第56話 ハピロン伯爵邸
揺られる馬車の中で、イリアからミニンスク市の情報を集めた。
ミニンスク市はフィロデニア王国の中でも王都に次ぐ大きさを誇り、その位置から交易の要衝地となっているそうだ。王都に輸送される物資はこのミニンスクを通ってくるとのことで、商業活動が盛んだという。王都の商業ギルドよりもミニンスク市の商業ギルドの方が規模が大きく、ミニンスク市のギルドに登録すれば、王国内のおおよその都市で出店認可が下りるといわれ、信頼性も高いとされている。ギルド長は高齢だがその判断力は抜群で、身体的にも全く衰えがないとされているらしいが、最近は動向がつかめないほど家に引きこもっているらしく、関係者からはギルド長の交替をギルドに要求しているとも噂されている。
一方で冒険者ギルドは存在せず、これは王都の中央ギルドがその役割を担っているとされ、冒険者の活動の担保をとるため、宿は数多く用意されているとのこと・・・。
元々ミニンスク市は別の伯爵の管轄だったようだが、半ば強引にハピロン伯爵が管轄下に置いてしまい、他の貴族も太刀打ちができなくなってしまった。王都も粛清を考慮したようだが、王都に対する貢献策を打ち出し実行を重ねたためうやむやになってしまい、事実上ハピロン伯爵の独壇場になっている。
市内はしっかりと王国法によって治めているものの、その法を執行しているのが彼であるため、グレーゾーンな対応もしばし見受けられた。これによる王都からの調査員も派遣されているものの、懐柔させられる現実があるという。
イリアはハピロン伯爵を失脚させたいと切に願っているようだが、何か決定的なことを白日の元にさらさない限りは難しいとされ、それもはかない夢と嘆いた。
そして、いずれ王都にも触手を伸ばす時がやってくるとされていて、その最たる手段がイリアとの婚約だった、というわけだ。
ちなみに、ミニンスク市は王都から馬車でおよそ4時間半ほど、徒歩で6時間はかかるところにあり、その周辺にも都市がいくつも散らばっていると聞いた。簡単な地図も書いてくれたが、疎い俺はさっぱりだ。フィロデニア大山脈のことも聞いたが、書いてくれた地図の位置からして、王都からは相当離れている。『フィロデニア』と名のある山脈だから王国領内であるとは思うが、どうやっていこうかと悩むほどの距離のようだ。
揺られに揺られて、やがてミニンスク市の入口へと到着。
イリアの訪問はあらかじめ伝えられていたので、ほぼ検閲なしに入ることができた。
窓から見える景色は王都とほぼ変わりがない。広さは王都には敵わないものの十分すぎるほど広い都市で、王都と違うところといえば、より多くのお店や露店が通りを賑わせている点だろう。
話によると、この都市はいびつな形をしていて、住民区と貧民区、貴族住居区とそれぞれが重ならないように配置されているという。よって、その区の特性にあわせたお店の出店がなされているようだ。今、この馬車が通っている地区は、冒険者や訪問者、ふらっと立ち寄った人向けのお店が並んでいるようだ。
時間があればゆっくり見て回りたいな・・・。
馬車は市の中央区に進み、落ち着いた街並みに変わった。白い壁の建物が目立つようになった。
通りの途中に鉄製の柵が設けられていたようで、一旦馬車が止まったと思ったら、兵士らしき人間が馬車の中を覗き込んできた。
イリアが乗車しているのを目視で確認した兵士は『失礼しましたっ』と大声で叫んでいた。乗っていることは馬車を見れば一目瞭然であるのだが、仕事だから仕方がない。イリアは少し微笑んで対応していた。
すぐに馬車は進んだ。
少し進むと、途端に建物の並びが絶え、緑の芝生が一面に施された美しい庭の広がるエリアに入った。窓の外に白い荘厳な建物がチラチラと見えた。
あれがハピロン伯爵の家か・・・。
馬車が止められた。庭の真ん中のあたりだろうか。わざわざここで止めるあたり、自分の権力の象徴である土地や建物を見てもらおうとする伯爵の意図が窺える。建物の美しさや近代を感じさせる造りはお世辞抜きに素晴らしい。
