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菓子工房の休日~side クラウス~

クラウス視点です。


 触れた髪があまりにもやわらかくて。

 思わず、口づけていた。






「分隊長! よかった、探してたんです!」


 具合の悪そうなコレットを家に送り届けようとアフェールを出たら、分隊員の一人が息せき切って駆けてきた。何かあったか。

 聞けば、港で商人と船乗りたちの小競り合いがあって、収拾がつかなくなっているという。公休日ではあるが、行かないわけにはいかないだろう。


「お気をつけて」


 コレットが微笑む。顔色が悪いのが気になったが、部下に急かされて港へと走った。




 港に着くと、そこはすでに乱闘状態にあり、商人と船乗りと騎士団の面々とが入り乱れていた。


「クラウス分隊長!」


 怒号が飛び交う集団から一歩離れて、どこから手を付けたものかと考えあぐねていると、エメリッヒが駆け寄ってきた。


「コレットさんはどうしたんです?」


 俺の顔を見て、開口一番がそれか。

 おせっかいは、非常時であっても忘れないらしい。エメリッヒの後ろには、十八分隊うちのたいのほとんどが揃っていた。野次馬根性が役に立ったようだった。

 報せを聞いて別れたことを話し、現状の報告を受ける。現在、三つの分隊が到着しており、もうすぐ副団長率いる本隊も来るとのことだった。たかが港の小競り合い程度に、副団長のお出ましを願っては情けない。早々に収束させたかった。


「船乗り側のかしらは誰だ」


「ヒョードルという男で、最近うちの港(ティル・ナ・ノーグ)に出入りするようになった奴です」


「商人側は?」


「アドリアンですね。

 木材の加工・運搬・販売を行っているA・Gアドリアン・ギャラガー商会の代表です」


 A・G商会は知っている。代々続く商人の家柄で、昔ながらの堅実な商売をしていたはずだ。今の代表も温厚な人柄と聞いており、彼がもめ事を起こすということは、十中八九、ヒョードルとかいう新参者が何か無理難題をふっかけたのだろう。


「アドリアンの方はおまえに任せる。」


 契約を重んじる商人の相手は、口のうまいエメリッヒのほうが向いている。血気盛んな船乗りどもは俺の担当だ。


「わかりました」


 詳しい説明はせずとも、有能な補佐官は俺の意図をすぐに理解する。そして公休日のため丸腰だった俺に、自分の剣を差し出してきた。しかし、


「民間人相手に剣は使えん」


こぶし一つで十分と断った。


「そうですか?

 じゃぁ、思いっきり暴れまわって、初デートを邪魔された恨みを晴らしてくださいね」


 エメリッヒがにやりと笑う。

 そんなんじゃない、と言う前に、奴は商人アドリアンと交渉すべく、一人駆けて行ってしまった。この手のからかいはエメリッヒの常套句だったが、相手がコレットの場合、どうもむず痒い感じがして嫌だ。かといって、あまりむきになると余計喜ぶので、たいていは無言を決め込んでいる。

 今回も、残された分隊員たちの視線を感じないわけではなかったが、それより事態の収拾が先決と、乱闘が続く集団に目をやった。すると、よく手入れされた口髭を生やした商人の一人が船乗りに胸ぐらをつかまれ、それを助けに入った騎士団員が、船乗りの太い腕にはねとばされていた。


「行くぞ」


 短く言って、十名ほどの分隊員と共に飛び込む。突然、横槍を入れられた形になった船乗りたちがひるんだ。その隙に騎士の一団が盛り返す。

 目の前の男を投げ飛ばしたら、左から肘が撃ち込まれてきた。それを手刀で受け流し、返す拳で脇腹を突く。男がもんどりうって倒れたところに、正面から棍棒が降ってきた。体をひねって避けて、男のいた腹に膝蹴りをする。そのまま片足立ちで後ろ蹴りを数発。羽帽子をかぶった若い商人が、跳ね飛ばされた船乗りの下敷きになった。避けないのが悪い、と気にしないことにする。そこまで責任はとれない。

