第六話 「戦う意思」 その①
「ああ、ご家族の方ですね。」
竜都第一病院の受付で母親の名前を伝えた深矩に、少し待つようにと係員の女性は声をかけた。しばらく受付で待機。やがて一人の男性医師が現れると病棟まで案内された。道すがら、母の容体の説明を聞く。
「お母さまは、特に目立った外傷はありません。脳にも特に異常はないようですし、内臓疾患も特にないようですが、意識だけが戻りません。」
「何者かに襲われた、と聞いたのですが。」
すると医師は首をかしげて、
「いえ、お母さまは路地裏で倒れていたという話ですよ?」
と言う。
「津野くんが聞いている話と少し違うね。いったい誰からの電話だっんだろう。」
「そうだな、妙な口調だったから知り合いなら一発でわかるはずなんだけど。」
「どなたから電話をいただいたのですか?我々は身元が分かった時点で、ご自宅にご連絡差し上げただけですが……。」
何もかもが奇妙な話であった。知らない人物からの電話、かみ合わない情報。一体何が原因で病院に運ばれたのか、そしてどうして意識が回復しないのか。
ともかく、医者の話によればしばらく入院措置を取り様子を見る必要があるそうだ。食事はとれないので点滴で栄養を摂取し、もし意識の回復が見込めないようであればパイプで胃に流動食を流し込まなければならないという話だった。
3階にエレベーターで上がり、渡り廊下を通って第二病棟へ。その一角にある個室に、母・双佳はいた。医師が扉のセンサーに手をかざすと、自動的にドアがスライドして中の様子が見える。
ベッドに寝かされている双佳は、人工呼吸器と点滴、脳波や心音を測るセンサー類が装着された状態であった。表情は穏やか。単に眠っているようにさえ見える。
「母さん!!」
双佳に駆け寄る深矩。頬を軽くたたいて母親を呼びかけるも、全く反応しない。手を握ってみても、握り返してくれることは無いのだった。
「緊急性があまり見受けられないのでこのような個室で失礼させてもらっています。ともかく安静に、ですね。何かあったらそこのボタンで看護師を呼んでください。」
「はい、わかりました。」
母親のことに必死で、医師の言葉が耳に入っていない深矩の代わりに、あさみが返事をした。医師が部屋を出ると、再び扉がスライドして廊下から隔絶される。ただし、防音機能は無いようで、医師の歩き去る足音がわずかに聞こえてきた。
「母さん。何があったんだよ。」
うなだれる深矩は、そのまま何も言葉を発することがなく、いや、発することができずに頭を抱え込んでしまった。いったい、何が元凶となっているのか。母親の入院を知らせてきたあの電話の主は何らかの事情を知っているに違いない。彼女からの連絡を待つべきだろうか。
深矩の脳裏にどうしてもちらついてしまうのは、怪物事件との関連である。何も関連なしにこのような不幸が続くという事の方が不自然に思えてしまうのだ。だとすれば、なぜ母親は狙われたのだろうか。頭の中でごちゃごちゃと浮かんでは消えていくQ&A。
Q:学校に最後まで残っていたのが深矩だったから?
A:それはあまり理由としてふさわしくないだろう。
≪デオキメラ≫を見たというだけなら、他の生徒はどうなる。
≪仮面の騎士≫の正体すら、この時は分かっていない。
Q:裏通りでの戦いに、深矩が首を突っ込んだから?
A:それも、時系列上おかしな点が出てきてしまう。
裏通り戦と、母親が襲われた時間は、ほぼ同時のはずだ。
そもそも、深矩の行動が原因だとすれば、真っ先に狙われるのは母親でなく深矩自身のはずなのだ。だから、母親が狙われる理由は母親自身にあったことになる。
「ねえ、津野くん。これ何だろう?」
あさみが発見したのはベッドの脇の白い台に置かれていた小さなメモリーチップ。母親の持ち物だろうか。だとすると無造作に置いてあるというのはおかしい。
「誰かが置いて行ったのか?」
「ひょっとすると電話の人の仕業かも。」
「中身、確認してみよう。PMSのタブレットがあるといいんだけど。」
メモリーチップを挿入するには腕時計型のPMSでは小さすぎるため、通常は挿入口が付いていない。別の端末を経由して読み取ることは可能だが、そもそもタブレット一台あればわざわざ腕の端末で表示する必要はない。
「あるよ、タブレット。」
「え?腕にもPMSついてるよね?」
「あのね津野くん。今時女の子は2台持ちが基本なの。」
深矩にとってそれは初耳だったが、映像も鮮明にみられるタブレットをメインに使用し、携帯に便利な腕時計型はおしゃれアイテムとして扱う女性も多いのである。また、あさみの場合はウォッチタイプを≪仮面の騎士≫の活動用、タブレットをプライベート用と使い分けている。
