第十二話 「ケーティの冒険」 その④
〈クオツ・アラーニェ〉に組み敷かれる形となったケーティ。敵はアゴをガチガチと鳴らし、その奥の口をパクパクと開閉してケーティに食らいつこうとする。ケーティはそれを必死で防ごうとしていた。左足は既に粘液に絡めとられて使用不能。しかし、残る両手と右足で懸命に踏ん張る。
「ああああッ!!」
鋭く尖ったアゴの先が間近に迫る。人間の力では魔獣には到底及ばない。このままではすぐにでも牙がケーティののど元に到達し、命果てるだろう。
「ここまでか……ッ!」
ミョルニルは、助け出すタイミングは今しかないと、ハンマーを取り出して一歩前へ踏み出した。ケーティの敗北が必至ならば、せめてこの場は救い出して再挑戦させるしかない。洞窟に来てレベルも随分上がったことだろう。それなりの武器と防具があればソロでも勝てるかもしれない。
けれど、ミョルニルの接近に気づいたケーティはそれを拒んだ。
「だめです!! わたし一人で乗り越えないと……わたしが強くならないと、何も変わらないんです!!」
「し、しかし……!」
「ジオぉぉぉぉぉおおおおお!!」
ケーティは、渾身の力で敵の重量に耐えながらも、必死で自分の騎竜の名前を呼んだ。
「馬鹿なッ! 窟内に騎竜は入ってこられませんよ!」
「いや、来ます!! あの子は絶対に来てくれる!」
通常、洞窟など狭い空間には騎竜は連れていくことができない。ゲームシステム上の都合もあるのだろうが、飛竜種に属するモンスターは、自分の翼が広げられないような空間を拒む性質があるからだ。なので、洞窟や鬱蒼と危機が多い茂るような密林では上空に騎竜を待機させておくのが普通だ。現に、今回もミョルニルとケーティはそうしている。仮にジオがケーティの呼びかけに気づいても、洞窟内に侵入するのをためらうはずだ。
ケーティは襲い来る重圧についに耐え切れなくなったのか、力を緩めてしまう。すると、〈クオツ・アラーニェ〉の大あごの先端がケーティの胸のあたりにわずかに食い込んだ。
「あああああああっ!!?? ――ガああッ!?」
突然、ケーティの苦しみ方が変わった。痙攣するようにのたうち回り、脂汗が大量に分泌され始めた。ミョルニルはその光景が見るに堪えず、思わず目を逸らしてしまう。
敵の大アゴの先端へ、口元から唾液が伝い落ちていた。アゴの先端がケーティに突き刺さったことで、唾液が体内へと注入される形になってしまったのだ。クモは体外消化をする生き物である。体の外で食物を消化し、汁を啜るのだ。つまり、ケーティは今、絶賛消化中の状態に陥ったわけである。外部からの痛みならば耐えられる人は少なくないかもしれない。しかし、内部から溶かされていく痛みならばどうだろう。耐えられる者は果たして何割いるのだろうか。
「負けない……コンナイタミニ、負け……グウゥ!!」
ゲームという事で相当痛覚には制御がかかっている。それでも生きたまま消化される苦しみがどれほど過酷だろうか、想像に難くない。それを必死で耐え、起死回生の一手が“届く”のを、ひたすら待つのだ。
「ジオ!! じおおおお!!」
「ケーティさん、やはり――」
その時だった。
「クルルルルルルルルルル!!」
ばさりと羽音が響き、洞窟内を旋回する大きな影が現れた。影は〈クオツ・アラーニェ〉を挑発するように接近と離脱を繰り返し、注意を引き付けようとしている。ジオだ。ケーティの呼びかけに、本当に応じてくれたのだ。
「こんなことがあるなんて!」
ミョルニルは目の前で起きた奇跡に感服せざるを得なかった。ただでさえ閉所を拒む騎竜が、こんな奥地まで、それもこんな短時間で駆けつけてくれるなど普通はあり得ないことだ。きっと主人の身を案じて洞窟の中腹くらいで待ってくれていたに違いない。それほどまでに信頼関係を得るとは。
