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第54話:中州の子供達(3) <薫サイド>

再度、見直しました。


水草薫みずくさかおるのもっとも大切な親友は、水瀬美緒みなせみおである。薫は美緒と小学校に上がる前年の夏に出会い、小学校と中学校の九年間、一緒の学校に通って、一緒に過ごした。


水瀬家は、水草の分家のひとつではあるが、所有する田畑はそれほど広くはない。それでも水瀬家が水草一族の中でも発言力の強い家のひとつに数えられていたのは、水瀬家の夫婦、水瀬(ひろし)雅美まさみが共に水草(たけし)と天王北高校において親しい同級生だったからである。


ただし、佳代だけは、雅美のことを苦手にしていた。

雅美は天王市の出身で、やたらと明るく押しが強い性格である。一方の佳代は雅美と真逆の内気な性格。しかも、雅美は佳代より三歳年上で、同じ天王北高の先輩だ。陰キャな佳代の性格からして、おいそれと声を掛けられないのは当然だろう。


一方の雅美は、別に佳代を嫌ってなどいない。むしろ、可愛い後輩だと思っている。だけど立場上、佳代は本家の奥様である訳で、やはり気軽に声を掛けづらい位置関係なのである。

たけしであれば、学生時代の同級生なのでタメ口が可能。だが、佳代の場合は同じ北高でも、在学期間が重なっていない。学生のノリが通用しないと言う訳だ。


そんな風に母親同士の関係が微妙だったことが災いし、お互い中州なかすで唯一の同性の同級生でありながら、薫と美緒の二人は小学校に上がる前年まで引き合わせてもらえなかったわけだ。

本来、娘達のことを思えば、もっと早く合わせてやるべき所だが、それを怠ったのは、親達の怠慢である。とりわけ、強い立場である武と佳代の方の責任が重大なのは言うまでもない。ここでも、この二人の薫に対する無関心さが伺える。


ともあれ、出会ってからの薫と美緒は、急速に親しくなって行った。秋頃から美緒は、毎日のように水草家に来ていたし、薫が正人まさと光流ひかると一緒に遊ぶ時は、美緒も一緒だった。

正人と光流は、ある程度、運動ができない奴は男でも嫌がる傾向にあるのだが、美緒は薫ほどではないにせよ、一通りの運動はできる。治水神社での木登りだって楽々こなしてしまうのだ。もっとも、『スカートのまま登っちゃうのは、どうなんだろう?』と薫は内心で思っていたのだけど……。


それに小さい頃の美緒は成長が早く、しかも五月生まれということもあってか、小柄だった薫と比べると一回り以上も身体からだが大きかった。その為、薫にとっては、いつも守ってくれる「守護神」のような存在だったのだ。

もちろん、薫は逃げ足が速い子だ。それで、たいていの効きは逃れることができるのだが、如何いかんせん身体からだが小さい分、いわゆる接近戦には弱い。万が一、逃げ切れなかった場合は、万事休すである。

なので、隣に美緒がいてくれるというだけで、いつも薫は心強く思うのだった。


それぞれの母親達がそうだったように、二人の性格は正反対。美緒は、とにかく活発で何にでも積極的だ。それに表情が豊かで、顔の印象がころころと変わる。当然、誰とでもすぐ仲良しになれるし、初めて会う大人にだって愛想良く接することのできる、いわゆる「誰が見ても可愛いアイドルのような女の子」だった。

その反面、美緒には男勝りな側面があって、誰にでもずけずけと物を言うし、押しだって強い。ある意味、分かり易い性格であり、その点でも薫とは正反対。たぶん、そこも母親譲りなのだろう。


薫の母、佳代は、美緒の母、雅美のそういう点を苦手としていた訳だが、薫は美緒のそんな所も嫌いでは無かった。それは、「美緒は、私の嫌がることは絶対にしない」という確信があったからで、幼くして出会った薫と美緒の場合と、成長して出会った佳代と雅美の違いなんだろう。

