街頭宣伝師のお仕事
「ちょっと、あれを見てよ。嫌なやつが来たわ」
「街頭宣伝師だね、アウステンダムっ子の面汚しめ」
との押し殺した囁きが、デッキブラシを手にする者の間から漏れる。
見れば、大人たちの視線の先を、赤と黒の腕章を付けたドミニクが横切ってゆくところだ。
ドミニクは一段高いセリ場の段上に立ち、咳払いひとつすると手にしていた巻紙を広げ、その内容を大衆に向け朗々と語りだした。
「市場の労働者のみなさまぁ、ならびに、ご通行中のみなさまぁ。占領軍政府より、重要なお報せでーす」
ドミニクの話し語りには、妙な抑揚が付けられている。
街頭街頭宣伝師とは、まだ新聞などのマスコミニケーションが発展していなかった中世において、その日の重要ニュースを街頭で読み上げ、市民に周知させる役割を持つ広報官であった。
アウステンダムの街ではその伝統は今も生きており、占領軍政府が発する法令告知のため、ドミニクは街頭を回っている。
「本日、午後三時より市庁舎前広場におきましてぇ、公開裁判が行われまーす。みなさぁーん、裁判を傍聴しーましょう。
なーお。本日の公開裁判の後、来週分配給の食肉、牛乳、卵に関して配給券が配られまぁす。各自、配給手帳を持参のうえ、市庁舎前広場にお集まりくださぁーい!」
告知終了の後、道化師のように大仰な身振りで街頭宣伝師は一礼する。
ふたたび頭を上げた瞬間、その眼差しが、おのれの視線とかち合ったような気がアンリにはした。
なるべく目を合わせないようにと荷物へと顔を向けたが、なにしろ回りはみな中年のご婦人ばかりなので、アンリの姿は目立つ。
ドミニクのほうが気がついてしまったらしく、真っ直ぐにアンリの元へ、手を振りながらやってくる。
「いよーっ、眼鏡くんじゃないかあ。早速、あのツンケンした看板娘にこき使われてるな」
他人の落ち度をアラ探しするあのすばしこい目つきのまま、ハンチング帽の少年はにまにまとした、いやらしい笑顔を振りまく。
「なにしろ、見るからに性格キツそうだもんな。まぁ、貴族の娘なら、あれくらい気位高くて当然なんだろうけれどさ」
「……貴族の娘って、クリスティーネが?」
どういうことだろう──と、あまりのことにアンリは頭の中が真っ白になってしまう。
慌てふためくこともできず、ただ問い返すので精一杯だ。
「あっ、そっかー。おまえ、余所者だから、この国の名付けの風習を知らないんだ」
おそらくこの街頭宣伝師は、わざとそうして他人の反応を見ているのだろうけれど。すっとぼけたふうにドミニクは、ますますアンリの心を惑わせることばかり口にする。
「ローランドじゃ、『クリスティーネ』っていうのは、貴族の家の長女に付けられる名前なんだよ。なんでもこの国の、最初の女王様にちなんでるんだと」
ちなみに一般庶民の家の長女は、ほぼ間違いなく、国の守護聖女の名前『ルシア』が付けられるという。長男の場合は、貴族も庶民も圧倒的に聖人の名前『クラース』が多い。
「ま、たまに貴族趣味の金持ち商人なんかが、娘に『クリスティーネ』って名付けてヒンシュク買うこともあったみたいだけどな」
けけけ……とドミニクは声上げて笑った。それがまた、不吉な鳥とされるカササギの鳴き声みたいな笑い方だから、アンリのような小心者はますます不安になる。
「んじゃ、俺は次の告知場所に行かなきゃなんないから。じゃあなー」
そう言い残し、ドミニクは疾風のごとく去った。
しばらくして、街頭宣伝師の少年と行き違いになるタイミングを見計らっていたように、クリスティーネが荷車へ戻ってくる。
「お待たせ。そこの角のお店で、運搬用のブリキ箱を借りることができたわ」
凄腕の交渉係は、また随分と上等な道具を借り出してきた。しかも、保冷用の氷まで箱の中には入っている。
