第86話:薫の夏祭り <薫サイド>
見直しました。
◆8月1日(土)
水草薫にとって、天王夏祭りの日は特別である。彼女はこの夏祭りが大好きで、この日が来るのを毎年、指を数えて待ちわびていたのだ。
もっとも、それは学校へ行くようになってからのことであって、幼い頃だけは違っていた。
その頃、天王夏祭りがある日の薫は、両親か専属使用人の野崎小夜に手を引かれ、大河の土手の上に連れて行かれた。そこには大勢の使用人達が集まっていて、大河の向こう岸の上空に上がる花火を見ながらの宴会が行なわれるのだ。
たぶん、大人達にとっては楽しいイベントなんだろうけど、薫には全く楽しくは無かった。それは当時の水草家において、薫の扱いは決して良いものではなかったからだ。
それでも、宴会の最初の方は良かった。だけど、すぐに二人は薫から離れて、それぞれ男衆、女衆の集まりの方に行ってしまう。世話役の小夜はめんどくさがりで、最低限のことしかしてくれない。結局、薫は暗がりの中に一人だけ取り残されて、冷たいおにぎりを齧っているのが常だった。
もし、そこに祖父母がいれば違っていたんだろうけど、あいにく彼らは天王池公園の特別席で、農協の偉い人の接待を受けていて不在だった。もっとも、祖父の方は薫が三歳の年の夏祭りの後に隊長を崩して亡くなってしまったのだが、四歳の年からは祖母の幸子が使用人の瀬古を伴って農協の接待に出向くようになったのだった。
ともあれ、五歳の年までの夏祭りは、暗闇の中、一人で冷たいおにぎりを頬張るだけの淋しいイベントだったのだが、それが中州分校に上がった六歳の年から一変した。親友の水瀬美緒を始めとした分校の友達と一緒に集まって、お菓子を食べながら騒ぐことが認められたからだ。
普段、暗くなった後は屋内にいるのが当たり前の子供達にとって、夜に外で遊ぶというだけでも、わくわくする。まして仲の良い友達と一緒だったら尚更だ。それで、ようやく夏祭りが楽しいイベントになった薫だったけど、そうなると今度は、欲が出てくる。
その頃の薫にとっての一番の不満は、中州の土手から見える花火が、とても小さいことだった。それなのに大人達は、花火が上がる度に歓声を上げる。それが小さい頃の薫には、どうしても不思議でならなかった。薫は、もっと大きな花火が見たかったのだ。
この「もっと大きな花火が見たい」という薫の願いは、すぐに親友の美緒とも共有することになった。薫たちが二年生になっての夏休み、二人並んで小さな花火を眺めては、「せめて、あっち側の土手の上から花火を見られたらなあ」と言い合ったりしたのだった。
その翌年、薫と美緒は親達に、「車で向こう岸まで連れて行って欲しい」とねだったのだが、どちらの親にも適当にはぐらかされてしまった。それは他の子供達も同じだったようで、そのことが分校で話題になった時、二つ上の神主の息子、河村正人が理由を教えてくれた。
「そんなの、親達に言っても無駄無駄。大人はさあ、花火よりもお酒を飲むことの方が大事なんだよ。お酒を飲んだら、車の運転ができないんだ。そしたら、帰って来られなくなっちまうだろ」
大人達にとって花火を見るのは、お酒を飲む為の口実に過ぎない。つまり花火は二の次で、いくら大きな花火を見られたとしても、お酒が飲めなくなっては本末転倒という訳だ。
当時はまだ、マニュアル運転車が主流の時代。お祭りの日にタクシーを呼ぶのは至難の業だ。使用人の誰かに運転させる方法もあるにはあるのだが、そんなことで恨みを買うのは馬鹿らしい。そう考えると、正人が言ったことに合点が行く。
それでも薫は、大きな花火が見たかった。
その夢が叶ったのは、薫が小学六年生の夏だった。水瀬美緒の若い叔母の朱音が自分の車を買って、その車で美緒と薫を天王夏祭りに連れて行ってくれたのだ。ちなみに、この時は、六月に四歳になった妹の楓も一緒だった。
