あと七日
婚約破棄を言い渡された、十七歳の秋。それは、主に貴族が通う上品で優雅なこの学園の檻に入れられて、二年半ほど経ったときだった。あと半年後の卒業のあとに挙式だろうと両親から聞かされていたのに。
まさか、こんな地獄の底に突き落とされることになるなんて。
私の婚約者は、背が高くて、頭が良くて、剣術の腕も良くて、男女問わず人気があるエリック。侯爵家の次男なのが玉にキズとも言われてるけど、さらっとした癖のない薄茶色の髪が特徴で、私の好きな顔をしてる。好きで好きで好きな人だ。
私、クラリスは近年ちょっと勢いがある男爵家の末っ子。猛勉強の末に勝ち取っているそこそこの成績と、不器用な裁縫の腕がチャームポイントと友だちに言われたことがあるので、そうなんだと思う。エリックの前だと緊張しちゃうし、変なこと言わないように黙っちゃうし、格好良いエリックには不釣り合い、だけど……。
この学園に入学と同時に婚約を結んだ。親同士が決めた婚約で、縁談はこちらからお願いした。爵位もこちらが低いし、エリックが嫌だと言えば、おそらく簡単に解消されてしまう。
でも、こんな簡単に婚約が破棄させられるとは思ってなかった。しかも私の性格が原因で。世の中って厳しいな。
お昼休み。ふたりきりの空き教室で、こんな愚痴を親友のユリアに言いまくる。すると、焦げ茶色の長い髪の私と対照的な、綺麗なボブの金髪を靡かせて美女は大笑いした。なんで?
「あははっ、あの人そんなこと言ったの? バカだなぁ」
「えっ、で、でも、確かに言ってたよ。あの平民の子ってユリアのことでしょ」
「えー、私、エリックからそんな風に見られたことないよ?」
昨日の夕方のエリックとの会話は一言一句逃さず覚えてる。衝撃的すぎて忘れられない。
ユリアはこの学園に特待生として入ったとっても優秀な唯一の平民。入学して間もない頃、私が学園内を迷ってたときに、偶然同じ一年なのに案内してくれて、そこから仲良くなった。特別扱いされてることを妬む人もいるみたいだけど、エリックはユリアみたいな子が好みらしい。
「それでね、エリックを襲って、既成事実ってやつを作ってしまえば、とりあえずは婚約破棄はされないと思ったんだけど、どう?」
「貴族は色々大変ね。既成事実って例えば?」
「えっ、なんだろう」
辞書とか本で出てくる頭の良さそうなワード、程度にしか思ってなかった。確かに、既成事実ってなんだろう。手を繋いだり、ハグしたり、そういう感じだった気がする。要は過激ってこと。
「……えっと、その、きっ、キス、とか?」
「ああそう。頑張ってね」
ちょっと照れながら言ったのに、雑に返された。余計に恥ずかしくなるからやめて。
サンドウィッチを食べながら作戦を考える。
エリックは、正式な破棄までにはまだ時間があると言っていた。両親と本家に報告が必要だと。本家にまで話が通ると、多分既成事実を作っても破棄は阻止できない。家格が違いすぎるもん。何もかも無かったことにされて、私が修道院に送られるだけだ。
でも、エリックの両親にまでだと、多分、責任を取れってことで結婚できると思う。
だから、私はエリックの本家に話が届く前に、なんとか既成事実を作らないといけない。その猶予は、学園から王都までの手紙の往復とか諸々込みで七日くらいだと想定できる。すなわち、一週間。
「決めた、ユリア」
「ねえ、このタマゴサンド食べていい?」
「え、いいよ。えっと、それでさ」
「んーっ、美味しい! 代わりに私のハムサンドをあげる」
全然話聞いてくれない。と、思ったらタマゴサンドから顔を上げてくれた。ちょっと、半笑いでこっち見るのやめてくれる? 美人はどんな顔をしてても様になる。ペロッと舌を出して唇を舐める姿も。
「クラリスは何を決めたって?」
「私、一週間以内にエリックにキスする!」
「そうなのね。あ、このフルーツジュース、美味しい! クラリスにも一口あげる」
「んぐ…………美味しい!」
「でっしょー。明日もこれ頼もーっと」
口にストローを突っ込まれた。甘いバナナとリンゴの味が広がる。美味しい。そうだ、代わりにもらったハムサンドも食べちゃお。挟まってる葉っぱを避けてもぐもぐ。私、野菜嫌い。
あ、あれ。いつの間にか話が逸れてる。いやでも、私決めたから。ユリアが興味なくても、相談するし何かあったら頼るからね。目の前のユリアを見つめて、拳を握る。
私はエリックにキスして、絶対に婚約破棄を阻止してみせる!
