第24話:愛衣の見送り <薫サイド>
再度、見直しました。
水曜日の今日も、日中はお客さんが少ない。夕方からは忙しくなるので、その前にできることはやっておくのだが、それでも時間が余る。
水草薫は、それで今日も相棒の女子高生、牧野愛衣とのおしゃべりで時間を潰していた。
そして、店内の壁に掛かっているデジタル時計が、そろそろ午後三時になろうかという時だった。
パぴパぴ……。
「「いらっしゃいませー」」
二人揃って条件反射のように声を出してから、入口の方に目をやると、少し小柄で小太りの男の人が入って来た。
ところが、彼の髪の毛にはあちこち寝ぐせが付いていて、目は虚ろ。どこかぼんやりとした表情だった。
「あれ、店長。どうしたんですか、こんな時間に?」
「いやー、なんか早く目が覚めちゃってさ。それから、ちっとも眠れなくてさ、何となく来ちゃったよ」
「ふふっ、店長も仕事中毒ですね」
「笑わないでよ。水草さんの笑った顔、ちょっと怖いからさ」
「もう、それ言わないで下さいよ」
気にしていることを言われた薫は、少しだけ口を尖らせる。
「あれ、お客さん、いないんだ」
「はい。普通、この時間は、もう少しお客さんが来てくれても良いんですけど、今日は客足が鈍いですね」
「まあ、こういう時もあるよ」
「あ、分かった。店長、学校帰りの女子高生がお目当てだったんでしょう? 残念でした。今週から夏休みですもん」
「あ、そっか。そうだね」
「まあ、陽が沈む頃になれば、部活帰りの子たちが来てくれますよ。それまでは、あっちの愛衣ちゃんで我慢してて下さい」
「牧野さんかあ。彼女、セーラー服が似合うよね。あ、水草さんも案外、似合うかも。着てみたら?」
それまで軽く受け答えしていた薫だったが、いきなり店長がとんでもないことを言い出した。
「もう、その冗談、きついですよ。私、二十五ですよ。だいたい、私のセーラー服なんて、もう残ってませんから」
ムッとしたせいで、かなり刺々しい返しになってしまった。でも、それに日比野店長は気付きもせず、更に話を続けたがる。
「えーっ、もったいないなあ。水草さんのセーラー服なんて、すごい高値で取引されると思うんだけど……」
「もう、店長っ!」
「あれ、水草さん、何で怒ってるの?」
日比野店長は、本当に何で怒られてるのかが分からないらしい。呆れた薫は、話題を変えようと思ったのだが……。
パぴパぴ……。
「「いらっしゃいませー」」
お客さんは、中年女性の三人組だった。
さっきまで品出しをしていた愛衣が、すたすたとレジの方へ歩いて行く。これを機会に店長から離れようと軽く頭を下げて薫が足を踏み出した所で、お客さん達はUターンして店を出て行ってしまった。
パぴパぴ……。
「「ありがとうございましたー」」
彼女達が出て行く少し前、「なーんだ、発売は来月からじゃないの」といった声がしたから、何かの新製品を見に来たらしい。
「あのー、水草さん、さっきの話なんだけどさ」
「今度は、何なんですか?」
「もう、もっと優しく言ってよ……まあ、いいけどさ。あのね、僕、コンビニやってて一番良かったって思うのは、女の子達がいっぱい来てくれることなんだよねえ」
どうやら、日比野店長が貴重な睡眠時間を削ってまでして、わざわざここへ来たのは、誰かと話をしたかったからのようだ。つまり、こんな自分とでさえ、話をしていたいという店長の心の内を思うと、あまり無碍にも扱えない。
そう思った薫は、仕方がないので、もう少し付き合ってあげることにした。
「店長って、女子高生好きですもんね」
「そんな風に言われると、僕が危ないオジサンみたいなんだけど……まあ、否定はしないよ。だって可愛いでしょう?」
「はいはい。私も可愛いと思いますよ。うちに来る女子高生の半分以上は、私の後輩ですしね」