実際、薫と美緒の場合は、お互いが真逆の関係だからこそ、惹かれ合って良い友人関係が築けたのだといえる。薫は美緒と一緒にいると安心できたし、美緒も好んで薫と一緒にいてあれこれと世話を焼いてくれた。


薫が中州分校に通っていた六年間、美緒と一緒にいることで、薫は常に満たされていた。美緒の影に隠れてさえいれば、怖いものなど何も無かった。

中州分校の子達は、基本的に仲が良い。少人数だし、大半の子が幼い時からお互いを知っているのだから当然だ。

ただ、それでも、いざこざが起こらないわけではない。そんな時、相手がたとえ上級生であっても、美緒は必ず薫を守ろうとする。お転婆で気が強く身体からだも大きかった美緒は、女子にしては腕っぷしが強くて、男子達にも恐れられていた。

それでいて美緒は、見た目が愛くるしい。それに、良く気が付くし、相手を思いやる優しさだって兼ね備えている。とにかく、美緒は目立つ活発な子で、良くしゃべるし良く笑う。集団の中で常に輝き、周囲を引き付けてやまない。そんな存在感ある女の子が薫の自慢の親友、水瀬美緒だった。


たとえるなら、薫が月で美緒は真夏の太陽だったのだ。



★★★



薫の妹のかえでとは、八つ歳が離れている。つまり、楓が生まれたのは、薫が小学二年生の秋のことで、それまでの長い間、薫はずっと一人っ子だったのだ。

ちなみに、薫の父のたけしも一人っ子なので、父方の「いとこ」はいない。


佳代の方には兄がいるのだが、住んでいるのは九州だ。それでも、その伯父には一応、子供が二人いるらしい。「らしい」というのは、一度も薫は会ったことが無いからだ。

その佳代の両親、つまり母方の祖父母も健在であり、今は伯父と一緒に九州で暮らしている。ただし、この祖父母は中州なかすにいた頃から薫とは折り合いが悪く、薫は彼らに嫌われていた。


ついでに言うと、祖父のしげるも一人っ子のようなものである。正確には妹がいたのだが、夭逝している。

祖母の幸子の方には弟がいて、今でも健在だ。この大叔父の松浦栄治まつうらえいじは旧川田(かわた)村に住んでいる農家で、やはり子供は一人息子だけである。彼は結婚が遅くて、二人いる子供は、どちらもまだ小学生だ。


要するに、薫の親戚は非常に少ない。つまり、薫たちには頼れる者がほとんどいないということであり、このことが今回、薫たちを貧民街に追い込んだ要因のひとつなのである。


さて、そんな薫でも、妹分と呼べる存在ならいる。薫よりひとつ年下の中野美香(みか)だ。


中野家は中郷なかごうの集落にあって、水草家の屋敷からは少し距離があるので、小さい頃の薫が一人で行き来したりできなかった。それでも薫が五歳になった三月に初めて会った後、毎月一回は必ず顔を合わせていた。そして、薫が美緒と出会った八月のお盆の日、成り行きで妹認定してしまった訳だ。

それからは、すっかり懐かれてしまい、美香は母親の美穂みほに連れられて、頻繁に水草家の屋敷にやって来ることになってしまった。


薫は、そんな美香のことを正直な所うっとおしく感じていた訳だが、妹分にした以上、あまり邪険に扱う訳にもいかない。その時の薫は五歳の一人っ子とはいえ、既に姉としての気質を持ち合わせていたのである。

