終章
小気味のよい微風に髪をそよがせ、〈オクルス〉は大神殿前に佇んでいた。いつもの鉄面皮をわずかに緩め、何を思うでなく、晴れ上がった蒼天を見上げている。いつにない穏やかな背中に、スピカはふと微笑みを浮かべて話しかけた。
「お体の方はもうよろしいんですの?」
驚くでなく、〈オクルス〉は当然のようにスピカへ、ちらと顔を向けた。
「――ああ」
「それは良かったですわ」
それで言葉を切ったスピカが隣に立つのを、〈オクルス〉もまた黙って受け入れる。
新月の夜の激闘から既に六日の時が経っていた。〈オクルス〉は、あの、聞く者の胸を抉るような絶叫の後意識を失い、丸五日の間昏睡状態にあったのである。ラウルスは肋骨数本を折っていたが〈オクルス〉に負わされた左太腿の傷の方はたいした事もなく、ウィンの裂傷と左上腕骨折もグレンの打撲や裂傷も手当てのおかげで回復は早いとの事だった。そしてアクルクスは。
「なんとか意識が戻ったそうですわ」
「知っている」
あの後、一人また一人と瓦礫の中で正気に戻った神官達の手を借りて、アクルクスは瀕死の重態であったにもかかわらず一命を取り留めたのだった。香と祭文、そして神官長――もしかしたら一つ眼のも――瘴気によって集団催眠にかかり、魔物に利用されたと知った彼らの驚きと嘆きは大きかったが、目の前の惨事に呆然としているわけにもいかず、結果として彼らもまたアクルクス達や瓦礫の中から助けを求める仲間達に救われる形で立ち直ろうとしていた。
「もうご存知だったの?」
〈オクルス〉は、小首を傾げたスピカをちらと見やった。
「さっき会って来た」
「ま!」
スピカは、驚いて思わず口元に手を当てたが、次いでその手は吹き出してしまった笑い顔も押さえる。
「さぞかしネウラが角を出したでしょ?」
「ああ」
つられたのか思い出したのか、〈オクルス〉の表情も少しばかり緩んだと見えたのは、スピカの希望による欲目だったかもしれない。けれど少女は、それで十分だった。
「あれならもう心配ない」
〈オクルス〉が穏やかに断言する。スピカは素直に頷いた。
これより少し前、静かにノックをして入室した〈オクルス〉の目に映ったのは、寝台の上ですっかりやつれた様子のアクルクスだった。迎え入れてくれたネウラが彼女の体調を気遣って譲ってくれた椅子を辞し、寝台の横に立つと、アクルクスの方から口火を切った。
「――…あんたか。……悪かったな」
「何がだ?」
〈オクルス〉は、ささやくような声のアクルクスに無表情に言葉を返した。青年の顔にちらと苛立ちが浮かんだが、気力が伴わないのか、疲れたように目を閉じる。
「あんたを疑って。結局あんたが全部正しかったわけだ。その挙句に…この様だ」
自嘲する。だが〈オクルス〉は、口を挟もうとはしなかった。アクルクスは、なんとか動く左手で顔を隠しながら続ける。
「思い知ったよ。自分は、どうしようもない未熟者だ。こんな様でおめおめ生き延びたなど、ディーガル家の恥だ。スピカ様や御館様に合わせる顔もないとはこの事だな」
「――そうだな」
アクルクスは、無遠慮に相槌を打った〈オクルス〉に思わず苦笑を浮かべた。
「おい…」
「お前は未熟で短慮で向こう見ずだ」
アクルクスの苦笑が次第に渋面に変わっていくのにも構わず、〈オクルス〉の手厳しい評価は続く。
「それに自信過剰でもあるし強情だ」
「おい…!」
〈オクルス〉の言葉は止まらない。
「その上世間知らずで無鉄砲で甘ったれで…」
「おいっ!」
アクルクスが咆えた。
「いくら何でも言い過ぎだろう! 人が動けないのをいい事に貴様…ッ」
「事実だ」
「貴様ッ!」
重傷の身である事も忘れて体を起こそうとするアクルクスを、血相変えたネウラが必死で抑えつける。
「ちょ…っ、傷が開きますよ! アクルクス殿!」
「…短慮だ」
「まだ言うかッ!」
「〈オクルス〉殿ッ! 出て行って下さいませ! もう来ないで下さいましっ」
