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西の空を赤と紫に、僅かな余韻を残して日が沈みきった。
土浦を発ちおよそ一刻の道のり。
道の先には荒川沖の宿場から漏れる光がちらちらと光って見える。
その光を見て、宗衛門が振り返り言う。
「掛馬様、もう日が暮れましたので、今宵はあの宿場に泊まり、明朝早くに出立するしか」
「なに! 宿に泊まるとな? 急ぎの旅では無かったのか?」
宗衛門の言葉を最後まで聞かずに、掛馬四郎がそうおどろいた風に訊ねた。
これに宗衛門も、
「しかし、このさき牛久の宿場までは二里はあります。牛久に辿り付く頃には宿屋も開いているかどうか」
と、不安げな口ぶりで語るのだが、四郎の驚きの元はそこではなかった。
「いや、そうではない。宗衛門、急ぎ江戸に向かうとの説明であったが、何時までに到着すれば良いのだ? 間に合うのであれば別に止めはしないが、どうだ?」
「時間は…ここから北千住まで…え~およそ十五里、ですから明日早朝早くに出立し、休まず道を急ぐと、江戸の店には夜の四つ…」
頭の中で色々と数をひねり出した宗衛門は、夜の四つ(およそ夜10時)という時間を出してそう声を濁らせた。
「十五里か。お主、休みなしで歩き通せるのか?」
「うっ、いや無理です。それ以前に金町関所を越せません」
宗衛門は、そう己の見通しの甘さを暴露すると黙り込んだ。
「なに、関所があるのか。何時の世も役人共は金稼ぎに忙しいとみえる。よいか宗衛門、ここは先に見える宿場で飯を用意し、今宵は行けるところまで進んだ方が良い。そうだな、明日の歩きを十里程に残したならばそこで休む事にしよう。それならば明日、日の出とともに出立すれば、なんとか着くこともできるだろう」
「掛馬様、それは…野宿をすると言う事で?」
「もちろんだ」
「この寒空に、野宿を…」
宗衛門は、信じられないといった口ぶりでそう呟くと、今度はなにやらブツブツと呟きながら頭を巡らし始める。時折口から零れる言葉に地名が混じるということは、各宿場の距離を頭に思い描いているのだろう。
程なくして、頭の中の計画を声に出した。
「牛久、若柴を抜け藤代まで進めば、明日はなんとか」
「よし、細かいところは任せる。先ずは腹ごしらえじゃ」
掛馬四郎はそう言うと、宗衛門の背をポンと叩いた。
そうして自らが先に立つと荒川沖の宿場へと脚を進めたのである。
二人は荒川沖の宿でたらふく腹に飯を詰め込むと再び街道を進んだ。
掛馬四郎は宿場で買った酒をタプタプと懐に揺らしながら、宗衛門を斜め後ろに従え、月明かりに柔らかく照らされた街道を歩んでゆく。
提灯は無い。もちろん闇を懸念した宗衛門が提灯を用意したのだが、四郎がそれを止めたのだ。
「中途半端な明りはかえって道を暗くする」
もちろんそれに宗衛門は異を唱えたのだが、宿場を大分に過ぎてから、四郎に提灯の火を吹き消されるに至って諦めざるを得なくなったのである。
「こんな暗くてどうしろってんですか! ほら危ない、蹴躓きそうになったじゃないですか」
四郎の後ろを歩く宗衛門がそう毒づいた。
しかし、それに構うことなく掛馬四郎は夜道を昼と変わらぬ歩で進んでゆく。
「ほんとにこんな暗い夜道を平然と。暗い夜道…、まさか追いはぎが待ち伏せているなんてことは」
あの山での経験が恐れとなって残っているのだろう。宗衛門の耳目は見えぬ闇に向き、時折風や獣が立てる物音にびくついては進む脚が止り、慌てて四郎を追って駆ける。
「掛馬様~、あそこに見える明り、おそらく百姓家か何かですよ。あそこで火を貰ってきましょうよ~」
宗衛門の情けない声が響いた。それに四郎は、
「追いはぎが本当に居るとするならば、提灯の明りを目指して集まってくるかもしれんのぅ~」
