一角獣は王家の守護精霊
「あ、いやその……。ほらさっきの、街頭宣伝師の告知は聞いた?」
「ええ、お店の中にいても聞こえたわ」
「どうするの? やっぱり、僕たちも行かなければなければならないの?」
「公開裁判なんて、あんなもの悪趣味極まりないけれど。でも傍聴しなければ、また巡回公安が、欠席した理由を尋ねに押しかけてくるから」
裁判後の配給券の配布時に、傍聴者はチェックされ住民台帳と照合される。だから各戸一名ずつは必ず出席しなければならないのだと、クリスティーネは深刻な表情で言う。
そして、不意になにか思い出したかのように水飲み場の柱を振り仰いだ。
「ああ、そうだわ。いきなり話しは変わるけれど、この一角獣の印をよく憶えておいて」
「一角獣?」
見れば、公衆水道とはにわかに信じられないほど立派な大理石造りの水飲み場には、正面に一角獣の横顔の浮き彫りが刻まれている。
「この一角獣の印が付いている水飲み場の水は、上水道水だから衛生的なの。そのまま飲んでもお腹をこわすことはないから、安心よ。
一角獣の角は毒消しだといわれているけど、それにちなんで安全な水が提供されている場所にはこの印があるの」
川の下流に行けばいくほど、水質というのは悪くなる。アウステン川の河口に位置し、ライデン湾に臨むアウステンダムの街も例外ではなく、井戸水など泥と塩混じりで飲めたものではない。
豊富な真水が湧き出す「聖クラースの丘」を持つ旧市街ならともかく、無料で手に入る飲用水は新市街地ではとても貴重だ。
そういう情報を教えてもらうと、この少女はただ単純に意地悪なわけではないのだと、アンリは少し心を動かされた。
ひょっとすると、買出しを兼ねて自分を新市街へ連れ出してくれたのも、アウステンダム市内の地理を教えるためなのかもしれない──などと思う。
「ありがとう。僕が早くこの街に馴染めるようにって、いろいろ気遣ってくれて」
そう素直にお礼を言ったら、またあの冷ややかな眼差しで睨みつけられた。
「言っておきますけれど、親切にするのは人道上の礼儀であって、あなたに好意を持っているとか、そういう意味ではないのよ。その点に関しては勘違いしないでね」
そう美しい少女相手に、ぴしゃりと言って退けられてしまう。
そこまで言わなくてもいいじゃないかといじけるアンリは、大理石に彫り込まれた一角獣の姿を、撫でるように指先でなぞった。
「そういえば。昨日、僕が到着した中央駅のコンコース広場にも、ガラスの一角獣の大噴水があったんだけど」
「元々、一角獣はロザムンド王家の守護精霊よ。だから国の管理する施設に、紋章代わりに飾られていたの。
占領軍の支配下になってから、王家の紋章は街中から削り取られてしまったけれど、この一角獣の印はあちこちに残っているのよね」
そう、クリスティーネがどこか遠い所を見る眼差しで、石の一角獣の鼻面を撫でる。その優雅な指先に、なぜだかアンリはどきりとさせられた。
言葉遣いや立ち居振る舞いに、この少女と自分とは育ちが違うと感じる瞬間があるのは確かだ。
でも、それはきっとクリスティーネが「世界で一番裕福な自由都市」と称えられたアウステンダムの生まれ育ちだからだと、アンリはおのれに言い聞かせる。
朝早くから荷車を牽き、何軒もの店を足が棒になるほど回って食料品を買い出しして、魚市場のゴミ箱を漁るような女の子が、高貴な家柄のお育ちであるはずがない。
(……そうだよ。だいたいクリスティーネが本物の貴族のお姫様なら、とっくに亡命しているはずだし)
革命の英雄であるゴドフロアは、民衆から搾り取った税金の上でダンスを踊っているような、腐敗しきった貴族社会を敵視していた。
そのため三十年前の流血革命の際、貴族の家に生まれたというだけで断頭台に送り込まれ命を落とした者は、ルブランス各地で二十万人にも及んだという。
からくも追跡の手を逃れた者たちも、諸外国へと次々に亡命した。それは三年前に占領されたローランド王国の場合も同じであったのだろうと、アンリは想像する。
一角獣の輪郭を指でなぞるクリスティーネの横顔は、カメオに彫刻して保存しておきたいくらい、きれいだ。
でもなぜだか一角獣の彫刻を通して、「なにか」に物思いしているようにも見える。
きっと──ルブランス軍が侵攻してくる前の、平和でいて、穏やかだった暮らしを思い出しているのだろう。
「……ねぇ、魚が腐らないうちに帰るんじゃなかったの?」
どうすれば、この場からクリスティーネを引き離せるかと考えたアンリは、脳内の書棚から無難にその一言を選び出した。




