十三 交渉と工作
ゲルモーターで動く車を降りた老人は渋い顔のまま黒い城ドミニルに入り――渋い顔のまま階段を駆け上がり、応接の場となる広間の中央にこれまた渋い顔のまま立つこととなった。
天井が高く、ひどく寒々しい石の大広間。
天窓には雪が半分ほどまで積もり、空が鉛のようにいかにも重苦しい部屋で内務の長を待っていたのは王弟クリーエフその人ではなく、ただ一人、白髪頭の老人であった。カロノール基地があるカロンの小領主にして王弟クリーエフに古くから仕える老貴族。たった一人で敵地に乗り込んだボイイ・クリザラスはクリーエフが出てくるまでのつなぎとして老貴族が出張ってきていると考え、すぐにそれが間違いであることに気がつくこととなる。
「クリザラス卿、これはいったいどういうことでございますかな……」
白髪の老領主は引退した内務の長官に開口一番に尋ねてくる。ひどく心の揺れた、落ち着かない口調であった。小柄な老人はよく切れる刃物のような視線でカロンの領主を睨みすえ、そこでひどく不機嫌な様子で沈黙することとなった。まずは観察。話を始めるのは相手が話を終えてから。ボイイ・クリザラスのいつもの手であるのだ。
「査問吏などとは……。いったい何の咎が我が主にあるのか私としましても、わかりかねる次第でして……」
「カロン卿……」
ボイイ・クリザラスは低い声で言った。
「貴公に語るべき言葉はない。何故ならばわしは国王陛下の命を受けて王弟殿下に直接面談するためにここにやってきたのであるから」
己は役不足。黙って王弟を出してさらせ。内務の元切れ者は要するにそのように言い、一方、カロンの領主は沈黙している。老人が愚鈍であるからなのか、それとも判っていて沈黙しているのか、内務府を退官した役人にはどちらでもかまわない。
「カロン卿。わしは貴公と四方山話をするつもりはない。時間がないのだ。よろしいか、我が国都防空隊はすでに先遣隊がブレゼルのブルーニー駐竜場に入っている。国都の陸戦団も今夜半にはオルバン入りし、明日の夕刻までにはラヴェール市を包囲するであろう。もう時間がないのだ。至急王弟殿下にお目どおりを願いたい」
小柄な元役人は劇薬を飲んだようにして顔を歪め、一方、王弟に仕えるカロンの小領主は首を横に振った。
「憚りながら……その儀は平にご容赦のほどを」
「……それはいったいどういう意味であるのかね?」
老領主の言葉に元長官は相手の真意を測りかねたようにして尋ねる。
「王弟殿下は御病気にて静養中であらせられまする。御託御座いましたら私が承りまする」
カロンの領主は僅かに頭を下げ、そこで、内務府の長官は眉をしかめるような仕草をして見せた。
「……御病気?」
「国王陛下にあらせられましては欧弟殿下を咎めだてするお心積もりであらせられるとか。我が主はそのことにいたく心を傷め、病を発しておりますれば、何人とも面会はなされぬと申しております故……」
内務の役人は台詞を棒読みする大根役者のような老領主をじっと見詰めている。
――わしは国王陛下の代理であるぞ!
