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02 K 睡蓮


 イリアから貰ったマドレーヌを夕食にした。とても美味しくて有り難い。

 けいは入浴後に着替えを済ませ、借りたばかりの平屋のソファに横たわる。サブウェーの駅から徒歩5分ほどで、内外ともに魔女の家みたいだ。

 昼間、ベンチで悩ましい時間を過ごしていたが、結局いい詩が書けなかった。なりゆきで報復事件まで目撃し、胸が暗くざわめいている。

 濡れた髪が半乾きのままだけれど、いつものように自分のことがどうでもよくなってしまった。微弱な灯りのキッチンであれを飲み、空虚な身体を寝室に移動させる。

 夢魔を殺す薬が効き始める頃、ベッドの中でイリアとの遣り取りを回想した。

 明日、彼女は本当にまた、あのベンチに現れるだろうか。花壇の側に屈んだ際、素肌からセーラー服の布地が浮き上がり、内側の傷跡が見えた。左の鎖骨の下に、刃物で切られたような薄紅色の斜線。佇まいからは女学院の生徒らしい淑やかさを感じたが、分析力を窺わせる青い瞳が今も、自分の脆弱な階層を覗き込んでいる気がした。


 望み通りには眠れず、昼過ぎまで課題に勤しみ、等閑っぽい食事を片づけて約束の彫像公園へ向かう。

 薬の甲斐なく侵された、夢の展開が不明瞭だ。滑落したような、けれど瓦礫の中から救出されたようにも見受けられる満身創痍のイリアが、こちらの頭にティアラに似た何かを載せていた。自分の状態は謎だが、彼女は痛ましい姿でありながらも微笑んでいて、悪くない場面に思える。予知夢の正誤を知りたい。

 ベンチで待っていると、深みのある焦茶のセーラー服に、ブロンドのロングヘアを煌めかせたイリアが駆け寄ってきた。表情も穏やかで、前日の復讐譚を重く引きずっているような陰鬱さは皆無だ。すでに車道には、1滴の血痕さえ残っていないだろう。

「景くん、来てくれたのですね」

 適切な台詞が見つからず、浅く頷いて視線を逸らした。


 急速に空が翳り、湿度が増してきた。今にも降り出しそうだ。傘を忘れた自分に失望していると、イリアが「近くのレストランに行きましょう」と言った。

 交差点を渡った先の店は、楽しげな学生たちで7割ほど席が埋まっている。

 ハンバーグ、パスタ、オムライスなどの大きな油絵が壁に飾られていた。気持ちの落ち着く素敵な内装だ。隣席との遮蔽感が隠れ家的で、流れている音楽も素晴らしい。

 奥まったテーブルで制服の話をしていると、注文したパフェがイリアに、ホットキャラメルラテが自分に届けられた。空間が甘い香りにほだされていく。

 彼女はオーダーの後、半分に折ったレースのハンカチを膝に載せ、華奢なクリップで髪を纏めていた。教育の監視下に置かれているような几帳面な仕草だ。

「イリアちゃん。『ハンバーグvsステーキ』も注文したら? 昨日マドレーヌ貰ったから、……貰ってなかったとしても僕が奢るよ」

「ありがとうございます。でもわたしより、景くんが食べるべきでは?」

 彼女はどこか演技じみた瞳でこちらを観察している。

「昨日と比べて100gくらい痩せているように見えます。悲しい減量ですね……」


 やがて窓越しの街に雨が訪れた。このレストランが最後のシェルターに思えてくる。

「シティ・ノヴァが停電しやすいことはご存じですか?」

「知らなかった。みんなどうしてるの?」交通や医療機関も困るはずだ。

「家庭や学内、お店などは、灯りが戻るのを待つ感じになります。大抵は1時間前後で復旧するので大丈夫ですよ。重要な場所には送電されます。サブウェーも停まりません」

 間もなく唐突に照明が落ち、各テーブルへ贈られるキャンドルの炎。

 曖昧な暗闇に驚いていたのは自分だけだろう。動揺症には生きにくい世界だ。

「怖くないですよ」イリアがやさしい声で言い、テーブルの上で控えめに指先を握ってきた。「キャンドル、もうひとつお借りしますか?」

 彼女の問いかけに、首を横に振って答えた。

 不意の接触に照れている自分の指が、ほのかな熱であたたまっていく。

 愛が消えたあとの黒い扉はとても重くて、きっとひとりでは開けることができない。

「気に入ってくれました? マドレーヌ」と訊ねてくる顔にはまだ幼さが滲んでいるのに、澄心静慮ちょうしんせいりょという言葉が似合うような、大人びた細い手をしていた。

「夕食にいただいたけど美味しかったよ。ありがとう」


 40分ほどで灯りが復活し始めたので、街の様子が明るくなった頃に店を離れた。

 辺りは夜の青だ。雨はもう降っていない。

 何かを躊躇っている面持ちのイリアが、サブウェーの駅へ続く並木道で足を止める。

 彼女はベージュのスカーフと同色の通学鞄を開き、手帳に挟んでいた封筒を取り出した。「わたしの予知では、景くんが犠牲になることはありません。……どうぞ」

 渡された中身はポラロイド写真で、道路のような地面に、人間の腕らしきものが仰臥していた。夜間に撮ったのだろう。切断されているかもしれないが、肩の約0.1m下から先しか写っていないので詳細は不明だ。衣服もなく、只管ひたすらにおぞましい。見つめていたら心を血の海にされる。

「前回の停電の日に攫われた男の子だと思います。犯人から届きました。わたし宛に……。中等部1年のとき、一緒にショッピングをしていた友人を誘拐されました。写真の目的は、おそらく通報の抑止です。警察には話していません。あの警備員と戦うことになったとしても、力を尽くして彼女を取り返すつもりです」

 夢の残像が現実味を帯びていく。「僕には言っていいの?」

「景くんが、最後までわたしを信じてくれると知っています」

 この街に来てよかったと喜ばずにはいられない。小さい頃から、精神に添え木をきょうされたくて、できれば新たな地平に連れ出してほしくて堪らなかった。

「仲間になるよ」

 今夜イリアと結ぶ同盟に、病んだこの身を捧げたい。



                                 02 Kei end.

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