そんな美香が来るのは、だいたい午後なのだが、曜日と時間はバラバラだった。薫が美緒と二人でいる時だったら、まだ良い。三人で少し女の子らしい遊びをすれば良いからだ。

問題は正人まさと光流ひかるが一緒にいる時で、その時の美香は完全なお荷物になってしまう。


後に薫よりもずっと背が高い大女おおおんなに成長する美香だが、三月生まれだったこともあり、小さい頃は薫と同じで発育の遅い小柄な女の子だった。

その上、気が弱い所があって、何かとすぐに泣いてしまう。おまけに鼻たれ小僧でもあって、自分で鼻くらいかめばいいのに、薫にやってもらおうとする。


「薫ちゃんは、お姉ちゃんなんだもん。良いじゃない」


あんまり強く言うと泣き出してしまうこともあって、一度くらいは注意するにせよ、結局、薫は「しょうがないなあ」と言いながら世話を焼いてしまうのだった。


それに美香は、虫のたぐいがだいっ嫌いだった。

ところが、中州なかすは田舎なので、どこにだって虫はいる。お部屋の中にいる時だって、小さなクモが壁にへばりついていたりとかはしょっちゅうで、畳の上を移動するコオロギに遭遇してしまうことだって全然、珍しくなんかない。


それなのに、そうした虫でも美香は大声で叫び声を上げてしまう。

そんな美香だから、お庭で遊んだりする時は大変だ。毛虫何て見付けようものなら、大騒ぎである。

普通、女の子だって綺麗な蝶とかは好きなのだが、美香には蝶と蛾の区別はしない。形状や見た目に関わらず、小さくて動くもの全般が駄目なのである。


そんな美香だから、お庭でかくれんぼなんて土台無理なのだ。

そう言えば、薫が美香を妹分認定してしまったお盆のあの日、美香が鬼の正人にすぐ見付かってしまったのは、隠れた所でトカゲを見付けて思わず飛び出してしまったからだそうだ。

そうでなければ正人だって、美香のような小さい子を、最初に見付けたりはしなかったという。いきなり目の前に飛び出して来たんじゃ、見逃してやりようがないじゃないか……。

そもそも、あの時の美香の大泣きは、トカゲが怖かったからの方に違いない。だって、瑛太えいたに無理やり連れて来られ、いやいや参加させられたかくれんぼなのだ。最初に見付かったぐらいで、泣かないだろう。


それでも薫が一年生だった時は、まだ美香と顔を合わせている時間が少なかったから良かったのだ。問題は薫が二年生になり、美香が中州なかす分校に新入生として入学してきた時からだった。


美香の学年は四人いたのだが、この年もやっぱり、一年生と二年生の複合クラスにされてしまい、担任教師は同じ飯田早苗(さなえ)だった。

そして一年生四人の中で、女子は美香だけ。もちろん、その美香は四人の中で一番身体が小さくて泣き虫となれば、薫が面倒を見てやるしかない。


教室で顔を合わせた初日に、薫がまず美香に言ったことは、「学校では、お姉ちゃんって呼んじゃ駄目だからね」だった。


「お姉ちゃんじゃなかったら、何て呼ぶの?」

「えーと、『薫ちゃん』、かな?」

「分かったあ。薫お姉ちゃんっ!」

「長いから、『薫ちゃん』にしようね」

「分かったあ。お姉ちゃんっ!」


全てが、こんな感じである。


美香の性格は、「ずぼら」で「大雑把」。それに加えて物覚えが悪く、同じことを何度も間違えるし、一度は覚えてもすぐ忘れてしまう。

特に困ったのは、やることなすこと中途半端でいいかげん。女の子らしい細やかさなど微塵もないことだった。


ちなみに美香の母親の中野美穂の場合、美香ほど大雑把といった性格ではなく、むしろ「大らか」だとか、「ほがらか」といった表現が似合う素敵な女性だ。確かに、美香とも似ている要素もあるのだが、どこか本質的な部分で似て非なる感じがする。

美香の場合、母親の粗悪コピーといった印象なのだ。


美香は授業中であっても、分からないことがあると薫に聞いてくる。それを見た飯田先生は、美香を薫の隣の席に変えたのだ。それで薫は、ますます美香のお世話係になってしまった。


それに美香は授業中、毎日のように「せんせー、おしっこー」をやる。そして先生の許可を得ると、必ず薫と一緒に行きたがる。というか、薫が一緒で無いと、トイレに行けない。

