第73話 ドルアンドの休息
ミニンスク市からしばらく北に行くと、穀倉地帯付近から拡がる森林地帯にぶつかる。この森林地帯はハピロン伯爵領とソアマン伯爵領の境となる。
この森林地帯を抜けるとほどなくしてカナン村があり、さらに北上を続け小さな村や町を抜けると、ソアマン伯爵の屋敷のある『城塞都市ニグルセン』がある。フィロデニア王国内ではあるが、昔はニグルセン王国の王都として栄えていた。
起伏のある地形に造られたことから都市自体も丘陵部と重なり、街の形態も他の都市とは異なっているのが特徴だ。
一人の男が息を切らしながら走り、城塞都市の外縁部にある集落に辿り着いた。
月のない漆黒の闇を走駆した彼の出で立ちは、その闇に同化するほどの黒いローブを身にまとっている。
いや、元々は『灰色』だったが、手違いで受けてしまった炎魔法で黒く煤けてしまっただけだった。
颯爽と走ると、大きな木の聳える古い家がぼんやりと見えてきた。
古い家の玄関までたどり着くと、玄関を3回ノックした。
しばらくすると家の中から2回ノックする音が聞こえてきた。
男はそれを聞き、2回ノックした。
直後に、家の中から5回ノックが聞こえてきた。
『森と』
家の中から聞こえてきた。
「さなぎ」
男がそういうと、玄関のドアが開いた。
開けられたドアを見てうなずくと、家に倒れ込むように入った。
「ドルアンドじゃないか。一体どうしたんだ」
「予想外のことが起こり、作戦を中止せざるを得ませんでしたよ・・・」
「どういう―――――おい、大丈夫か!」
ドルアンドはその場で崩れるように倒れた・・・。
彼が目を覚ますと、固いベッドの上に寝かされていた。
「目が覚めたか」
「すみません。『逃げる』先はここしか考えられなかったので・・・」
「いいってことよ。誰にも見つからなかったか」
「おそらく」
「うん。じゃあ詳しく話を聞かせて貰おうか」
ドルアンドはベッドを降りると、サイドテーブルに置かれていたコップの水を一気に飲み干した。
そして語りだす、これまでの経過を・・・
「ふぅん・・・。そりゃ難儀だな」
「ジュノアール・・・一体何者なのか・・・」
「何者だっていいじゃないか。そいつはお前より強い。頭のキレはどうだか知らんが運の強さはピカイチのようだ。それに上級の回復魔法使いとあればお前とは相性が悪いだろうよ」
男は台所の棚から酒瓶を取出しカップに注ぐと、ドルアンドに渡した。
ドルアンドは一口それを飲むと、大きくため息をついた。
「そういやぁ、仲間はどうした?」
「とりあえずいったん解散させ、一週間後にミニンスク市の手前にある沼の廃屋に集合させるように伝えました」
「まだやるのか・・・」
「ハピロン伯爵に絡む仕事はおしまいです」
「あっちに戻るのか?」
「・・・わかりません。ですが、次の作戦をお聞きしなければ・・・」
男はそれを聞くと、彼もカップに酒を入れてグイッと煽った。
「・・・もうやめとけ。身を滅ぼすぞ。何度も言っているだろう?」
「ボロネー様には逆らえません・・・」
「ふん、俺だって昔はそうだった。確かにあの人の言うことにも一理あるんだが身が持たないと感じたからこそ、今の俺がある。ははっ、それのおかげで『逃げ』の人生を送るハメになっちまったがな」
「ここには追っ手が来ないので?」
「今のところはな。気配を少しでも感じたらすぐにでも逃げるさ」
ドルアンドは一口酒を含み、またもため息をついた。
男はそれを見て渋い顔をした。
「好きにするがいいさ。俺は『逃げた』身だからあれこれ助言など出来ないが、これだけは言っておく。今なら間に合うぞ。今はまだボロネーは『北』に集中している。しかしあっちが片付けばいずれ『南』に・・・フィロデニアへ本格的に目を向けるだろう。お前をこっちへ派遣したのもその足掛かりをつくるためだ」
「そうなったらいよいよ抜け出せない・・・ということですか?」
「そうだ。王都の作戦が成功したとなればなおのこと、国の弱体化を進めたいと―――――」
「えっ?」
ドルアンドは男を不思議そうに見つめ、すぐに納得したようにうなずいた。
「そうですか、こっちにはまだ正確な情報が届いていないのですね」
「どういうことだ?」
「魔物による王城襲撃は失敗に終わったんですよ」
「なんだと?転移魔法を使うと聞いていたが・・・」
「使いましたよ。ことごとく討伐されましたが」
「そうか・・・。マーリンの仕業だな」
「いえ、マーリンではありません。さっき言ったジュノアールとなにか関係がある人物の功績です」
男は腕を組んで考える。
「転移魔法陣を使って王城を襲撃する、という情報は得ていた。いよいよフィロデニアも終わりかと思ってはいた。ボロネーの触手がこの地まで及ぶようなら次はどこへ逃避行しようかと考えていたんだが、一向に王城についての情報が入らなかったから、何が起きたのだろうかと安危を推測していたんだ」
「作戦通り遂行したようですが、ことごとく魔物は退治され、王城は今でも健在です」
「・・・王城から遠く離れていると情報も入りにくいからな・・・。逃避行は敢えてやめて、王都に移り住んで生の情報を得ながら住んだ方が身の保全にもつながるか・・・」
男が独り言のようにブツブツ話すのを横目に、ドルアンドはカップの酒を飲み干した。
「すみません、愚痴をこぼすような真似事を・・・」
「いいってことよ。こうして昔の部下が相談に来てくれるなんて上司冥利につきるさ。おっと、今はただのおっさんだったな」