 俺たちという新たな手勢に、それまで優勢だった船乗りたちが気色ばむ。これは好機と、他の分隊に目配せで合図を送り、一気に乱闘の中心に踊り込んだ。

 目指すは船乗りたちの頭、ヒョードルだ。奴を押さえれば、この馬鹿騒ぎもすぐに収まるだろう。




 乱闘は、本隊が到着する寸前に鎮圧した。きっかけは小競り合いだったが、気付けば死人がでなかったのが不思議なくらいの大規模なものになっていた。多数の怪我人の他、十数人の逮捕者も出た。民間人を返した後、港の一画で情報交換を行う。

 先に到着していた分隊や、エメリッヒがアドリアンから聞いた話によると、ことの発端はA・G商会が木材の仕入れの為、ヒョードルたちを雇ったことによるようだ。通常なら、普段からつきあいのある船乗りたちに頼んでいたが、今回は受注が集中し、手が足りずに急きょ新しい船乗りを募集した。急いでいたため十分な審査をしないまま雇い入れ、結果として頼んだものと違う荷物が届いた。それはA・G商会が仕入れようとしたものよりも質の悪い品物で、どうやらヒョードルたち新規に雇ったものが多く乗る船だけがティル・ナ・ノーグに入港する前に他の港に立ち寄り、中抜きして別の安価な材木と入れ替えていたとのことだった。アドリアンがそれを指摘すると、ヒョードル一派は開き直り、途中他の港に寄ってはいけないというきまりはなかっただの、俺たちを雇ったおまえらが悪いだのいちゃもんをつけ、乱闘騒ぎになったようだった。

 後日、拘束した船乗りやヒョードル本人に聞き取りを行ったところ、見方に違いはあれ、同じような内容だったそうだ。


「おまえたち、遅くまでご苦労だった。あとで休みの分は振り替えるように」


「「「了解フーア!」」」


 分隊員たちをねぎらって、解散を指示する。人がまばらになり、落ち着きを取り戻した港で空を見上げると、星が天高く上がっていた。

 埠頭の石に腰かけて、今日一日のことを、そしてコレットのことを思い出す。

 孤児院での子どもたちのことは、本当に驚いた。いままでの心労はなんだったのかというほど、円滑に交流することが出来た。その後入ったカフェでは、思いがけず美味い菓子に出会えた。

 ……ガートに囲まれて身動きができない俺に、コレットが匙を差し出してきたときはかなり動揺したが。

 分隊の中で食器やコップを使い回すことは日常茶飯事だが、一般の女性も平気なものなのだろうか。俺が気にしすぎなのか。

 俺も楽しかったが、彼女もよく笑い、同じ気持ちだったのではと期待する。しかし、アフェールに着いたころから、具合が悪くなったようだった。病み上がりだったのに連れ回して、無理をさせてしまった。

 謝罪とライラ・ディの返礼を兼ねてアフェールの菓子を渡したが、呼び出しがかかり、家までは送れなかった。無事帰っただろうか。途中でさらに体調が悪化してはいないだろうか。

 

 一度気になってしまったら確かめずにはいられない。

 一人暮らしの女性の家に、こんな時間に訪ねることはためらわれたが、いてもたってもいられなくなり、コレットの店へ向かった。




 夜更けの街は、静かだった。

 裏口に立ち、しばし迷う。

 しかし、一度だけと決めて呼び鈴を鳴らした。中からすぐに返事があった。よかった、家には帰り着いたようだ。

 来訪者確認用の小窓が開き、すぐにドアが開く。驚きに目を見開いたコレットが、飛び出してきた。


「クラウス様……!」


 彼女に名を呼ばれると、何やら胸のあたりが温かい感じがするとともに、体の奥が熱くなる。最近すっかりなじみになった、腹の不調も覚える。

 コレットは自室でくつろいでいたようで、髪を下ろし、細い肩にショールを掛けていた。星明りのもと、白い頬が浮かび上がる。


「こんな時間にすまない」


 昼間とは違った雰囲気に、ただでさえ動かしにくい口がますます重くなる。それでも、なんとか非常識な時間帯に来訪した理由わけを話した。コレットは根気よく耳を傾けてくれて、