二人は見舞客用の簡易チェアーを引っ張り出し、並んでそこに腰かけた。あさみはメモリーチップをタブレット端末の横の挿入口へ差し込むと、スクリーンを操作してその中に保存されている情報を表示させる。
「これは取材メモ?津野君のお母さんが書いたもの?」
PMSの機能の一つに文章の編集機能がある。何かのメモを取るのに使う人間も多い。双佳の場合は紙の手帳に速記し、それをPMSできれいにまとめて校正し、記事を書くのが習慣だった。そしてこのメモリーチップはその編集用のメモデータのようだった。
「母さんは雑誌の記者だからな。いろいろと取材で飛び回っていたらしいよ。」
日付順に整理されたデータを、指をスライドさせながら閲覧するあさみ。ところが数秒もしないうちにある記述が目に留まり、指の動きをストップさせた。
「――これは」
「どうした?」
深矩はあさみから端末を横取りすると、そのファイルを読み始めた。取材が完了していないため、記事そのものは穴抜けだらけの粗末なものであったが、そこかしこにメモされた取材の痕跡がその内容を如実に物語っている。
「“怪物事件と某企業の関係性について”!?母さんは、あの事件のことを調べていたのか!」
そこには事件の概要と、息子・深矩から聞き取りをした情報が箇条書きに整理されていた。TV番組での報道内容や地元住民への聞き込みもある。そういった取材メモのほかに、双佳の立てていた仮説も含まれていた。深矩はその中に聞き覚えのある単語を見出す。
「ミッドガルデ・ホールディングス?」
「――ミッドガルデ!?まさか、そんなことまで……」
あさみが深矩の方へと顔を寄せて、タブレットのスクリーンをのぞき込んだ。空間にスクリーンを作り出すプロジェクションビューワは、角度がずれると光が拡散してしまい、情報が読み取れない。二人が同じ方向から読む必要があるのだ。
あさみがそばに寄ってきたので、少しどきりとして上半身が引けてしまう深矩。しかし横目で確認したあさみの表情があまりにも真剣だったため、この会社が≪仮面の騎士≫と関係のあるものだと気付いてしまった。
「これ、あさみ達にも関係あるのか?ミッドガルデって、名前だけは聞いたことがあるんだけど。」
「ミッドガルデは、この街を事実上運営している製薬会社。まさか、津野くんのお母さんはミッドガルデと接触をしたんじゃ……。」
「やっぱり、何か因縁があるんだな?」
深矩の言葉は、少し怒気を含んでいた。
「……。」
「教えろよ、この会社が黒幕なのか?母さんはそれを疑っていて、だから襲われたのか?」
「津野くんのお母さんが襲われた理由なんて、わかるわけない。」
「――ミッドガルデが黒幕であることは否定しないんだな。」
「あなたに教えることは何もない。」
あさみの態度は、深矩の抱く疑念を暗に肯定しているようにも聞こえる。しかしあくまで「関わらない」と一度宣言した深矩に対し、黙秘を貫く姿勢のようだ。
「津野くん、あなたはこれ以上深入りしてはダメ。お母さんの二の舞になりたいの!?」
「でも!!」
「でも、じゃない!津野くんはもう無関係の一般人で仲間でもない部外者なんだから。自分でそう決めたんでしょう!?」
ガタン!!と、深矩が椅子を倒しながら立ち上がり、あさみを挟み込むような形で壁に手をついた。壁際に追い込まれる形になったあさみが上半身を軽く引きつらせながら、深矩を睨み付ける。しかし彼は意にも介さないようであさみに迫る。
「俺の、母さんが巻き込まれたんだぞ!!?」
「――。」
あさみはしばらく何も言い返せなかった。無言の時間は、たった数秒だったろうが、二人には酷く長いものに感じられた。あさみはどう対応しようか考えに考えたのち、目を閉じて無感情にこう告げる。
「……お気の毒に。」
瞬間、壁から離れた深矩は、スライドドアを力任せに手動で開けて病室を飛び出した。はじめは無視しようとしたが、不吉な予感が頭から離れず、追いかけることにしたあさみ。廊下に出たときにはすでに深矩は渡り廊下を走り、病院の本館側へと移動してしまっていた。
「待ちなさい!津野くん!!」
あさみも渡り廊下のほうへと走り始める。距離は開いてしまったが、あさみのパルクールの技術があれば追いつくのはたやすいだろう。しかし、それでは目立ってしまうし、人払い用の思考誘導派発生装置≪エッグ≫は、医療機器にまで深刻なダメージを与えかねない。ここは普通に走って追うよりほかに手はない。
本館のエレベーターホールまでやってきたが、すでに彼の乗ったエレベーターは1階へ向かって降下中。仕方なく階段で階下へ向かおうとするが、危うく看護師とぶつかりそうになってしまった。ごめんなさい、と謝ると急いで階段を駆け下りる。階段ならば人目につかないかと思っていたが、意外に利用者は多い。
それでもエレベーターに追い付かんとする勢いで急いだ結果、かなりの距離を詰めることに成功した。深矩は病院のエントランスから外へと走り出しているところだった。姿を見失わなければ、問題ない。
