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一角獣の見習い騎士  作者: 日向真幸来
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聖クラース教会大聖堂

「こいつはヒューホっていって、ここで代々カリヨン弾きをやってるオヤジさんの三男坊。オレとは同い年で生まれた時からの幼馴染みってヤツさ」


「よろしく」


 と、陽気な笑顔でヒューホは、気安くアンリに向けて右手を差し出してくる。


「よ、よろしくおねがいします」


 ぎこちなく握手しながら、アンリはその大柄な少年と挨拶した。自分の影の中に一角獣を引き連れているという密告屋を避けたい理由があるので、アンリはどうにもその国家監視委員の幼馴染みという少年の目を真っ直ぐに見られない。


「あの、あなたも国民監視委員なんですか?」


 などと、突拍子もない質問までしてしまう始末だ。


「ああーっ、だったらいいんだけどなぁ。仕事をクビになった今じゃ、占領政府の犬っころな監視委員にでもなんにでもなりたいくらいさっ!」


 そう、大仰に頭の毛をかき乱しながら、紹介されたばかりのヒューホという少年は言った。


「こいつ、つい今朝方、アウステンダム共和国革命交響楽団の雑用係をクビになってきたところさ」


 まるで自分のことを話すがごとく、ドミニクが幼馴染のことを語る。


「だって、ひでぇんだ。あのシテ・ドゥアンから来た新しい指揮者! とにかく指示が細かいんだよ。やれ、譜面台の高さが合っていないだの。そら、団員たちの椅子の並べ方が間違っているだの」


 まったく、これだから中央のお偉いさんは嫌なんだ──と、ヒューホは暗澹たる表情で嘆いた。


「椅子の並べ方ひとつにしても、ものすごく口煩くて……。オレは交響楽団のことがまるっきり分かってないって怒られっぱなしでよ。結局、今朝の練習でホルンとトランペットの楽譜を間違えて渡したからって、『無能者』って怒られて、その場でクビになったんだよ……」


 そう、ヒューホが己の身の上に降りかかった事情を溜め息交じりに漏らす。


「別にヒューホはカリヨン弾けるんだから、親父さんの手伝いをして、ここのカリヨン鳴らしていればいいじゃないか。兄ちゃんたち二人は兵隊に行って、今、いないんだろ?」


 親父さんも患っている病気をこらえてカリヨン弾いているんだから、なんなら代替わりしても──そう、ドミニクが口を挟んだ。


「でもよぅ……。交響楽団の雑用係をクビにならなきゃ、今度、楽団の仕事で新型戦艦のお披露目で演奏して、そのまま処女航海に同行して、シテ・ドゥアンにも行けたんだぜ」


 行きたかったなぁ、シテ・ドゥアン──そう言いながらヒューホは顔を上げ、遠い視線を青空へと向けた。


「交響楽団の雑用係でもいいから、新型戦艦に乗り込める仕事を続けたかったんだけどさぁ……。ほんとによぉ、ここんとこ真夜中まで練習ばっかりで、ラッパ吹きの連中は練習で唇が腫れ上がって、ニシンの酢漬けや白身魚のマスタード焼きとか喰えねーくらいだったんだぜ」


 なにしろニシンの酢漬けを食べなければ、アウステンダムっ子の春は始まらないと言われているくらいなのである。それが食せないほど、唇が腫れ上がる猛特訓だったと聞かされて、ドミニクは気の毒そうな顔をしていた。


「あ、そーそー。それで、どんな用があってここへ来たんだい? 配給食堂の眼鏡くん」


 やっと思い返したかのごとく、ドミニクが訪ねてきた客に声を掛ける。


「えーと。あの、この聖クラース教会を描いた絵はがきがあれば、一枚分けていただきたいと……」


「絵はがき? なんに使うんだ、そんなもの?」


「いえその、実家に近況を報せるはがきを出したくて……」


 だから絵はがきが欲しいんです──と、アンリはもごもごと口篭りながら言った。


「そんなものなら、教会の売店に埃かぶったのがいくらでもあるさぁ」


 ヒューホが腰を上げ、「こっちだ」と先に立って歩き出す。荒れ果てた花壇しかない裏庭側から、三人は大聖堂内に入った。

 中は無人だった。

 生まれて初めて教会の建物に入った──感慨深く、アンリは大聖堂の中をぐるりと見渡す。

 正面に造られた薔薇窓や、聖書の物語を絵解きにしたステンドグラスが、薄暗い聖堂内に浮かび上がるようにして光を投げかけている。

 ドーム状の天井には、おびただしい数の帆船の模型が吊るされていた。壁にも一面に、新旧さまざまな船を描いた、額入りの絵が飾り付けてある。

 まるでおのぼりさん感覚で、あちこちヒューホに説明されるままに教会の中をキョロキョロ見回していたが。教会の聖堂をこうして歩いていると、色鮮やかなステンドグラスを通り抜けてくる明るい光の中、見とれるような美しいガラス絵の光景がアンリを取り囲んだ。