「てことは、僕の後輩でもあるんだよね」
実は、日比野店長も天王高校出身なのである。
「僕ね、本当はバイトの子は全員、可愛い女子高生にしたいくらいなんだ。だけど、そうなると今度は、お店に来てくれる女子高生の子が減っちゃうじゃん。だから、イケメンの大学生も必要なんだよね。バランス取ることは、大事だよね」
日比野店長は寝起きで頭が回っていないのか、欲望ダダ洩れの発言を平気でしてくる。あとで思い出したら、恥ずかしくてお店に来られなくなっちゃうんじゃないかと、薫は少し心配になってしまう。
なので、ここは年下の男の子を諭すように話してあげるのが、正解な気がした。
「あのね、店長。いくら可愛いくたって、お仕事できないくせに文句ばっかり言うような子を入れちゃ駄目ですよ。あ、男の子だって同じですからね」
「えっ、何のこと?」
「先週、店長が入れた大学生のことですよ。彼、評判悪いですからね。一緒に働いた子は皆、二度と組みたくないって言ってます」
薫は、まだ一緒になったことはないが、相当にいいかげんな性格らしい。平気で遅刻はするし、サボってばかりだし、そのくせ、人の言うことは聞こうともしない。とにかく、まともに仕事をする気が全く無いらしい。
「えーと、中川君だっけ? 彼の面接の時って、確か石原さんに同席してもらったんだよ。で、その石原さんが気に入ったんで採用したんだけど……」
「石原さんって、石原咲良ちゃんですよね。聞きましたよ。本人からじゃないから、本当かどうかは分からないですけど、何でも咲良ちゃんが彼に一目惚れして採用にしたら、その後で下田商業とかの彼女が迎えに来て、速攻で失恋しただとか……」
「そういや、お店に可愛い子が来てて、一緒に帰って行ったっけなあ」
「店長、それ見て何とも思わなかったんですか?」
「別に、良いんじゃない? プライベートのことは、詮索しちゃ駄目だと思うし……」
「いや、そういうことじゃなくてですね……」
たぶん、日々の店長の本音は、男の子には興味が無いということなんだろう。
薫は、なんだか話してて馬鹿らしく思えて来た。相手は半分寝ぼけているからか、これでは暖簾に腕押し状態だ。
「とにかく、教えても教えても理解できない子とか、最初から聞く気すら無いような子は、いりませんからね」
「はいはい。水草さんは、相変わらず厳しいなあ。一応は僕だって、面接で性格や素行の悪そうな子は、ちゃんと落としてるつもりなんだけどなあ」
日比野店長の言葉に、またもやイラっとした薫だったが、逆に良い機会かもしれないと思い直して、この機会に日比野店長の言質を取っておくことにした。
「それでも、店長の面接は甘すぎます。猫を被ってる子とか、全く見抜けてないじゃないですか。面接なんだから、相手だって自分に都合の悪いことは、言う訳ないじゃないですか」
日比野店長は、前々から面接の席に誰かバイトの子を同席させて、その子の意見を聞くようにしているらしい。それで先日、薫も面接に出させてもらったのだが、店長の駄目な面接官ぶりを嫌というほど見せられて、途中で頭を抱えたくなった。
薫も面接される側としてはダメダメなのだが、誰よりも多く面接を受けてきたという自負はある。その豊富な経験からしても、日比野店長ほど甘々な面接官は、そうそうお目に掛かれなかった。もっとも、そんな店長だったからこそ、薫がこのコンビニで働くことができているとも言えるのだけど……。
「あの、店長。面接に誰を同席させるかは大事ですよ。はっきり言って、咲良ちゃんじゃ、役不足だと思います。これからは、私がいる時は私に同席させて下さい。あとは、そうですね、斉藤さんとか、大島くんとか、あ、愛衣ちゃんでも良いかな。彼女は高校生だけど、割としっかりしてますから」
