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嘆願

江島は白井家から移され

収賄や不義密通など様々な尋問を受けた。


豪勢な接待を受け

見返りに口利きなど珍しくもない。

地位と権力を盤石にするために

みなやっていた。


 何故、私達だけがこんな目に?


江島にはそれが理不尽に思えた。


我が身の不遇に抗い

三日三晩、眠る事を許されない

現責(うつつせ)めの拷問にも

江島は無言を貫いた。


役者の新五郎は

石抱きの拷問に耐えられず自白し島流しに。


江島の義兄 平右衛門は

二度目の不祥事で死罪。

親友の喜内は水戸藩に送られ同罪に。

喜内の兄で幕府奥医師の交竹院

宴会の主催者 栂屋(つがや)

旗本の小普請方や留守居役達は

跡継ぎと共に流罪や追放となり家を潰した。

山村座は廃業に追い込まれ

月光院と江島の取り巻き達は一掃された。


月番老中の秋元や町奉行の坪内達が

僅かひと月で詮議した者は

約千五百人に上るという大事件となった。


そして、三月五日

江島に死罪の沙汰が下る。



「江島が死罪ですって?」


懇意の女中達の殆どが追放され

火の消えたような将軍生母の部屋で

月光院は崩れ落ちた。


月光院達にとっては

たがが芝居見物と門限破りに収賄。

何故こんな大事件にと愕然とするばかり。


誰だってやっている事。


月光院に江島の知らせを伝えた

将軍付上臈御年寄の豊原は

冷ややかに月光院を見つめている。


豊原は月光院達に

散々、悩まされてきたのだ。

月光院達の役者買い門限破りや口利きなど

大奥での度重なる御法度な振る舞いに。


「豊原殿、何とかならぬのですか?」


月光院は美しい顔を青くしながらも

可愛い部下の江島を救うべく

必死に道を探る。


「評定所の御判決にございますれば」


豊原は事務的に淡々と返した。


評定所(ひょうじょうしょ)

現代の最高裁判所に相当する。

その判決に口を挟み

決定を覆そうとする月光院に呆れていた。


けんもほろろな豊原の言葉に

月光院は唇を噛み

数珠を握りしめ立ち上がると

足早に部屋を出る。


「月光院様、どちらに⁉」


豊原が月光院の後を追うと

行き先は熙子の部屋。


「月光院様、

 こちらは一位様の御殿にございます」


豊原や熙子の女中達が

月光院の侵入を阻止する。


「わらわは朝廷より従三位を賜っておる。

 無礼な、離せ。

 一位様に御願いがあるのです」


熙子付の御年寄 花浦が

騒ぎを聞きつけ出てきた。


「こちらは一位様のお許しがなければ

 何人(なんぴと)たりともお入りにはなれませぬ。

 文昭院様が

 お決めになったことにございます。

 月光院様には一位様が御対面所でお待ちを

 と仰せににございまする」


月光院は力無く膝から崩れ落ちる。


先の将軍の決めた事…


「わかりました」


消え入るような月光院の声。


「月光院様、豊原がご案内申し上げます」


豊原が月光院の肩を支え

花浦の先導で御台所専用応接室の

御対面所に向かう。


小一時間ほど、まんじりともしないまま

月光院は熙子を待った。


待ちながら御対面所の室内を見渡す。


息をのむほど絢爛豪華な応接室。

天井や襖絵に描かれた花鳥風月や吉祥天女。

金箔や朱塗りを惜しげもなく使い装飾され

床の間に飾られている生け花も

花を愛する熙子らしく美しい。


月光院は来客や叙位の儀式でさえ

御広敷(オフィス)の座敷を使うと言うのに。


御台所と側室の将軍生母

何故こんなにも違うのか。

部下さえ守ってやれない力のない悔しさ。


家宣に正妻として深く愛された熙子と

借り腹の家臣としての自身の扱いの差が

判っていながらも妬ましく苦しい。


やがて

熙子が御年寄や御小姓達を引き連れて

上段の入り側から入ってくると

豪奢な(しとね)の上に優雅に座る。


下段の月光院は熙子が座るなり

平伏して訴えた。


「一位様、御願いにございます。

 江島に死罪の御沙汰がくだりました。

 どうか一位様のお力添えで

 江島を救ってくださりませ」


熙子は穏やかに

取り乱している月光院を諭す。


「そなた、

 江島を頼りに可愛いと思っているなら

 何故諫めてやらなかったの?」


熙子のその言葉に

月光院は衝撃を受けた。


 諫めて…やる…?


