第29話:恋愛する資格 <薫サイド>
再度、見直しました。
◆7月23日(木)
水草薫は、眩しい朝の陽射しで目を覚ました。もぞもぞと置き出して時刻を確認すると、まだ八時を少し過ぎた辺りだ。昨夜は寝るのが遅かったし、今日もバイトは正午から。なので、もっと寝てても良かったのだが、一度目を覚ましてしまった以上、二度寝なんてできそうもない。
トイレを済ませて、すぐにシャワーを浴びる。適当に身体を拭いて下着を付けた所で、市立図書館に行こうとしていた妹の楓が声を掛けてきた。
「あ、お姉ちゃん。颯太、ちゃんと愛衣を送って行ってくれた?」
薫は、その問いには答えず、昨夜から気になってたことを問い返す。
「楓ったら、颯太くんが自分のこと好きなの知ってて、愛衣ちゃん、送ってくように頼んだでしょう?」
ところが楓は「そうだけど」としらっと答えただけで、全く悪びれる様子もない。
「そんなことより、お姉ちゃん、早く服、来なよ」
「まだ暑いんだから、別に良いじゃない」
その言葉を無視して髪を乾かし始めた薫の後ろで、楓がボソッと呟くように言った。
「だってさあ……」
「何? 聞こえないんだけど?」
すぐにドライヤーを切った薫が聞き返す。
「だから、しょうがないじゃない。颯太のこと、男子としてなんて見られるわけないでしょう。小さい頃から、すーっと一緒なんだよ。姉弟みたいなもんじゃん」
「そうかもしんないけど……」
薫は、軽く溜め息を吐いた。
「……ちゃんと、お礼しときなよ」
「うん。ショートメール、送っとく」
薫が振り返ると、楓は早速スマホを取り出して、メールを打っている。薫が再びドライヤーのスイッチを押そうとすると、楓に取り上げられた。
「何?」
「メールは送った」
「そう」
「愛衣のことなんだけどさあ、私では颯太の思いには応えられないわけじゃん。だから、もしもだけど、颯太と愛衣がくっついてくれたらなあって思っちゃったわけ」
薫は、呆れた顔で楓を見た。
「あのね、愛衣ちゃんとあんたじゃ、全然、タイプが違うでしょう。そんなに簡単に颯太が別の子、好きになるとは思えないんだけど」
「だからあ、もしもってことだってばあ」
そう言って膨れる楓の頬を、薫は軽く突いてやる。
「もう、図書館、行ったら?」
「まだ、時間あるもん」
「髪の毛、乾かしたいんだけど」
「そんなの、放っておいたって乾くじゃん」
「あんたの短い髪とは違うの」
薫が楓からドライヤーを取り返してスイッチを入れようとした所で、楓が少し真面目な口調で話し出した。
「愛衣ってさあ、あんまり友達いないじゃん。だから、あの二人が別に付き合ったりしなくたって、友達になってくれれば良いなって思ったんだ。まあ、颯太の方は、ああ見えて結構モテるみたいだから、迷惑なのかもしれないけどね」
「……そっか」
薫は、少し考えてから頷いた。確かに、楓の言う通りかもしれない。
「愛衣の近所の子ってさあ、私の目から見て、絶対に付き合って欲しくない奴ばっかりなんだよ。もっとも、そいつらに愛衣は嫌われてるみたいなんだけどね」
愛衣は、この辺りでは非常に珍しい勉強ができる子だ。いわば異分子な訳で、他の子達からすれば、気に食わない奴って思って当然なんだろう。
「ふふっ。楓、あんただって今じゃ、愛衣ちゃんの近所の子な訳じゃないの」
「あ、そっか。忘れてた」
そう言って、けらけら笑う楓を外へ追い出して図書館へと向かわせた後、薫はドライヤーで髪を乾かしながら考える。
楓の安全を思うと、ここから早く引っ越した方が良いんだけど、そしたら愛衣はどうなるんだろう。
何となくもやもやした気持ちを抱えながら、薫は自分と佳代の為の朝食を作り始めた。