「牧野さんかあ。彼女も、なかなか厳しいとこあるからなあ」
「だから、良いんじゃないですか。このお店のことを日比野店長が本気で考えてるんでしたら、そうして下さいっ!」
最後に薫が強い口調でそう言い切ると、日々の店長は渋々頷いてくれたのだった。
★★★
相変わらずボケた話をしつこくしたがる日比野店長だったが、何とか薫は彼を丸め込んで帰ってもらった。
寝ぼけた状態ではポンコツで使い物にならないし、今日は夜九時から明日の明け方まで働いてもらわないといけないからだ。
日比野店長が居なくなると、薫は再び牧野愛衣と二人だけになる。その愛衣は、お客さんがいない時、ちょくちょく薫に話し掛けてくるが、基本的に真面目で店内をこまめに歩き回りながら、何かしら仕事を見付けては手を動かしている。
「愛衣ちゃん、今日は九時まで仕事なんだから、暇なときはのんびりしてなよ。バテちゃうよ」
「大丈夫ですよ、若いんだし。薫さんこそ、十一時までなんですから、休んでて下さいよ」
そう言いながらも、愛衣は手を止めていなかった。
愛衣の生活は、すごく忙しい。バイトと受験生としての勉強、そして家事までしないといけないからだ。
最近の愛衣は、朝早く起きて、熟睡中の母親に代わって洗濯と朝食の準備をした上で、開館と同時に楓と一緒に図書館で勉強、早めの昼食に家から持ってきたおにぎりを食べてコンビニに駆け込み夜まで働く。帰ったら再び深夜まで勉強というスケジュールだそうだ。
薫の妹の楓の場合、本人が何と言おうとバイトはさせていないから、愛衣よりはだいぶ恵まれていることだろう。
愛衣の方はと言うと、姉の代わりに弟がいて、愛衣は何かと弟の世話を焼きたがる。弟の智也の話をする時は愛衣の笑顔が更に愛らしくなるから、彼女の弟ラブがバレバレなのだ。
ちなみに薫の場合、楓のことを話しても表情は変わらない。けど、楓が薫のことを話す時には、とてもだらしない表情になるらしい。まるで姉と妹の立場が逆転してしまっているようで、薫としては複雑な気分だ。
「でも、本当に愛衣ちゃんは凄いなあって思うよ。それに可愛いし、男の子が放っておかないんじゃない?」
「そんなわけないじゃないですか。私も楓ちゃんと同じで、教室ではあんまり喋らないから、誰にも相手にされてないんです。髪の毛だってこんなんだし」
薫は、愛衣の短い髪を可愛いと思っているのだが、敢えて口には出さない。本人が気にしていることは言わない方が良い。
そこで薫が話題を変えようかと思ったところだった。
パぴパぴ……。
「いらっしゃいませー……あ、斉藤さん、こんにちは」
あ、そうだ。
薫は斉藤美月を追い掛けて、バックヤードに入ってすぐの所で彼女に追い付いた。
「あの、斉藤さん。昨日はどうもありがとうございました」
「水草さん、もう大丈夫なの?」
「はい。大丈夫です。ご心配おかけしました」
薫が深々と頭を下げると、美月は「あ、そう。良かったわ」と言い残して、さっさと更衣室に入って行ってしまった。
そっけない対応だったけど、案外、照れていたのかもしれない。
薫は店内に戻った所で、ふと気付いた。
そういや、愛衣ちゃんは昨日のこと、何も聞いてこなかったな。
もう忘れちゃったのかもしれないけど、ひょっとすると、黙っててくれている可能性もある。
薫は、レジで何やら作業をしている愛衣の横顔を見て、藤田翔とのことは黙っておくことにした。
ところが、その愛衣は薫が戻って来たことに気付くと、笑顔で声を掛けてきた。
薫は咄嗟に身構えたのだが、彼女の話は薫にとって意外なものだった。
「あの、私、薫さんってすごい人だと思うんです。東京のトップ私大を出てる才媛でこんなに美人なのに、私なんかにも普通に接してくれるじゃないですか」