柳眉を逆立てたネウラに追い出された〈オクルス〉に、横手から静かな拍手が贈られる。見れば、廊下の壁にもたれかかったラウルスであった。こちらも重傷であるはずなのだが、アクルクスと違ってまだ元気そうだ。脇に挟んだ松葉杖がなければ怪我人だとは思えぬ。そしてラウルスは、苦笑交じりの笑顔を〈オクルス〉に向けた。
「…お見事」
それはあの夜の事か、それとも鬱々(うつうつ)と自責に陥っていたアクルクスを見事復活させた事に対してか。しかし〈オクルス〉の表情に変化はなかった。
「――そうか」
いつもの返事を残して立ち去る〈オクルス〉の背中に、ラウルスはふと、頭を下げた。
スピカは、しばし〈オクルス〉とともに日差しと微風を味わった後で、再び口火を切った。
「――私、ずうっと一八で死ぬんだと思ってました。希望を持たないようにしてたんです。死にたくないと思っていたけれど、同時にもし駄目なら悔いのないようにしておきたいって」
だから精一杯楽しもうとしていた。それに周囲の人に心配をかけたくないとも。
「だから今ちょっと困ってますのよ。これからどうやって生きていこうかって」
〈オクルス〉は、冗談めかせた口調でそう言ったスピカに、初めて顔を向け、告げた。
「今から探せ」
「…そうですね」
スピカは、にっこりと華のような笑顔を浮かべた。〈オクルス〉の言葉は、一見冷たく聞こえるが、違う。それを少女はもう汲み取れるようになっていた。初めて出会った時、スピカは〈オクルス〉に自分と同じ何かの匂いを感じたと思った。それは死の匂いであったろうし、…『魔』の匂いだったのだろう。そして一つ眼は、〈オクルス〉の中に消えた。
スピカの『魔』は外にあった。けれど、〈オクルス〉の『魔』』は内にある。その事を誰よりも怖れているのは〈オクルス〉自身だろうに、彼女はその思いを決して表に出す事はないだろう。もう、〈オクルス〉からあの匂いを感じる事はできない。それはスピカ自身から死の影が消え去ったからだ。今の〈オクルス〉は、スピカだけでなく他の誰にも踏み込む事のできない『外』にたった一人で立っている。けして人の手も力も及ばない『場所』に。
だが、たとえそれが『魔』との境界だったとしても、スピカは〈オクルス〉を恐ろしいとは思えなかった。
「――出立はいつだ?」
と、不意にスピカの思案を止めたのは、その〈オクルス〉だった。〈オクルス〉の問いにはたと我に返ったスピカが素直に答える。
「早ければ明後日。皆の怪我の具合もあるし…。アクルクスは残していくしかないけど、婚儀の日取りの事もあるから…」
「そうか」
「ローラ…あの…!」
「剣がいるな」
くるり、と踵を返した〈オクルス〉は、大神殿に戻りかけた足をふと止めて、スピカを振り返った。
「……報酬に上乗せしてもらおう」
「…はい!」
答えてすぐに〈オクルス〉に駆け寄っていったスピカの顔は、それまで誰一人として見た事がない程に喜色と生気に輝いていた。
〈FIN〉
最後までお読み下さってありがとうございました。
昨今のブームに思い切り背を向けるようなガチガチのファンタジーですが、楽しんでいただけたのなら幸いです。
活動報告にも書きましたが、この小説は今を遡る事2003年、某賞に応募したものです。当時からして流行に逆らった感じのガチっぷりでしたので、結果は惨憺たるものでしたが。
それでも誰かに読んでもらいたくて、こうして手直しをした上で投稿しました。
読んで下さった方、ブックマークして下さった方、本当にありがとうございました。
あ、ラスボスのアレが某大人気錬金術漫画を彷彿とさせるかもですが、私に予知能力はありませんので偶然です。人の恐怖に対するイメージって結構共通認識なのだなぁとしみじみ思いながら手直ししてました。
続きの構想はぼんやりあるのですが、いざ書くとなったら非常に時間がかかると思われます。
次に投稿する予定のものはブームにちゃっかり乗った上の軽い物です。まだストック作成中ですので投稿するまで時間がかかると思われますが、もしよろしければまたお付き合い下さいませ。
ありがとうございました。