★★★
今日も愛衣と薫のシフトは、昨日と同じだった。二人とも十二時に開始で、終わりは愛衣が午後九時で薫が十一時。ちなみに今日も女子大生の斉藤美月が午後四時から八時まで来てくれる。
薫が少し早めにコンビニEマートに着いて更衣室に入ると、先に愛衣がいて隅に置かれた古いソファーにちょこんと座っていた。珍しく元気がない。
『ひょっとして、颯太と何かあったのかも?』と思った薫は、気になって尋ねてみた。
「どうしたの、愛衣ちゃん?」
「あ、薫さん、おはようございます。今日は、あんまり勉強する気がしなくて、早めに図書館、出てきちゃった」
壁に掛かった時計に目をやると、十一時三十八分。シフト開始の十二時迄には、まだ二十分以上ある。
「何があったか、話してみない? 話した方が気が楽になるかもだよ」
薫がそう言うと、愛衣は昨夜のことをぽつりぽつりと語り出した。
「昨日、久しぶりにお父さんが来たみたいなんです」
「えっ?」
原因が颯太じゃないと分かってホッとしたのも束の間、どうやら父親がらみのトラブルだと分かり、再び薫は身構えた。
「私が帰った時には、もう帰った後だったんですけど、弟が怯えてて、頬には殴られた後があって……」
愛衣の父親は、夜の八時半頃に愛衣のアパートを訪れたらしい。その時には、もちろん、弟の智也しかおらず、「金を出せ」と言われても彼には家のお金のことなんて分からない。
それで、ポケットから自分のこずかいの千円札を差し出したら、いきなり殴られたそうだ。
その時、父親は酒臭かったという。
キャッシュレスが当たり前になった今のご時世、どこの家庭でも手持ちの現金なんてほとんど置いてはいない。もちろん、コンビニにはキャッシュディスペンサーがあるから現金を引き出すことができるけど、銀行によっては手数料が掛かってしまう。
「うちには、余計なお金なんて全然無いんです。お母さんは仕事を変わったばっかりで、最初の給料日まで何とか持たせなきゃなんない。前の職場は、そんなに長く働いてなかったから退職金何て出なかったし、いろいろと引き落としがあって、手元にあるお金なんて、もう全然残ってないんです」
「そっか」
お金の話をされるのは、薫も辛い。全く他人事じゃないからだ。
「でも、良かったね。お父さん、すぐに出て行ってくれて」
「そうなんです。智也も頑張ってくれました。殴られただけじゃなくて、何度も小突かれたり蹴られたりもしたのに、『僕は知らない』で通してくれたんです。でも……」
昨夜は騒ぐだけ騒いで帰ってくれたものの、今夜もまた来るかもしれない。だから、こうして愛衣は気を揉んでいるのだろう。
昨日よりも遅い時間に来てくれたのならいいけど、もし同じ時間だったら、またもや愛衣の弟が対応しなければならなくなる。その場合、「まだ金の準備ができてないのか、ボケ」とでも言われて、また殴られるのは必須だ。
「智也、お母さんの職場のことも聞かれたみたいなんです。教えたら、お父さん、また乗り込んでって、お母さんが職場を辞めなきゃなんなくなるでしょう。だから、智也は言わなかった。まあ、お父さんも分かってて聞いたみたいで、そうしつこくは聞かれなかったらしいんだけど、代わりに私がEマートで働いてること、言っちゃったそうなんです」
母親の居場所を言うよりは、その方がましってことなんだろう。
彼の判断は正しい。薫は、そう思った。
「だから今夜は、こっちの方に来ちゃうかも……」
そう言って愛衣は、怯えた顔を薫の方に向けてくる。彼女の父親は、彼女等にとって相当に迷惑な存在のようだ。
それを察した薫は、明るい声音で「大丈夫だよ」と言っておく。