 装飾の彫刻もこれまたすごい。本当は生花だったのではないかと錯覚するような、本物そっくりの繊細な大理石作りの花束の飾りが、色ガラスの明かりを受けて美しい色に染まっている。

 教会のアーチ状の天井からは、ロウソクを灯す形の巨大なシャンデリアが等間隔で並んでいて、その贅を凝らした作りには息を呑む。


「ほれ、あそこに以前は玉座があったんだ。ローランドの国王が即位する時、座った玉座が」


 ヒューホとドミニクがほとんど同時に声を上げた。正面の壇の中央から少し右手へずれた所にある、不自然にもなにも飾られていない石壁を指さした。


「あれは素晴らしい玉座だったよ。鶏の卵ほどもある宝石が四つも飾られて、側面にはローランドの独立戦争の様子が薄い金の板に彫刻されて。色とりどりの宝石が飾られていてな。そりゃもう、本当に一見の価値がある物だったぜ」


 アンリは流血革命の後、革命政府が教会の活動を制限した後に生まれた子供だから、洗礼も受けていないし、日曜礼拝にも一度も行ったことはない。

 なのに不思議なことに、ひどく昔から「ここ」を知っているような気がする。自然と厳かな気持ちになった。

なんだろう、この大聖堂の中に感じる、この感じは……。

 静けさに満ちた、石造りの巨大な空間の中で神がまどろんでいる気がする。

 そのまどろむ気配のようなものが、耳には聞こえない音楽となって上方からアンリの身に降り注いでくる。

 それは耳を通さず直接、魂に注いでくる音楽──。

 なんといったっけ、昔、祖父から教わったことがある、耳に聞こえない天球の音楽のことを。

そうだ、「天籟・てんらい」。それは宇宙そのものを響かせる音楽で──今まさに、それは大聖堂の中に満ちあふれ、この空間を静まりかえらせている。

 しばらくの間、アンリは大聖堂の祭壇前に、無言のまま、たたずんでいた。


「すげーだろ? 聖クラースは船乗りの守護聖人として有名だから、こんなふうにいろんな船の模型や絵が奉納されたんだ」


 薔薇窓の色とりどりのステンドグラスが優しい光を投げかけてくる石造りのドームの中に、ドミニクの声が無闇やたらと反響する。


「眼鏡くん、学生だろ? だったらここでお祈りしていけばご利益あるかもしれねーぜ?」


「えっ? どういうことです?」


「聖クラース様はお心の広い守護聖人さぁ。学生だって護ってくださるんだ」


 ヒューホが説明してくれたところによると、聖クラースの守護対象は船乗りの他にも、学生や幼い子供や未婚の女性、弁護士、質屋、仕立て屋、肉屋、パン職人などなど多岐に亘っている。ほとんど万能の守護聖人だ。

 そんな話しをして、簡素なベンチが何列も並ぶ聖堂内を「ここが洗礼用の水盤」「ここが懺悔したい人のための小部屋」などとあちらこちら案内し説明しながら、ヒューホは隅の売店らしき一角にアンリを連れ込んだ。


「これこれ、聖クラース様のお守りだ。錨の付いたロザリオと、ターコイズ石の首飾りに、エンブレム入り財布と、いろいろあるけどどれにする?」


 水色のターコイズ石は、聖クラースの加護のある石なのだとヒューホが説明する。

「い、いえ。僕が欲しいのは絵はがきで……」


「染みったれたコト言いなさんな。世界がどれだけ広くても、ここでしか売ってないものだらけなんだぜ。ほらほら、いろいろあるから良く見て品定めしな」


 と、商人のように威勢よくヒューホは言って、アンリの目の前にいろいろな土産物を並べる。

 少し埃をかぶってはいるが、磨きなおせば、確かにターコイズ石の飾られた首飾りなんて、母や姉たちが喜んでくれそうな気がする一品だ。エンブレム付きの財布も、父が小銭入れに使うと便利そうな感じがする。

