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01 I トパーズ


 ラズベリーミルクを飲むためのベンチが空いていない。

platteプラッテ!』でテイクアウトしたばかりなので、氷はまだ生きている。

 昼下がりの彫像公園は、自分と同じ放課後の制服たちと、明るい子どもの群れで賑わっていた。朗らかな好晴だ。淡い風がセーラーの襟元を吹き抜けていく。

 休眠中の街灯に寄りかかったイリアは、咥えかけたストローを唇から離した。立ち飲み、歩き飲みをしてはいけないと指導されている。しかし、自宅まで持ち帰るとぬるくなってしまう。諦めて店まで戻ろうと歩き始めた直後、側のベンチから「どうぞ」と異性の声が聞こえた。空耳ではない。「ここ、座っていいですよ」と言っている。

 ベッド代わりに寝転んでいた男子が、起き上がって場所を譲ってくれたらしい。風貌に奇妙さはなく、何かを企んでいる印象もない。なのであまり見つめすぎず、青薔薇あおばら女学院のイメージを壊さないよう静かに微笑んだ。

「恐れ入ります。お心遣い、ありがとうございます」


 しばらく牛乳と木苺の味を楽しみながら淑女検定2級のテキストを眺めていたが、親切な男子は端の方に座ったまま立ち去る気配がない。イヤホンを装着した状態で、小さなノートに何かを書き留めている。下はどこかの制服のようだけれど、この街の生徒ではなさそうだ。上は普通のシャツにグレーのニット。無地の縦型トートバッグをベンチの余白に置いている。

 特に会話もせずに時が過ぎ、いつの間にか太陽が傾いていた。

 ふとした閃きで、座る場所を空けてくれた男子にマドレーヌを差し出す。

「焼き菓子はお好きですか? よろしければ……」

 彼は驚いた仕草でこちらを見た。ミルクが少ないカフェラテみたいな色の髪と、彫りの浅い、中性的な顔立ち。

「僕にですか? ……すみません。ありがとうございます」

 遠慮がちに伸ばされた左右の手の平の中央に、リーフ柄の紙袋を載せた。

「家庭科の授業で作ったものだと思われました? ここへ来る前に、行きつけの喫茶店で購入したマドレーヌですよ。安心してください」と笑ってみる。

 微妙なジョークに慣れていないのか、男子は柔く控えめに頷いた。

「わたしはそろそろ帰ります。ごきげんよう」

 支度を調え、別れの挨拶をした2秒後、近くの歩道から短い悲鳴が上がった。

 公園を包囲する常緑樹の向こう側だ。事件の予感に足が竦む。緊張と恐怖で声が出ない。そっと視線を遣ると、男子も同じ反応をしていた。

「隠れましょう。……あちらにっ」ほんの少しだが、導く際に彼の腕に触れてしまった。

 ふたりで花壇の陰に身を屈め、樹木の隙間から状況を窺う。

 片方はスーツ姿の女性。対面しているのは、女児と母親らしき人物。

 単独の女が母娘おやこを襲おうとしているように見えたが、ささやかな違和感を覚える。身体を掴まれても、刃物で脅されてもいないのに、なぜ逃げないのか。

「あのことについては謝罪をしました。反省もしています」

 母親と思われる女性が不機嫌な声で言った。

「人殺しが改心するはずがない。今もいじめをしたくて血が騒いでるでしょ?」

 過去に惨い出来事があったのだろう。鋭利な空気だ。

「ママ、このひとだれ?」幼児は何も知らないらしい。

 部外者に危害を加えてくる様子はないが、区切りをつけて駅へ向かえる雰囲気ではない。

「あなたのママはね、集団で私の妹を殴って蹴って罵声を浴びせて、最後は卑猥な写真を撮って脅して首を吊らせたの。殺したってこと。わかる?」

「やめてください!」

「どの口が言ってるの? 人殺しが家庭作って幸せに暮らせるなんて思ってないわよね?」

 子どもの手を引き、立ち去ろうとした母親を、女が背後から押し倒した。一瞬の間も置かずに乱暴な腕で娘を抱え上げ、花柄のワンピースに包まれた身体を車道に投げ飛ばす。女児は第2通行帯を走るトラックの側面に当たり、跳ね返って手前の道路に転がった後、囚人移送車に轢かれた。おそらく死んだだろう。

 急ブレーキの多重奏。辺りが騒然としている。疵を残す報復の、黒い力と家族の絆。

 女は、子どもの母親が衝撃で動けなくなっているあいだに現場から消えた。不相応な恨みを曝け出したようには思えず、彼女の妹を死に追い遣った加害者が地獄に堕ちる末路を願わずにはいられない。この本心を言葉にすることは禁忌だ。それは理解している。

「大丈夫ですか?」と男子が動揺した瞳で覗き込んでくる。

「はい。……あなたは、この街のかたではないのですよね? シティ・ノヴァの警察は不信が多いので、目の前で事件が起きても関わらないようにしてください。見なかったことに……」ざわめきが拡がり、人集ひとだかりができていくのを眺めながら立ち上がった。「わたしは両親から音楽大学を勧められていますが、広い視野で犯罪心理学を勉強したいという気持ちが高まりました。素直に伝えるべきでしょうか」

 男子が真剣な笑顔で頷いてくれたのを見て、彼とまた会いたいと思った。

「わたしの名前、イリアです。青薔薇女学院高等部の新入生です。明日もこちらにいらっしゃいますか?」恥ずかしくて声が小さくなってしまった。

「はい。たぶん……。僕はけいです。景色とかの、あの字です」彼は続けて、高等部の3年生だと言った。リモートで課題などを提出しているらしい。自由で素敵だ。

「知り合ったばかりで申し訳ないけど……。イリアちゃん。目標があるなら、この街の大学は避けた方がいい。君が入学した24日後に倒壊する」

「ノヴァ大学が、ですか?」

 景が嘘をついているようには感じなかった。とても辛そうな声をしている。

「……わかりました。あなたを信じて別のシティの心理学部を選びます。その代わり、わたしの予言も聞いてください。景くんは先の未来で、理由も告げずにわたしを突き放したことを後悔します。絶対に」



                                 01 Iria end.

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