「その時は私が対応するから、愛衣ちゃんはバックヤードにでも行ってて頂戴」
薫の言葉に、愛衣が「でも、それだと薫さんが……」と心配そうに言うので、薫は少しだけ話題を変えた。
「えーと、弟さんって小学生だよね?」
「いや、中学一年です。背丈は私とほとんど同じなんですけど、まだまだ甘えん坊なんです」
「それでも、立派な弟くんだよ。それに、甘えん坊なのは、うちの楓だって同じだよ」
楓の話は蛇足だと思ったけど、愛衣はそこに喰い付いてきた。
「えっ、楓ちゃん、凄く大人っぽいと思いますけど」
「ふーん。私以外だと、そうなんだ。私には、甘えてばかりなんだけどね」
「それは、薫さんだからだと思いますよ……うーん、てことは、智也も私以外の人の前だと、ちゃんとしてるのかなあ」
「まあ、そういうのは、あるかもね」
「智也、今月で十三歳になったばかりなんです……ふふっ、智也ったら、中学で柔道部に入ったんですよ。その理由ってのが、『お姉ちゃんを守りたいから』って言うんです。それ聞いた時、思わず笑っちゃいました。だって、こないだまで泣いてばかりだったのに……。でも、その後で案の定、拗ねちゃって、もう大変だったんですよ……」
自分の弟のことを話す時は、愛衣の顔がパッと明るくなる。だけど、すぐにまた目を伏せてしまった。
そんな愛衣の様子を見せられてしまうと、薫としても何とかしてあげたくなってしまう。
「弟さん、どっかに匿ってもらったら?」
「私にそんな頼れる人なんていませんよ」
「うちでも良いよ。うちも私が帰るまでは楓しかいないから、楓に預からせるけど?」
「あ、でも、楓ちゃんの勉強の邪魔になるんじゃ……」
ぶつぶつ言っている愛衣の横で、薫は楓にメールを送る。楓からは、すぐに「晩こはん、用意するよ」といった返事が返って来た。
「あ、あの、今日はまだ良いです。楓ちゃんと智也、あんまり面識ないし、智也はスマホとか持ってなくて連絡しようがないですから」
薫は、少し考えて、「そうだね」と言った。そして、もう一度、楓にメールを送る。今度もすぐに「分かった」と返事が来た。
壁の時計を見ると、そろそろ時間だった。
「さあ、お仕事しよっか」
薫は愛衣に目で促して、更衣室のドアを軽く前に押した。
★★★
昼時の混雑が去ると客足は急速に減り、一日で一番暑い時間帯に差し掛かった後は、たまにしかお客さんが来なくなってしまった。
それで、いつもと同じように品出しやバックヤードの片づけ、トイレ掃除とかをしているうちに、時刻は午後三時を過ぎてしまっていた。
「この季節のこの時間って、ひょっとして深夜よりお客さん、少ないんじゃありません?」
唐突に投げ掛けられた愛衣の質問に、薫は「店によるんじゃないかな」と答える。
「ここは住宅街の外れで、どうしても外に出てなきゃなんない人とか少ないだろうしね。てか、この店の売上って、圧倒的に学生と主婦だからだよ」
「ふふっ、その主婦ってのは、今どき珍しい専業主婦のことですよね。まだ、いる所にはいるってことですね」
「お屋敷街だもんね。絶滅危惧種の保護区みたいな場所なんじゃないかな」
「うわっ、薫さんも結構、辛辣なこと言いますね。まあ、私には縁もゆかりも無い場所ですけど」
愛衣の皮肉っぽい言葉を聞いた薫は、少しだけ自分に縁があったことを思い出す。もちろん、それは藤田翔のことで、その縁も今では、ほとんど切れてしまっている。
薫は少し切なくなった気持ちを隠すようにして、明るい声を出した。
「でも、良かったよ。さっきは愛衣ちゃんが沈んでたから、昨日、颯太が何かしたんじゃないかって思っちゃった」
すると、愛衣は少し慌てたように首を振る。
「全然、誤解ですよ。そんなこと言ったら、八木さんが可哀そうです」
