-10『脱出へ』
武人の頂点に立つと言っても過言ではない二人の男の衝突を横目に、ミレンギは地面に横たわるアーセナの元に駆けつけていた。
眠ったままのセリィを脇に下ろし、アーセナの体を抱き上げる。
「アーセナさん、しっかりしてください」
背中の傷は思ったよりも深くはない。
だが悠長にしていると出血で死ぬだろう。
ミレンギは自分の上着を脱いで、背中の傷口に押し当てた。
「シェスタ。手伝ってくれ」
「……わかったわよ」
シェスタが不服そうな顔のまま、それでも傍に寄ってくる。
「この人、私たちの敵なのよ」
「でもいい人だ。ボクたちを見逃そうとしてくれた」
「何かの策略だったのかも。油断させるとか」
「そんなことはないよ。だって、アーセナさんも耳長の人たちを助けてくれたんだから」
だから彼女は悪い人間ではない。そう、ミレンギには確信があった。
おそらく平和な治世で出会えていたならば互いに仲良くなれたであろう、と。
だからミレンギは彼女を助けたいと思った。
助けられる人は助けたい。
あの山中の集落の親子のような悲劇はもう御免だ。
「……圧迫させないと駄目よ」
その強い思いに観念したのか、シェスタは腰を落として真剣に傷口を見やった。
「太い血管が流れているところを圧迫して血を止めないと駄目。出血多量で死んじゃうわ」
「わかった。どうすればいい」
「何か布で強く縛り付けるのが簡単だけど……」
ミレンギの当てた上着はすでに血で真っ赤に染まっている。シェスタは咄嗟に自分の上着の袖などを破った。その布地で紐のようにアーセナの傷口の脇を縛る。そのおかげか出血の頻度は減り始めたものの、まだまだ油断はできない。
「お前たち……もういい。すぐに、逃げろ……」
息も絶え絶えにアーセナが言う。
ミレンギはそんな彼女の脱力した手を握って励ました。
「そんなことはしません。必ず助けます」
「駄目だ……私の、部隊が、いる。すぐに……お前たち、を」
「ちょっと黙ってなさい」とシェスタが怒りながら止血を続ける。
「町の外にまだ私たちが持ってきた馬車が残ってるはずよ。それに乗せるわ」
「うん、わかった」
ミレンギは頷き、アーセナを背中に担ぎ上げた。
「シェスタはセリィをお願い。アーセナさんはボクが」
「大丈夫なの? その子、でかいわよ」
「女の子にそんなこと言っちゃだめだよ。それに、ボクだって曲芸団で身体だけはたくさん鍛えたんだ。大丈夫」
「……そう」
ガーノルドが時間を稼いでくれている僅かの間が機である。
今のうちに逃げる。
安全なところまで。
「皆さん、行きましょう」
アイネの指示で、アドミル兵たちは揃って門を走り抜けようとする。
だがその先を、壁のように並ぶ騎士団兵が待ち受けていた。
ミレンギたちの倍の数はいるであろう彼らは、剣を掲げ、今にもミレンギたちに襲い掛かろうとしていた。
「そんな。こんな時に」
ミレンギがうろたえる。
いや、ミレンギだけではない。
アドミル兵全員が、その光景に青ざめる思いであっただろう。
今度の騎士団兵は、先の住民たちのように易しくはない。それぞれが屈強に鍛錬された戦士なのだ。負傷者やまだ眠っている者を擁するミレンギたちにとって、それは高すぎる障壁だった。
「もう駄目だ」とアドミル兵の誰かが弱音をこぼす。
しかし、ミレンギはこんな時だからこそ、荒々しく声を上げた。
「いくぞ、みんな! 絶対にここから逃げるんだ!」
旗は立たねばなびかない。しかし風もなければなびかない。
風を起こすことが何より大切である。自分たちを後押ししてくれる追い風を。
「ミレンギ様のご命令ですぜい! よしいくぞ、野郎ども!」
髭面の男兵も気前よく叫んで応えた。
それに続くように、他の兵たちも声を上げて士気を盛り立てていく。
その根拠も理屈もない湧き立ちに、アイネは「筋肉馬鹿ばかりですか」と呆れながらも、まんざらでもない風に笑った。
「わかりました。それでは皆さん、一点を突破しましょう。彼らは網を張るように広く陣取っています。薄い一点を破れば可能性はあるでしょう」
風は吹き始めている。
澱みを崩す確かな風が。
しかしそれがどちらに向いた風なのか、それはまだ誰にもわからないでいた。




