23
部屋の扉は、すでに開いていた。
扉を開けて待っていたのは、先回りしていたマリーさんだった。
彼女は恭しい仕草で、律儀に扉を押さえていた。
「ありがとう、マリー」
「どうぞお入りください、奥さま」
仕事が早いなあ。
あまり気が利きすぎると、面倒に巻き込まれるよと助言したくなる。
そんな二人の連携は見事だと思うけど、問題は俺だ。
「さあ、おぼっちゃま」
リズは俺のベッドの端に腰をゆっくりと下ろしながら、俺を馬鹿丁寧に下ろしてくれた。
マリーさんは俺の後ろに回り込み、頭と背中を支えてくれた。
そのあまりの丁寧さと連携に、辟易するよりもむしろ動揺してしまう俺だった。
むしろ、ベッドに放り投げられた方が、気が楽だと思う。
でも、これで解放された。
その時の俺は、そう思った。
それが間違いであるということを、俺はすぐに気が付くことになる。
「さあ、おぼっちゃま」
いつもと違い、リズの髪は乱れていた。
リズははらりと落ちる髪が鬱陶しいみたいで、髪をかき上げては落ちて、落ちては髪をかき上げている。
こうして見ると、ちょっと色っぽいと思う。
でも、何がさあ、なんだろう?
髪が気になるのかな?
そんなに気になるなら、髪を直したらいいと思うよ。
まさか、俺に直せじゃないよね?
「ええっと、ありがとう、リズ」
よく分からない時は、これが一番だ。
お礼を言われて、悪い気はしないはず。
「はい、お任せあれ♪」
だから、何がお任せなんだ?
考えるまでもなく、リズは俺の着ている上着に手を掛けた。
「リズ?」
「お身体を拝見いたしますわ」
「え?」
「お加減が悪かったら、いいですか、必ずでございますよ、必ず、必ずリズにおっしゃってくださいませ」
「へ、平気だから」
「我慢してはいけませんわ。リズに遠慮はご無用でございますわ」
「だ、大丈夫だよ。本当なんだ」
俺が、遠慮なんかするもんか!
リズが遠慮してくれ!
「もう!いいですか、おぼっちゃま。リズに心配を掛けたくないというお気持ちは、重々承知しておりますわ」
そんな気持ちは無いけど、この場合はどう言えばいいんだ?
「本当に平気なんだ」
「リズは分かっていますわ。おぼっちゃまはお優しくて、リズに心配を掛けまいとしていることを」
心配を掛けたくないんじゃなくて、これ以上心配するなと言いたい。
どうしようかと思ってマリーさんを見ると、小皿に何かを盛っていたから、目が合わなかった。
ああ、もうダメだ。
「さあ、おぼっちゃま」
「うん」
俺は寝かされたまま、上着とシャツをはだけた。
当然、何もない。
ケガ一つ無い。
何なら、シミ一つない。
我ながら、キレイな肌だと思う。
若いっていいなあと思う、今日この頃でした。
「ね?大丈夫でしょう?」
リズは、わなわなと震えていた。
「な、なんて」
「え?何がなんて?」
「おぼっちゃまの」
「うん?」
何かあるのかと思い、晒された我が肌を見る。
「おぼっちゃまの!」
何もない。
「おぼっちゃまのお肌に!!!」
いえ、乳首はありますよ、もちろん。
ついでに言えば、おへそもあります。
それ以外、特に何もありませんよ?
男の肌とは思えないぐらい、キレイなものだと思う。
ねえ、ちゃんと見てます?
「許せませんわ!」
え?
「あの魔女!」
「リズ?」
リズは、わなわなと震えている。
明らかに、怒っているようだ。
何で?
「おぼっちゃまのこんなにも穢れの無いお綺麗なお肌に、このような傷を付けるなんて、もう絶対に許せませんわ!」
傷?
どこに?
一応見てみるけど、見えるのはやっぱり乳首とおへそぐらいだ。
つくづく、白い肌だと思う。
むしろ、もっと日焼けしないといけないと思う。
日焼けと言えば、海かな。
海水浴の習慣って、この世界にもあるのかな?
無かったら、俺が先駆者になろう。
世界で初めて、海水浴をした人間として、歴史にその名を刻もうか。
だから、いずれ海に行こう。
もちろん、一人で。
そんな俺の日焼けしていない白い肌を、リズはじ~と見ていた。
リズの様子が変だ。
いや、リズはいつも変か。
じゃあ、まともなリズってどんなんだ?
とりあえず、若干取り乱しているリズに、声を掛けよう。
正直、このままは辛いし。
「リズ?」
リズは涙目になっていた。
「え?なんで?」
ころころと、よく表情が変わるなあ。
でも、何で泣いているのかな?
「あの時、殺しておけば良かったんですわ」
おいおい、何を物騒な。
ああ、道化師の魔女のことか。
普通は捕らえて尋問が、筋じゃないかな?