初めて見る大きな花火は本当に凄くて、楓は息をするのも忘れて食い入るようにそれを見た。隣では美緒が夢中になってはしゃいでいたのだが、幼い妹の楓は、あまりに大きな音に泣き出してしまった。だけど、朱音が上手にあやしてくれて、すぐに楓や美緒と一緒に歓声を上げるようになった。
凄かったのは、花火だけじゃない。巻藁船も綺麗だったし、初めて見る大勢の人混みだとか、ずらりと並んだ屋台にも驚いた。つまり、それは薫が初めて行った大きなお祭りなのだった。
そんな中、楓が飛び付いたのは、金魚すくいである。朱音は楓じゃ無理だと言ったのだが、楓は言うことを聞かない。案の定、すぐにポイが駄目になってしまい、泣き出してしまった。
屋台のオジサンは金魚を一匹くれたけど、それでは楓は満足しない。「お姉ちゃん、代わりにやって」とねだられる。
それからが、十分後のことだった。
「薫、薫ったら、もう止めなよ。金魚、お椀からはみ出ちゃってるよ」
美緒に肩を揺すられて、ようやく気が付いた。薫のお椀には金魚が溢れんばかりに溜まっている。顔を上げると、心配そうな屋台のオジサンと目が合った。
「お嬢ちゃん、妹さんの分もお金は返すから、そこらで止めにしてくんないかな」
「あ、はい」
薫は慌ててお椀の中の金魚をぶちまけた。後ろを振り向くと、そこには大勢の人達が集まってて、薫は皆に注目されている。
朱音が笑っていた。それに釣られて美緒も笑う。ただ一人、楓だけが「金魚さん達、持って帰らないの?」と不満顔だった。
それで屋台のオジサンは、ビニール袋に金魚を十匹入れて、それを渡しながら楓の頭を撫でてくれた。そして薫に、二人分のお金を返してくれる。
「やっぱ、こういうのって薫、うまいよね」
「器用だよねえ。それに凄い集中力……」
「だって、楓のお姉ちゃんだもん」
楓が「あたしのお姉ちゃんは、天才だあ」と言ってはしゃぐ。
十匹の金魚は、四匹を美緒にあげて、六匹を持ち帰った。屋敷に着くと、祖母の専属使用人の瀬古梓紗が蔵の中で見付けたという金魚鉢に移してくれた。もちろん、置き場所は祖母の幸子の部屋だ。
その日から薫は、午後になると幼い楓と一緒に祖母の部屋に行って、ちゃぶ台の上に置かれた小さな金魚を眺めながら、梓紗がくれたおやつを食べるようになったのだった。
★★★
中学に入ってからも、天王夏祭りには水瀬朱音が連れて行ってくれた。中二と中三の時には、他の中学の友達も一緒に回ったりして、行きと帰りだけ朱音に送ってもらうようになった。
高校一年の時は剣道部の同期の皆で集まって行ったから、妹の楓だけ、朱音と美緒に連れて行ってもらった。
そして、高二の時は元カレの藤田翔と一緒に会場を回り、再び金魚すくいでやらかしてしまった。その後、帰りは美緒と楓に合流し、朱音のアパートに泊めてもらった。その夜に楓を寝かし付けた後、朱音と美緒の二人から翔のことで質問攻めに遇ったのも、今では懐かしい思い出だ。
高校三年と大学一年の時は、コロナ禍で夏祭りは中止となった。
大学二年の時は、再び翔と二人で会場を回った。
大学三年の時も翔と二人のつもりだったが、妹の楓が付いて来てしまった。その時の楓は、中学一年。ちょうど思春期に差し掛かったばかりの楓は、薫の事実上の彼氏である藤田翔が、どんな人なのか見たくなったらしい。何度も何度も頼み込んでくるので、薫は根負けして一緒に連れて行くことにしたのだった。
薫は、翔がどんな反応を示すのか内心心配だったけど、楓とは意外にも普通に接してくれてホッとした。
聞けば、翔には五つ年下の従妹がいるらしい。しかも、その彼女は家も近所で、二人とも一人っ子。だから翔にとって、その子は妹同然の存在なのだそうだ。つまり翔は、年下の女子の扱いに慣れているということだ。
ちなみに当時、その子は天王高校の一年生で、薫たちの後輩ということだった。