薫は、休み時間の度に美香をトイレに連れて行くのだが、その時は「出なかったー」と言うことが多い。


図工の時間、手の離せない作業中に美香が「おしっこー」を言い出した時は参った。薫が何もできないでいると、そのまま美香は洩らしてしまったのだ。

それで叱られたのは、薫の方である。

しかも飯田先生は、薫に美香の着替えだけでなく、教室の掃除まで命じてくるのだ。ひど過ぎる。

もっとも、掃除の方は八木瑛太(えいた)にも手伝わせてやった。


それから薫が閉口したのは、美香の忘れ物の多さだった。

一年と二年だと教科書が違うから、そこは瑛太えいたのを見せてもらうしかないのだが、鉛筆とか消しゴムとかは、薫のを借りたがる。仕方がないから、薫は毎日、美香の分まで文房具を持って来るようになった。

だけど、体操着を忘れたとか言われても困るのだ。プールの日に水着を忘れたと言って泣かれた時は、本当に「どうしよう」と思ってしまった。それで、それからは前日に母親の中野美穂へ電話して、必ず用意してもらうことにしたのだった。


さて、五月の連休明けに行われる運動会のことである。今回は一年が四人いるので、一年だけで走り、二年と三年が前年同様、一緒に走ることになった。

薫は前回と同じで、ぶっちぎりで一番だった。「手抜きをしちゃ駄目だからね」と美緒に念押しされたからだ。

ちなみに、この徒競走は六年が最初で、順番に小さい子が走る。最後が一年生だからこそ、毎年一年生が注目されてしまうのだ。


それで、今年の一年生はどうなったかというと、順当に男子三人が競り合って、最後は瑛太えいたが一位だった。

問題の美香はスタート直後に足を絡ませて転倒し、当然のように大泣き。すると、飯田先生がポンと薫の肩を叩いて「行きなさい」と言う。

薫は仕方なく美香の所に駆け寄って、彼女を立たせると、膝に付いた砂を払ってやった。それから手を引いて、一緒に走った。すると、ゴールした時、割れんばかりの拍手を浴びせられた。

どうやら、徒競走はビリになった方が拍手を貰えるようだ。

それで薫が少しだけ嬉しかったのは、内緒だ。



★★★



それ以外にも、中州なかす分校での美香に関するトラブルは、本当に数えきれない程にある。特にイベントの際、必ず何かをやらかしてしまうのが、美香という女である。それは、大きくなってからも変わらないんじゃないかと薫は思っている。

まさに、トラブルメーカー。それが美香という女の本質なのだ。


そんな美香が起こしたトラブルのうち、薫がいつも最初に頭に思い浮かぶのは、美香が一年生の秋の遠足での出来事だ。


その日、一、ニ年生の低学年七人は、教頭先生が運転してくれたマイクロバスで天王池公園に行った。

到着後、遊具のある所で自由に遊んでから、各自が持参したお弁当を池の中央の弁天島で食べる。

それまでは、特に何も無かったのだが、昼食を食べ終わった時、美香が近くの岩場にいる亀を見付けてしまった。


「ねえ、薫ちゃん。あの亀、捕まえて、中州に持ってっちゃおうよ」

「もう、何、バカなこと言ってんの。だいたい美香が捕まえられる訳ないでしょうが」


薫は自分の弁当箱をしまいながら軽く返したのだが、その時の薫は美香を見くびっていた。もちろん、美香の残念具合を見くびっていたという意味だ。


ふと気が付くと、美香は岩場に降り立っていた。それに気付いた薫が「美香、危ないから、戻って」と叫んでしまったのがマズかった。

ものの見事に、『美香がこけた』と思ったら、大きな水しぶき……。


「えっ?」


一瞬、何が起こったのか分からなかった薫が、水しぶきが治まった池の水面みなもに目をやると、二カッと笑った美香がいた。池の水深は思ったより浅く、美香のおへそ位までしかなかった。それでも、普段の美香だったら、絶対に大泣きしている筈だ。

その美香が笑っている理由わけ。それは、彼女の右手に手の平サイズの小さな亀がしっかりと握られているからだった。

呆れた薫は、「美香ったら、何してんの?」と呟く。それでも、ゆっくりと岸から登ろうとしている美香に手を差し伸べてやった。


ところが、薫が美香の小さな手を握った所で、美香はいきなり足を滑らせたのだ。そして、美香にしては思いがけなく強い力で薫を引っ張った……。


ザッバーン!