 アンリがまごまごしながら土産の品をみていると、次にはアウステンダム名所が描かれた、石板印刷に水彩絵の具で色付けされている絵はがきを並べてきた。


「これが残っている絵はがきだ、新市街地の名所を描いたものもあるぜ。今なら五枚で三百サンチームにしておいてやるよ」


 どんどんと商人のようになっていく口調でヒューホは笑った。


「じゃあ、絵はがきはこれ、全部と。小銭入れを一つと、首飾りを四本ください」


「なんとま、そんなに沢山買ってくれるとは、まいどありぃ~」


 カリヨン弾きの息子は驚いたふうな顔をしていた。きっと、この教会が閉鎖され、一般人が気安く来られない状況になってから、アンリみたいにお土産物を買っていく客もいなかったのだろう。


「それとあの、実は病気で療養している者が家族にいるので、なにか病気がよくなるようなお守りがあったら欲しいんですが」


 ほとんど自宅で寝たきりの兄のためにも、なにかこの街の物を送りたいと、ふと思いついたアンリは言葉を続けた。


「そうかいそうかい。この、聖クラースさまと聖ルシアさま、良き魔女イーディスさまのお守りがすべて付いたペンダント。これなんかどうだい、他の教会では絶対に手に入らない物だよ」


 そう言いながらヒューホは、聖人たちの名前を刻んだコインとガラスビースや色石の飾りが組み合わされた、首から下げる形のお守りを出してくれる。


「えーと、それじゃあ。全部で八ルラン五百サンチームだね」


 アンリが財布からつり銭がいらないよう代金を出すと、カリヨン弾きは金額を確かめる。するとどうだろう、それらをすべて寄付金入れの木箱の中へと落とし込んだ。

てっきり自分のポケットへ全額ネコババするであろうと思っていただけに、アンリはこのカリヨン弾きの息子の信仰心の強さに驚かされた。

 ちょうどカリヨンの鳴らされる時刻となったのだろう。次々と鳴らされる鐘の音は短いメロディになり、アウステンダムの旧市街に午後三時を告げている。

 耳を澄ませば、新市街にあるカリヨン塔も呼応するように鳴っている。

 交易で栄えたアウステンダムの街には、新旧の市街地に計五つのカリヨン堂が建てられている。それらが一斉に同じ刻限の鐘の音を鳴らし始めた空の響きは、とても賑やかしくて。世界のすべてか楽器となって鳴り響いているような──そんな思いにアンリは捕らわれる。

 カラン、カン……と。音階を正しく刻むカリヨンの音を身体全身で感じ取りながら、自然とアンリの足は聖壇の前へと戻っていった。

 午後のやわらかな日差しがちょうど、色とりどりのステンドグラスで出来た聖クラースの姿を映し出している。

 いつの間にかアンリは教会の床に膝を付いていた。

 そして田舎者のアンリにお守りやら絵はがきやら売りつけて、仕事が終わったと出て行ったヒューホとドミニクが、聖堂内にいないことを確認すると、自分の影の中に「青」と声を掛ける。


「呼んだかな?」


「うん。その……、悪いんだけれど。この教会で神様に祈りをささげる作法を教えて」

「場所はここでよい。ここは新教の教会だから十字架に救世主や聖母の姿は彫り込まれてはおらん。その代わり、両側のステンドグラスに守護聖人の聖クラースさまと聖女ルシアさまの姿が描かれている」


 そして天井からは、航海の安全を祈り奉納された何十という帆船の模型が吊るされており、聖堂内に差し込んでくる午後三時の光に彩られていた。


「次は両手の指を胸の前で組む。そして膝まづき、頭を下げて、天の父なる神や聖人聖女に祈りをささげるのだ」


 宇宙全体に響くという音「天籟」に思いを馳せながら、「青」に教えられ、初めてアンリは教会で頭を垂れた。

 今はただ、こんなに厳かな鐘の音を響かせるこのアウステンダムの街が、明日も明後日もその後も──ずっと美しい姿のまま、この地にありますようにと。そんな祈りを込めて。

 まるで遠い昔話の中に迷い込んだ気分だ。

 祭壇の前に膝を付き、アンリは自分でも知らぬうちに宮廷騎士としての三つの誓いのひとつ、神への信仰である「十字架への誓い」を捧げていたのだった。


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