しかも、ケーティはまだ駆け出しの新人。タングとミョルニルのように長い時間共に過ごしたわけではない。よほど馬が合う二人だったのだろう。さらに言えば、「ジオ」は騎竜の正式な名として登録が済んでいない。ネームド騎竜になる前の、ステータスが一段階低い状態なのだ。これを奇跡と呼ばずして何と呼ぼう。
「クルル!! クルルル!」
ジオは上空から急降下し、敵を足蹴にしてから再び高度を取っている。ヒット&アウェイでけん制を続けているのだ。それこそネームドの騎竜であれば炎を吐くなどの攻撃もできようが、ジオにはそれができない。単調な攻撃を続けて注意を引くより他はない。
だがそれは、ケーティにとっても都合の良い様に作用してくれていた。敵の注意が上空に向いたおかげで、刺さっていた大アゴが外れ、消化液を追加されずに済んでいるのだ。無論既に体内に侵入した消化酵素はタンパク質の分解を続けているだろうが、今ならば致命傷にならずに済みそうだ。
ケーティは左足の拘束をどうにかしようと試みていた。粘液はしばらく放置すると硬化してしまうらしく、左足は地面に完全に癒着していた。仕方なく、ブーツの留め具を外して裸足になる。脱いでしまえばどうということは無い。ただ、洞窟の岩場を裸足で歩くのは想像以上に痛いはずだ。痛覚が制限されているゲーム内においても、その感覚は不快であることに変わりないだろう。
「よしっ、いける!」
ケーティは体が自由になると、ストレージから〈ノイジーバッツ〉の玉石から作った秘薬を取り出し、さらさらと口の中へと粉を流し込んだ。水がないのが残念だが、頑張って飲み込むしかない。粉状になった玉石は吸収が早く、間もなく体力の回復が始まった。液体の回復薬とは違い即効性はないようだが、じわりじわりと体力が戻っていくのがケーティにも実感としてわかった。
敵を押さえる際にいつの間にか落としていたダガーを拾い上げたケーティは、それを順手で構えなおす。
「さあ、今度はこっちの番だよっ!」
狙うのは、敵がジオに攻撃しようと体を持ち上げた瞬間だ。実は先刻押さえつけられているときに、〈クオツ・アラーニェ〉の腹部にとても柔らかそうな部位を発見していた。ここを切りつければ、大ダメージを与えられるかもしれない。
「“力を開放せよ――〈クロムエッジ・ダガー〉”!!」
ドラグナイト・オンラインに、決められた必殺技は存在しない。その代わりに武器ごとに決められた文言と、武器の真名を告げることで一定時間武器固有の能力を発揮できる。汎用武器である〈クロムエッジ・ダガー〉の解言はとてもシンプルで、かつ能力も切れ味と対腐食率が上昇する、というだけのものに過ぎないが、これがケーティの持っているすべてだ。
真名を告げられたダガーは、淡く発光をはじめた。光は敵の体の結晶体や、洞窟の水晶に反射されて、幻想的な光景を生み出した。
「クルルルアアア!!」
「――――疾ッ!」
ジオが作り出した敵の一瞬の隙。それを見逃さず、ケーティは駆け出した。〈クオツ・アラーニェ〉は、間近に迫ったケーティにようやく気が付き、迎撃態勢を取ろうとするが、遅い。ケーティはスライディングの要領で敵の下方へと滑り込んだ。敵がケーティを迎え撃たんと前に出る動きと、体を滑り込ませたケーティの動きがクロスする。この勢いを利用して、ケーティは敵の下腹部へとダガーを突き立て、裂いた。
「てぇぇぇぁあああッ!!」
迸る剣線。〈クオツ・アラーニェ〉に開けられた傷口から大量の体液が溢れ出す。蜘蛛型の魔獣にも痛みはあるのだろう、激しく暴れまわる。のたうち回っている、という表現が適当かもしれない。
「kyaaaaaaaaaaaaa!!」
まるで人間の女性のような悲鳴は、しかし口から発声しているものではなかった。ちょうど水晶でできた尾部のあたりから声が響いている。つんざくような金切り声はかなり不快だ。