「えっ、なんで? 私なんて、何処にも就職もできなかったダメダメなお姉さんだよ。ビンボーだし、借金だってたくさんあるし……」
「ビンボーなのは、私だって同じじゃないですか。まあ、詳しくは知りませんけど、薫さんは元々、名家のお嬢様だったんでしょう。私なんて、両親共に最下層の住民ですもん」
「あのね、過去なんて関係無いの。それに、一度だって最下層に落ちちゃったら、ちょっとやそっとで這い上がれないんだよ」
「でも、薫さんは美人じゃないですか」
「あのね、愛衣ちゃん。美人なんて、なんの足しにもならないんだよ。それより、愛衣ちゃんみたいに愛想が良い子の方が、ずっと得なんだから」
「そうなんですか?」
「そだよ。私なんか、人形みたいで不気味だとか生意気な顔だとか言われるばかりで、なーんにも良い事なんて無かったんだからね「
薫は、容姿のことを言われるのが嫌いだ。だけど、相手が可愛い後輩の愛衣なので、薫は我慢した。
愛衣は少し不満そうだったが、ちょうど良いタイミングで斉藤美月が店に出て来たので、薫は外周りの仕事をする為に出て行ったのだった。
★★★
今日も日中は暑かったせいか、午後はずっと客足が少なかった。その為、お客さんのいない時に牧野愛衣とたくさん話すことができて、薫は満足だった。
ところが、夕方になって外が多少涼しくなり掛けた途端、お客さんがどっと押し掛けて来た。
午後四時から四時間だけのシフトで女子大学生の斉藤美月が加わってくれたけど、三人ともあたふたしてしまい、休憩も全然取れないでいるうちに外はすっかり暗くなってしまった。
頑張ってくれた美月を午後八時過ぎに見送った後、やっと交代で休憩が取れたかと思ったら、今度は愛衣がシフトを終える午後九時が近付いている。
「ねえ、愛衣ちゃん。それで、迎えに来てくれる人って、どんな人なの? 親戚の人とか?」
「違います。うちのお母さん、母子家庭で母一人子一人だし、お父さんの方の家庭は複雑で、今は全く交流がありませんから」
なるほど、やっぱり愛衣の両親は、それぞれ問題のある家庭だったようだ。
薫は、聞き方を変えることにした。
「ねえ、その人って男? 女? 案外、若い男の子だったりして」
「えっ、なんで分かるんんです?」
図星だった。
「ふーん、てことは……」
「もう、いいじゃないですか。たぶん、あと10分もしたら分かりますよ。私、そろそろ上がらせてもらって、着替えてきますね」
途中で話を打ち切った愛衣は、そそくさと更衣室の方に向かって行く。彼女の後ろ姿を見送った後、何気なくお店の外に目をやった薫は、そこに見知った人物を見付けてニヤッと笑った。
店の外にいる人物は、そんな薫の表情に気付いたらしく、かなりビビッて狼狽えている。
パぴパぴ……。
薫は店の外に出ると、その彼に向かって声を掛けた。
「こんばんは。久しぶりだね、颯太くん」
★★★
八木颯太と妹の楓が、このEマートの駐車場を待ち合わせ場所に使っていることに薫が気付いたのは、ここで薫がバイトを始めてしばらくしてからのことだった。
時間は夕暮れ時か、それよりも遅いことが多い。二人は、ここで待ち合わせをした後、それぞれの自転車に乗って一緒に何処かへ行ってしまう。何処に行くんだろうと思っているうちに、しばらくすると、その行き先が自分達のアパートであることが分かってしまった。
それで薫が楓を問い質すと、楓は八木颯太を自分の用心棒として使っていることをすんなり認めた。
「だって、颯太の方から言い出したんだよ」
「でも、八木家のマンションって天王駅の向こう側でしょう? 方角が全然違うじゃない」
「それは私も言ったんだけどね。でも、そういうのって颯太には関係無いみたい」
「ふーん。愛されてるんだ」
「もう、私にそんな気は無いの知ってるくせに」
「まあ、そうなんだけどさ」
