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第1章第19節

 双畑すごばたは目を覚ました。


 ベッドの背中部分が盛り上がり眠り続けることが出来なかったからだ。転げ落ちた彼は寝ぼけた目を擦る。

 敷布団の下で空気袋が膨張し、平らだったはずの寝床が盛り上がっている。

 第二国鉄の取材番組でこんなベッドが取り上げられていたな。双畑はぼんやりと寝る前のことを思い出す。


 〈テンペスト〉の後尾翼でルリと会話した後急速に眠気を感じた双畑は、再び清掃自立機械(ドローン)に誘導されてこの寝室にたどり着いた。

 長い一日のせいでズタボロになった学ランを着たままベッドに倒れ込んだのだった。


 意識が徐々に覚醒していく。

 部屋を見渡した。ベッドが置かれているのとは反対側の壁に、海を挟んで聳える富士山の絵が映し出されていることに気がつく。


 銭湯壁画そのものといった意匠に奇妙な懐かしさを覚えた。

 故郷を思い出させる絵を見たことで、かえって異世界に来たという実感が湧いてくるようだった。


 扉脇の壁に姿見があることに気が付き、双畑は反射する自分自身を確認した。


「ひっでーなこりゃ……」

 砂埃と皮脂が融合し、生まれ持った癖っ毛が史上最高にねじれていた。学ランは所々が裂けていて、肌が覗いている。


「15分以内に身だしなみを整えるように。会議への参加が予定されている」

 無機質な電子音声が天井から響いた。


「はいはい。シャワーを浴びたいんだがどうすればいい? あと服も用意してくれると嬉しい」


「富士山に掌で触れて下さい。浴室の入り口が出てきます。10分後までに服は用意いたします。15分後丁度に案内を遣わせます。ようこそ〈テンペスト〉へ。双畑さん」

 電子音声が返事をした。口調が丁寧になっている。


「ありがとう」

 双畑はさらりと答えて富士山に触れる。

 壁がふたつに割れてスライドすると、案内どおりに浴室が現れた。


 電子音声の変化に彼は気が付かなかった。態度が変ったことには理由がある。


 双畑に自覚はないが、機械と自然に会話する文化で育つ人間は珍しい。

 人工知能を搭載した機械が普及している地球であってさえもそうだった。科学技術の発展した文明が少ないこの〈多元世界〉においてはなおさら希少といえる。


 しかし彼の故郷では機械との対話を想像した創作物が氾濫状態にある。機械音声が現実のものとなる何十年も前からだ。


 機械音声を操る人工知能は、自らを作り出した世界の住人と比すれば野蛮人としか言いようがない乗組員--いちいち驚かれたり畏まられたり端末を誤操作されたりするのは計算資源の無駄でしかない--の相手をすることにうんざりしていた。


 久々に得たまともな乗客が今後もまともな態度を取り続ける可能性を上げるために丁寧な対応をしたのだった。

 人工知能に対してこの表現が正しければ--喜んでいるのだった。


 もっとも、双畑はその配慮に全く気がついていない。

 こんな境遇にありながら、シャワーを浴びながらアニソンを口ずさんでいた。

 神経の図太さだけはまったく高校生ずれしている。



----



 早朝六時、北太平洋に出現した低気圧の影響で定刻から1時間遅れで不来方(こずかた)市の玄関口たる新華巻(はなまき)空港に着陸したBNG社--ボーイング・ノースロップ・グラマン社--製の400人級旅客機は動きを止めた。

 両翼にぶら下げた四基のジェットエンジンが初夏というには冷たい空気を吸い込む速度を落とす。

 その尾翼には青い籠球に似た社標が描かれており、この機体が太平洋を越えて遥か合衆国から飛んできたことを示している。


 二年前に実施された第三次東北管区航空整備事業によって更に拡張されたターミナルビルから搭乗橋が伸びる。

 真新しく大きいが、貧相さを感じさせるプレハブ式建物へと続々と乗客たちが流れ込んで来た。

 ほとんどがスーツを着ており、商用であることが分かった。


 30年前、〈超常現象〉の発生以前には想像すらできない光景だった。

 当時、そもそもこの県には空港がなかったからだ。


 〈超常現象〉対策として提唱された首都機能分散政策を追い風に成長を続けた結果、北東北の中核都市として、不来方(こずかた)市は人口200万を超える国内有数の都市となっていた。


 国際線ゲートを突発的に襲った人の雪崩--もっとも、この現象は一日に何度も繰り返される--が落ち着きを見せた頃、自走鞄を引き連れ、20代後半に見えるパンツスーツの女性が現れた。


 白い肌に、輝く短い金髪、碧い眼。典型的なアングロサクソン人種の特徴を持っているといっていいが、狐のように細い目だけが別のルーツを持っていることを主張していた。


 人ごみを避ける癖は相変わらずらしい。

 冷めたコーヒーを啜りながら糸目の金髪女を眺める佐竹は思った。それに、短髪を維持するためにどれだけの頻度で散髪に行っているのやら。

 二か月前に会った時と髪の長さが変わっていないことにも気づいている。


 人が疎らになったゲートすぐ外の喫茶店で、時間をつぶすために佐竹は本日三杯目の珈琲を飲んでいた。

 彼の見かけは日本人そのものだった。目立たないグレーのスーツを着ている。

 しかし、佐竹は〈無限帝国〉潜入調整官であった。勿論この世界の人間ではない。


 残り少ない珈琲を一気に飲み干すと、環境意識の高まりにより普及した紙製容器--十数年前まで森林保全のために紙資源消費を抑えようという声が高まっていた筈なのに何だこれは--を店の出入り口近くにあるごみ箱に投げ捨てた。