と、宗衛門をからかうならば、宗衛門は途端に四郎の傍に擦りよりギュッと漢の袖を握り締める程である。
「そう怖がらなくとも良い、物取りぐらいならこの儂が追い払ってくれよう。それより少し離れて歩け、歩き難いわ」
四郎はそう言うと、袖を離した宗衛門より早く、スタスタと先へと行ってしまうのだが、無用に周囲に眼を配る宗衛門も遅れては大変とその姿を追ってゆく。
「掛馬様、よくもこう暗い夜道を平然とお歩きになる」
後ろから掛けられる声に、四郎は振り向かずに歩きつづける。
掛馬四郎にとってはこの程度の夜道は何程のものでもない。月は半分だけ姿を現し、幾分西の空に傾いてはいるが、それでも道を照らしてくれているのだ。
『だが、宗衛門にとっては…』
四郎はそう考えると、東の空を指差して言う。
「宗衛門、青星が昇ってきたぞ」
「えっ?」
影となった四郎が指差す空、そこには畑の先、横に広がる森の上に、一際輝く星が一つ見えている。
「この季節、あの青星が夜道を案内してくれる。月が無い夜もあの星や、ほれ、あそこの三尺星を夜空に見れば、おおよその時間と方角が判る」
「三尺星? え、どれですか」
斜め後ろに影となってつき従う宗衛門が、どれどれと頭を動かすのを見て、四郎が夜空を指差し説明をする。
「あそこに横に星が三つ並んでいるだろう、あれが三尺星だ。南の夜空に昇り、やがて沈んでゆく。その回りの光る星を含めて鼓星とも言う」
「つづみ星? あっ、鼓ですね、あの三つの星が、鼓の括れか、なるほど」
そう言うと、宗衛門は鼓の形に見え出した星に指を向けると形をなぞってゆく。
それを横目に見てまたも四郎が指差して言う。
「ところであの三ツ星を上に伸ばした先、見えるか?」
「今度は何ですか?」
宗衛門は漢の指し示した先にある星々に今度は興味を持って訊ねた。
「うすボンヤリとした光があるだろう、あれが六連星だ」
「六連星? あ、あれはひょとしてすばる!」
「なんだ、お主も少しは知っているではないか」
「名前だけですが、実際に見たのはこれが始めてかも。掛馬様は星にもお詳しいのですね」
感心した風にそう訊ねる宗衛門。その宗衛門に四郎は夜空を見ながら語りつづける。
「判りやすい星だけだがな。柄杓星ならお主も知っていよう、方角を知るために、覚えていれば便利なものだ。星は、今も昔も変わらぬようだからのう」
人は闇を恐れる。
しかし、その闇の中に自らの興味を引く、何か得がたいものを見つけた途端にそれら恐怖を乗り越える存在でもある。
宗衛門の脚も、闇夜に光り輝く星に眼が向いた途端、それまで内に抱えていた暗い何かへの恐れが薄れたのだろう。順調に、前へと脚が進みだしたのである。
「お主の言った藤代宿近くに着いたなら、ねぐらを探したならこいつを一杯やろう」
四郎はそう言うと、懐に差すように入れていた竹筒を覗かしてタポンと水音を奏でさせた。
「ひょっとして酒ですか、これはありがたい」
「うむ、あまり量は無いが寝しなに飲むには十分だろう」
半身の月が西の空に隠れる頃、藤代宿の手前まで辿り付いた宗衛門と四郎は、目の前を流れる小貝川を前に立ち止まった。
「なんじゃ、橋が掛かっておらぬではないか」
「忘れてました…」
そう小さく宗衛門が呟いた。
藤代宿、正確には藤代宿と宮和田宿の二つが並んでいるのだが、その宮和田宿手前に一行を妨げた小貝川が流れ、旅人はここを渡し舟で通るようになっているのである。
もちろん夜中に渡し守がいるはずもない。
むろん掛馬四郎の腕なら舟を勝手に操り、対岸へと渡る事も可能ではあろうが、それでは翌朝騒ぎとなるだろう。
「丁度良い、あの渡しの小屋に泊まるとしようか」
渡し場横には昼間、渡し船を使う旅人達や渡し守が使うのだろう、粗末な仮小屋があった。小屋といっても一面は開け放しの、ただ昼間の日差しと少しの雨風を防げるだけの簡素なものでしかないが、それでもあるとないとでは雲泥の差があるものだ。
