1:ニュートンに殺される
――目を開けた瞬間、世界が変わっていた。
「おぉ……マジか。あの女神が言った通りだ」
真田進は呟いて、キョロキョロと周囲を見回す。
ついさっきまでは確かに自室のベッドで寝ていた。エアコンの風が少し冷たくて、掛け布団を引き寄せた記憶がある。
だというのに、いま目の前に広がっているのは石造りの街並みだ。
中世ヨーロッパ風……ファンタジーRPGでよく見るやつ。石畳の通りには露店が並び、甲冑姿の男やローブの女が行き交っている。遠くには城も見て取れた。
露店の看板も、道行く人々の言葉も……なぜか普通に理解できる。
「そっか、異世界転生のお約束ってヤツだな。俺、本当に異世界へ転生したのか」
フツフツと湧き上がる実感。目の前の景色が、ニオイが、ありとあらゆる状況がそれを肯定する。
「異世界、ファンタジア……俺が新しく生きる場所」
口に出してみると、妙にしっくり来た。
「よぉし……俺はここで楽しいスローライフを満喫するぞ! それが新しい人生の目標だ!!」
二十歳の誕生日を迎えた本日、真田進は元いた世界で色々あって異世界に転生した。明るく楽しい毎日を送る為に!
「あ、そうだ。異世界転生がマジなら女神に聞いたアレも使える筈だよな」
こういう展開で外せない要素がもう一つ。
チートスキル――大抵の場合、転生時にボーナスとして贈られる特別な能力――前の世界を離れる餞別のようなモノだ。転生者である真田もこの能力をゲットしている。
その内容とは――。
「スキル、時空操作っ! よおぉぉぉし!!」
脳内にスキル名と使用方法が浮かんだ瞬間、思わずガッツポーズが出た。
「時空操作ってことは時間止めたり、瞬間移動したりできるんじゃね? あとアイテムボックス的なヤツも!」
胸が高鳴る。強力無比な万能能力じゃないか。勝ったも同然だ!
「よし、じゃあテストしてみよう。何か良い感じの……」
周囲を見回すと、ちょうどいいタイミングで目の前を一人の少女が通り過ぎようとしていた。
年齢は十代後半くらいだろうか? 可愛らしい顔付き、栗色の髪。素朴なワンピースと――スカート。
「スカート……」
真田の頭の中を凄まじい速度で思考が巡る。
時間を止められるということは、つまり、時間を止められるということだ。
だとしたら、ちょっと下の方から覗き込んでも……バレない。その筈だ!
「――確認は必要だから、仕方ないな」
能力の実験として。
断じてそれ以外の理由も、他意もない!
「……よし」
深呼吸一つ。
心を落ち着かせ、意識を集中して……。
「時間停止」
呟いた瞬間――世界が凍りついた。
風が止む。
人の動きが止まる。
露店の旗が、ひらめいたまま静止する。
「すげぇ……マジか……」
分かっては居たが、実際に体感してみると感動は一際だ。創作物の中に見た時間停止能力者達は、コレと同じ世界を味わっていたのか!
静止した時の中、進はゆっくりと一歩を踏み出す――踏み出そうとした。
「あれ?」
足裏の感触がおかしい。地面を踏んだはずなのに、踏みしめた感覚がない。
というより……滑ってる? それに、なんだか周囲の様子も――。
次の瞬間、身体が横に流れた。
「え?」
理解が追いつかない。
進の身体はまるで氷の上に立つように制御不能のまま勢い良く横に滑る!
「ちょ、待っ――」
止まらない……いや、止められない!
自分は歩こうとしただけ。それなのに!
「なんで!?」
その時、ふと頭を過る思考。
――この星、回ってる?
惑星。自転。慣性。
学校で習った単語が続け様で脳裏に浮かぶ。
つまり自分は、さっきまでこの世界と一緒に動いていた。
だが今は違う。
世界は止まっている。
自分だけが動いている。
その差が剥き出しになった!?