クリザラスにはそのようにゴネることもできたはずであった。もっとも、ゴネた老人が一人でドミニルの城に押し入り、王弟のところにまでたどり着けるという可能性は万に一つもなかった。広間には老領主とクリザラスのただ二人。けれど、それは目に見える表面の話。
――聞き耳を立てているのがおるわい。
ボイイ・クリザラスは広間のあちこちに人の気配を感じている。
「さようか。病であらせられるか……」
内務府は老領主の言葉にあっさりと引き下がった。一級二級合わせて百機近いドレイクに三個軍団四万が津波のようにオルバンに迫っている。軍団が一度火砲を開けばオルバンが破滅することは間違いない。問題となるのは何日、あるいは何時間王弟側がもちこたえられるかというその一点のみであるのだ。
「御病気……」
クリザラスは表情を変えずにもう一度噛み締めるように呟いた。病気を圧して弁明なりするほうが王弟にとっては得なはずであるのだが、そう考えるのは査問吏であるクリザラスだけであるらしい。
「ただいま、医師による治療が行われており、そこでもうしばらくすれば、主も復調いたすと存じまするが……」
カロンの領主はかいてもいない汗を拭うようにして手の甲で額に触れる。
――時間稼ぎ、か……。
小柄な元長官は相手の意図を読み取っている。一方、老領主のほうは不敬が続いていることにそろそろクリザラスが激発するだろうと予期して、そこで内心でびくついているようである。だが。クリザラスは相手の見え透いた嘘に憤りはしなかった。内務府の元長官は言った。
「そういうことであるならば致し方あるまい……」
問う側も問われる側も相手の腹の内を探っている。クリザラスは続けて言う。
「よろしい、それでは、ルイ・グランデール殿をお呼びいただきたい」
どうやらカロンの老領主はボイイ・クリザラスが怒って退席することを覚悟をしていたようである。だが、元長官は短慮を起こさず、それどころかカロンの貴族が思ってもみなかった要求をしてきたのだ。
――グランデールをつれて来い。
そのように言われることをカロンの領主は予測しておらず、それに対するシナリオもなければ想定問答集もない。
「グランデール殿をでございますか?」
ボイイ・クリザラスは渋い顔のまま軽く頷いた。
「貴公らの中で一番話が判るのがグランデール殿であろう。王弟殿下の信任も厚い。殿下が医師以外のすべての者を遠ざけたとしても、グランデール殿だけは別であるはず。なれば、機士殿をお呼び願いたい」
「それは……」
老領主は浮き足立っている。クリザラスの老人は畳み掛けて言う。
「陛下の御心を殿下に伝えるにはなるべく間に入る人間を少なくするのが良い。真心の言葉も人を介することでいつのまにかいらぬものが付き、いるべきものが置き忘れられるというもの。そうならないためにも、是非に機士殿と面会したい」
「その、お話があるのであれば、私めが承りますが……」
カロンの領主は壊れたオルゴールのようになっている。内務府の元長官はすでに事件の中心にルイ・グランデールがいることを見抜いている。身分は低いがグランデールが中心に近く、カロンの小領主などは使い走りに過ぎない。実務のトップがグランデールで、王弟はその上の神輿。だとすれば、実務のトップと話をするほうがよほど見入りがあるというもの。ボイイ・クリザラスはそう考えたのであるが……。
「機士殿はご多忙にて、その、こちらにはおられません……」
焦ったカロンの領主は小さなミスを犯し、内務の元長官はそれを見逃さなかった。
「いないとなると、どちらに?カロノール駐竜場ではおみかけしなかったが……近くにいるのであればこちらから伺うが」
「それは……とにかく、今この場には、ドミニル城にはおられません」
王弟の居城が囲まれようとしているのに、肝心の機士がその場にいない。本当であれば、グランデールは防衛戦の指揮をとらなければならないはずであるのだが。内務府の元長官はカロンの領主の顔をじっと見つめたまま、旧友の発言を思い出している。釣りが趣味で声ばかり大きい国軍の老将軍。
――どうもこれは何かおかしい。何か裏があるぞ。連中、何かを企んでいる。
モトラッドは査問吏として発とうとしていたクリザラスにわざわざ通信を寄越してそのような警告をくれていたのだ。小柄な老人はモトラッドの話を参考に頭の中で仮説をたてている。
――こやつら、クレティアとの連携のために時間を稼いでおるのか。