☆
キスして、婚約を絶対的なものにするためには、証人は多いほうが良いと思う。ということは、大勢の前でキスしなくてはならなくて。
幸運にも、ターゲットは常に人に囲まれている。あの輪の中に入って、堂々とキスするだけで既成事実は簡単に作れる。なんて素晴らしい。
あれ、これ余裕じゃない? と思ったけれど。
私は放課後の教室の中に残るエリックとその友人たちを観察してみた。エリックの周りには女の子もいる。しかも可愛い子たちばかり。アクセサリーも制服の着こなしもおしゃれですごく似合っている。キラキラしてて眩しすぎる。
直視できなくて、ドアの影でコソコソしていると、肩を叩かれた。
「ひっ」
「何驚いてるのよ、不審者。どうしたの」
振り返ったら金髪ボブの美女がいた。私は不審者だったらしい。奇行を止めてくれてありがとう。
「なんだ、ユリアかぁ。ねえ、私があの中に行ってキスできると思う?」
「クラリスには無理ね」
速攻で否定された。やっぱり? 私も厳しいかなって思った。人前でキスする以前に、そもそもキスとかしたことないし、そもそもエリックの顔すらまともに見る自信ないし。
あの中に入るにしても、こんな私だと浮いちゃうな。キスするなら、もっとそれなりの見た目にならないと。
「ユリア。どうやったらああいう風に私も可愛くなれるかな」
「可愛くなりたいの?」
「なりたい!」
ユリアの口角が緩やかに上がって、腕を引っ張られる。頼れる女神様が私を可愛くしてくれるらしい。
ユリアに連れて来られたのは、学園内のお洒落なお店が並ぶ商店街。綺麗な人や格好いい人ばかりが歩いている。うっ……。場違い過ぎて、心臓が痛くなってきた。帰ってもいい?
「ちょっと、何逃げようとしてるの。そうね、長い髪を切るのはもったいないから毛先揃えてもらうだけにして、あとはトリートメントと……」
連行されて、カフェみたいな美容院に収容された。よくわからないけど、ユリアの行きつけなのかな。それならユリアの面目のためにも頑張らないと。
そういえば私の髪って、時々帰省するときに家の侍女に切ってもらっている以外、基本的にいじってないかも。どんな風になるんだろう。わくわく。
外に出る頃には、辺りは夕焼けに染まっていた。街灯に火が灯り始め、空には月や星が輝き、髪は光沢のある艶髪になった。髪ってこんなにも光るんだ。なにこれ、すごい。まるで魔法みたいだ。触るのが楽しくてやめられない。
「ユリア、ユリア、すごくサラサラ!」
「はいはい。あとメイク道具とアクセサリー……のお金は足りないか。今日は化粧品だけ買いに行って、クラリスの部屋で練習ね」
「え、まだ行くの?」
「そうよ。もっと可愛くしてあげる」
綺麗になった私の髪を掬い上げて、目の前でふっと微笑んだ。きゅん。とても見惚れた。私がエリックのこと好きじゃなかったらプロポーズしてた。同性でも惚れてしまう格好良さにときめきが加速する。
「ありがとうユリア!」
「さっさと行きましょ」
抱きついたら引っ剥がされた。愛情の裏返しはちょっと手痛いらしい。