耳を覆いたくなる衝動を堪え、ケーティはここぞとばかりに追撃をかけた。タイミングを見計らい、一本ずつ脚を攻撃していく。関節部分に刃が通れば、腱を切り、動きを封じることが可能だ。うまくすれば完全切断も不可能ではない。
「kiiiii!!」
たった一度の攻撃がきっかけで優劣が逆転してしまったことに腹を立てたのか、〈クオツ・アラーニェ〉は激しく身を震わせた。そして、文字通り“腹を立てた”。クモの腹部と尾部が地面とは垂直方向にスッと持ち上げられていく。
高く掲げられた水晶の尾は、やがて炸裂するように砕け散った。中から出てきたのは、水晶の剣を携えた裸の女性。下半身は元のクモの体のままなので、クモの背面から人間が生えたようにも見える。ただしサイズは人間のそれよりもはるかに大きい。
青みがかった長いシルクのような髪を揺らしながら、〈“真”クオツ・アラーニェ〉はケーティに猛然と迫る。脚はほとんど機能していないというのに、残った部位を動かして無理やり突進しているのだ。ある意味先ほどまでの姿より鬼気迫っていて恐ろしい。
(ここからの姿は、ボクが戦った時とあまり変化ないようですね)
ミョルニルが戦った時は、後半戦に差し掛かるとクモの背中を割るようにして女性が姿を現した。また、パーティの人数によって持っている剣の数が変化するのもおそらく同じだろう。ドロップされる水晶剣の数が異なるためだ。今回はソロなので1本である。
と、同時にそれはミョルニルがパーティ扱いになっていないと確定した瞬間でもあった。もしハイランカーが混ざっていると判断されれば、クモ型のまま戦闘は終わっていたはずだ。いくら見守っているだけとはいえ、システムが複数パーティだと認識してしまう可能性もあったので、ミョルニルは懸念していたが杞憂に終わったようだ。
「ジオ!!」
ケーティはジオをうまく操りながら、立体的に敵を攻めた。柔らかな部位が露出している今、脚を迫る必要はない。あとは剣技で敵を圧倒し、倒すまで。ケーティのダガーに対する敵の反応速度は凄まじく、水晶剣とダガーが何度も打ち合わされて火花を散らす。
「うおおおおおおっ!!」
畳みかけるようなラッシュ。しかし、敵はそれを巧妙にさばいてしまう。ケーティはジオの背中の上に立つと、ダガーを逆手に持ち直した。
「あれは――!!」
ミョルニルが叫んだ。今まで順手に握っていたものを、元に戻した。何かするつもりに違いない。
敵が剣を大きく振りかぶるような挙動を見せたのと同時に、ケーティはあえて敵の懐までまっすぐ跳び込んでいった。即座に水晶剣が振り下ろされる。が、何と彼女は向かってきた相手の腕に跳び移り、そのまましがみ付いてしまった。逆手に握ったのは相手をホールドするためだったのだ。この位置では、敵も剣で斬ることはできまい。
敵がひるんでいる隙に、ジオが相手の首筋に噛みついた。再び悲鳴をあげた〈クオツ・アラーニェ〉。その大音響の中、ケーティはダガーを敵の腕に突き立てた。手にしていた水晶剣がついに地面へと落ちる。
「行くよ、ジオっ! これで終わりだああああ!」
再度ジオに飛び乗ったケーティが、最後のラッシュをかけた。ダガーは真名解放の輝きをまだわずかに残している。ケーティが洞窟内を飛び回り、光の軌跡を描く。光のラインが空間に円を描き、そして消えていく。光が完全に消えてしまうまでの数分間、ミョルニルはその光景を恍惚の境地で見守っていた。
光の消滅とほぼ同時に、〈クオツ・アラーニェ〉は地面へと崩れ落ちる。下半身のクモの部分はそのまま残っているが、上半身の女性形の部分は地面に吸い込まれるように溶けて消えていった。
「……はぁ! はぁっ!」
全てを成し遂げたケーティが、倒れ伏す。酸素が足りない。肺の中に何度空気を送り込んでも満足できないほど息苦しい。手先が痺れていくような感覚。視界がブラックアウトし、涙が止まらない。
「落ち着いてください、ケーティさん」