だとすればグランデールはクレティアとのつなぎとして国都に残っているのかもしれない。
――クレティアの軍団が動いていることは確認している。国都を挟撃するつもりであるのだろうが……。
南方戦線にはすでにモトラッドを中心に、飛竜の配備が済んでいる。不意打ちのつもりでやって来たクレティア軍は逆に痛いカウンターを貰うこととなるはずである。だが。
――何かおかしい。何かが。
老将軍の言わんとすることがボイイ・クリザラスにも感覚として理解されている。確かに何かがおかしいのだ。いったい何がおかしいのかわからないおかしさ。普通、それを嫌な予感というのであるが……。
「よろしい……」
ボイイ・クリザラスは宣言した。老長官がいくら喚いても何も出てこないし、事態が好転するということもしありえない。もとより、王弟に面会できかできないかは半々と内務の老人は算段していたところであった。
「……それでは、いたしかたない。作法にのっとって査問吏の役目を粛々と果たすこととしよう」
小柄な老人は持ってきていた金属の筒を取り上げる。真鍮でできた筒の中には国王から発せられた査問状が収まっている。ボイイ・クリザラスは筒の封蝋をねじ切って中からごわごわとした硬い巻紙を取り出す。
「国王陛下よりの査問状をここに読み上げる――」
元長官は凛とした声で言った。
「君ステアネーゼ国王より臣オルバン公クリーエフ・ザラトス・カリナーゼに書状を送る。こは臣の行状を咎め、その惑いを糾す書状なり。願わくば臣オルバン公が本書状によって心を入れ替え、ステアネーゼ国王のために忠勤に勤しむようにならんことを」
ボイイ・クリザラスは書状を見ながら、その文字を読んではいない。何故ならば、書状の起草案を作ったのはボイイ・クリザラス本人であったからである。老人の原案はそのまま息子の現内務府長官の筆を通じて公式な文書となっている。
「オルバン公への嫌疑は以下の通り。一つ、オルバン公は素行が改まらず、領国の経営に支障をきたしている。一つ、オルバン公は不逞不審の輩を集め、党派を結成しようとしている。一つ、オルバン公はいたずらに私兵集団を増強し、国内政情を危うくしている。一つ、オルバン公は国外勢力と気脈を通じている。これは国の外交政策と一致していない……」
ボイイ・クリザラスはどちらかというと淡々と続ける。本当であれば、元長官はもっと刺激的な文言を書き記すことも出来たのだ。王弟とその一派が薬物をばら撒いていることや、その隠し場所として王立の機関が使われていること、王弟が各地の貴族に発した檄文のこともすでにクリザラスは知っている。すべて、カールクエイツの報告によるものである。だが、クリザラスはそのことをあえて文言として盛り込まなかった。査問状は公式の文書であり、長く残ることとなるのだ。そのようなものに、国王家の名が穢れるような罪状を書き記すことはためらわれる。老長官の配慮であった。
「査問に対する申し開きがあれば、その権利はオルバン公に当然に与えられる。ただし、その権利は時限付きのものとなる。弁明が許される刻限は明正午まで。それまでに返答の無き場合はしかるべき処分が速やかに下されるものとする――」
ボイイ・クリザラスは読み下した書状を真鍮の筒に収めて、これをカロンの小領主に手渡した。語る側は一人。聞く側も一人。たった二人の査問は終わった。内務府の使いが言わんとしている事は要するに次のようになる。
――いろいろと揉め事を起こしてくれたので制裁してやる。とりあえず、明日まで待ってやるので仲間内で相談でもするがいい。刻限を過ぎたらオルバンは火の海になるぞ。
「……明日の……それも、正午、まででございますか?」
カロンの領主は蝋人形のように顔が強張っている。
「もはや弁明の期限は一日を切っていると……」
「そのようになりまするな」
与えられた時間を国王の側は『そんなにも』と考え、王弟の側は『それだけしか』と感じている。
「し、しかし、それでは……」
カロンの小領主は額を拭った。今度は格好ではなく、本当に老人の手に本当に汗が染みることとなった。冷や汗である。
「当方としても、そのような力押しは避けたいところ。すべては殿下のお心一つ」
「いや、しかし、それでは……もう少し時間を頂かないと、私としましても……」
カロンの領主はしどろもどろとなってしまっている。