颯太が楓に片思いなのは、薫がこっちに戻って来てすぐに気付いた。それだけ颯太の態度は、誰が見ても分かり易かったからだ。
「それで、いつからなの?」
「今のアパートから学校に行くようになってから、ずっとだよ。最初は私も断ってたんだけど、あいつ、しつこくてさ」
「朝は、送ってもらってないよね?」
「うん。さすがに学校が正反対の方向だもんね。それに、ああいう怖い人って、お寝坊さんだからさ。朝は、まず大丈夫なんだよ」
こんな会話を薫が楓と交したのは、三月の初めのことだった。そして、昨夜に薫が改めて楓から聞いた所によると、愛衣と親しくなった六月頃からは、愛衣のバイトの都合が会えば三人で帰ることもあったそうだ。
北高に入学した当初、颯太はバスケ部に所属していたようだが、楓と同じで中州でのごたごたがあった為に辞めてしまったらしい。つまり楓も颯太も帰宅部な訳だが、お互い補習授業とかがあるので、そんな時はどちらかが図書室で自習するとかで時間を合わせていたようだ。
そんな中、今月の初めから颯太が居酒屋でバイトを始めたことで、楓を送って行けなくなってしまった。ただし七月は陽が長いので楓が一人で帰っても特に問題は無かったし、そうこうするうちに夏休みになったから、今の所は問題になっていないのだが、夏休み明けはどうしよっ……。
ともあれ、今は牧野愛衣のことだ。そして、ここに楓はいないのに、颯太がいる。
ということは、つまり……。
「こんばんは。久しぶりだね、颯太くん」
「こんばんは」
颯太は、少し固い表情だった。
「バイトの帰り?」
「はい」
「ふふっ、颯太くんが愛衣ちゃんをアパートまで送ってってくれるんだね」
「あ、はい。そうです。楓さんに頼まれまして」
「やっぱり」
薫は、にやりと微かに笑みを浮かべていた。それを見た颯太の顔は、ますます引きつったものになる。
「あ、ごめんね。愛衣ちゃんのこと、宜しく。送りオオカミになっちゃ、ダメだよ」
「だ、大丈夫です」
さっきから、颯太がビビりまくりな気がするのだけど、敢えて薫は気付かないふりをした。
「ふふっ。それより、中に入れば?」
「べ、別に良いっす。ここだって、涼しいし」
確かに、この時間になれば、外も多少は涼しい。
「まあ、そだね……あれ?」
パぴパぴ……。
その時、聞き慣れたチャイムの音がして、そこに現れたのは、ゆったりした薄手のパーカーとジャージに着替えた愛衣だった。
その愛衣を見た颯太の顔に、ほっとしたような表情が浮かぶのを見た薫は、二人をからかって見たくなってしまった。
「ねえ、二人は付き合ってるの?」
薫は軽く聞いたのだが、二人は即座に「違います」とハモった。
ところが、そこから先の二人の会話は、ちぐはぐになってしまった。
「八木さんは、楓ちゃんの彼氏なんですよ」
「えっ、そうなの?」
「あ、いや、その」
「違うの?」
「違います……たぶん」
薫が颯太に問い掛ける度に、颯太の顔色が赤くなって行く。ここはお店のすぐ前だから、明るくて顔色が良く判るのだ。
それを見た愛衣も、たぶん何かを悟ったようだ。
「ふふっ、颯太くんは、楓のこと好きだもんね」
楽しくなった薫が悪戯っぽく言うと、颯太が「あ、いや……」としどろもどろになる。
「えっ、違うの?」
「えーと、違わないっていうか……」
「もう、薫さん、八木さんのこと虐めちゃダメですよ」
愛衣に諭されてしまった。仕方がないので、これ以上は言わないでおこうと思ったのだが……。
「それに、薫さん、顔が怖いです。灯りが横から当たって、笑顔がいつも以上に不気味ですよ」
「ええ-っ」
愛衣の指摘に薫は、さっと顔から表情を消した。とはいえ、この顔だって、それなりに怖い筈だけど……。
案の定、颯太は微妙な顔をしている。彼も薫のことは良く知っているから、もはや必要以上に怖がったりはしないのだろう。