「まあ、颯太も私の可愛い弟分だもんね。気にはなるんだよ」
「そうなんですか。えーと、親戚とか?」
「うーん、遠い親戚ってとこかな。八木家は、うちの分家なんだよ」
「へえ、そうなんだ。あ、それで昨日、初めて知っちゃったんですけど、八木さんのおうちって、私ん家と全然、方角が違うじゃないですか。なのに、私の為だけに、あんな物騒なとこまで来て下さったんですよ。しかも、帰り道は独りで自転車を漕がなきゃなんないわけだし、それで悪口とか言ったら可哀そう過ぎます。私、すっごい迷惑かけちゃってるんじゃないかと……」
颯太のことで、愛衣が饒舌になって語り出した。何だか微笑ましくて、薫はつい笑いそうになってしまう。それで薫は、努めて無表情を装って愛衣を慰めた。
「大丈夫だよ。颯太だって、男の子なんだもん、それくらいは何でもないよ」
「でも、八木さんのバイト先、お母さんの職場と同じ大衆酒場ですよね。ここのEマートだって、全くの反対方向だし……」
「自転車だったら、すぐじゃない。運動は大事だよ。それに、愛衣ちゃんみたいな可愛い子を送って行けるなんて、男の子にとっては名誉なことじゃないかな」
「ふふふ、可愛いだなんて、お世辞ですよね?」
「えっ、男の子から言われたこと無いの?」
「無いですよ。私が小さい頃、お父さんが言ってくれただけです」
「ふーん、お父さんかあ」
「はい。その頃は優しかったんです。なのに、今じゃ目も合わせてくれなくて……」
またもや、愛衣が俯いてしまった。
パぴパぴ……。
「「いらっしゃいませー」」
ちょうど良いタイミングで、この暑いのにスーツをピシッと着込んだ女性が入って来てくれた。外にセルフのタクシーを待たせている所を見ると、移動途中なんだろう。彼女は、おにぎりを二個とペットボトルのお茶を買って、すぐに自動のレジへと向かう。手慣れた操作で会計を済ませると、早足で出て行ってしまった。滞在時間は、一分少々だろうか?
ぼーっとした様子の愛衣に視線をやると、目が合ってしまった。それで、薫は少し慌てたのか、気が付くと口から言葉がこぼれ出ていた。
「ねえ、昨日は颯太とどういう話、したの?」
「えっ、べ、別に何も話してませんよ」
ちょっとだけ間があって、それから慌てたように答えてくれた。
「だって、お互い自転車だし、周りは静かだから大声も出せないし。アパートの前でお礼とおやすみなさいを言っただけです」
「で、颯太は?」
「おやすみって言ってくれました」
そうやって返す愛衣の頬が、少しだけ赤みを帯びている気がする。
颯太は薫とは歳が離れた弟分だから、薫は何とも思わないけど、客観的に見て結構、整った顔付きなのだ。男性アイドルグループにいそうなタイプだ。
「あの、薫さん。何か勘違いされてません?」
「勘違い?」
「だって八木さん、楓ちゃんの彼氏なんでしょう?」
「えっ?」
愛衣は、まだ二人が付き合ってると誤解しているようだ。薫は少しだけ考えてから、きちんと否定しておくことにした。
「違うよ。颯太は楓が好きだけど、楓の方は何とも思ってないみたいなの。ほら、楓って背が高いでしょう? 最近、やっと同じくらいの背丈になったけど、そんなの楓がヒールの高い靴はいたら、すぐ逆転しちゃうじゃない」
「身長差なんて関係無いと思います。楓ちゃんは美人さんだから……」
そこで何故か愛衣が口を噤んでしまう。何となく不思議に思った薫が口を開いた。
「でも、愛衣ちゃんだって、男の子にはモテるでしょう?」
「へっ?」
愛衣がきょとんとした顔付きになって、薫を見上げてきた。薫の発言の内容が分からなかったという顔だ。