薫は、自分の身に何が起こったのか分からなかった。そして、次の瞬間、全身が水の中に沈んでいることに気付いたのだ。


すぐに飯田先生が飛んで来た。いや、他の児童達や教頭先生までもが、薫たちの方をしっかりと見ている。


最悪だ。ていうか、悪夢だ。


その後、薫は二人の先生に、美香の分までこっぴどく叱られたことは言うまでもない。


なのに、美香の手に戦利品の亀がしっかりと握られていたのは、どうしてなんだろう?



★★★



美香は所詮、妹分だ。薫の本当の妹ではない。


というか、美香が本当の妹だったら、困る。


そんな風に思っていた薫に、本当の妹ができたのは、薫が小学二年生の十一月のことだった。

その妹のかえでは夜中に生まれたのだが、その時の薫は普通に屋敷で寝ていた。そして翌日の早朝、薫は使用人の野崎小夜(さよ)に叩き起こされると、彼女の夫の清隆きよたかが運転するワゴン車で天王市民病院に駆け付けたのである。


薫が初めて見た生まれたての赤ちゃんの印象は、「不思議な生き物」というものだった。

動物とは違うけど、人間とも少し違う気がする。

薫は、ベッドの上の佳代に「触っても良い?」と訊いてから、ほっぺの辺りを指先で突いてみた。すると、温かいし、柔らかくて気持ちが良い。それで何度か突いていたら、泣き出した。

それが思ったよりも大きな声で、薫はびっくりしてしまった。


「薫、やり過ぎだよ」


祖母の幸子に言われて、薫は手を引っ込めた。そして、その不思議な生き物に、「ごめんね」と呟くように言ったのだった。



★★★



妹の楓という名前は、ちょうど楓が色づく季節だったこともあるけど、ちっちゃい手を見て思い付いたからだという。

それを聞いた薫は、「それだったら、もみじなんじゃないの?」と反論したのだが、父のたけしに「細かいことは言うな」と怒られてしまった。


屋敷に来てからの楓は、人気者だった。お客さんが引っ切り無しにやって来て、みんなが一様に「可愛い」を連発する。

薫には、それが少し不思議だったのだが、薫自身も最初は「不思議な生き物」でしかなかったソレが、慣れてくると「可愛い」と思えるようになって行った。

泣いている時はうるさいけど、そうでない時は、確かに可愛い。


「あ、笑ったよ。うわあ、可愛いねえ」


そんな風に薫の隣で歓声を上げているのは、水瀬美緒だ。彼女だって妹も弟もいないので、赤ちゃんを見るのは初めてな筈だ。なのに美緒は、この「不思議な生き物」を最初に見た時から「可愛い」と叫び声を上げる。何故なんだろう?


ところが、二週間を過ぎた頃、「不思議な生き物」は「可愛くてしょうがない妹」へと完全に変わってしまった。

そうなると、今度は「可愛い妹」を自慢したくなった。


正人まさと光流ひかる瑛太えいたといった男子達は、微妙な顔だった。きっと彼らの目には、「不思議な生き物」として映っているんだろう。


ところが、中野美香は違っていた。彼女は薫の「本物の妹」を前に、泣き出しそうな顔で薫の方を見るのだ。

いわゆる「捨てられる猫の目」だ。


ここで言葉を間違えたら、絶対に泣かれる。


そう思った薫は、頭を必死に回転させて言葉を探した。


「あのね、美香。あんた、この子といくつ違うの?」


美香は、一生懸命に数を数えていた。そして、いきなり笑顔になって「七つ」と言った。かなり大きな声だったので、楓が泣くかと思ってヒヤッとしたけど、泣かなくて良かった。