「こ、ここにですか」
信じられぬとばかりに宗衛門が不満を口にした。
「あそこに寺は見えるがおそらく住職を含め皆寝ていよう。我等の為にわざわざ起すのも躊躇われる。いいではないか、これも旅の醍醐味よ。ほれ、約束の酒を一杯やって、筵布団で寝てしまおう」
そう言うと四郎は小屋の奥、三畳程の高くなった床に腰を掛けた。そして懐から取り出した竹筒をタポンと振って確めると、グビリと一口だけを飲み下し言う。
「ほれ、早くしないと無くなるぞ」
タプタプと竹筒を振る四郎。宗衛門は漢の横に腰を掛けると、竹筒を受け取り思った。
『生暖かい』
考えてみれば掛馬四郎の懐でずっと暖められていたのだ。暖かいのも頷けるが、それを飲もうとすれば四郎の顔が脳裏に浮かび、少し妙な味にも思えてくる。
しかし、意を決して飲んでみれば、
「う~ん、腸に染み渡る!」
夜の寒気に冷え始めた体には、生暖かい酒が妙に美味く感じられた。
翌朝、朝の寒気に寝ていられなくなった二人は、早くも明かりの燈った寺に火を分けてもらうと待合小屋の脇の火跡に勝手に薪をくべ火をおこし、これまた勝手に鍋を拝借すると、夕べ宿場で握ってもらった握り飯を鍋に入れ、粥を作ってはこれまた勝手に椀を拝借しすすり始めたのである。
時はおそらく※七つ半、日が昇るにはもうすこし時間がかかるだろう。
(※ およそ午前5時)
「いやあ、粥がこんなに美味いなんて」
湯気の立つ梅粥をすすりながら宗衛門がそう溢した。
竈の炎に照らされた顔は本当に微笑み、無常の喜びを持って粥をすすっているのだと判る。
「寒いからな」
四郎がそう短く答えた。
人は満たされぬ物に強く焦がれるのだ。寒さと飢え、それが粗末な梅粥に至高の味わいを与えたのである。
食事を終え、まだ暗い川べり傍の待ち小屋脇で、竈の火で暖を取っていた宗衛門はガチャガチャとする物音に気がついた。
見れば掛馬四郎が先程の鍋と椀を洗ったのだろう、それを手にぶら下げ宗衛門に向け歩いてくる。
それを見ていて宗衛門ははっと気づいた。
掛馬四郎はああ見えても侍である。しかも本人の記憶が真実ならば、いや!あの金塊を見つけたからには確かに本当なのだろう、ひとかどの身分の侍のはずだが、宗衛門はその掛馬四郎に洗い物をさせ、しかも自分はぬくぬくと火に温まっていたことに気づいたのだ。
気がついても既に遅い。そのことでなにか分の悪い顔をしていたのだろう、掛馬四郎が宗衛門の傍に火にあたりに来ると訊ねたのである。
「どうした?」
なにも感じていないといったあっけらかんとした表情と口ぶり。その様子に宗衛門は耐えられなくなり、ついには土下座をして平謝り。
「申し訳ありません、掛馬様に洗い物などをさせてしまい…」
だが、漢は笑って応える。
「そんな大げさに恐縮するな。なに、野炊には慣れておる。お主にはおそらくできぬだろうと思ってしたまでだ、心配致すな」
「慣れている? 掛馬様が? 確か、ひとかどのお侍さまでしたよね」
奇妙に思った宗衛門が顔を起してそう訊ねた。それに四郎は答える。
「野戦にはもちろん配下の足軽達が付き添い、こうした事はそれらがやってくれるものじゃ。だがそうではなく気の合う侍同士で野に出ることもあるのよ。そういった場合には、身分など関係なく皆で一つの鍋を囲むのだ。漢同士の楽しみといったところじゃな」
その言葉に、はぁ~、と妙に感心した宗衛門。
「それでは、私もそのお仲間の一人に加わったということでいいのでしょうか」
だが、その言葉に掛馬四郎が強く反応した。
「馬鹿者! 轡を並べ、供に戦場で生死を共にする仲間とお主が一緒なものか!」
「ひいぃぃ…」
驚き、身を竦ませる宗衛門。
だが四郎は先ほどの勢いを潜ませると宗衛門に語りかける。
「お主は悪友じゃ、供に命をかけて戦う事は無いが、共に喰らうて笑って飲む間柄じゃ。それでは不満か?」