帯同してきた兵士が馬車の戸を開けた。まずは俺が外に出て足場となる踏み台を置くと、俺はイリアの手を取りエスコート。ドレスの裾を片手で少し持ち上げながら馬車を降りたイリアは、庭を見渡した。
変わらない表情ではあるが、感嘆しているのだろう、気付かれないように鼻でため息をついていた。
玄関が奥に見えるが、その玄関まで給仕の女性たちが並んで通路を作っていた。
なんだ、この女性たちは・・・。統制されたこの並びだけではない、その服装だ・・・。
何故か、給仕服のワンピースのスカート丈が異様に短い・・・。若い給仕の女性たちの太ももが露わになっている。王城の給仕もワンピースを着用していたが、丈は膝よりもずっと下だった。
帯同している兵士達からどよめきが聞こえてきた。無理もない。この世界に降り立ってからは、アニーの服以外にこれほどのミニスカートは見たことがない。
あれ?ということは、魔物襲撃事件の時の兵士はアニーのことをそういう風に見ていたということか・・・。
複雑な気持ちが・・・。
「ジンイチロー、見とれていないで行きましょう」
スタスタと歩を進めるイリア。見とれていたわけじゃないんだけどな・・・。
イリアはわざと大きい声で言ったので、帯同していた兵士達もその声にハッとし、イリアを先導する兵士達が慌てて隊列を整えた。
俺はイリアの右斜め後ろにピタリと付いた。
イリアからのしきたり講座では、常にその位置にいろと指導を受けていた。右手はイリアの利き手。イリアが受け取るものや渡すものは、全て俺を通じることになる。
言ってみれば執事みたいなものか。
大体どの貴族のそれも似たことをしているというから、無職になったら誰か雇ってくれるかもと冗談でイリアに言ったら、にやりとされた。
以降、しきたり講座では余計なことをしゃべらなかった。
「「「 イリア様、ようこそお越しくださいました!!! 」」」
給仕の女性たちが一斉に口上し、頭を下げた。
「ありがとう。皆さん、そう固くならずともよろしいですわ。数日間お世話になります」
「「「 よろしくお願いいたします 」」」
一人だけ真っ赤な給仕服を着用している女性が屋敷の入り口に立っている。透き通るような白い肌と細い目が特徴的な長身の美人さんだ。
その女性の前まで歩むと、女性が深々と頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、イリア様。わたくしは給仕長のモアと申します。すべてのご案内をご主人様より仰せつかっております。以後何なりとお申し付けください」
「ありがとう、モア。伯爵は?」
「現在公務中であられ、市内を巡回しております。イリア様のご到着の折にはお部屋と本屋敷の案内を任されております」
「わかりました。案内してくださる?」
「承知いたしました。どうぞこちらです」
他の給仕の女性が扉を開けた。
驚いた。石造りの屋敷だとは思っていたが、これは想定外だ。床はピカピカの大理石かと見まがうほどの磨かれ様。古代ローマを彷彿とさせる円柱。細部まで装飾された調度品。この世界の中ではおそらくトップクラスの豪華さだろう。
とはいえ、あまりキョロキョロと出来ない立場。無表情を取り繕い、目だけをそろりそろりと泳がせながら辺りを見回す程度にする。
「こちらです」
モアさんは進行方向に手を差出して案内する。
イリアは装飾された内装など気にも留めない様子でスタスタと歩いていく。
王城を出てからは一度も話してはいないが、俺の後ろにはメルウェルさんとフレアさん、ノーラさんと数名の兵士、イリアの帯同給仕も付いてきた。
「よく手入れされたお屋敷ですね」
初めてイリアが屋敷のことについて触れた。
モアさんは微笑んで応えた。
「ありがとうございます。初めてここを訪れた方は大抵「もっとゆっくり見たい」とおっしゃってくださいます。失礼ながらイリア様はご興味があられないとばかり思っていましたので、少々驚きました」
