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兄の話  作者: なみあと
Ⅱ 見えるものの話
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五 見えるものの話




 ぼた。

 と、目の前を何かが落ちていって、私は我に返った。

「……何?」

 浅い眠りから覚めたあとのようなぼんやりした頭をなんとか動かし、足元を見下ろすと、ぬいぐるみがひとつ落ちている。拾おうとかがみかけると、ぼたぼたぼた、と更に三つほど落ちてきた。みな同じキャラクターで、色違いのもの。

 首を傾ぐと、またひとつ、ぼたり。同時に頬に柔らかい感触を覚えて、右手を持ち上げ肩あたりを探ると、そこにも同じぬいぐるみがあった。

 握ったそれを両手で握り、眺める。絵本や雑誌、チラシなどにも登場するほど有名なその癒し系マスコットは、相変わらずすっとぼけた表情で私を見ていた、が。

 心の中で呟いた。――なんで、こんなに。

 こんな量のぬいぐるみを一気に購入したことなんてないし、する理由も思いつかない。いやそもそも、ここはどこで、私は何を――

「正気に戻ったか」

 声は、後ろからした。

 とても聴きなれたそれ。明瞭で聞き取りやすく深みのある、多くの女性が憧れるだろうその声は、ただし私には災厄しか齎さない。振り返れば、そこにはやはり兄がいた。

「ぼうっとして話も聴きゃしねェから、腹いせにぬいぐるみ積んでみたんだけどな」

 記録は七つか、と言う兄の左手にはまだあとふたつ、同じキャラクターのぬいぐるみが握られていた。

「意識はしっかりしたか」

「おかげさまで……で、なんですかこの大量繁殖は」

 足元に転がるそれらを見下ろしながら、尋ねる。兄は左手のぬいぐるみを投げては取り投げては取り、を繰り返しながら答えた。「そこのゲームで取ってきた」

 指さした先。そこにはよくあるクレーンゲームが一台、置かれていた。

 それでようやく私の視点が、兄とぬいぐるみ以外に向いた。ぐるりとあたりを見回すと、やかましい機械が立ち並び、私と同じくらいの歳の子供が思い思いのそれらに群がっている。機械には、ぬいぐるみや菓子が詰められたもの、銃のようなおもちゃが括られたもの、ボタンがたくさん取り付けられたもの、大きな画面がつけられたもの、多種多様なものがあったがそれらのほとんどはやかましい音を奏でていて――自分がゲームセンターの只中にいるということに、ようやく気づいた。

 いつの間にこんなところに来たのかは思い出せないが、いる理由は簡単に察せる。兄が来たいと思ったからだ。

「どうにも暇だったからな。適当にやってみたら、いや、取れる取れる」

 兄がプレイしていたらしいゲームの前は、今は一組のカップルが陣取っていた。彼氏のアーム操作を見ながら、彼女が楽しそうに声を上げている。

 ガラスの箱の中で、アームが下がり、閉じる。そして、上昇。女性がきゃあっと嬉しそうな声を上げた。プライズがひとつ、ゆっくりと高く持ち上げられる。

「……あ」

 それを見て私が思わず呟いたのは、それが私の目には、別のものと重なって見えたからだった。

 それは。

 掴まれて他のものより高く掲げられ、不安定に揺れるそれ。アームが上昇をやめて止まると、支えの弱いプライズの体が、ぐらりと揺れた。しかし落下することは抑えられ、今度は水平に、深い穴へ向かって動き始める。やがてたどり着いたその場所で支えとそれは静止した。体の下には深い穴があり、支えたそれを突き落とさんとばかりにアームが動き始める。短く息を吸った私の喉がヒィと音を立てた。「待って」思わず呟くがそれが止まることはない。宙で体が大きく傾ぐ。そして支えのなくしたその体は低い地面に一気に落――



「ぶば」



 顔面に何か、大きなふかふかしたものをぶち当てられて思考停止。

 伸ばしかけた腕は虚空で止まり、踏み出しかけた足も、また。視界は一面真っ暗になって何も見えなくなる。

 そのままふかふかを顔にぐりぐりぐりぐり押し付けられて、圧力に思わず一歩下がるが、それは私を追うように迫り顔面をふさぎ続ける。息が。息が。

「おぶおぶおぶおぶおぶおぶおぶうっ」

「落ち着け」

 酸欠になりかけながら、暗闇の中で淡々とした兄の声を聴いた。顔をふさぐ何ものかを両腕で力いっぱい払いのけると、待っていたのはいつもどおりの上から目線。

「魂飛ばすなっつうの」

 さっきから何度も何度も、と言う兄の口調は呆れの色の濃いものだった。兄の右手を見ると、巨大なぬいぐるみを掴んでいる。どうやら私の顔に押し付けられていたのはそれらしい。先ほどのものと同じキャラクターで、サイズだけがふた回りほど大きい。

 魂――この人のことだからわかりにくいが、おそらくそれは、比喩だろう。

「……で、その巨大ぬいぐるみは」

「そこのゲームで取ってきた」

 答えて兄は、顎で私の後ろを指す。見る必要は――ない。どうせそこにもゲームの台があるだけだ。「そうですか」と答えると、兄は無言で私の胸元にその巨大プライズを押し付ける。持て、と言うことだろう。力の入りづらい腕でそれを抱くと、兄は右手に持っていたふたつのぬいぐるみもその上に重ねて私に寄越した。私を見上げる、三つのとぼけた顔。

「どうする。今日は帰るか」

 感情のわかりにくい、兄の声。

 顔を上げると、兄はじっと私を見ていた。いつもよりほんの少し眉根が寄っていて、それは私を心配しているようにも見える。もしや私を慮っているのだろうか――と一瞬思うがしかし、私の知る兄はそんな人ではない。私のことなどお構いなしで、傍若無人に振舞うのが、この人だ。……しかし、今なおしっかりしない、夢現の思考回路で、兄の言葉の正確な意味を悟るのはとても難しいことで。

 だから今回は、そのあたりの推測は保留した。

「私は……」

 どうしたいのか。兄と別れ、家に帰る?

 落ちていった『あれ』のこと、何一つもわからぬままに?

「……いえ」

 寝起きのようにぼんやりとした頭で、しかし私はかぶりを振った。

 聞くべきことが、あるはずだ。




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