「だいたい、この書状にあることは具体性に欠け、これでは弁明をしようにもしようがございません……。このようなあやふやな罪状で軍団を派遣されることのほうが私などからすればどうかしていると存じまするが……」
ボイイ・クリザラスはそこでずばりと言った。
「……カロン殿。内務の目をごまかしきれると、本当に思っておられるのか?」
鋭い視線に王弟の側近は沈黙した。
「明日の正午まで。それまでであれば何時でもかまわない。方法、作法についても細かいことはどうでもよろしい。通信でも伝令でもよい」
元長官はすでに公職を去っており、そこで一個の私人として語る。
「時間がとにかくない。このままではの本当にオルバンは丸焼きになってしまう。雪の深い折、焼け出された市民は辛い思いをするのに違いない。王弟殿下には何卒ご英断を賜りたいとボイイ・クリザラスが申しておったとお伝えくだされ」
何とか折れてくないだろうか。元長官はそう願っていう一方で、こうも思っている。
――これは、やはり、血を見ないと済まないかもしれない……。
うまくいけば交渉が始まり、戦争は回避され、争いは宮廷内の法廷だけで収まることになる。だが、王弟クリーエフが強硬な姿勢をとれば、状況は悪化、最後通牒を経て賊臣討伐令ということになる。
――わしが賊臣討伐の宣言状を携えてここに戻ってくるようなことがないことを祈るばかり。
老人はついに笑顔を一度も見せず、そして、そこで査問吏の任務は終わることなった。
すべての人間にとって自分の人生は悲劇であり、他人の人生は喜劇である――。
そのような警句をモーゼル街の主が知っていたかは判らないが、彼が他人の不幸はお祭りとして愉しむべきものであると認識していたというこの一点は確かであった。
「始まりましたよ!ついに始まりました!」
暗号電信用の通信機を臨時に四台も増設したせいですっかり狭くなってしまった執務室。細い通路をまるで花を探す蝶のようにして歩き回るペドロワの顔を興奮に紅潮している。
――ステアネーゼの軍団が出撃。
そのような情報はすでにペドロワの元にも届いている。届いていたというよりは見て知っていたとするべきだろう。次々と出撃する飛竜の編隊は隠そうとして隠せるものではなかったし、また石畳を蹴って無限軌道を響かせる戦闘車両の姿は黙殺してなかったことにできるほどにたおやかでもなかったのだ。
結局なにもかもがアイバン・ペドロワの知る所となり、大騒動にオカマの大使は目を煌かせることとなったのである。
「閣下……本国より電文です。臨時編成されたドレイク部隊がカルトオネ基地に集結」
顔色の悪い電信係の女性が軽く咳をしながら主に報告をし、ペドロワはそれに対して小さく頷いた。
「遅れていた臨時編成軍がカルトオネに集結したことで、ステアネーゼ南部にいつでも進攻できる体制が整いました」
血色の悪い女通信士が言った。ペドロワはそれにも小さく頷いた。
クレティア本国からはほとんど十分毎に暗号電信が届き、一方、モーゼル街からも十分毎に暗号電信がクレティア本国に飛ばされる。駐在の武官や職員が情報を集めるために本当の意味で『走り回り』、電信係りはこちらも本当の意味で『トイレに行く暇すらない』。ペドロワも部下となる電信担当の休憩時間を稼ぐために自らが通信機に向かい、暗号を解読を手伝うほどである。つまるところ戦闘はオルバンで始まったのではなく、クレティア大使館で始まったのである。
「ステアネーゼ陸戦兵団……先鋒がカリオペに到着したのだな?休憩は取らず……休憩はとらず、そのままアスペンブロウ領に向う……分かった」
情報を取りに外に出ていた職員からの電話を受けていた武官が大使に聞こえるように大きな声で復唱している。ペドロワは武官に目配せをするようにして了解の意思を示して返す。
「今晩はこのまま、といったところでしょうね……」
大使は机の角に座って呟いた。
「査問吏が北に向かって飛んだのが飛行隊の出撃前。オルバンの天候が不良ということも聞いているから、ま、向こうに着いたのはお昼。作法によれば返答の期日は明日の正午でしょう。国王の側からの攻撃はそれまでは無いとみてよいでしょう」
大使の独り言は独り言にあらず。執務室に結集したクレティア大使館職員全員への運営方針説明であるのだ。
「そちらのほうは問題はありません。問題となるのは、反乱軍のほうです。連中がいつ動くか。問題はそこにあります」