「そんなことはありませんわ。美しい調度品だと、内心感心していますの」
「ご主人様もお喜びになります」
「・・・」
「・・・それではこちらになります」
俺の位置からはイリアの表情は窺えないが、モアさんはイリアの微細な変化を感じ取ったのだろう。ほんの少しだけ微笑みが翳った。
「イリア様のお部屋はこちらになります」
部屋の前に待機していた給仕がドアを開けた。
中はまさしくロイヤルルーム。王家の人間が滞在するにはちょうどいい絢爛さだ。
「部下に今後の日程調整を行います故、その後あらためてお部屋に伺わせていただきます。お気持ちにお変わりなければ本屋敷を案内いたします」
「ありがとう」
「失礼いたします」
給仕の女性がドアを閉める、部屋に入ったのはイリアと俺以外に、メルウェルさんとフレアさんだ。他の人はドアの前で待機している。
「き、緊張しますぅうううう!!」
と言いつつ、まったく緊張感のない声色で発生したのはフレアさんだ。
メルウェルさんがサッとその口をふさいだ。
「フレアよ、ここは心休めるべき部屋ではない」
「むぐっ、もぐがもごむぐぐぐむむ」
「ジンイチロー」
イリアが目配せして俺に合図した。俺もうなずいて部屋の調度品を手に取り、隅々まで調べ上げる。
メルウェルさんは相変わらずフレアさんの口を押さえている。しばらくはそうしてもらうとありがとい。
ベッド下やありとあらゆるところまで調べたが、『魔道具』の類は一切見つからなかった。
実は王城を出る前に打ち合わせした際、部屋に案内された際には、怪しいものがないかをチェックしようと話していた。この世界に盗撮用機械などないとは思ったが、これまでも便利な魔道具に幾度か出会ったため、念のためやろうということになったのだ。
フレアさんの口をふさいでいたメルウェルさんも、フレアの口に人差し指を当ててフレアさんがうなずくのを見ると、俺と同じく調度品や壁など隈なく調べた。
「イリア様、問題ありません」
すると、イリアはふぅうう!と大きく息をついた。
「はぁあっ!肩が凝りますわ!」
「イリア、まずはお疲れさま」
「ジンイチロー、見事な執事ぶりでしたわ」
「後ろについて歩いていただけなんだけど・・・」
「ジンイチロー殿、屋敷に入って微動だにしなかったのは正解です。フレアのようにキョロキョロしていたら、あのモアという給仕の女性から軽く見られ、ひいてはハピロン伯爵にジンイチロー殿抜きにイリア様との面会を為されてしまう恐れもありました」
「そうですわ。モアはジンイチローをしっかり観察していました。特に屋敷に入ってからは、わたくしのこと以上に上から下まで見ていました」
「そ、そうなの!?それは気が付かなかった・・・」
「女の目は恐ろしいのですよ」
ですよね~。色々と心当たりがありますから・・・。
「それにしても・・・王城で打ち合わせた通り魔道具がないか調べたけど、なくて拍子抜けだな」
「そうとはいえ、スケコマシが考えることなど手に取るようにわかりますわ。あの給仕の服も然りです。あ、あんなに大胆に太ももを出させて仕事をさせるなど、公私混同も甚だしいですわ」
「男とは、ああも太ももが好きなのですか?」
メルウェルさんが真顔で俺に聞いてくる。
「そ、それは人によるかな。太ももがいいという人がいれば、胸がいいという人、お尻がいいという人―――――」
お、俺は何を解説しているんだ!?メルウェルさんの後ろでフレアさんが顔を赤くしていた。
「とにかく!ここは敵地だ!この部屋に魔道具がなくても、他の部屋には置いてあるかもしれない。みんな気を付けるように!!」
「えぇ・・・。なんかごまかされたような気がしますわ・・・」
いつもお読みいただきありがとうございます。
しばらくはハピロン伯爵邸での出来事となります。
次回投稿は9/12午前深夜になると思います。