「言っておきますが、ここでのことは秘密を守ります」
「そうしてくれると思ってここの場所を教えたんだ」
「ありがとうございます」
「いいか、ドルアンド。いくら『適正』があっても無理するなよ。昔何度も言ってきたことだがお前は無茶しすぎる傾向があるからな」
「お心添えいただきありがとうございます」
「今日は寝て休め。ローブは昔俺が使っていたやつをくれてやる」
夜が明け朝日が昇る少し前にドルアンドは目覚めた。
興奮していたためか、熟睡はできなかった。しかし落ち着いて酒を飲めたことを思えば、大したことではない。
家主の男が家にいないことに気づき、外に出てみた。
「・・・はぁ。暇人が多くて困ったものですね・・・」
灰色ローブを纏った者達がよってたかって家主の男に襲いかかっていた。
「グレース!いい加減に倒れろ!」
灰色ローブの男が吐き捨てるように叫び剣を振った。
家主の男はグレースというのか、振られた剣を軽やかに躱した。
「簡単にやられる俺じゃないっての」
男たちの目的は一目瞭然。グレースの殺害だ。一騎討ちなど許さない。誰かが斬りかかって躱されれば、躱したところへさらに斬りかかる。
だが何度斬りかかっても傷一つ負わせられないことに苛立ったのか、仲間ごと炎魔法を放った。
グレースはノールックで水魔法を展開。僅かな水蒸気を辺りに拡散させて打ち消した。
「こんなところで魔法なんか出すなよ。ご近所さんに迷惑だろ?」
「っるせえぇ!」
「しかも仲間ごとやろうなんてなぁ。もうちょっと仲良くいこうぜ」
グレースの言葉に苛立ちが煽られたのか、男達は一斉にグレースを囲むように斬りかかった。どこにも逃げ場がない。
「死ねぇ!」
「やれやれ・・・」
男達の剣がグレースに届く間際、突如として男達の視界からグレースが消えた。
だがもう間に合わない。
男達の剣はお互いの腕、指、体を切り裂いた。
「「「ぎゃああああああああ!!!」」」
剣を落とし、溢れる鮮血を押さえる男達の傍らで、上空から静かに降り立つグレースがいた。
「痛そうだなぁ」
顔を歪めて地面の血だまりを見やった。
「その辺にしておけよ。もういいだろ。グレースは死んだって言えばいいだけじゃないか」
「くっそおおおおおおお!!」
落ちた剣を拾う男達。グレースはため息をついた。
「おいおい・・・。マジかよ・・・やめてくれよ・・・」
心底迷惑そうに呟くグレースは、面倒臭そうに頭を掻き毟った。
「終わりでいいだろ?無駄に殺生はしたくないんだ」
男達の表情がより深く険を抱いた。
グレースの元へ男達が駆けようとした、その時だった。
男達の目の前に、彼らよりも一回り大きい何かが突如として現れた。
紫色の体躯をした、人型の魔物・・・。
「なっ!!お、おまえ・・・」
これにはグレースも驚いた。
「マジかよ・・・ドル・・・っと、いけねぇ・・・」
口から飛び出しそうになる名を慌てて口で覆ってごまかした。
男達は一歩下がる。紫の魔物は一歩、また一歩と男達に近づいていく。
その中の一人が翻って逃げようとした。
その刹那、翻ったその先にその魔物が立っているではないか!
「ひぃっ!」
悲鳴を上げた途端に、男の胸は魔物の腕によって風穴を開けられた。
最期の声を上げることもままならないまま、男は崩れ落ちた。
斬りかかろうとした男達も、最初の男と同様に、胸に風穴を開けられた。
最後に残った男は首を刎ねられた。
10秒と経たないうちの、あっという間の出来事だった。
「ドルアンド・・・やりすぎだろ・・・。それにお前の『仲間』だろ?」
「・・・うざかったんですよ」
そういったドルアンドは、元の人間の姿に戻っていた。
「はぁ・・・こいつらの後始末はどうすりゃいいんだよ・・・」
「私の魔法で黒焦げにしてあげますよ。そのあとは・・・任せます」
「はぁ~~~~~」
グレースは深い深いため息をついた。
陽が頂点に達する頃、古い家の玄関にドルアンドは立った。
「色々とお世話になりました」
ドルアンドは深く頭を下げた。
「いいってことよ。だが気を付けろよ。ボロネーは容赦ないからな。いざとなれば逃げていいんだ。恥ずかしいことじゃない」
「心にとどめておきます。それにしても、グレースさんはどうされるのですか」
「そうだなぁ・・・。もうここにはいられないから、次は王都に行ってみようかな」
「王都・・・フィロデニア王都ですか?」
「あぁそうだ。そっちへ行けば・・・なんか面白いことが起きそうな気がする」
「また悪い癖がでましたね」
「仕方ねぇだろ。だがな、今度お前と会う時は・・・」
「・・・」
「もし、お前が俺と剣を交えることになっても、俺は後悔しないぜ」
「・・・何をなさるおつもりですか?」
「いや、俺にもよく分からん。王都に行けば何となくそうなるような気がしただけさ。もう俺は自由人だ。どんな立場の人間になるかは、行ってみて、成ってみてのお楽しみだな」
「わかりました。もしそうなったとしても、私も後悔などしません」
「ん。それじゃあ、元気でな」
「えぇ、あなたも」
二人は固く握手を交わす。ドルアンドは翻って駆けていった。
その後ろ姿を見届けるグレースは、ぽつりと漏らした。
「お互い、後戻りはできないってやつか・・・」
ふぅ、とここでもため息をつくグレースであった・・・。
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