「ありがとうございます。大丈夫、元気です」


と花開くように微笑んだ。その笑顔を見た途端、呼吸が一瞬止まった気がした。俺と違ってよく笑う彼女の笑顔は、これまで何度も見てきたはずなのに、今夜は何かがおかしい。夕方の乱闘騒ぎの興奮が、まだ残っているのだろうか。


「あの、よかったらお茶でも」


 そんな俺の心中など知るはずもなく、コレットが招き入れるように戸口から半身をずらす。菓子の相談をしているときのように思わず上がりかけて、足を止めた。耳を澄ませて背後を探る。部下エメリッヒたちの気配はないようだ。

 野良犬が通りを横切る。細い月は中天を過ぎ、闇が深くなっている。


「今日はもう遅い」


 いくらなんでも長居をするのは迷惑な時間だと思って断ると、コレットの瞳が陰った。俺がそんな顔をさせたのか。せっかく気を遣ってくれたのに、断るとはどういうことだ。これが他の奴なら、一睨みして発言を撤回させるところなのだが、自分のせいではどうしようもない。けれども、俺はともかく、明日も朝早くから開店の準備をする彼女は、もう寝たほうがいい。


「今日、とっても楽しかったです。また」


 一呼吸おいたコレットは、ショールの合わせ目を両手でつかんで、けなげに微笑む。別れの言葉が続くであろうそれに、急に焦りを覚えて、彼女の言葉に重ねるようにげんを紡いだ。あと、せめて何か一言か二言。短い時間でいいから、話がしたい。


「ティル・ナ・ノーグ中の菓子は食べたつもりだった」


「え、あ、はい」


 突然変わった話題に、コレットがきょとんとする。


「だが、カフェは盲点だった」


 カフェ・エリンのように、美味しい菓子を出す店はまだまだあるはずだ。そう言うと、コレットも瞬きをしながらうなずいた。

 しかし、それが何だというのだろう。俺は何が言いたいんだ? そうだ、つまり……。


「一人では入りにくい」


 ということだ。こんな風体の俺がカフェにいたら迷惑だろうと思って、いままで敬遠していたのだ。けれどコレットと一緒ならば、それなりの体裁が整いそうだった。菓子の研究という名目もある。だからまた行こう、と誘った。


「私で、いいんですか」


 コレットの声が震える。あまりに不安そうに俺を見上げるから、思わず笑みがもれた。孤児院で、仲間の輪に入れなかった子どもを思い出す。なぜ、彼女がそんな顔をする必要がある?


「どうした」


 手を伸ばし、コレットの頭に手を置く。クレイアの頭に手をやったときと同じ調子だったはずだ。ぽんぽんと撫でたら、彼女の頬に朱が差した。頭に置いた手が、急に熱を帯びる。どくんと心臓が脈打ち、動悸がした。胸を押さえようと手を引いたら、


「あ……」


 コレットが、小さな声を漏らした。

 かすかにひらいた唇に目が釘付けになる。降ろしかけた手が、彼女の輪郭をなぞる。ふっくらとした桜色の唇に、触れてみたいと思った。けれど日々の訓練と騎士団の業務で荒れた俺の指では、少し触れただけで彼女を傷つけてしまいそうだった。

 肌に触れるのはあきらめて、しなやかな髪を一房とり、指をからませた。


 その髪があまりにもやわらかくて。


 思わず、口づけていた。


「……!」


 コレットが息を呑む。

 その気配で、我に返った。お、俺は何てことを……!