たぶんまだ機嫌が直っていないのだろう。クリスティーネは黙々と、ゴミ箱の中の雑魚を選別し始めた。男でも触りたくないような、粘液と血でぬらぬらした魚やタコを、素手でつかんではブリキ箱に次々と投げ込む。
(どう考えたって、これは、ドレスをまとって召使たちにかしずかれるお姫様のする行動ではないと思えるんだけれどな……)
アンリも意を決すると、腕まくりして、それこそ釣りの撒き餌にしかならないような小さなカタクチイワシを拾い集める。
腐りかけ悪臭を放つ魚のはらわたの中に素手を突っ込むなんて、正直、鳥肌が立つほど嫌な作業だ。
思わず胃液がこみあげてきそうになった時、アンリのその涙目が、クリスティーネの毅然とした青灰色の瞳とかちあう。
眼差しを少しも揺らがせることなく、少女は言った。
「こんな仕事をさせるなんて、わたしの事、嫌な奴だと思っているんでしょう?」
「えっ、いや……。そんなことは、ないよ……」
自分ひとりがやらされているならともかく、クリスティーネも両手を汚して働いているのだから──と、アンリはもごもごと弁解する。
「別にいいのよ、嫌いなら嫌いなままで。自分と合わない相手を嫌いになる権利は、誰にでもあるもの。わたしがルブランスの軍人を全般的に嫌悪するようにね」
まるで孤高を背負う荒野の薔薇のごとく、クリスティーネは平然と言い捨てた。
「わたしは、すべての人間は平等であり、だからこそおしみなく博愛であれと教えられて育ったの。だから最初は、どうしてルブランスの人間が、他国の国民の生活を踏みにじるのかが分からなかったわ」
その発言は、彼女が女子にも高度な教育を受けさせる財力がある、裕福な家で育った子供だと推測できるものだった。
少なくとも、日々の生活のため魚市場のゴミ箱を漁るだなんて野良猫の真似をしなくてもいい、そういう家で育ったのだ、クリスティーネは。
「でも、気がついたの。嫌いな相手を、無理やり善意的に理解する必要なんて、ないんだって。嫌いな相手は、嫌いでいていいのよ」
一節ずつ一文字ずつに毒針を含ませたようなセリフを聞かされ、アンリは言葉を失った。
こんな凄まじい毒を吐くクリスティーネの心境を、口を閉ざしたまま考えてみる。
自分と同い年だと言っていたから、この少女はほんの十二歳の時に家も財産もそれまでの幸せな暮らしをなにもかも、侵攻してきたルブランスの軍隊に略奪され、身ひとつで街頭に放り出されたのだろう。
アンリは、クリスティーネが心の底に抱え込んでいる凝り固まった憎悪の一部を、手のひらですくい出して、太陽の下で見せ付けられた気がした。
やがて、ブリキ箱がいっぱいになり──荷車を牽くロバや番犬、野良猫がたむろする公衆水道の水飲み場で、二人は並んで汚れた手を洗った。
魚の血やぬるぬるした粘液はなんとか洗い流せたが、両腕に染み付いた生臭さは、香油入りの石鹸でもなければ落ちないだろう。
でも今のアンリには、その不快な生臭さもあまり気にならない。別の想いが心の大半を占領してしまっている。頭の中では
「『クリスティーネ』っていうのは貴族の長女の名前」
と言っていた、街頭宣伝師のセリフが延々と響いている。
おのれの隣に立つ少女が、中流階級以上の育ちだと気がついた時、『クリスティーネは貴族の家柄の出身なの?』と尋ねてみたくなったが、怖くて、アンリにはできなかった。
もしも『そうだ』と答えられたら──革命政府の統治下において、貴族は貴族というだけで罪人扱いされる。いきなり処刑されても、なにひとつ文句は言えないのだ。
クリスティーネが断頭台に送られるのは嫌だ。それだけは本当の気持ちだと、アンリは木綿のハンカチーフを強く握り締めた。
「なにかわたしの顔に付いているの?」
ずっとアンリが視線を逸らさないのが気になったのか、いぶかしげにクリスティーネが訊いてくる。慌てて、別段そう話したくもない公開裁判のことを、アンリは口にした。