ホッとした薫は、先を続けた。


「じゃあね、この子が分校に入学する時、美香は幾つになってんの?」


今度は、すぐに答えた。


「中学生」


大雑把な美香の回答を、取り敢えず薫はスルーしておく。


「てことはね、美香が中学生にならないと、この子は学校には来ないわけ。つまりね、美香が分校にいる間はず-っと、私の妹は美香だよ」


正確に言うと、美香が六年生になった時に薫は分校にはいないのだが、大雑把な美香は気にしないだろう。


「それとね、美香は、この子のお姉ちゃんでもあるんだよ」

「えっ?」

「だって、美香は私の妹分なんだから、美香より小さい私の妹は、美香の妹でもあるってことでしょう?」


美香が不思議な顔をした。ある意味、当然だろう。薫がいったことは、屁理屈に近い。

ただ、美香には既に弟はいるのだが、妹はいない。大雑把な美香だったら……。


「分かったあ!」


またも、大きな声で美香が答えた。そして、今度こそ楓が泣き出してしまい、慌てて部屋に入って来た小夜に薫の方が怒られてしまった。


尚、この時に「妹」として認知した楓のことを、美香は十七年五に高校教師となって、立派に守り切ってくれるのである。

だけど、そのことは当時まだ八歳の薫には、全く与り知らぬことなのだった。



★★★



薫が中州なかす分校にいる間、水瀬美緒以外で一番良く遊んだ相手は、何と言っても二学年上の河村正人と川合光流(ひかる)である。

薫のひとつ上の学年は三人とも女子だったので、分校では夢中でお喋りに興じてばかりいた。その中で薫は特に吉田舞香(まいか)と親しくて、良く本の話をし合ったりしたのだが、一緒に外で遊ぶことはしなかった。舞香は、あまり運動が得意では無かったからだ。

そして、そのことは残りの女子二人にも言えることだった。その三人の中だと、当時の村会議員の娘、水野碧衣(あおい)が一番活発な女子だったけど、男子と一緒に遊べる程ではなかっだ。


結果として、時々は中野美香の相手をしてやりながらも、薫は放課後のほとんどを正人、光流ひかる、美緒の四人で遊ぶことに費やした。

中州では遊ぶ所は限られていて、分校の校庭、体育館、治水神社、大河の河原の四ヶ所が主な場所だった。大河の河原は薫が三年生になった時、祖母の幸子に「充分に注意すること」を条件として遊ぶことを許可された。

それとは反対に、低学年の頃までは薫の実家が含まれていたけど、薫に妹が生まれたことでローテーションから外されてしまった。


ちょうどその頃、正人と光流の二人が、バスケに凝り出した。どうやら、体育の授業でやったのが面白かったらしい。そして、しばらくはローテーションが、中州分校一択になった。

晴れた日はグランド、雨の日は体育館で、どちらも二人ずつに分かれて遊ぶ。

それはそれでおもしろいのだが、毎日だと、だんだん飽きて来る。そのうち寒くなって、誰かの家でゲームをやったりすることも増えて来た。それだと美香や瑛太えいた、正人の弟の直人なおととかも参加できるから、それはそれで楽しい。


そうこうするうちに春が来て、光流ひかる3x3(スリー・バイ・スリー)をやろうと言い出した。そうなると、四人では人数が足りない。

そこで手を上げたのが、美香と瑛太である。

瑛太えいたは、もともと運動神経の良い子だったが、この頃になると美香も徐々に身体が大きくなってきて、どんくさいながらも、それなりの動きをするようになってきたのだ。


このバスケに一番ハマったのは、意外なことに美香だった。

やがて正人と光流ひかるの二人が分校を卒業して川田かわた中学校に進学すると、小学四年生になった美香は、まるでオウムのように「バスケをしよう」を繰り返すようになったのだ。

そして、そんな美香に付き添うように一緒になって大きなボールを追い掛けていたのは、八木瑛太(えいた)だった。この頃から美香は、瑛太を子分のように従えるようになっていたのである。