本当であれば反乱軍はクレティアと協調をすることとなっており、花火が何時上がるかという情報もペドロワにすぐにもたらされるはずであった。だが、グランデールは猪口才にも計画が動き出す直前にクレティアとの協約を勝手に破棄してしまった。ペドロワとしては誤算であったが、外交上の約束などというものは所詮その程度のもの。いちいち腹を立てるようなこともない。
――向こうが勝手にやるのであれば、こっちも勝手にやる。
ただ、それだけのことである。
「大事なのはタイミングを見計らうことです。情報を集め、その情報を元に可能な限り正確に未来を予期する。そうすれば物事はうまくいくものですよ」
ペドロワは自分自身に語りかけるようにして言った。それでは、そのタイミング、ペドロワが予期するその時期がいつであるのか。
「いつ反乱軍が仕掛けるか……」
ペドロワはすでにその時期を正確に予測している。それは現在移動中のステアネーゼ地上軍がオルバンの包囲が終わった後。それ以前に動くと地上軍が引き返してきてしまうことになる。反乱軍はドレイクを集めているが地上を行く陸戦の部隊がほとんど皆無であるのだ。相手が容易に戻ってこられない状況を大いに利用する。ペドロワならばそうするだろう。否、ペドロワであれば外国勢力に唆されて王位を狙うようなことはしない。そんなことをしている暇があれば歌でも歌うかラブレターでも書いているだろう。
「今夜半には陸戦団の配置が済むはずです。オルバンの側からの反撃や、抵抗はないでしょう。時間を稼ぐのが彼らの使命ですから……」
ペドロワは机の上に置いてあったサンドイッチを手に取ったトマトとチーズのサンドイッチ。
「夜襲をかける……ということはあまりないでしょうね。爆撃の精度が落ちてしまいますし。そうなれば……」
情報があれば予期も難しくない。
「明朝から正午までのどこかで連中は動くことになります。日の出と同時というのが区切りが良いので、多分そのあたりでしょう……」
ルイ・グランデールは定石を好む人間である。と、いうよりも、定石が一番強いということを知っているのだ。この辺りもペドロワには読みやすい相手と言える。これが、カールクエイツのように正規の軍団ではない、なんだか訳の分からない相手であれば、ペドロワももう少し頭を悩ませたはずであるが。
「カールクエイツか……」
心の中にふっと浮かび上がった不確定要素にペドロワは厳しい顔を作った。ビットプリウスに陣取った武侠が影でこそこそと動き回っていることを大使も知っている。露天商がかきいれ時にまだ降らない雨のことを思うのに似た感覚とでも言うべきか。あるいは正確な情報を持たないというのに暗い結末が不意に予感される瞬間。
「気になる連中ではありますが……」
そして、アイバン・ペドロワは虫の知らせというものがあることをすぐに痛感させられることとなったのである。修羅場となっている大使の執務室にいつものようにジャガイモ男が入ってくる。クレティア系の商社に情報を取りに行っていたボルフが戻ってきたのだ。朴念仁は普段のぼんやりとした表情とは打って変わって、強張った顔をしている。誰の目にも『何かがあった』と察せられてしまうこの男には大きな仕事を任せることはできないだろうし、また、本人もそのような大役を望んでいないに違いない。
「閣下……」
「どうかしましたか?」
「ミイニが戻ってまいりました……連絡がございまして」
カールクエイツの調査に行っていたステアネーゼの裏切り者。金に転んだ初老の男の名前にペドロワは眉をひそめるようにして一瞬だけ沈黙する。
「直接こちらにやってくることは難しいようで、とりあえず報告書だけを送ってまいりました」
ジャガイモ男は険しい顔で薄っぺらい報告書を上司に手渡した。ペドロワはすぐにたった一枚の紙切れに目を通す。領収書のように安っぽい報告書は次のような一文で始まってた。
――監視その他を考慮し、第四方式で本報告書を送付いたします。
密偵とクレティア大使館の間では不測の事態に備えて接触のルートがバイパスとしていくつも設けられている。ちなみに四番目の方式は大使館近くにある図書館の辞典に報告書を挟んでおくというものであった。
――カールクエイツの拠点を脱出した際に聞いたカールクエイツ当主ハール・エラートの発言について報告。ステアネーゼはクレティアの北方への侵攻作戦を察知し、迎撃体勢を整えている模様。
アイバン・ペドロワは渋い顔を作った。突如として厳しい決断を迫られたのだ。