 彼女に小走りで駆け寄り語りかける。

「北米は落ち着いたようですね、DD」


「何とかね。蹴りをつける算段がついた」

 DDことディーイー・デューガーは近寄ってくる佐竹に気づき答えた。疲れた様子で腕時計を見る。


「いつもどおりタクシーで移動するんでしょ? 時間の余裕はあるけれど仮眠を取れるほどでもない。コーヒーを飲みたいな。君の報告はあの」

 彼女は先ほど佐竹がいた場所を指さした。

「喫茶店で聞く。客が多いから盗聴防止になるし」


 この先数年はコーヒーを遠慮したい気分だったが、佐竹は表情には出さなかった。

 何しろこの女はこの世界における〈無限帝国〉の人員で、もっとも高位の人間なのだ。


 もっとも、魔法が極端に制限されるが故に〈無限帝国〉から辺境に近い扱いを受けているこの世界においてであるから、本国においてはそれほど階級が高いというわけでもない。

 しかし、佐竹もこの世界に派遣された人間である。上司の機嫌を損ねる機会は少ない方がいい。そう考えている。

 三年前、遣地球部隊史上もっとも目立つ失点を上げたことを自覚しているからなおさらだった。




「命じた立場で言うのはなんだけど、うまくいくと思う?」

 五本目のシュガースティックの中身を珈琲に投じながらディーイーは目の前に座る男に尋ねた。


 三本目の封を切ったところで佐竹は信じられないものを見るような表情を浮かべたが、彼女は特に気にしていない。

 大量に投じた砂糖がこの酷い疲れを緩和してくれないものかと考えているが、単に彼女の習慣だった。


「報告のとおり国際衝突加速器《ILC》は既に掌握済みです、DD。あなたが機上の人だった内に作戦準備は完了しました」

 状況判断を聞いたディーイーに対し、佐竹は事実のみを答えた。



 まさに官僚的態度。何事も人への評価に繋げがちな癖を持つディーイーは思った。

 こいつ、カバーストーリーに適合しすぎじゃないのかしら。もっとできる奴だと思っていたのに。


 〈無限帝国〉では上司の前で主体的態度を採れない人間は出世を望めないのよ。積極的な意見具申が自分の職責に含まれていると理解していて欲しいけれど。


 まあ、言ったとおりに動いてくれる部下にわざわざ減点法を課する必要はない。それに、この男の過去を踏まえればこんな守備的な言動も頷けるというもの。

 

「作戦は最終局面に入りました。明日、ILCで行われる〈超常現象〉再現実験を利用する大型転移門生成を囮とし、汎人類保護連合体、五重帝国紛争朝廷庁調査室および第十一条戦力集団といった異世界勢力を誘引。一挙に殲滅します」


「あれこれ準備したけれど、連中すべてがまんまと引っ掛かってくれたというワケ? この世界の技術で転移門を作れたとしたら本当に大事だけれど、信じられる? 魔法がほとんど使えないこの世界では現実味に欠けると思わない?」


「餌が優秀ですからね。食いついてくれましたよ。撤退と殲滅を一挙に実現。流石ですDD」


「ま、ひとつくらいは成果がないと、帰れないしね」



 佐竹が言うとおりだった。〈無限帝国〉は地球から撤退しようとしている。地球中に〈超常現象〉を撒き散らした上で。

 彼女はこの一か月間、本国からの最優先指令に基づき、世界中に散った部下のほとんどをこの極東の島国に集結させる指示を出した。

 異世界勢力に分かるように、目立つように。


 併せて世界中に配置されている資産アセット--この世界の人間は、現地の諜報活動への協力者をそう呼ぶらしい--の休眠措置を進めてきた。


 ディーイーの監督下にある人員は千人ではきかず、それぞれが置かれた環境で特有の任務に就いているとあっては一ヶ月という時間は短すぎた。

 正体を暴かれて死んだものも一定数いる。

 杜撰な仕事になってしまったが、それが返って〈無限帝国〉の撤退に説得力を持たせるとディーイーには分かっている。


 この慌てぶりが魅力的に映ることは間違いない。ディーイーは思った。

 どの世界でも、一番犠牲を出す戦いは撤退戦と相場が決まっているもの。必ず手を出してくる。



「世界中から未確認物体が飛来しつつあることをこの国の警戒網が捉えました。試算どおりの数です。情報部もたまにはいい仕事をするようですね」

 佐竹は補足する。


 この男、結局最後まで自分の意見を言わなかったな。スティック八本分の砂糖が投入された珈琲を飲みながらDDは思った。

 しかし、報告は的確ではある。その有能さをもう少し積極的に活用してくれたら良いのだけれど。


 ま、わたしの前任者である〈瞬燃フラッシュオーバー〉が三年前に行方不明になった責任を押し付けられたのだから、保守的になるのも無理はない。

 〈瞬燃フラッシュオーバー〉のやつ、躁病患者のサイコ野郎だったけれど、かなり上層部から評価されていたから。



 圧倒的優勢下にあったはずなのに、最後の最後で気絶していたせいで三年前の顛末を見逃したとあってはね。

 まあ、この男の明るくない未来のことはどうでもいい。



「このあと私も現地で指揮を執ります。今のところ不確定要素はありません。後はお任せください」

 佐竹は言った。


「それはよかった」

 ディーイーはにっこりと笑って答えた。すべて指示どおりに事が運んでいるのであれば不満はなかったから。


 彼女は、この街でいくつか用事を済ませた後、すぐに別の世界に飛ぶ予定だった。

 喫茶店からは、長期に渡った土地収用問題を乗り越えて東に拡張された空港施設の向こうに航空自衛軍の華巻(はなまき)基地が見えた。

 戦闘機編隊が離陸する轟音が、微かに喫茶店にも届いている。

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