23、秘密の共有
軽やかな返事をしたアエラスがくるりと全員を見渡した。
「これ、私達もぎりぎり言える秘密を暴露する方がいいよね? 共犯者なんだから。ソムヌス、どうする?」
グロリアの意見を尊重してくれたのか、グロリアだけに言わせるのは気が引けたのか。アエラスの言葉により、秘密を暴露しなければならない空気になった。
「じゃあ、俺が言おうか」
そして最初に暴露すると宣言したのはソムヌスであった。少し意外に思う。ソムヌスについてグロリアが知っていることは少ない。彼は人を気遣う言葉ばかりで、自分の話はあまりしない。
「私が言ってもいいけど」
「兄さんは爆弾ばかりだろうから、最後に言ってくれ。俺のを聞いて、言っていい限度を見極めてくれ」
「君が言うならそうしよう」
ソムヌスがしばし考えた後、ゆっくりと話を始めた。
「昔、好きだった人がいたようだ。それでも、俺は何も覚えていない。自分の記憶を消したから。覚えているのは、幸せだった日々は俺のせいで消えた。それだけだ」
ソムヌスの金の瞳は、何も映していない。ぼんやりと虚空を見つめた彼は、少しして苦笑した。
「これ以上、何を言えばいいか分からない。フラマにたくさん話してもらったのに、対価となっていないよな。それじゃあ、何か質問は?」
グロリアは、記憶を消したこと、その記憶に恋が関係していることは気がついていた。それでも、「幸せだった日々が俺のせいで消えた」という言葉。それが重くのしかかる。
グロリアが押しつぶされそうな感覚で言葉を失っていると、フラマが口を開く。
「ソムヌスはその好きな人、って誰か覚えているのか?」
「全く。それすら忘れたのだから」
そのソムヌスの表情は、清々しいものではなかった。満ち足りない、何かがあるような。そんな表情だった。
そんな答えを受けて、興味津々、といった様子のルースが質問をする。
「記憶って、何回消せるんですか?」
「1人につき1回だ。だから、俺が別の記憶を消したくなったら、今消えている記憶を思い出さなくてはならない」
「一度記憶を消したとして、思い出すこともできるんですか?」
「『消す』というのは、消滅ではない。思い出せなくしているだけだ。だから、消した後に思い出すこともできる」
「へえ! すごいですね!」
あまりに輝いた瞳をルースに向けられて、ソムヌスがたじろいでいる。普段は見ることのできないソムヌスだ。グロリアは思わず頬が緩むが、それに気がついたソムヌスはジトッとした目で見てくる。潜められた声で、グロリアの名を咎めるように呼んだ。
「グロリアさん」
「たまには、いいじゃないですか。ルースくん、かわいいですし」
ソムヌスに倣い、グロリアも小声で返した。ソムヌスの戸惑いを感じ取ったのであろうルースの不安そうな顔を見て、ソムヌスが軽く首を振る。
「ルースが嫌、というわけではない。ただ、君くらいの子どもと話すのに慣れていないだけだ」
「ソムヌスさんに嫌われていないならいいです」
彼の笑みは無邪気だけではなく、重苦しさもある。それが気のせいだといい、とグロリアは思った。10歳の子どもが大人から嫌われるのに怯えながら生きるのは、悲しいことのように感じるから。
そんな思いをグロリアが抱えているうちに、ルースが明るい声を出した。
「それじゃあ、僕も秘密、いいますね」
そう言ったルースを見ながら考える。10歳の子どもにも秘密を言わせるのはどうなのだろうか。
「えっと、ルースくんは別に言わなくても……」
「ルース、君は言わなくていいんじゃないか」
グロリアとソムヌスの言葉が重なる。アエラスも上品な仕草で頷いた。
「グロリアさんとソムヌスの言うとおり。君が好きにしていいよ。言いたくないという気持ちが少しでもあるのなら、言う必要はない。ねえ、フラマくん。いいでしょう?」
「むしろ、俺も10歳の子に言わせるのは良心が咎めるのですが……」
この場にいる人間の、気遣うような目を一身に受けながらも、彼は笑った。
「僕だけ何も言わずに帰るのは、僕が嫌です」
そう断言した緑の瞳には、誠実な彼を象徴するように、真っ直ぐな輝きを放っていた。