「その従妹さん、五歳も年下だったら、可愛くてしょうがないんじゃないの?」
「そんなわけないじゃないか。生意気盛りの女子高生だよ。そもそも、楓ちゃんに素直な子じゃなくて、すっごいひねくれ者でさあ」
「うちの楓だって、甘えん坊な所があって大変なんだよ」
「もう、お姉ちゃんったら」
「あはは。少しくらい甘えん坊なのはしょうがないさ。それだけ薫が頼りにされてる証拠だろ」
「むぅ。翔くん、楓の肩ばっかり持つんだもん。ずるい」
「あ、お姉ちゃん、妬いてるんだ……痛っ。お、お姉ちゃんが、ぶったあ」
「もう、楓、うるっさーい」
最初の内は楓も、そんな調子で猫を被っていたのだが、慣れてくると徐々に調子に乗って、普段の悪戯好きな所が顔を覗かせる。
「ねえ、藤田さん。お姉ちゃんとは、もうエッチしたの?」
「えっ?」
「その反応じゃ、まだってことだね。でも、キスだったら、あるんでしょう? ねえ、いつしたの、キス……」
「こらっ、楓っ。あんたったら、翔くんに何てこと言ってんのよ。そういうことは、訊いちゃ駄目でしょうがっ!」
「だってえ。お姉ちゃんに訊いても、ちっとも教えてくれないじゃん。ね、ね、藤田さん、教えて?」
「……うーん」
「えっ、ひょっとして、まだとか?」
「さあ、どうかな……」
「ええーっ、まだなの? だって、高校一年の時から付き合ってんだから、もう六年じゃん。それで、キスもしてないって、どうゆうこと? てか、それって、ヘタレじゃん……痛っ、ううっ、お姉ちゃんが、ぶったあ。お姉ちゃんが、ぶったあ」
「だから楓は、うるさいってのっ!」
★★★
あんなに昔は行きたかった天王夏祭りだったけど、今年はあまり気が進まなかった。行けば、どうしても元カレとのことを思い出してしまうだろうからだ。中州にいた頃とは違って、少し歩くだけの距離に住んでいるというのに、とても皮肉なことだと思う。
でも、これだけ近いと、きっと花火の音が随分と大きく聞こえるだろうし、ベランダから花火が見えてしまう気もする。であれば、いくらアパートの部屋に籠っていた所で、昔のことを思い出すのは避けようがないのかもしれない。
だったら、バイトを入れてしまえば良いと言われそうだが、バイト先のコンビニEマートは、夏祭りのメイン会場である天王池公園とは目と鼻の先にあるのだ。それこそ花火の音がするとかのレベルじゃなくて、祭りの雰囲気がダイレクトに感じられる距離である。バイトをすることで多少は気が紛れるだろうけど、そうは言っても限度というものがある。
「てことはさあ、私と一緒に夏祭りへ行っても同じってことじゃん」
最後は結局、こんな風に妹の楓から言われてしまい、薫は夏祭りに行くことになった。
薫と楓の他に一緒に行くメンバーは、八木颯太と牧野智也の男子二名だ。その男子達と楓は、夕方まで市立図書館でお勉強。浴衣に着替える為、楓だけが一度アパートに戻って薫と合流する予定だったのだが、蓋を開けてみると颯太も楓に付いて来てしまった。楓を一人で行かせるのが心配だったようだ。
その間、薫はと言うと、夕方の五時まではEマートでバイトだった。それから急いでアパートに戻り、一緒に来てしまった颯太を楓の部屋に押し込めて、さっとシャワーを浴びてから、大急ぎで浴衣に着替える。
薫が着るのは、大学の時も着ていた紺色の浴衣。元は祖母の幸子が若い頃に着ていた物だ。
楓が着る浴衣も紺色だが、こっちは、中野美香に貰ったものだそうだ。美香が高校に入る前まで着ていたものらしい。つまり、美香は中学の時、既に百七十センチあった訳だ。
楓の髪は短いので、ほとんどいじりようが無いけど、薫はちゃんとお団子にまとめている。薫本人は歳相応に見えるだろうと思うのだが、楓に聞くと微妙な顔だった。
「どうしたの、楓?」
「うーん、似合ってはいるんだけどさあ……あ、そうだ。颯太が暑そうにしてるから、もう行くよ」