「――――!! ……――!!」
ミョルニルの呼びかけに応じようとしたケーティだったが、うまく声を出すことができなかった。極度の疲労と、緊張から解き放たれた瞬間に何かの緒が切れ、過呼吸を引き起こしてしまったのだ。このままでは現実の世界のケーティの体にも変調をきたし、せっかく敵を倒したのにアイテムを手に入れられないまま強制ログアウトになってしまう。
「ボクの声が聞こえますね? ……頷くだけで結構です」
ケーティは細かく首を縦に動かした。その間にミョルニルはストレージから麻袋を取り出した。それをケーティの口と鼻を覆うようにして被せる。
「ペーパーバックと言って、呼吸を落ち着かせる効果があります。少しずつでいいので、ゆっくり呼吸することを意識してみてくださいね。そのうち楽になりますから」
激しい呼吸の結果酸素過多に陥り、それが酸欠時と似たような反応を呼んでしまい、悪循環になるのが過呼吸だ。しかし、ここはゲーム内。実際には酸素の量は影響しない。それでも精神的はファクターが大きいはずだ。いずれ楽になると断言したことと、それらしき対処法を取ったことが安心感につながるとミョルニルは考えた。
事実、ケーティは少しずつ呼吸に落ち着きを取り戻していった。やがて袋を外しても問題ないレベルにまで回復した。起き上がることはまだできそうにないが、会話は問題なさそうだ。
「すみません、わたし……」
「いえ、大健闘でしたよ。ケーティさん。あとは剣に触れればクエスト達成です。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「……」
「……」
それきり、二人の間に沈黙が訪れた。ジオも心配そうに見つめている。ミョルニルはしばらくケーティの頭を撫でてやっていたが、ふと、いつか聞かれた質問を思い出し、今度はちゃんと答えようと思い立った。
「少し前に、なんで助けるのかを聞かれましたよね?」
「え? はい」
「実はボクもね、自分の“色”についてからかわれることが多かったんですよ。髪が伸びてくると、色素が抜けて退色してしまうんです。ただでさえ変なクセも付いていますし、よく馬鹿にされてました。カラーズの中でも異端。それがボクです。でも、助けてくれる仲間や友達も多かったのでそれほど気にしていませんでした。“からかい”が“いじめ”にならないようにしてくれていたんです。……そんなあるとき、一人の友達が市外に転校していってしまいました。その友達は、転校先でひどくいじめにあって、結果として自ら死を選んでしまったのです」
「亡くなった……んですか」
ミョルニルは少しだけ目を伏せた。
「ボクはとても悔しかった。いつも守ってくれていた友達に、ボクは何もしてあげられなかった。遠く離れてしまったからなんて言い訳になりません。何かできたはずだ、何かやれることはあったはずなのに、それをできなかった自分を責めました。だから、ボクはせめて手の届く範囲のものは全部守れるような人間になろうと決めたんです。もう、誰も傷つかないように。誰も、悲しまないように」
それが、ミョルニルがケーティを助けた理由。そして、トールが〈仮面の騎士〉を受け入れた理由だ。
「ケーティさん。あなたは強い人だ。決して境遇に屈しない強い力を持っている。きっと、この先もうまくやっていけます。それでも何か困ったときは、ボクに相談してください。力になれると思います」
「ありがとう、ございます! わたし、これからも頑張りますっ!」
――――
――その後、水晶剣〈アクラム〉を手にしたケーティはパーティのもとに帰り、皆の度肝を抜いたという。しかも、その場で水晶剣を売却しようとしたので、逆にクラスメイト達が慌てて引き留める一幕もあったらしい。困難なクエストを突破したケーティを見て、少しだけ彼らも見る目を変えたようである。