「ウソだろ!?」
視界の端に石壁が迫る。
避けようと腕を振るが――空気が重い! まるで粘性の高い水の中を無理やり進もうとしているかのような異質な抵抗だ。
そして何も出来ないままに真田は――。
「うあぁぁぁぁっ!!」
ガツンと全身に感じる衝撃。
一瞬にして呼吸が止まり、視界が白く弾ける。
意識は瞬く間に遠退いて――。
(スカートの中……)
そんなことを最後に思いながら、真田進は死んでしまったのだ。
「はい、おかえりなさい」
柔らかな声で目を覚ますと、そこは純白の空間だった。
どこまでも無限に続く、真っ白な部屋。その中央に、机と椅子が一つ。
そして、そこに座る美しい女性の姿。
「あ……えっと、アンタは確か……」
真田が上半身を起こしながら言うと、彼女は無表情のまま眼鏡をクイッと持ち上げる。
「転生を司る女神、エントロピアです。お早いお帰りでしたね」
そう、眼鏡の知的美女である彼女の正体は転生の女神エントロピア。真田を導き転生させ、時空操作スキルを与えたのも他ならぬ彼女だ。
「ああ、ただいま……って、そうじゃねぇよ! どうなってんのアレ!?」
立ち上がり、机に詰め寄る真田。
「チート能力って言ってたよねぇ!? 使った瞬間に死んだんですけど!」
「そうですか」
「そうですか、じゃなくて! こっちはギュンってなって、バコォってなって死んでるの! すげぇ痛かったぁ!!」
バシバシと机を叩くが、エントロピアはまったく動じない。
「まずは状況を整理しましょう。真田進さん、あなたは女子のスカートを覗こうとして時を止めたら死んだ……間違いないですか?」
「え……そ、そうだけど……」
「最低」
ボソリと呟くエントロピアの一言に真田が呻く。眼鏡の奥から投げかけられる冷たい視線も相まって効果抜群だ。
「だってぇ……男心が止めらんなくてぇ……」
「ま、あなたのスケベ心はともかく……どうやら真田さんには、元の世界の物理法則が厳密に適用されるようですね」
「はい?」
首を傾げる真田に向け、エントロピアは淡々と言葉を紡ぐ。
「慣性運動です。世界の回転に伴う速度が時間停止によって相対的に露出しました。あなたは世界の自転に伴い時速約1000kmで東向きに動いていましたが、急に時を止めたので世界が停止し、ご自身はもの凄い速度で自転方向へ滑った、ということです」
「いやちょっと待って!」
頭を抱える真田。
「どうして異世界ファンタジーでそんなリアルな話になるんだよ!」
「物理法則は普遍ですよ」
「普遍にしないでくれるぅ!?」
真田の叫びを無視し、エントロピアは続けた。
「だってほら、言語とか元の世界のものが適用されるでしょう? 重力や大気成分だってそう。なら物理法則だって同じです。全く異なるものが適用されたら、まずはそこから馴れないといけません。そっちが良かったですか?」
「いや、それはそれで困るけども……なんか、もっとこう……うまいこと出来るでしょ!? 他の物語とかじゃユルっとノリでチート能力使って無双してるじゃない! 俺もあれ! ああいうのがいい!」
「えぇっ……めんどくさい」
嫌そうに眉根を寄せる女神様。
「馴れれば大丈夫ですよ。死んでもココで復活出来るようにしますから。その方が簡単ですし」
「馴れろって言われても、そんなモンどうやって……!」
必死で訴える真田へ、ニコリと微笑むエントロピア。
「頑張ってください」
「頑張れるか!!」
その叫びを最後に、世界は再び暗転した。
――そして。
「よし、もう一回だ」
先と同じ地点へ降り立った真田進。今度は壁の前に立っていた。
「アイツは慣性とか言ってたからな。それなら変に動いて激突しないように最初から壁にくっついときゃ良いんだ」
東側の壁にしっかりと背を預ける。逃げ場はないが、これでいい。
「んで、慣性による速度が落ち着いたら行動開始。ちょっと面倒だけど、これならイケる筈!」
異世界チート物語、本当の始まりだ!
「よぉし、いくぞ……」
深呼吸。
そして――。
「時間停止!」
再び、世界が止まった。