まあ、あの魔女が大人しく捕まるつもりはなさそうだけどね。
「奥さま」
マリーさんが、小皿をリズに手渡した。
「ああ、そうよね。おぼっちゃまのお手当てが先でしたわね。ありがとう、マリー」
「どういたしまして、奥さま」
小皿に何か盛ってあるようで、リズは指でその何かをこねていた。
そしてその指を、多分だけど患部に近づけた。
俺はリズの指先の向かう方向を見ていたら、胸のあたりに小さな赤い発疹らしきモノを発見した。
虫刺されのようだ。
「クスン。おぼっちゃまのこのようにお綺麗なお肌に傷がついたなんて、リズは、リズはどのようにして償えばいいのかしら」
大げさな。
ほら、マリーさんだって呆れているよ?
ね、マリーさんからも一言言ってあげてよ。
それ、ただの虫刺されですよって。
「奥さま、こちらを」
マリーさんはリズに、ガーゼらしきものを手渡した。
・・・・・・・・ダメだ、この二人は。
「クスン、クスン」
リズは泣いていたけど、どうしたらいいだろう?
涙を拭ってあげるべきか、知らん顔すべきか?
ただ言えることは、道化は俺のようだけど。
「ねえ、リズ」
とりあえず俺は、説得を試みることにした。
「・・・スン。あ、はい、何でしょうか、おぼっちゃま」
「これさ、虫だよ、そう、ただの虫刺されだよ」
「まあ!」
リズは手の甲で涙を拭いならがら、俺の説明に驚いていた。
「まあ、まあ、まあ!」
いや、なんでそんなに驚くの?
たかが虫刺されだよ?
もしかしてこの世界って、虫刺されが珍しいのかな?
虫刺されを馬鹿にしてはいけないとは思うけど、現代人である俺にとっては、どう考えてもリズやマリーさんは大げさだと思うよ。
「さようでございますわ!」
よく分からないけど、分かってくれて良かったよ。
涙も止まったようで、何よりだ。
それでも、リズの治療行為は止まらない。
マリーさんは何と、包帯をリズに手渡したのだ。
ねえ、虫刺されだよ?
君たち、聞いてる?
この世界に、たかが虫刺されで薬を塗るは、まああるかな?
その虫刺されの跡にガーゼを乗せ、ついでに包帯もぐるぐる巻くような人って、この世界がどのくらい広いのか知らないけど、きっと俺だけだろう。
「さあ、おぼっちゃま。お辛いでしょうけど、ほんの少し我慢してくださいませ」
どこをどうすれば、辛いと思うのだろうか?
いや、違う意味で辛いと思うし、我慢という意味では我慢が必要だろう。
涙目のリズには悪いけど、俺の方が泣きたい。
そんなリズは、俺の気持ちなどお構いなしに俺の身体を支えながら、包帯をぐるぐると巻き始めた。
リズの豊かな胸が、俺の身体に当たるのが、むしろ煩わしいと思う。
男なのに女性の豊かな胸を喜ばないのは、俺はどこかおかしいのだろうか?
俺はきっと、スキンシップが苦手なんだと思う。
無事包帯を巻き終えたリズは、意外なことを俺に言ってきた。
「確かに、おぼっちゃまのおっしゃる通りでございますわ」
「え?」
何がおっしゃる通りなんだ?
俺、何か言ったか?
とは言え、リズの表情が明るくなったのは、良いことだと思う。
良いことだと思うけど、嫌な予感しかしないのが不思議だ。
「そうでございますわ!」
「うん、そう、そう」
よく分からないけど、ここは同意しておこう。
「虫です」
「そうそう、これはただの虫刺されだよ」
すでに手当ては終わっているけどね。
「おぼっちゃまのおっしゃる通りでございますわ!」
何かを強く確信した、リズ。
何だろうか、本当に嫌な予感しかしないんだけど。
「リズ?」
「あの魔女、虫で十分でございますわ!さすがおぼっちゃま!」
「え?」
「これからは、アレを虫と呼びますわ。魔女なんて、呼ぶ必要はございませんわ!」
「ええっと」
マリーさんに何とかしてもらおうと思って視線を彼女に向けたけど、肝腎のマリーさんの様子が変だった。
「さすが奥さまでございます!」
「え?」
「奥さまの前では、魔女ごとき虫で十分でございます!」
顔を赤らめ、恍惚の表情をしているマリーさん。
普段はどちらかと言えば、冷たいというか醒めた感じがする女性だけど、これは意外だった。
こんな表情もする人だったのかと思った。
それで、これからどうする?
リズは何と返事する?
「さすがマリーですわ。おぼっちゃまの真意を、よく理解していますわ!」
二人とも、どうかしている。
「そうでございましょう、おぼっちゃま!」
俺に同意を求められてもなあ。
でも、返事はすでに決まっている。
「うん!リズの言う通りだね」
これが一番、無難な答えである。
だって、あんなにも嬉しそうにしているリズを見たら、俺だって何も言えない。
そうだろう?
あとは一人で考えたい。
治療を終えたんだから、二人とも部屋から出て行ってくれないかな?
いい加減一人にしてほしいと思う。
ああ、それは俺には贅沢な望みか。
もういいよ。
どこでもいいから、一人にして。
どこか遠くに。
せっかくなら、海に行きたいなあ。
無理か。
きっと、リズがどこまでも付いて来るだろうから。
とりあえず、トイレにでも行くか。