アエラスが困ったように笑い、ルースの頭に手をおき、ゆっくり撫でた。
「ルース。もちろん君が何を言っても構わない。それでも、気をつけて。ソムヌスやグロリアさんが知ったら困るようなことは言わないように」
「大丈夫です。気をつけます」
「私への悪口でもいいよ」
「それはないので大丈夫です」
アエラスの軽口に今度はルースが困ったように笑う。
フラマが顔を引つらせながら呟いた。
「ルースくんの秘密って洒落にならないレベルだったりしないですよね?」
「ルースが選ぶから大丈夫だよ」
アエラスは言外に、選ばなければ「洒落にならないレベル」の秘密もあると言っているようなものだ。クレアティオの人間なら、それが普通なのだろうか。まだ10歳の子どもが人に言えないような秘密を持つというのを心配していると、ルースがぽつりと呟く。
「あんまりちょうどいいのがないんですよね。知った方が困るものか、秘密にもならないものばかり」
グロリアは何も聞かなかったことにした。クレアティオの秘密を知れば、国からの監視を受けて生活する羽目になるんじゃないか、と本気で思う。
少し時間が経ってから、ルースがアエラスの方を見つめる。
「お父様。特殊魔法の話か、お父様と初めて会ったときの話か、どちらがいいと思いますか?」
「うーん、確かにそのへんが無難、かは分からないけれどぎりぎりなラインだね」
アエラスの金の瞳と、ルースの緑の瞳が交差した。数秒間の沈黙のあと、アエラスが口を開いた。
「私と会ったとき、の方かな」
「分かりました」
頷いたルースは、淡々と話を始めた。
「僕はいろいろあって、家を捨てました」
いきなり話が重い。しかし、その重苦しさを感じないほど、ルースの口調は単調だ。
「スペス国の路地で暮らしてから、1週間くらいした頃です。急に歩いてきたお父様に声をかけられました」
ルースは視線を向けた。その頬は少し赤みを帯びており、心底幸せそうな、満面の笑みを浮かべる。
「お父様――アエラス様から手を、差し伸べられて。神や救世主のように見えました。悪人でも怪物でも構わないと思いながら手を取りました」
「え、そんな風に思ってたの?」
思わず、といった様子でアエラスが声を上げた。ルースは、我に返ったようにアエラスを見つめる。まじまじとアエラスを見つめた後、ルースは苦笑した。
「だって、こんなに美しい人に拾われるだなんて幸運を期待するほど、世の中は甘くないですよ」
世の中は甘くない、と10歳の子が口にするほどの人生。想像もできない。自分が10歳のとき、こんなに達観していただろうか。絶対していなかった。自分が10のとき、難しいことは考えていなかった気がする。
それこそ、いつか自分に王子様が迎えに来てくれる、というように、夢を見ていた。
その結果が婚約者に捨てられる、というのは虚しい。グロリアは自分のことを思い出して憂鬱になり、床を見つめた。
ソムヌスが、不思議そうにアエラスへ尋ねる。
「兄さんはなんで道を歩いていたんだ? 必要ないだろう?」
それはそうだ。公爵とあろう人が、なぜ路地を歩いていたのか。グロリアがアエラスの方を見ると、彼は悲哀に満ちた目をしていた。
「ちょっと風に当たりたかったんだよ。……エリーが国から去った日だったから」
エリーが国から去った日、には覚えがあった。グロリアがソムヌスの店で働き始めたあと、アエラスが訪ねてきたことがあった。その時は、「エリーが国から去った日」の前日だ。
つまり、アエラスとルースが出会ったのは、グロリアがアエラスと会った日の次の日。もう大分前のようにも感じる。
「すみません。フラマさん。僕もあまり言えることがないんですが、いいですか?」
「ああ。勿論。むしろ、ごめんね。辛いことを思い出させて」
「辛い、ですか? いえ。僕は、お父様と会えたことが、人生で1番の幸福だと思っていますよ」
全面的な愛。それをルースは惜しむことなくアエラスへと向ける。
その言葉に、アエラスは嬉しそうでありながらも、困ったような顔をしていたのが印象的だった。