そんな美香と瑛太の「バスケ・ラブ」な状態には、薫も美香も困惑した。それでも美香と瑛太の二人は、ひたすらリンクにバスケットボールを投げ込むことだけを続けていたのだった。



★★★



水瀬美緒は、いろんな意味でませた子だった。そして、美緒は小学四年生くらいから、しきりに薫と「恋バナ」をしたがるようになった。

とは言っても、普段は男性アイドルの話なのだが、その日は珍しく現実的な話になってしまった。


でも、そうなると中州には、大きな問題がある。


若い男がいないのだ。


まずは、先生。

中州分校にいる男の先生となると、教頭先生だけだ。もちろん、五十歳を過ぎている。


六年生の男子は、正人まさと光流ひかる。五年生はいなくて、同級生は河村直人なおとだけ。


「直人は、無いわ」

「うん、それは分かる」


直人はゲームオタクで、いつも家の中ばかりにいる。

外で一緒に遊んでくれない男子なんて、つまんないから嫌だ。


「じゃあ、瑛太えいたは?」

「年下はダメだよ。だって、ガキじゃん」


美緒は自分も充分にガキなのだが、それには気付かないらしい。


「ああ、早く中州から出て行きたいなあ。中州には、出会いが無さ過ぎるよ」

「出会いって?」

「カッコ良い男子との出会いだよ」


人見知りの薫には、高いハードルだと思った。


「やっぱり、正人くんか光流くんなんじゃない?」


現実的な線で行くと、どうしてもそうなる。


「美緒はさあ、光流くんが好きなんじゃない?」


薫は、前々から思っていることを言ってみたのだが、美緒は甲高い声で叫んだ。


「な、何いってんの、薫」


一瞬、ひるんだ薫だったが、自分は間違ったことを言ってないと思い直して、更に追い打ちをかける。


「だって、昔から仲いいじゃない」

「それは薫だって、そうじゃん」

「だって、昔から遊んでくれてるし……」



逆襲に遇って、薫は口を濁してしまった。


「あのさあ、光流ひかる兄ちゃんは、薫が好きなんじゃないかなあ。ほら、いつも『お嬢、お嬢』って言ってくるじゃん」

「それは、そうやって呼んでるだけだよ。だいたい、誰も私のことなんか、好きにならないって」


薫は当たり前のことを言ったのだが……。


「それ、絶対に違うと思う」

「えっ、なんで? 美緒だったら分かるけど、私は綺麗じゃないよ」

「でも、薫だって……」

「もう、その話は止めようよ」


この時の話は、これで終わってしまったのだが、美緒が光流を好きだと言うのは、何となく確信があった。


それに光流くんも、たぶん美緒が好き。二人は、きっと両思いだ。


そう思ってはいても、この時の薫には、どうしたらいいかが分からない。

薫は歯がゆい気分になりながら、ほんのりと赤くなった親友の横顔をじっと見ていたのだった。



★★★



気が付くと、薫は五年生になっていた。そして、その日は珍しく河村直人(なおと)を入れた同級生三人で、治水神社にいた。何故かというと、たまたま他に遊び相手がいないからだった。

ところが……。


「あーあ、結局、何やっても、鬼はすぐに直人になっちゃうし、直人が鬼になると、ずーっと鬼なんだもん。これじゃ、つまんないよ」

「直人くんでもできること、やるしかないね」

「それって、ゲームとかじゃん。直人、ゲーム禁止って、千縁ちよりさんに言われてたんじゃなかったっけ」


千縁というのは、直人の母親である。


「そう言えば、そうだね」

「あーあ、正人まさと兄ちゃんや光流ひかる兄ちゃんがいればいいのになあ」

みんな、中学生になると遊んでくれなくなるもんね。しょうがないよ」


薫や美緒といつも一緒に遊んでいた直人の兄の河村正人と、彼の同級生、川合光流かわいひかるは、この四月から河向こうの川田かわた中学校に通うようになった。中学生になると学校が遠いし、部活もある。勉強だって難しくなるから、遊んでいる時間なんか無いのだ。