「……うーん」
大使は唸った。ちょっと頭が働けば、ステアネーゼのごたごたに乗じてクレティアが動くだろうということは誰にでも理解できること。ペドロワにとって問題なのはいったいステアネーゼの連中がどこまで知っているかというその一点。
「まいりましたね。こんな時に紙爆弾を投げつけてくるとは……」
ペドロワの見せたいらつきに執務室で動く職員達も手が止まっている。
「ステアネーゼの側はいったいどこまで理解しているのか……」
最悪のシナリオとしては、すべてがお見通し、隠密裏に結集した飛竜部隊の動きを悟られ、先回りをされること。罠にかかったクレティア軍は大損害を受けるだろう。クレティアにとって一番都合の良いシナリオはカールクエイツの当主がはったりを言っているというもの。天地ほどの開きがある最善と最悪のシナリオのどちらが正しいのかペドロワには判らない。
「どう……なされますか?」
芋男は不安そうに尋ねた。こういう時に人に使われている側というのは楽である。お伺いを立てて、その結果が悲惨なものであっても責任を取らなくていいのだから。
「……ミイニ、ミイニとは連絡が取れますか?」
「お時間を頂かないと。表立っての接触は、大使館そのものを窮地に陥れかねません。見張りがついていないとも限りませんし」
まいりましたね。ペドロワは毒薬でももらったようにひどい渋面を作った。
「いったい、どうやって、どういう状況でミイニがカールクエイツの当主から情報を取ってきたのかであるとか、どのようにしてビットプリウスから逃れてきたのかといった細かいことを直接聞ければよいのですが……」
逃げてきました、相手の話を聞きました。連中はこう言っていました。それだけの報告で判断を迫られるのは一流の策士でも難しい。
「この報告書が本物であるか、それからして疑わしくなってきますね」
直接顔をあわせての報告ではないというところがペドロワとしては頭の痛いところである。あるいは、カールクエイツに捕らえられた密偵が拷問を受けて無理やりに偽の報告書を書かされたということもあり得るだろう。
――罠か、それともはったりか。
明朝までというタイムリミットのこともある。クレティア軍団の進攻を止められる立場にあるペドロワの判断は極めて重要であるのだ。
「……とにかく、ミイニと接触をしましょう。場合によっては私自らが直接会いに行ってもいいでしょう。判断はそれからにします」
ペドロワの言葉にボルフは頷いた。
「ミイニと接触するのにどれぐらいの時間がかりそうですか?」
「最速で一時間程度、最悪で半日程度のお時間を頂かないと」
「半日!そんなにかかるのですか?密偵と連絡をつけるだけで?」
大使は嘲るように、あきれたように言ったが、ボルフは軽く頭を下げて続ける。
「ミイニはすでに一度カールクエイツに囚われた身です。本人は敵の拠点を脱したと報告してきていますが、これも詳しいことは判りません。密偵を泳がせて我々と接触するの待つステアネーゼの策かもしれません」
もしもそうであれば、ペドロワがミイニと接触したと同時に大使館を内務府の職員が取り囲むことになるだろう。大使はそのまま本国に送り返され、お祭りもそこでピリオドということになる。
「そうでした、そうです……」
取り得の無いジャガイモに短慮を諌められてペドロワはため息をついた。
「判りました。とにかく、早急にミイニとの連絡をつけてください。どういう状況でカールクエイツの当主がそのようなことを言ったのか、どのようにしてミイニが敵の拠点を逃れてきたのか、どうしても聞きたいことがいくつかあります」
ペドロワの言葉にボルフは、ただ一言、
「かしこまりました」
と頭を下げ、そのまま足早に執務室を出て行った。それにしても。ペドロワはいま一度、鼻から長い吐息を漏らした。武侠第一党カールクエイツのなんといやらしいことであるか。カーニバルが一番盛り上がるところで冷や水をぶちまけるようなやり方にペドロワは珍しくむっとなっている。知者は自分以上の知者を好まず、策士は自分以上の策士を許せない。しかもペドロワが腹立たしいのは、これほどまでに自分を悩ませるペテンにカールクエイツが一銭もかけていないという点にあった。密偵に報酬を出しているのはクレティアであり、報告書を書くのもクレティアが雇った密偵、密偵が使った紙代すらもクレティアの経費であるのだ!