夕方とはいえ、エアコンを点けていないと室内は暑い。一応、薫も楓も着替えが終わったので颯太は台所の食卓に座らせているけど、それでも暑そうだ。
薫は、ウエストポーチの中身を厳選して和服用の小物入れに移すと、それを胸元に忍ばせて外に出た。
ちなみに小物入れの中には、ちゃんと拳銃も入れてある。肌身離さず持っているようにと、北島亜紀に言われているからだ。
アパートから外に出ると、辺りは夕焼けに染まっていた。楓に「お姉ちゃん、もっと早く歩いてよ」と急かされるのだが、浴衣に草履では、いつものようには歩けない。
薫が「これって、逃げたりするのが大変かも」と呟くと、呆れた顔の楓が「だから、浴衣は止めた方が良いって言ったじゃん」と返してくる。
「だって、浴衣じゃないと、お祭りの気分になんないじゃない」
「それでも、安全第一なんじゃないの?」
「うーん……まあ、良いじゃない。なんとかなるよ」
薫がそう言うと、何故か楓に溜め息を吐かれてしまった。
薫は颯太に、「楓を乗せて、先に自転車で行ってくれても良いよ」と提案したのだが、今度は颯太にまで呆れた顔をされてしまった。
それでも、別に変な男に絡まれたりすることもなく、Eマートの駐車場に着くことができた。
薫たちがEマートに寄ったのは、牧野智也と合流する為だ。図書館から直接に姉の愛衣が働くEマートに来ていた智也は、店に近付くと自分から外に出て来てくれた。一緒に愛衣も出て来て、「智也のこと、宜しくお願いします」と頭を下げてきたので、「任せて頂戴」と答えておく。
コンビニEマートの前の道は、既に人でごった返していた。その中に強引に割り込んで、何とか天王池公園の入口に辿り着く。石段を下りて、そこからは少し身動きが取り易くなる。
薫と楓が浴衣姿なのに対して、颯太はポロシャツにジーンズ、智也はTシャツにハーフパンツといった普段どおりの恰好だ。周囲の人達を見ると、女性は浴衣比率が高いけど男性はそうでもないので、これはこれで有りなんだろう。
「最初に金魚すくいの屋台に向かうけど、お姉ちゃんも良いよね?」
「うん、楽しみ」
ちなみに、楓は二年前に颯太と一緒に来て、その時に彼女は初めて金魚すくいで無双したそうだ。今日は、その腕前を薫の前で披露したいらしい。
意気揚々と金魚すくいの屋台に向かう薫と楓の後を、男子二人が付いて行く。だけど、何も知らない智也は、今ひとつ納得していないようだった。
「あの、僕、タコ焼きの方が……」
「大丈夫だから、ちょっとだけ待ってろ。タコ焼きだろうと何だろうと、ちゃんと腹いっぱい食えるから、楓さんを信用してろ」
智也の肩を颯太が軽く叩いて待つように言いくるめていると、突然、楓が嬉しそうに叫んだ。
「あったあ。あったよ、お姉ちゃん、金魚すくい」
★★★
幸いなことに、その屋台は人が少なくて、すぐに金魚すくいが始められそうだった。
颯太と智也は見ているだけで良いと言うので、薫は二人分のお金を屋台のオジサンに渡した。そして楓と一緒にお椀とポイを受け取ると、早速、細長い水槽の前にしゃがみ込む。隣で楓が、「今日はストップが掛かるまで行くからね」と言う。薫は、『ほどほどにした方が良くない?』と言おうかと思ったけど、黙っておいた。
一拍置いて楓が、「お姉ちゃん、始めるよ」と言った。サッと水槽に目をやると、まだ時間が早いからか金魚の数は多めだった。『これなら大丈夫だ』と思った薫が、ちらっと隣を見ると、既に楓が猛烈な勢いで金魚をお椀の中に入れている。
現在、薫と楓の他に金魚の入った水槽を囲んでいるのは、女子二人。一人は小学生くらいで、もう一人は高校生くらいの子だった。その二人は、薫と楓の向かい側にしゃがんでいる。そして二人とも、まだ一匹もすくえていなかった。
その二人が、楓の様子をじっと見ている。小学生の方は明らかに怯えているようだ。その隣の女子高生は席を立って、連れの男の子が代わりに座った。だけど、その彼もポイを握ったままで全く動こうとしない。