「だから、愛衣ちゃんって可愛いじゃない。クラスの男子とかが放っておかないと思うんだけど……」
「あの、薫さん、それって本気で言ってます?」
薫の話を遮るように、愛衣が問い掛ける。薫が無言でいると、今度は畳み掛けるように語り出した。
「そんなわけないじゃないですか。私なんか、ちんちくりんだし、それに髪の毛だってこんなんですよ。制服はぼろいし、高三にもなってお化粧とかしたことないし、お風呂は一応、毎日入ってるけど、いつも安物のシャンプーしか使ってないし……」
「あのね、愛衣ちゃん」
薫の言葉で、愛衣がやっと話すのを止めて、非難めいた視線を薫の方に向けてくる。
「それでも、愛衣ちゃんは可愛いんだよ」
はっきりした口調で薫が言うと、思いがけず愛衣が反撃に出てきた。
「あの、楓ちゃんから聞いたんですけど、薫さんって、人に可愛いって言われるの嫌いなんでしょう?」
痛い所を疲れてしまい、薫は内心、焦った。
「でも、私……」
「綺麗じゃないって言うんでしょう? 楓ちゃんが不思議がっていましたよ」
そこで初めて、薫はハッとした。
「ひょっとして、愛衣ちゃんも可愛いって言われるの嫌い?」
「いや、それは無いですね。薫さんに可愛いって言われたことは、ちゃんと嬉しいです。でも……」
「でも?」
「でも、ちょっと不思議だなって思ったんです。こないだも楓ちゃんと話して盛り上がった話なんですけど、なんか、薫さんとは話が合いそうになくて、姉妹なのに不思議だなって……あ、お客さん」
パぴパぴ……。
「「いらっしゃいませー」」
二人はさっと離れて、先に愛衣の方がレジへと向かう。薫は、さっき愛衣が言い掛けたことが何なのか分からず、もやもやした気分のまま店の隅に退いた。
入って来たサラリーマン風の男性は、コーラのペットボトルを買うと、すぐに外に出て行った。
パぴパぴ……。
「「ありがとうございましたー」」
軽く頭を下げた所で、愛衣がいそいそと寄って来た。彼女も早く続きを話したかったようだ。
「あのね、薫さん。恋愛するには、資格が必要だって知ってました?」
「えっ?」
「これは楓ちゃんが言い出したんだけど、私もそのとおりだなあって思って」
「……?」
「つまりですね、貧乏人には、その資格が無いんです。どんなに可愛くても、貧乏人は最初から対象外なんですよ。それと、学校の成績は親の収入と相関関係があって、うちみたいな進学校に通う貧乏人って非常に珍しいんです。逆に言うと、うちのクラスの男子って比較的ちゃんとした家庭で育ってて、そういう男子は親から変な女子には近付かないようにきつく言われてるってわけです」
「そんな……」
「実際、楓ちゃんも私もクラスじゃ完全に浮いちゃってますよ」
「えっ?」
「楓ちゃんは、二年の最初の辺りまでは普通に教室の子が話し掛けてくれてたみたいなんですけど、今のアパートに引っ越した後は、女子も男子も近寄って来なくなったって言ってました。それって、たぶん、楓ちゃんの性格が変わったとかじゃなくて……うーん、少しはそれもあるかもだけど、それよりも楓ちゃんがビンボーな子の仲間入りをしたからだと思うんです」
「……?」
「まあ、私は昔からだから何とも思わないけど、楓ちゃんは最初のうち、とまどったそうです」
「……そうだったんだ」
「あ、そういや、こないだ楓ちゃん、『彼氏がいなくて良かった』って言ってました。『もし彼氏がいたら、もっと辛かったかも』ですって」
「……っ」
「という訳で、どの女子も私達とは友達になりたがらないし、どの男子も私達には寄っては来ません。まあ、楓ちゃんも私も、いじめの対象にならないだけでも御の字だと思ってますよ。そこの所は、担任の先生も気を付けてくれてますし、助かってます」
