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27 決定的な不信感

 複数の重い足取りが響きてきた。 その中には、軽いものもあった。 が、重苦しい雰囲気が軽くなるわけでもない。

 その重苦しい雰囲気は、セシリアのいる執務室へと続く。


 降り続く雨のせいとは言い切れない、湿った沈黙が漂うその部屋は、集まった領民たちに、逃げ場のない「今」という重圧を、ゆっくりと四方八方から与えていた。


(想像以上だわ……)


 セシリアは絶望した。 先ほどの決意が揺るぎそうなほどに。

 アンナたちに集められた領民は、驚く程に少なかった。 父から教えられていた作戦を行うには、圧倒的に人手が足りない。 これでは、なんの連携も取れない。


 キィィィ


 濃厚な静寂の中、セシリアが立ち上がった時に出た椅子の軋む音が、領民たちの悲鳴のように響く。


「みんな、聞いて――」


 セシリアが話し出すと、前列に近い若者の肩がビクリと跳ねた。 その怯えは伝染病のように広がり、人々は一斉に視線を床に落とす。

 まるで、セシリアの言葉が死刑宣告でもあるかのように。


 彼らの瞳には『エヴァーグリムを守りたい』などという高尚な意志は見られない。 ただただ、厄介事に巻き込まれた、という絶望感が漂っていた。


「領主自らが逃げだした今、あなた達に『残って戦え』とは言えません。 それに、私には言う権利もありません」


 張り詰めていた雰囲気が、ふと和らいだ。 重苦しい溜息が吐き出され、人々の顔が上がり、一人二人とセシリアの方を見出した。


「まだ間に合います。 逃げ出したい者は、今すぐに避難を始めてください」


 静寂は崩れ去り、ざわめきがさざ波のように広がる。低く湿った囁き声が室内の隅々に伝播する。

 時計の秒針の音が、その挙動不審に拍車をかける。


 顔を見合わせていた人々が、勇気ある一人の退室を引き金に、一人また一人と、引潮のように立ち去っていった。 残ったのは、十数人程度の領民と旧伯爵邸の衛兵()()だった。


 市長、アンナ、衛兵たちが残ってくれたのが、せめてもの救いだった。 みな、防衛戦を熟知している者たちなので、ある意味『楽』ではあるが……。 

 何かを決意したように顔を上げ、真っ直ぐセシリアを見つめる彼らの中で、市長の横にいて震えながら自身のズボンの裾を握る、まだ年若い青年だけが、彼女の目に異様に映った。


 室内は重苦しい雰囲気に包まれ、予想通り強まった雨足が、風にあおられ激しく窓を打ち付ける音が、時を刻んでいた。

 ゆっくりと水中に沈んでいくような錯覚を覚える静寂の中、コツコツと足音を立て移動したセシリアは、執務机を前にしペンを取った。


 息を飲むような沈黙の後、深呼吸をしてセシリアは、書き上げた手紙に『フランゲル伯爵』の封蠟をした。 ずっと大切に持ち続けていた、父のシグネットリングで。

 そして、震えながら市長の隣立っている青年に、セシリアは声を掛けた。


「あなた。 市長の息子さん、なのかしら?」

「そうですが……。 何か?」


 セシリアの問いに答えたのは、市長だった。 


「そう、あなたに頼みがあります。 この手紙を隣領の市長に渡して下さい。 ()()


 息を飲む声が聞こえる。 市長の息子は、驚きに目を丸くしていた。

 震える手で手紙を受け取る彼や、ざわつく室内の雰囲気に気が付かないフリをして、セシリアはアンナに声を掛ける。


「アンナ。 フランゲル伯爵旗を出してきて。 それと……」


 セシリアは衛兵の中から、自分より年下と思える衛兵を選び、市長の息子の護衛を依頼した。


「納得できませんっ!」


 緊迫していた静寂が、一人の衛兵の叫び声でざわめきに変わる。

「自分は、エヴァーグリムを守るために残った訳で、護衛の為ではありませんっ」

「自分もです。 残らせて下さい」


 一歩、一歩と彼らはセシリアとの距離を詰めてきた。 思わず後退りする彼女だったが、気を取り直し、彼らを一瞥した。


「領主が逃げ出したエヴァーグリムでは、国の盾となる事はできません。 それならば、次の盾となる街に、その事実を早く伝え準備を急がせるべきです。 それに、その事実が国軍に伝われば、援軍がより早く、エヴァーグリムに到着する希望が生まれる。と、思いませんか?」


「あぁ……」と、感嘆の溜息が広がる。 不安そうに顔を見合わせていた人々の表情が、理解と共に明るくなっていく。

 彼を覆っていた絶望の暗雲が、微かに見え始めてきた希望の光に霧散する。


「――でっ、でも。 国軍が、指揮官のいない()()を見捨てる選択もありますよね?」


 震える声が、部屋のすみから聞こえてきた。 とたん、そこから湧き出すように不安が部屋を支配する。 揺れる瞳をきらめかせながら、一人の領民が進み出てきた。

 再び、室内はざわめき立ち、重い空気が立ち込める。


「そうなったら、皆、無駄死ですよね?」


 絞り出されたその声は、悲鳴にも聞こえる。


「まさか……、そんな事あるわけないわ」


 セシリアは首を左右に振りながら後退る。 その表情は強張り、青ざめているようにも見えた。 

 セシリアには『国に見捨てられる』という考えには思い至らなかった。 何故なら『国の盾となれ』は『援軍が来るまでの間、持ちこたえよ』と同義だと思っていたのだから。 


「――ふざけるなよ」


 地を這うような低い声をキッカケにして、怒号が飛びかう。 


「お前みたいな平民の小娘に、耳を傾けた俺等が悪いのか?」

「お嬢は、由緒正しい伯爵家の……」

「訓練も受けていない素人の命令なんか、聞けるかっ!!」


 ニルスの言葉は怒号にかき消され、市長や伯爵旗を手に戻ってきたアンナの制止は、彼らの耳には届かない。

 次々とセシリアに投げ付けられる糾弾の声が、歯を食いしばり踏み止まり、恐怖と戦う彼女の心を否応なしに(えぐ)っていく。

 その怒号の応酬は止むことを知らず、室温を一段階上げたようだった。


 ガシャーン!!


 その時だった。 執務机の上に置かれていたであろう重厚な文鎮が、備付けの本棚の硝子戸を木っ端微塵に打ち砕いた。


「私を信用ならないと言うのなら、今すぐに立ち去りなさい」


 セシリアだった。 彼女はカツカツと靴音を鳴らし、ガラスが砕け散った床を何事も無かったかのように歩く。

 そして、おもむろに扉を開けると『どうぞ、出ていって下さい』とばかりに、手を差し出す。


 一瞬、躊躇が見えた領民たちだったが、声を荒げていた数人の領民たちが、悪態をつきながらセシリアの前を通り抜けていった。


 突然の静寂が訪れた。 互いの視線は交わる事なく、ただ硬直した沈黙が広がっていった。

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