報告と弁解の夜
正月下旬の或る夜。
大御台所御殿と秘密の通路で繋がれた
船着き場に泊まる船の中。
蝋燭の明かりに照らされた揺らめく波が
障子に美しい陰を映す。
熙子は御年寄達や
越前や旧甲府家臣団に見守られながら
江島達の報告書に目を通していた。
一通り読み終わると
熙子は深いため息をつく。
収賄や好ましからぬ交友関係
将軍二人の法要がおまけ扱い
芝居小屋や茶屋での醜態は
大奥女中の品位などなく
熙子を意気消沈させた。
芝居見物は御法度だが
先々代より暗黙の了解なのだから
七つ(午後四時)の門限に間に合うよう
自前で綺麗に遊べばいいものをと
熙子は残念に思う。
収賄と徒目付への発言も許されない。
そして奥医師である奥山交竹院
その弟の水戸藩士奥山喜内と
江島や幕臣達との関り。
江島の実家白井家は旗本だが
水戸藩家老の親戚。
幕府御用への口利きに
水戸藩が関わっているなど。
家継は体が弱い。
家継にもしもの事態となれば
御三家の水戸は
次期将軍を争う位置にある。
その、もしもの時
月光院達は水戸を推すのだろう。
この宴会を主催した栂屋善六は
浅草で材木と薪炭商を営んでいる。
月光院の実家は浅草の寺。
栂屋との繋がりを誰もが連想し
口さがなく騒ぐはず。
幼い家継や幕府への風評被害が懸念される。
何より月光院は宮路に成り済まし
芝居小屋に通い役者と懇意だったのだ。
月光院達は
なんたることをしてくれたのか…
越前は、その美しい顔に似つかわしくない
冷徹な声で熙子に奏上する。
「このような有様で
芝居小屋や町中で大勢が目撃しており
もはや捨て置けませぬ。
近々騒がしゅうなると存じまするが
一位様には御容赦願いたく」
「わかりました。
徳川と幼い上様の御威光を守ってたもれ」
熙子は穏やかに応じるが
越前や家臣団の目には覚悟が宿っていた。
「御意。
上様と将軍家をお守り申し上げまする。
白石殿含め我ら甲府の者と
老中一同も同じ思いでおりまするゆえ
どうか一位様には御安心を。
月光院様には御自身の御覚悟次第かと」
熙子は越前のその言葉に
事態は大事になるのだと悟る。
翌日、老中控えの間で
お茶を飲み饅頭を食べながら
老中の面々がぼやく。
久世大和守が
お茶に手を伸ばしながら呟いた。
「随分と派手な
芝居見物だったようですなぁ」
筆頭老中相模守が
茶を啜りながらぽつり。
「観客席の薩摩藩士の抗議は見ものであった」
「相模守様、ご覧になられたのですか?」
「いかにも、忍んで行ってまいった。
芝居より面白うござった。
いや、しかし
大奥御年寄一行とは
思えぬ振る舞いでしてなぁ」
「某の部下にも行かせ
報告を受けましたが、いやはや。
江島は徒目付の苦言に
烏滸がましいと言ってのけたと。
御公儀、つまり将軍より
大奥御年寄の方が立場が上と
公衆の面前でほざきおった」
「将軍生母の月光院様の御威光を
笠に着ておるのぅ。
そもそも、
月光院様がそう思っているのであろう。
日頃から部下の教育をしていれば
このような事は有り得ぬこと」
「厳しく沙汰を下さねば
示しがつきませんな」
「帰りの行列なども
酔った女中が蹲り
目も当てられなかったそうでござる」
「七つ口の騒ぎも前代未聞」
「御広敷の御錠口での駕籠の一件も」
「まさかあの御方が乗っていたとは…
どう決着を付ければよいものか」
「一位様には
御想像もつかぬ事であったであろう」
老中達の止め処ない嘆きの中で
秋元但馬守が一言ぼやいた。
「某、来月の当番なのですが…」
「あ、それは但馬守殿には
御苦労様に御座りまするなぁ」
「はぁ」
萎えている但馬守を
井上河内守が慰める。
「大仕事になりそうですな。
留守居役や
水戸も絡んでおりますし厄介ですのぅ」
但馬守は浮かない顔で答える。
「勘弁願いたいものですが
お役目とあらば仕方ありませぬ」
透明な家宣は
天井に目だけ覗かせて
老中たちの嘆きを聞いていたのだった。
その夜、熙子の寝室では
華麗な絹の布団の上で
家宣が熙子を抱きしめながら
怒りと嫉妬の炎を燃やしていた。
『月光院と江島達には
白石や老中達が鉄槌を下すであろう。
家継は、なんと哀れな…
それに水戸か…
こんな形で絡むとはな。
水戸中納言はそなたの夫になるやも
知れなかったのだぞ。
危ういところであった。
そなたの父上が断ってくれたお陰だ』
「そうらしいですわね。
でも、わたくしに結婚相手は選べません」
熙子の他人事のような言葉に
家宣は納得できない。
『何を言うのだ!
そなたが他の男の妻などと世は許せぬ!』
「文昭院様だって
側室達がいたでしょう?」
痛い所を突く熙子の言葉に家宣は傷つき
思わず熙子を抱きしめる腕に力が入った。
『そなた以外の女など…
仕事だから頑張ったのだぞ。
辛かったのだ。
側室達との夜は監視を四人もおいて
御台所のそなたに
全て報告させたであろう。
最短で済ませた。
そなたを不安にさせたく無かったし
後暗い事など無い!
世は、そなただけがいれば良い』
「文昭院様…息が…苦しゅうございます…」
藻掻く熙子に、はっとして我に返り
腕の力を緩め熙子の顔を見る。
熙子は上目遣いに家宣を見つめ
ずっと心に隠してきた疑問を投げかけた。
やはり側室達の存在は
熙子の深い傷になっていて
幾ら家宣が言葉や行動で示し
愛してくれても不安だった。
「本当に、わたくしだけなのですか?」
不安げな熙子が
いつになく可愛く家宣の目に映り
尼削ぎの熙子の髪を
そっと撫でながら甘く囁く。
「うむ。そなただけが愛しい。
今、こうして誰にも邪魔されずに
そなたと共にいられる。
これからそなたの不安を
幾らでも解いてやろう、永遠に」
家宣は
優しく熙子の体を布団に横たえると
熙子に熱い接吻をするのだった。