一方で、ひとつ下の学年の八木瑛太(えいた)と中野美香を含む四人は、この日、社会見学で天王市の方に行っていて、まだ戻って来ていなかった。


「瑛太や美香達がいないのは、今日だけだよ。今日だけ我慢しよ」

「そうだね。じゃあ、今日は我慢するよ」


中州なかすにいる子供の数は限られるし、うち何人かは西端にしばたの集落の子で、ここから少し遠い。残りの子達の中で一緒に外で遊びたがる子は、半分以下になってしまう。それでも、薫たちのひとつ下の四人は全員が本郷ほんごう中郷なかごうの集落にいて、薫たちと一緒に遊んでくれるので助かっていた。

だけど、薫と美緒の目下の悩みは、その四人がバスケしかやりたがらないことだ。もっとも、正確には瑛太えいたと美香だけで、残りの男子二人は、そこまでバスケにこだわってはいないのだけれど……。


「でも、たまにはバスケ以外のこともしたいな」

「もうずーっと、バスケばっかりだもんね」

「やっぱ、美香を説得するしかないね」

「そだね……。だけど、美香は頑固だからなあ」

「とにかく明日また、美香に話してみようよ。だって週二回くらいは、別の遊びをやりたいじゃん」

「うん、分かった」


薫も美緒もバスケは好きなのだが、それだけをやるのでなくて、いろんな遊びをしたい。小学生の二人は、まだそんな風に思ってしまうのだ。


そんな会話をしながら、いつも二人が最後に向かうのは大河の土手の上だ。二人並んで堤防のコンクリートに腰かけて、対岸を眺める。そっちは川田村役場や中学校が、そして、そのずっと向こうには天王市がある。

二人がこの場所に来た時、話し合うことはだいたい決まっていた。


「ああ、早く中州から出て行きたいなあ」

「中学になったら毎日、出て行けるよ」

「自転車、いっぱい漕がなきゃ駄目じゃん。足が太くなっちゃいそう」

「そだね。でも、中州の外に出られるのは嬉しいかも。前に天王市に行ったのって、お正月の時だもん」

「あたしは、ゴールデンウィークに行ったよ。朱音あかね姉ちゃんのアパートだけど」

「いいなあ。美緒には朱音さんがいて……」


朱音さんというのは美緒の叔母さんのことだ。薫たちより十歳年上で、天王市で一人暮らしをしながら働いている。


「あたしの夢はさあ。中州を出て、朱音姉ちゃんみたいに河向こうで働くことなんだ」

「河を越えただけじゃ、田んぼなんじゃない?」

「もちろん、天王市だよ。それか、名古屋だね」

「名古屋かあ。ずーっと行ってないなあ」


距離的にはそんなに遠くない名古屋だけど、小学生の薫や美緒にとっては、遥かに遠い憧れの街だった。まだ子供の彼女達は、めったに中州の外に出られないのだから、そう思ってしまうのも仕方のないことだ。


「早く、大人になりたいなあ。薫もそう思うでしょう?」

「うん。もちろん。だけど……」

「だけど、何?」

「私、なれるかな?」

「何に?」

「ちゃんとした大人に」


美緒は、薫の方を見て笑った。明るい太陽のような笑顔だった。


「なれるに決まってるじゃん。それに薫には、あたしが付いてるんだから、絶対に大丈夫だよ」


美緒はそう言って、薫の手をぎゅっと握ってくれる。それでようやく安心した薫は、「帰ろっか」と美緒を促して立ち上がった。

振り向いた二人の正面に夕陽があって、二人は揃って目を瞑ってしまう。再び開いた薫の瞳には、ちょうど養老ようろう山脈の山際やまぎわに沈まんとする夕陽が映っていた。その手前に目をやると、金色の光に包まれた小さな集落が見える。そこが薫が今、暮らしている世界の全てだった。


薫は小さな溜め息を吐くと、美緒と手を取り合って土手の坂を一気に駆け下りて行った。






ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。

もう一話だけ、薫の子供時代の話です。「笑いなよ」です。


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