だが、彼がまだ小さかった頃、薫は彼に少々トラウマを与えてしまったことがある。
というか、その出来事は、むしろ薫の方が深く心を抉られた嫌な記憶となっているのだ。
それは、薫が高校に入ったばかりの頃、薫の入学祝いに父の武が開いてくれたバーベキューパーティーの時の出来事だった。時刻は、そろそろ陽が沈もうかといった頃、焼いた肉や野菜を頬張る人達の顔を夕陽が赤く染めていた。
そんな時、前後の会話の流れは覚えていないのだけど、八木家当主の一樹がやたらと寒いダジャレを放ったのだ。春の夕暮れ時はまだまだ肌寒くて、薫の腕には鳥肌が立った。それでも、主賓だった薫は、咄嗟に何とか笑ってみせたのだ。
もちろん、既に当時の薫は、自分の笑顔が人にどう思われるかを知っていた。だけど、身内の集まりの場合は別だ。全員が薫のことを良く知る人達ばかりなので、相手におもねる気持ちを示す方を優先したのだ。
ところが、一樹のすぐ隣には颯太がいた。その時、颯太は小学生になったばかり。ただでさえ不気味な横顔が赤い夕陽に照らされるのを、幼い彼は下から見上げたのだ。
突然、大声で泣き出した颯太を、そこにいた全員がじっと見た。
すぐに母親の若菜が飛んで来て、颯太を抱き上げる。
颯太のズボンは、びっしょりと濡れそぼっていたのだった。
その日の夜、薫は妹の楓から聞いた言葉が忘れられない。
「あの時のお姉ちゃんのお顔、本物の妖怪みたいだったよ」
もちろん、楓の顔は笑っていて、薫は生意気な妹の頭を軽く叩いた後、「さっさと寝なさい。じゃないと、私より怖い妖怪が出て来ても知らないからね」と言ってやる。
楓は「お姉ちゃんが叩いたあ」と喚きながら、さっきの颯太みたいに泣き始める。それを聞き付けた佳代がやって来て、薫はこっぴどく叱られてしまった。
ああ、嫌なこと、思い出してしまった。けど、目の前の颯太は、もうそんな昔のことなんか覚えちゃいないだろう。
去年の年末、久しぶりに会った颯太は、薫より背が高くなっていて驚いたものだ。
それでも楓よりはまだ少し低かったのだが、今は楓よりも高くなっている気がする。
「薫さん、どうしたんですか、黙り込んじゃって」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてたかも」
「もう、疲れてるんじゃないですか? まだ二時間もあるのに、大丈夫なんですか?」
愛衣は、そうやって薫のことを心配した上で、もうひとつの心配事を口にした。
「それと、店長、どうしちゃったんですかね。そろそろ、呼び出した方が良いんじゃないですか?」
既に日比野店長が来る筈の夜九時になっているのだから、そっちはそっちで心配だ。このままだと、しばらくは薫だけのワンオペになってしまう。だけど……。
「大丈夫だよ。店長の方は私が何とかするから。それより、愛衣ちゃん達はもう行って頂戴」
それでも愛衣は心配顔だったけど、薫は強引に帰らせることにした。これ以上、愛衣の帰宅時間を遅らせる訳にはいかないからだ。
「……うーん、そうですか。確かに、あまり八木さんをお待たせするのは良くありませんね。では薫さん、お仕事を頑張って下さい。お先に失礼しまーす」
そう言い残して愛衣が、ゆっくりと自転車を走らせる。すると颯太も薫にペコリと頭を下げて、慌てて愛衣の後を追って行った。
薫は二人を見送った後、急いでスマホを取り出してアドレス帳で日比野店長を表示すると、通話の送信ボタンをタップしたのだった。
ここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。
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