薫は、その男の子を視界の隅に捉えながら、おもむろにポイを動かし始めた。
それから、約三分。男の子は、相変わらずポイを握ったままだった。彼の隣の小学生は既にポイを駄目にして席を立っている。新たな客は誰もいなくて、薫と楓の姉妹だけがポイを動かし続けていた。
そんな中、唐突に楓が口を開いた。
「お姉ちゃん、ストップみたい」
「えっ、もう?」
「だって、お椀から金魚が溢れそうじゃん」
「あ、そだね」
気が付くと左手のお椀はずっしりと重くなっていて、これ以上は金魚が入らない状態だった。薫が顔を上げると、屋台のオジサンが物言いたげな表情をしている。隣を見ると、やはり楓も同じ状態だった。
その楓が屋台のオジサンに目配せすると、お椀の中の金魚を全て水槽にぶちまけた。それを見た薫が、同じように金魚を水槽に逃がしてやる。
すると立ち上がった楓にオジサンが、小さな紙の束を渡してくれる。薫も立ち上がって、「それ、何?」と訊くと、「商品券。お姉ちゃんの分も一緒に貰っといたから」と返してくる。
後ろを振り返ってみると、いつの間にか大勢の野次馬が集まっていた。
薫は、こないだの射撃訓練の時のことを少しだけ思い出したのだった。
★★★
金魚すくいの屋台から離れた所で、花火が上がり出した。妹の楓が「綺麗」と叫ぶのを横目に、薫は街灯の下に向かう。そこで商品券の金額を確認すると、五千円分あった。楓のと合わせて、一万円。
これだけあれば、タコ焼きをお腹いっぱい智也に食べさせてあげられそうだ。ただし、今晩しか使えないらしい。
「お姉ちゃん、顔が怖いよ」
どうやら自分で気付かないうちに、笑っていたようだ。断続的に花火に照らされる不気味な笑いは、相当に怖かったんだろう。
颯太の方を見たら、露骨に目を逸らされてしまった。
「もう、そんなことより、タコ焼きの屋台に行くよ」
スターマインがはじける音を背中で聞きながら、薫は三人を置いて、すたすたと食べ物の屋台が並んでいる方へと向かって行った。
★★★
その後、颯太も智也も、そして妹の楓もまた、かなりの食欲を見せた。最初にお好み焼きを食べて、次にたこ焼き、焼きそば、それからチョコバナナに焼きとうもろこし……。
三人が「もう食べ物は良いや」と言い出したので、残りの商品券は、射的に注ぎ込むことにした。
最初の二発は、外れた。
「うーん、お姉ちゃんの射撃訓練の成果、イマイチだね」
「これは、違うと思うよ。わざと当たらないようになってるんだから」
三発目が狙ったぬいぐるみの端を掠り、その後は、ちゃんと当たるようになった。そして、次々とぬいぐるみを下に落として行く。気が付くと、ぬいぐるみについては、ほとんど全てゲットしてしまっていた。
後ろを振り向くと、お決まりのように野次馬が集まっている。ところが、その中に薫は、見知った顔を見付けた。同時に楓も気付いたようで、薫より先に声を上げた。
「あ、中野先生だあ」
「楓ちゃん。こんばんは。げっ、薫さんじゃん」
「何なの、そのお化けでも見たような反応」
「だってえ」
「こんばんは、水草先輩」
「あ、久美ちゃん。松永くんもこんばんは」
市役所で聞いた通り、松永陽輝が大鹿久美と中野美香を伴って来ていたのだ。
その三人は全員が浴衣姿で。特に女性二人は背が高くてスタイルが良いので、大人っぽい浴衣がとても良く似合っている。
「水草先輩、やっぱり来てるじゃないですかあ」
「だって、妹にせがまれちゃったし、知り合いの男の子達も行きたいって言うし……」
「あれ、颯太じゃん。ふーん、なるほど、楓ちゃん目当てかあ」
「な、なんですか、美香さん」
「は、は、は、教師というものは、全てお見通しなのだよ」
「僕、北高なんだけど」
「えーと、そっちの子は?」
「あ、牧野愛衣さんの弟さんです。智也くん、こちらは私と愛衣の担任の中野先生だよ」