愛衣の告白は、薫にとって思いがけないものだった。
薫の高校時代、誰かの家が貧乏だからって理由で、その子を避けようなどと考えたことは無かった。
けど、ひょっとすると、単にそういう子がいなかっただけなのかもしれない。
確かに、剣道部の仲間で、そんなに貧乏な子はいなかった。
「まあ、楓ちゃんも私も、うちのクラスの男子なんて、どうだって良いんですよ。私達って正直いうと、『恋愛? 何それ、おいしいの?』って感じなんです。あ、いや、私の場合は、『何それ、食べられるの?』って感じかもしれないなあ」
「……っ」
「とにかくですね、楓ちゃんも私も、食の確保と身の安全が第一で、その次が勉強です」
愛衣が言うには、一番に大事なのは、家族の食事を確保すること。その次は、家族が安全に暮らせること。
その上で、自分が勉強して、目標の国立大学に合格することなんだそうだ。
「つまり、私達にとって、恋愛ってのは優先順位の対象外なんです。それと、天高の男子にとっても、私達は最初から恋愛の対象外。つまり、私達には『恋愛する資格』が無いんですよ」
愛衣の説明を最後まで訊いた薫は、思わず考え込んでしまった。
「貧乏人は結婚できない」っていうのは分かる。もう十年以上前から、いろんな社会学者や評論家といった肩書のある人達が口にしている言葉だ。
でも、「恋愛するのに資格がいる」だなんて、全く思ってもみなかった。
だけど、よくよく考えたら当たり前のことかもしれない。
確か、人間の欲望には順番があって、性欲ってのは割と後ろの方じゃなかったっけ。
毎日、食べるものにも事欠くような貧乏人が、身近な仲間以外のことなんて考えるわけないのだ。まずは自分と家族、それに準じる人達が餓えて死なないこと。それから身の安全を確保できるようにすること。
衣食住が充分でない状態で、恋愛なんて考えられる筈がない。
薫は、自分の高校時代が楽しかっただけに、愛衣から聞かされたことは、かなり衝撃的だった。
そして薫は、今更ながらに、妹の楓のことが心配になった。
水草家が中州の屋敷と田畑を売って今のアパートに移ったのは、昨年の十二月で楓が高校二年の時だ。つまり楓は、高校生活のちょうど真ん中で家が没落し、社会の最下層に身分を落としてしまったわけだ。
それがら楓は、同じ貧民街に住む愛衣を除いて、クラスの誰からも話し掛けられない存在に成り下がってしまったという。
だったら、クラス以外では、どうなんだろうか?
楓は、高校でもバスケを続けていた筈だが、高校二年の七月、夏休みに入る前に部活を辞めている。その頃になると中州も屋敷の中もごたごたし出して、それどころじゃなくなったからだそうだ。
つまり、それまでは楓にも普通に部活の友達がいた筈だが、その後、その子達との関係はどうなっているんだろう?
今の楓には本当に愛衣と颯太以外、友達がいないんだろうか?
「帰ったら、楓に聞いてみなくちゃ」
思わず口に出してしまった言葉に、薫はハッとして、次の瞬間には強い自己嫌悪に陥っていた。
そんなこと、楓に聞ける訳がないじゃない。
「あんた、友達いないの?」なんて、いくら妹だって聞く訳にはいかない。あまりに可愛そう過ぎる。
てことは、愛衣が言ったことが真実なのだ。
そのことに思い至った薫は、頭の中が真っ白になってしまった。
お読みいただき、どうもありがとうございます。
次話も今日の続きになります。
もしできましたら、感想、ブックマーク、評価、いいね、などして頂けますと大変うれしいです。宜しくお願いします。
ツイッター:https://mobile.twitter.com/taramiro0