――全く……。
大使の渋い顔はしばらく元に戻らないのに違いない。
どこもかしこも大荒れ。ステアネーゼの北から南に至るまでいずこも同じ混乱状態。
ただビットプリウスだけが平穏のうちに静まり返っている。
城の空き地では大勢の仲間が戦場に向かっている姿を夢見るようにして飛竜が眠り、天幕が穏やかに風に揺れている。
廃城の夕刻――。
廃墟の片隅、かつて物見台として使われていた高台に陽の姿があった。エラートの細君にしてトリセルディの母親であった。西の方から射して来る陽の光を左の頬に受け、赤い髪をした若い母親はじっときたの空を見つめている。
鮮やかな茜色の乗機用の防水シャツにワインレッドのスパッツ。袖を通さずにに羽織っているのはスパッツと同じ色をした皮のジャケット。ジャケットの右肩にはネコザメの紋章が描かれている。傭兵軍団ツェルニーのシンボルであった。赤一色の女は死神が使うような波打つ刃を持つ大鎌を肩で担ぐように携えている。次の戦場を見定め、地獄に引きずっていく獲物を物色するようにして女は鋭い視線を北の方、灰色の雲の下を凝視し――そこで声があった。
「おふくろ」
母親を呼んだのは末の息子であった。赤い髪をした凶暴な母親は一度息子のほうを振り返り、何も応えずに再び未来の戦場の方に目をやった。
「やはり駄目だよ。査問吏の交渉は不調に終わったそうだ」
「うむ……」
トリセルディの報告に母親はさもあらんといった具合に頷いた。ジュディス・エラートは奇矯な人物であり、息子に対して愛情や愛着といったものを見せることがほとんどない。誰かを慈しんだり可愛がるというそのような感情が最初から希薄であるのだ。もっとも、母親には母親の言い分があっただろう。つまり、
――殺そうとしないということが愛である。
凶暴で凶悪な美女は極論をすれば誰も彼もが殺害の対象であり、その対象から外れているというだけでも十分に特別な存在といったところであっただろう。
「水面下で何某かの交渉があるみたいだけれど、多分、無理っぽいな。向こうはグランデールも王弟殿下も出てこないってことだから……」
トリセルディは母親に言った。情報はすべてバウケンのホテルカッツェンに移動した父親からのものである。
「クリザラスのじいさんも難儀なことだよ。あの年で交渉係なんて……」
「年だからこそ交渉係にしたんだろうよ。向こうの連中に捕まってぶち殺されても、老人だったら寿命だからってみんな納得できるだろう」
「そうか?」
母親の非道な軽口に息子は適当に言った。トリセルディが生まれたときからジュディスはこんな調子であるのだ。口を開けば『馬鹿』『死ね』『殺してやる』これに、時々『豚野郎』であるとか『業突く張りの糞ったれ』といった変化球が加わることがある。いずれにせよ母親としては最悪の資質者。それがジュディスであった。かかる無軌道な人物の子供が三人とも――多少の癖はあるが――社会生活に適合できる人物に育ったのはある意味奇跡に近かったろう。父親の血が優っていたのか、さもなくば、母親の羅刹のような姿が反面教師として子供達の成長にプラスとなったのかは定かではないが。
「ああ、それから、今晩はユーニスの姉貴が戻ってくるってさ」
「ふむ。了解した……」
ジュディスは応え、それから牝鮫殿にしては珍しい迷いのようなもの見せた。
「?」
息子は母親が見せた逡巡に不審そうに眉をしかめる。
「それから……あれ、あれだが」
「あれってなんだ?」
「いや、だから、そのあれが……あれで……」
指示代名詞ばかりで話にならない。だが、トリセルディはジュディスの様子から何を言いたいのか、『あれ』が何であるかを何となく理解している。
「アスペンブロウか?」
「ああ、そうだ、そう、それだ……」
ジュディスは苦手なものがなく、そんなものがあったとしても殺してしまうので問題ないのだが、バアドクレアには何とない違和感を抱いているようである。
「あれは……どうしている?」
まるで幽霊の居所を聞くようにしてジュディスは声をひそめて尋ねた。
「寝てるよ。今晩中に性別の固定が終わるって医者の婆さんが言っていたぜ」
「ああ、そうか……そうなのか」
ジュディスは何か得心がいっていないらしく、そこで我が子に尋ねる。
「あれは……あれは、気分で男になったり女になったりするのだろう?そんなことがあって良いのか?」
母親は完全にキメラの特質について勘違いをしている。ドゥワルデや夫君がいくら説明しても理解できないようである。
「別に日替わりで性別が変わるわけじゃねえと思うけれどな……」
「……困らないか?」
母親は内緒話をするように言った。
「そんなに急に男が女になったり女が男になったりしたら、役所が困らないか?」