月光院は熙子の言葉に戸惑いながらも

必死に訴える。


「江島達が可愛いがゆえに偶の息抜きを

 させてやりたかったのでございます。

 芝居見物や遅刻で死罪とは

 余りに不憫でございましょう」


「そなた、己の罪を振り返らず

 また御沙汰に口添えをし

 御政道を曲げるのですか。

 以前も将軍だった文昭院様に御相談もせず

 勝手をしたでしょう。

 他にも口利きをしていたと聞いています。

 何度やれば気が済むのです」


「それは…部下に頼まれれば

 力になってやりたいと思うのが

 人情でございます」


月光院がまだ左京と呼ばれていた頃

女中の身内に下った切腹の沙汰を

将軍家宣の許しもなく

内密に口添えして止めさせたという。


月光院は将軍生母でありながら

御政道を微塵も理解していない。


熙子は話の噛み合わない月光院に

世間話をする。


「団十郎という役者の替紋は

 近衛と同じ杏葉牡丹だとか。

 ある女が杏葉牡丹の小袖を

 わざわざ作って団十郎に贈ったそうな。

 団十郎によると

 宮路は目の大きな美女という。

 我らの知っている宮路ではない。

 では、団十郎が相手をした宮路とは

 いったい誰であろう?」


熙子は総て知っていると目で

月光院に伝える。

熙子の眼差しは怒りと軽蔑を湛えている。


月光院は驚きのあまり

わなわなと唇を震わせた。


「一位様、何故それを…」


月光院は江島の役者買いと収賄だけが

露見したと思っていた。

まさか月光院自身が宮路の振りをして

役者買いをし

熙子を貶めるために杏葉牡丹の小袖を

江島を介して役者に流したことまで

露見(ばれ)ているとは知らなかった。


月光院派の御広敷の男性役人が追放され

江島を始め懇意の女中も去った後は

情報源は絶たれている。


豊原に聞いても

江島や宮路達の処遇以外は教えてくれない。


「幕閣は皆知っておる。

 よくも頼みに来れたものですね。

 そなた達は芝居見物だけではなく

 商人から接待を受け

 幕臣にも口利きをしていた。

 文昭院様が御触書で禁じた御法度を破り

 わたくしどころか

 朝廷と繋がり深い我が実家近衛家を

 陥れようとした。

 朝廷と幕府の離間工作までしていたとは。

 そなたのしたことは

 文昭院様、引いては上様の御威光に

 傷をつけているのですよ。

 到底許される事など有り得ぬのです」


月光院はその大きな目を見開く。


熙子はだけではない

月光院が恋い慕う越前や白石

老中達にも知られてしまっていたなんて…

いや、月光院達は自ら掛けた罠に嵌まった。


ようやく月光院は絶望的な失脚を悟り

大御台所熙子との器の差を思い知った。


でも、月光院は自分の為に

危ない橋を幾つも渡ってくれた

江島の命だけは救ってやりたい。


再び這いつくばり、熙子に請い願う。


「申し訳ござりませぬ。後生でございます。

 どうかどうか江島の命だけは

 お助けくださりませ。

 二度と御政道には触れませぬ。

 一位様…この通りにございます」


自尊心の高い月光院が総て投げ捨てて

畳に額を付けて懇願している。


熙子は溜息をつく。


これで聞いてやらなければ

思い詰めた月光院は

将軍生母の立場を利用して

幼い家継に頼み込むだろう。

まだ道理もわからない家継が不憫。


「そこまで頼むのなら一度だけ。

 身を慎み二度と御政道に触れぬように。

 徳川と上様の御威光を守る事だけ考えよ」


熙子の言葉にほっとしたのか

月光院が涙ぐみ礼を述べる。


(かたじけの)うございます、一位様。

 きっと上様を御守りいたします」


熙子は立ち上がり

大御台所御殿の居間に帰った。

茵に座り、脇息に(もた)れると

家宣が気配を現し、熙子を腕に抱く。


(熙子、あれで良かったのか?)


(仕方ありませぬ。

 幼い上様を困らせる訳に参りませんし

 上様のためにも

 月光院に自覚を持って欲しいのです)


(まったく期待はできぬがな。

 まぁ、これで最後とせよ。

 家継と徳川のために甘やかしてはならぬ)


(御意にございます)


熙子は疲れ果て

家宣の胸に体を沈めた。


家宣は腕の中の熙子を優しく包み労る。



江島は

大御台所熙子と月光院の願いにより

罪を二段階減じられ

信州高遠の

内藤家国元に送られる事となった。

月光院が左京の頃

大奥女中の身内の切腹を

口添えして止めたそうです。

『間部日記』に該当女中の名があるので

信憑性は高いと思われます。


家宣が亡くなる前の正徳二年夏に

大奥法度が出され

収賄や斡旋を禁止し

節約するよう命じています。

月光院や江島達は

家宣の意に従わなかったようです。

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