「あ、あの、牧野智也です。いつも姉がお世話になってます」
「へえ、さすが牧野さんの弟だね。しっかりしてるわ。智也くんは、中学生?」
「はい。天王北中一年です」
「ふーん、美香って本当に先生やってるんだあ。なんか、凄い違和感が……。あれ、何よ、楓?」
「もう、お姉ちゃんも、ちゃんと挨拶しなきゃ駄目でしょうが」
「ええーっ、何で……あ、そう言えば、去年は楓が散々お世話になっちゃったんだよね。楓から聞いたよ。父の葬儀の時は、なーんにも言ってくれないんだもん……。あ、そっか。どうも、ありがとうございました。それと、いつも妹が、大変お世話になっております」
楓が睨んでくるので、途中から薫は、ちゃんとお礼を言った。でも、薫が頭を下げると、美香は動揺した様子を見せた。
「ちょ、ちょっと、そんなことされると、何か気味が悪いんですけど……」
「それ、どういうことよ?」
薫が怪訝な声を上げた所で、久美が割って入ってきた。
「そんなことよりも、水草先輩、さっきの射的、見てましたよ。感動しました。さっすが水草先輩ですよねー。あ、それと、その浴衣、すっごく素敵ですよー」
褒められて何となく嬉しくなった薫は、久美と美香にぬいぐるみを分けてあげた。
颯太と智也にもあげて、後で愛衣にもあげることにした。なんかサンタクロースにでもなった気分だ。
「あれ、オレは?」
「えっ、松永くんもぬいぐるみ欲しいの?」
「い、いや……」
「もう、松永先輩、欲しいなら欲しいって言えば良いじゃないですかあ」
松永を久美がからかっているのを見て、薫は松永に狸のぬいぐるみを渡す。
「ふふっ、そのぬいぐるみ、松永先輩にそっくりですよー」
「ど、どこがだよ」
「とぼけた顔とか、かな?」
松永とじゃれ合っている久美を横目に、薫は今も次々と夜空に打ち上げられる花火と、天王池に浮かぶ巻藁船とを見る。
「やっぱ、綺麗だね、お姉ちゃん」
「えっ、私?」
「もう、花火だよ。ここで見る花火って、中州の堤防から見る花火より、ずっとずっと大きくて綺麗」
「そだね」
「お姉ちゃん、知ってた? 日本の花火って、特別みたいだよ。海外のよりも綺麗なんだって」
「そうなの?」
「日本人の職人が丹精込めて造ったってことなんじゃない?」
「そっかあ。当分、見納めかも」
「ていうか、また、お姉ちゃんとこうして花火、見られたらいいな」
「うん」
「また見ようね、花火」
「うん」
「約束だよ」
「うん」
もちろん、薫だって花火は見たい。毎年、毎年、こうして見られるなら、それが一番良いに決まっている。
でも、次に見られるのって、だいぶ先のことになるんだろうなあ。
そう思うと正直、淋しい。だけど、口には出さずに、ただ頷いておいた。
★★★
美香たち三人は、花火が終わる前に大衆酒場に行くと言って、天王通りの方に歩いて行った。薫も誘われたけど、未成年者三人がいるので断った。
花火が終わると、薫たちは残りの商品券で、お好み焼き三つを買った。愛衣と彼女の母親の由利さん、そして薫の母、佳代の分だ。終わりがけということで安くしてくれて、二つ分の商品券で済んだ。
「瑛太の分も勝っとく?」と颯太に聞いたら「いらない」と言われたので、余った商品券に少しだけお金を足して、五人分の林檎飴を買った。今いる四人と愛衣の分だ。
四人は、その林檎飴を食べながら、コンビニEマートに向かった。
男子二人はEマートに着く前に食べ切っていたけど、薫と楓は半分以上が残っている。それを持って店に入って良いかどうかで悩んでいると、愛衣が外に出てきてくれた。と思ったら、日比野店長まで付いて来てしまった。
「うわあ、水草さんの浴衣姿、良いねえ。凄く綺麗だよ……あれ、こちらは水草さんのお姉さん?」
「「店長っ!」」
何故か、薫と愛衣の怒鳴り声がハモった。