「滅相も御座いません」
面前に掌を振る宗衛門はそう答えたのだった。
朝。渡し守がおっとり顔でやってくる。
「お早うさん~、待たせちまったみたいだねぇ」
そう言いながら渡し守も炎に手を翳して温まり始まる。
その様子を見て宗衛門が、
「親父さん、舟はいつ出ますか」
そう訊ねるのだが、渡し守は火に当たったままに受け答え。
「もうちっと待ってくんな~、お客さんが集まったなら渡すからよ~」
どうやら渡し舟に人が一杯になるまで待たせるつもりの様子。
だが急ぐ宗衛門は待ちきれるものではない。
「今すぐ渡してもらうわけにはいきませんか? お代ははずみますから」
そう言うと宗衛門、懐のものを出してちゃりちゃりとやりだす。
「そんなら~、ちいとばかしはずんでもらうっかな。おらは酒に目がなくてなぁ、豆腐田楽をやりながら、こう、クイッっと一杯。あ~、たまんねぇ」
渡し守は、そう延々と夜の楽しみを語りつづけるのだが、これには宗衛門もなにかを言いたそうではあったが、それを察した掛馬四郎が二人に割り込み、渡し守に銭百文を渡すと言うのである。
「親父、手早く頼むぞ!」
「あいよっ! 話の判るお侍さんだ。おまけで薪代はタダにしとくわ」
小貝川はこの辺りではそれほど川幅は広くはない。あっというまに舟は対岸へと渡りきると二人は上陸を果たした。
川を渡り、帰る舟の上から声が響いた。
「旦那さん方~、今夜はこの金で美味い酒を飲ましてもらいますだ~」
手を振る船頭の姿。その姿を見て宗衛門が四郎に尋ねた。
「掛馬様、ここの渡し賃が幾らなのかご存知なのですか?」
「いや、知らぬ。だが急ぐうえは金の力にものを言わすより他ないであろう」
やはりと思った宗衛門は、手を自分の額に当てつつ言う。
「ここの渡し賃は一人二文と相場が決まっております」
「なんと!」
流石に掛馬四郎も自分の渡した額に、失敗したかと思ったものの、次には笑い声をあげて言うのである。
「まあ、過ぎた事を今更言っても始まらぬ。めぐり巡ってあの者たちの酒が我等に戻ってくる事もあるだろうよ。うわははは」
「掛馬様、以後は金回りの事は私めにお任せ下さい」
「うむ、任せるとしよう」
素直にうなずく四郎であった。
藤代宿、取手宿と順調に脚が進んだ一行の前にまた河が立ちはだかった。坂東太郎、利根川である。
その河を見て四郎が言う。
「絵地図では見知っておったが、これはまた大層な出世をしたものよのぅ」
その言葉に興味を覚えた宗衛門も、
「出世?」
と短く聞き返すのだが。
「うむ、昔はこれほどまでには水を湛えてはおらなんだのじゃ。葦原こそ広かったものの、これは真、大層なお姿じゃ」
「ああっ!」
と宗衛門が手を叩いた。自らが知る利根川の姿は江戸期に入ってからの物、それまで江戸湾に流れていた河の流れを東遷事業により鬼怒川に繋いだ事を思い出したのだ。
「そう、昔は常陸川といって、小貝川と鬼怒川が合流し名を変えたのよ。それが今では利根川と名を変え、これほどまでのものとは。これが国境として使えるならば、守りは鉄壁。いや、唐の呉国のように水軍の活躍の余地があるやも」
掛馬四郎は目の前の大河を見てなにやら武人ならではの考えを巡らしているようだが、宗衛門は先程の事を思い出し、先手を打つことにした。
「掛馬様、この先、取手宿を過ぎた先に取手の渡しがありますので、ここは手前にお任せください」
「うむ、任せるとしよう」
掛馬四郎は至って上機嫌。
渡し船を待つ間も河沖を動く船に熱い眼差しを送り、あるいは渡し場の旅人から見れば一見してつまらないと思える建物やそこで働く人の姿を見ては満足そうに頷いてみたりとご機嫌のようだ。
舟に乗った後も、冷たいはずの川の水に手を晒したり、水面を渡る風を体一杯に受けては眼を細めたりと短い船旅を思い切り堪能している様子である。