病院の建物外へと出たあさみは、いよいよもって≪エッグ≫を起動。植え込みや駐車場のフェンスなどを巧みに乗り越え、あっという間に深矩に追いつくどころか先回りをしてのけた。
「待ちなさい、津野くん。どこへ向かう気?」
「決まってる、ミッドガルデの本社だよ。」
立ちはだかるあさみに向かっていこうと足を踏み出した深矩は、その足をあさみに掛けられ、地面へと引き倒された。腕を取られ、身動きまでも封じられる。
「ッてぇな!!何するんだ!」
「敵の本陣に一人で乗り込むなんて、愚か者のすること。」
「“敵”だと!?いまはっきりと“敵”と言ったな。」
目ざとい。いや、耳が敏いというべきか。あさみの失言を聞き逃さなかった深矩は、そのセリフを聞いてより一層の憎悪を強める。力が入らないはずの腕の拘束を馬鹿力で無理やり解くと、これまた馬鹿力であさみの体を跳ね除ける。
立ち上がった深矩とあさみの視線がぶつかり、またも無言の時間が訪れた。
「――津野くん?」
深矩は、今度はミッドガルデとは反対の方面へと向きを変え、つかつかと大股で歩き始めた。走ってはいないものの、あゆみのスピードが速く、小走りであさみは追いかけた。
≪仮面の騎士≫のアジトの方角だった。
「何をする気なの!?」
「≪仮面の騎士≫に入れてもらう。」
身内がやられたのでは深矩とて引き下がることはできない。変身はできなくとも武器が使用できるのはあさみを見れば明らかだ。ならば、自分にも力が欲しい。力があれば、一矢報いることもできよう。
「津野くん、あなた変になってるんだよ。あまり思いつめない方が良い。ミッドガルデの件は私たちに任せて、お母さんの所に――」
「母さんはたった一人の家族だぞ!?黙って見ている方が変だろ!?」
「いい加減にしなよ!自分は無力なんだって自分で言ってたでしょ!?あなたに何ができるっていうの!」
「俺はその場でやれることをやるだけだ!!もう黙っていてくれ!!」
(ああ、この人はもう……)
――狂ってしまったのかもしれないと、あさみは思った。
◇ ◇ ◇
竜都中央部のビル群において、その場所だけはひっそりと静まり返っているようだった。付近の人通りは途切れることなく続いているのだが、たった一つの建物だけは何か人を寄せ付けない雰囲気が仄かに醸し出されている。
一階のテナントには飲食店が入っているが、客の姿はほとんどない。閑古鳥が鳴いているのは、その店の主人の腕前が悪いのでは決してない。その雑居ビルの2~8階を、名前を変えて事実上占有している団体が、思考誘導波発生装置を使って人払いをしているせいなのだ。
カウンター越しに見える店主は今も一生懸命に料理の研究をしたり、ホームページを更新したり、ポップ広告を作ったりして不況と戦っているのだろう。あさみはその姿を見て少し申し訳ない気持ちになる。店主とあさみの視線がぶつかると、店主は微笑みながら軽く会釈をした。あさみ達は店の数少ない常連なのだ。
「……。」
「……。」
病院での口論以来、二人はずっと無言を貫いていた。深矩は竜都について詳しくないため、時折地図を開いては現在位置を確認していた。その間も、あさみは黙って待っていた。
身内が敵の手にかかったのだ。あさみがいくら説得しようとも、復讐心に憑りつかれている深矩を止めることは難しいだろう。付き合いは浅くとも、彼が納得できない理不尽に対してどのような行動をとるかはわかっているつもりだった。満足するまで好きにやらせてみよう、そんな気持ちもどこかにあったのかもしれない。
エレベーターはずいぶん前から故障中。階段を早足で上がっていく深矩の後を、黙ってついていく。そして8階に到達すると、その階のテナント事務所、『株式会社ポッケ』と書かれた扉を勢いよく開けた。
「――へ?」
事務所の中で、大股を開いてくつろいでいる奥菜とばっちり目が合う。もう誰も来ないだろうと思っていたのだろう、完全に無防備な姿をさらしていた。
戦闘後の火照った体を冷ますためか、上半身は白いキャミソール姿にタオルをかけただけ、下に布地が透けてないところを見ると、ノーブラなのかもしれない。下半身はデニムのショートパンツ。しかも大股開きのため隙間から下着が覗いてしまっていた。
「あ、あの……」
フリーズ状態の奥菜だったが、何が起きたのかを理解すると、見る見るうちに顔を羞恥)(しゅうち)の色に染め上げていく。先ほどまで怒りで真っ赤に燃えていた深矩も、一転して気恥ずかしさにより顔を真っ赤にしていた。
「しょ―ー」
「お、おくなせんぱい?」
「少年のばかああああああああああああああああああああああああああ!!!」
(ああ、この人はもう……)
――どれだけ間が悪いのだと、あさみは思った。