「店長、こちらは私の同級生の楓ちゃんですよ。私と同じ歳ですからねっ!」
「ええーっ、そうは見えないねえ」
日比野店長が、楓の姿を繁々と見ながら呟いた。
「こんばんは。私、愛衣の友人で薫の妹の水草楓です。姉がいつもお世話になってます。あの、私って、そんなに老けて見えます?」
何故か、楓も怒っていた。
それなのに全く気付かない日比野店長は、「えっ、そんなことないよ」と否定した後で、しきりに自分の髪の毛を撫で付けながら、「いやあ、綺麗な子は、見るだけで幸せな気分になれるなあ」と呑気な言葉を口にする。
たぶん、彼に悪気は無いのだ。もちろん、薫たちをどうこうしようなんて気は、これっぽっちも無い。いつだって彼は、ただ見てるだけで満足なのである。
そこで薫は、愛衣がセーラー服姿のままなのに気付いた。
「あれ、愛衣ちゃん、着替えなくて良いの?」
「はい。実は今朝、着替えの服まで洗濯機に入れちゃって、持ってこれなかったんです」
薫は、一緒に帰る全員の格好をさっと見てみる。
拳銃は、ちゃんと懐に隠し持っている。けど、浴衣での立ち回りは大変だ。足元は草履だから、走ったりもできない。それは、楓だって同じだ。
薫は一瞬だけ顔を顰めてから、「まあ、いいや」と呟く。悩んだって、どうこうなるもんじゃない。最悪は、こないだの射撃訓練の時の要領で銃を使えば良い。
「じゃあ、行こっか? 店長、お先に失礼しまーす」
そう言って薫は、率先して歩き始めた。
★★★
自転車を引いているのは、愛衣と颯太と智也だった。愛衣は当然として、颯太と智也の二人も、Eマートの駐車場に自転車を置かせてもらっていた。それに、図書館での勉強道具とかも、愛衣のロッカーで預かってもらっていたようだ。
颯太に薫は、先に一人で帰るように言ったのだが、一緒にアパートまで付いて来ると言って聞かない。確かに、彼がいないと女子三人に男子が一人。しかも、その男子は小柄な中学一年生といった、何とも心もとないメンバーになってしまう。
しかも、女子三人は浴衣にセーラー服姿。いかにも、「夏祭りの帰り」といった出で立ちだ。
自転車組の三人を先沙希に帰すことも考えたのだが、この時間にセーラー服姿の愛衣を連れて帰すのは不安だ。いや、それ以上に自転車組の三人が、薫と楓を気遣って一緒に行きたいと言う。
お土産のお好み焼きやら、ぬいぐるみやらがあって、結構、荷物も多い。
それでも、ここは開き直るしかないと思い、薫は残りの林檎飴を舐めながら歩いて行く。薫の隣で、楓も同様に林檎飴を舐めている
「薫さん、その大きな包み、私が持ちますよ」
歩き出してすぐ、愛衣が声を掛けてくれたけど、薫は「大丈夫だよ」と断わった。
その愛衣が、楓の林檎飴を羨ましそうに見ているのに気付いた薫は、「愛衣ちゃんの分もあるよ」と言って、颯太に目配せする。颯太が自転車の籠にあった紙袋を愛衣に差し出すと、彼女は顔を綻ばせて、それを受け取った。
「うわあ、すっごく嬉しいかも」
神社の前を通り、そろそろ危険な地区に差し掛かった時だった。颯太が楓の方を見て、「やっぱ、その格好でうろうろするのって、ヤバくないですか?」と言い出した。
薫の方に楓が不安そうな顔を向けてきたので、薫は軽い調子で、「大丈夫じゃない?」と言っておく。
「お祭りの日なんかに、悪さするチンピラなんていないよ」
すると横で楓が、「お姉ちゃんのその発言、全く説得力が無いんだけど」と言う。薫は楓をキッと睨んてから、「大丈夫だと思えば大丈夫なのっ!」と言い放った。
今更、悩んだって仕方が無いのだ。
浴衣とセーラー服姿の女子三人は、リンゴ飴を舐めながら、ゆっくりとした足取りで暗い貧民街の中を進んで行く。辺りはすっかり静まり返っていて、何処にも人の姿が見られない。さっきまでの騒がしかった人混みが、まるで嘘だったように思えてしまう。