 さっと身を引き、深呼吸をする。夜でよかった。今誰かに見られでもしたら、どんな顔をしていたかわからない。今夜の俺はおかしい。これ以上コレットの側にいてはいけない。明日、落ち着いてから、あらためて謝罪をしよう。


「また、明日」


 慌ててそれだけ言って、コレットの返事は聞かず、逃げるようにその場を去った。




 大通りを、足早に進む。宿舎に向かいかけてめ、脇道に入った。このまま帰ってもすぐには眠れそうにない。頭を冷やしてからのほうがいいと判断して、遠回りすることにしたのだ。

 寝静まった夜の街を、ずんずんと大股で歩いて行く。歩きながら、騎士見習いの頃、先輩騎士に教わった騎士の心得を十回暗唱して、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

 歩みを緩めたところで、路地から野良犬が飛び出してきた。先ほども見た犬だ、と思ったら、またコレットとのやりとりを思い出してしまった。




 この指で、唇で、彼女の髪に触れた。




 立ち止まって、ぐっと拳を握る。たかが髪なのに、この焦燥感はなんだ。

 ずっと続いている腹のざわつきに苛立ちを覚え、ハッと息を吐いた。騎士となったときに、ティル・ナ・ノーグ公から頂いた銀のネックレスを胸元から取り出す。侯爵家の紋章を指でなぞりながら、また騎士の心得を唱える。


「一、騎士たるもの、いかなるときも冷静・沈着に行動すべし。

 一、騎士たるもの……」


 俺が宿舎に戻ったのは、ティル・ナ・ノーグの街が朝焼けに包まれる頃だった。




 翌日、店の前をうろうろしていたら、青果店のおかみに見つかって店内に押し込まれた。


「いらっしゃいませ!」


 そこには、変わらない笑顔の彼女がいた。ほっとしていつもの席に着く。朝方宿舎に帰りついたものの、突然の不埒な行いにけられたり拒絶されたりする可能性に気付き、結局一睡もできなかった。


「コレット、昨夜は……」


「クラウス様、あの……」


 二人同時に言って、顔を見合わせる。


「あ、すみません。お先にどうぞ」


「いや」


 首を振って、コレットに先に話すよう促す。けれどコレットも顔の前で手を振って、どうぞどうぞとやっている。お互い譲り合って、話が進まない。


「えっと、じゃぁ」


「いや、だから……」


 あぁ、またかぶってしまった。


「何やってんだい、まったく……」


 青果店のおかみが、腰に手を当てて呆れた声でつぶやく。コレットは苦笑を返し、俺は内心頭を抱える。しばらく似たようなやりとりを繰り返したあと、コレットが話し始めてようやく会話になった。

 コレットは、月に一度孤児院の慰問に行きたいので付き合ってほしいと言った。もちろん、と了承したところに客が来た。その後も二人で話す機会はなかなかなく、結果として俺の謝罪はうやむやになってしまった。




 翌月、俺たちは寺院の中庭にいた。木陰に座ったコレットが、子どもたちにねだられて絵本を開く。


「昔むかしあるところに、お菓子作りの得意な女の子がいました。

 女の子には憧れの騎士様がいて……」


 耳に心地よい声に、俺も傍らの木に寄りかかって聞き入る。

 彼女とは、この後話題のカフェに行ってみようという話になっている。どんな菓子に出会えるか、今から楽しみだ。


 風がこずえを揺らす。

 裾をつんと引かれて下を見れば、顔なじみになった子どもが、コレットの菓子を手に俺を見上げていた。座って膝に乗せてやると、満足そうに笑った。

 菓子の甘い香りと、庭に咲く花の香り。

 風が、ふわりと彼女の髪をさらう。毛先を追った視線が俺にたどり着き、目が合った。コレットはにっこりと微笑んでから、再び絵本に目を落とした。つられて微笑み返した俺は、話の続きを聞くとはなしに聞きながら、彼女の横顔を盗み見る。


 穏やかな時間が過ぎていく。

 木漏れ日がちらちらと下草に映る。


 膝の上の子どもは、いつのまにか眠っていた――






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