことができない。そんなソムヌスを見ていつもはにこやかなアエラスが、表情をなくした。
無機質な金の瞳がソムヌスを見据える。
「ねえ、ソムヌス。次に私に何か連絡をするときは、君の気持ちをはっきり自覚してからにしてね」
それは拒絶。アエラスは、ソムヌスにしばらくは連絡をしてくるな、と言っている。
兄は。たとえ挑発のためだとしても、探るためだとしてもエリー以外の人間に恋心を抱いたのかを尋ねるようなことを口にしたソムヌスに、少しだけ怒っていたのかもしれない。
自身の理解者であると思っていたソムヌスからの言葉を、許せなかったのだろう。兄の怒りに背筋が凍りそうになる。
そんなソムヌスを見て、アエラスは息を吐いた。軽く目を伏せる先には、何もない。
「喪ってからでは、どうにもできないのだから」
愛する人に振られただけではなく、別の男と結婚するところを見ることしかできなかった男の声が響く。
アエラスの言葉はあまりにも切実で。苦しみに満ちていた。
「兄さ……」
「じゃあね、ソムヌス」
ソムヌスの呼びかけを遮るようにして、アエラスがにこりと笑う。その笑みは作り物めいていた。それに言葉を失う。その間にアエラスは部屋から出て行った。
それを見送ってから、ソムヌスは自身の顔を覆った。
完全に間違えた。焦りは、思考を狂わせる。アエラスは。アエラス・クレアティオは挑発した程度で見透かすことができる人間ではない。
なんでこんなに自分は焦っていたのか。その答えは、どこにもない。どこにもない。何やら訴えかけてくる自分の心の何かからは目を逸らす。
ソムヌスは「なかったことにする」のが得意だ。そんな彼は何も見つけることはできなかった。
――兄に連絡できるようになるには、時間がかかりそうだ。