何処からともなく、肉が腐ったような悪臭が漂ってくる。生ぬるい風が頬を撫で、道に散らばった紙屑がカサカサと音を立てる。
そんな中、ふいに前方の脇道から三つの人影が現れた。そして隣の楓が、「お姉ちゃん」と小さく叫んだ。
★★★
薫は、サッと横目で周囲を見回した。逃げられる道が無い訳じゃないけど、大回りになる。それに、細い道に入る方が危険な気もする。どのみち、この格好と今のメンツでは逃げ切れない。
薫は足を速めて、一番前に出た。
立ち止まる薫たちの方に、男達がゆっくりと近付いて来る。やがて近くの街灯の光に、先頭の男の姿が照らし出される。
その姿を見て、『あ、やっぱり』と薫は思った。
ところが、いつの間にか再び薫の横に来ていた楓の様子が、どこかおかしい。怯え方が、普通じゃないのだ。まるで、目の前の男のことを知っているような感じだ。
更に、楓のすぐ後ろにいた颯太もまた、同じように怯えていて、「薫さん、逃げようよ」と小声で言う。その仕草が小さかった頃の彼と同じで、薫は心の中で笑った。
と、その時、後ろの方で声がした。
「お父さん!」
愛衣の声だった。
すると薫の横の楓が、「えっ?」と小さく叫んだ。
「愛衣のお父さんなの?」
楓が困惑した声で尋ねてくる。薫は頷いて、「そうだよ」と答えた。
「な、何で……」
楓の掠れた呟きは、たぶん薫にしか聞こえていない。
「あの人、私、中州で見たことあるの」
「えっ?」
今度は、薫の方が驚く番だった。
今日も愛衣の父親の牧野秀樹は、サングラスをしているのだが、それでも楓や颯太には彼が誰なのか判るようだ。つまり、それだけ何度も彼は、中州で狼藉を働いていたんだろう。
だけど、後ろには愛衣と智也がいる。薫は楓に目配せして、ここは黙っておくことにした。楓が颯太にも小声で指示したようだ。
薫は、手に持った林檎飴を舐めながら、相手の出方を伺っていた。
ところが、牧野秀樹が薫の姿を認めた途端、さっきまであった殺気みたいなものが霧散してしまい、むしろ困惑した表情へと変わったのだ。
薫が「あれ?」と呟いた時、秀樹は「また、お前か……」と呟いた。
「なんだ、愛衣と智也も一緒か」
すると、秀樹の後ろにいた二人が騒ぎ出した。
「兄貴、こいつら上玉じゃないですか。三人とも姦っちゃいましょうよ」
「俺、背が高い方が良いっす」
「いや、もう一人の方が綺麗じゃねえか」
「後ろの子も可愛いっすよ」
「馬鹿、あれは俺の娘だ」
秀樹のその言葉で、後ろの二人が黙り込んだ。
「ほら、お前ら、ずらかるぞ」
そう言うと秀樹は、薫たちの横を通り抜けて、さっさと歩き出す。他の二人は不満そうだったが、「仕方ねえな」と言って秀樹に従った。
最後の男が薫の横を通り過ぎる時、嫌らしい笑みを浮かべて「姉ちゃん、また今度な」と囁いた。薫は林檎飴を舐めながら、相変わらず無表情で聞き流したのだが、楓の方は、そうではなかったようだ。薫の浴衣の裾をぎゅっと握って、「お姉ちゃん、大丈夫なの?」と訊いてくる。
薫は少し考えてから答えた。
「私は平気だけど、楓は怖い?」
すると、楓はすかさず言った。
「あったり前じゃない」
「そっか。まあ、そうだよね。私だって、楓のことは心配なんだよ」
「えっ?」
「お母さんにも話したんだけど、やっぱり、今のアパートから引っ越した方が良いと思う」
薫は楓にそう小声で言った後、後ろを振り向いて声を張り上げた。
「さあ、行くよ」
そして、飴が剥がれた所のリンゴを大きな口でガブっと齧った。すると、口の中に酸っぱい味が一気に広がったのだった。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
次話は日曜日、翔視点です。プロポーズの翌日、婚約指輪を渡して、その後、莉子が行きたいという所に向かいます。
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