よりによって戸籍係の心配をしていったいジュディスは何をしようというのだろう。トリセルディは母親がどういう人物か知っているので特に苛つきもせずに言った。
「一度男になったらあとはずっと男のままだし、女になったら女のままなんだよ。だからそんなに困らないんじゃねえか?」
「だったらなんで、あれは最初から男や女で生まれてこないんだ?そんなのおかしくないか?」
「俺に言われてもなあ……」
頭の悪い質問に追い詰められてトリセルディは呟き、一方のジュディスも結局得心がいかず、そこで何かぶつぶつ言っている。
「日によって男になったり女になったり……忙しくないのか?」
トリセルディの講義はどうも無駄となったようである。いずれは牝鮫殿も真実を知るときが来る。否、来てくれるといいのであるが……。
十二 男には、なれなくても
天幕が少しずつ青白く輝き始める。
ステアネーゼの人々にとって悩ましい夜明けが間近に迫る――。
オルバンの軍都ラヴェールに暮らす人々もそうだし、軍団を送りだした国都の市民もそうである。ブレゼルの駐竜場に待機している防空隊の機士、迎撃をするカロノールの王弟側の兵士達、ラヴェールを包囲する戦闘車両の陸戦団員。緊張に皆が昂ぶっている。軍令部につめている軍人達は前夜は一睡もしていないし、それはアイバン・ペドロワ率いる大使館職員も同じであった。ステアネーゼの南方、国境付近に寄せてきているクレティアの軍団も、攻撃をおぼろげながらに察知している老将軍率いる国軍も同様に緊迫した一夜を過ごしている。
ただ――。
ただ、唯一、世の喧騒に背を向けて深い眠りに落ちている人物。バアドクレア・アスペンブロウである。もしも、彼、あるいは彼女が性別固定などという面倒を抱えていなければ、恐らくは心に余裕のない彼女のことである、緊張にひどい不眠をレわずらい、誰よりもぎらぎらと目を輝かせていたはずである。だが、幸いにもバアドクレアは前日の夕方から一度として目を覚ますことはなく、そして気がついたときには一番厳しい時間は過ぎ去ろうとしていたのだ。
「……」
天幕の中でバアドクレアは静かに目を開けた。真っ暗な、まるで深い坑道の中を手探りで行くような重い眠りから覚めたキメラの若者はしばらくベッドの上でぼーっとしている。手足の痺れはなくなり、腰の痛みも引いている。
「……いったいどれぐらい寝ていたんだろう……」
バアドクレアは自分に話し掛けるようにしていった。もしかしたら、自分は眠っている間に死んでしまい、そこで、今、残っているのは自分の意識のみ、魂だけがベッドの上にあるのではないかという奇妙な錯覚をバアドクレアは感じている。あるいは、自分が眠っている間にすべての人が死に絶えてしまったのではないか。なんとも言えぬ苛立ちのような恐怖がバアドクレアの心に浮かんでくる。世界から切り離されたようなバアドクレアの浮遊感を救ってくれたのは。天幕のすぐ向こうで朝の挨拶をするように鳴き交わす烏達の鳴き声であった。
――ああ、私は一人ではない。
少なくとも生き物は自分ひとりではない。バアドクレアは僅かに慰められている。そして。
「……駄目だった、か」
バアドクレアは自分の体を確認することのないままに呟いた。自分は男にはならなかった。なれなかった。キメラの若者はそのことを眠りから目覚める寸前に見た短い夢で知っている。真っ暗な眠りのその先、バアドクレアは自分の下腹部に小さなロウソクの炎が灯る夢を見――そして、知ったのだ。
――やっぱり男にはなれなかった……。女になってしまった。
バアドクレアはまずはほっとし、それから不安にかられることなった。家督を継ぐことはあるまい。重荷から逃れられたことはバアドクレア・アスペンブロウにとっては本当のところとてもありがたいことであった。その一方で、バアドクレアは母親の憤る顔や父親のがっかりした顔が思い浮かばれる。
――どうしよう……。どう説明をしよう。言い訳のしようもないけれど……。
バアドクレアは憂い顔のままベッドの上に身体を起こした。いつのまにかバアドクレアの身体には女性用の寝巻きが着せられている。恐らくはドゥワルデのものであろう。バアドクレアとドゥワルデは背格好が似ているところがある。内面は真逆であるが。
「女、か……」
女性用の寝巻きを確認してそこでバアドクレアは僅かにショックを受けている。何気ない小さな事実をつきつけれらることが一番心に応える。
「しかたがないよ、ね……」
バアドクレアはぼそりと言った。
「……母上はなんというだろうか」
バアドクレアはいつものようにパニックを起こさず、むしろじっとりと自分の立ち位置を眺めている。
――駄目な子だ。
と母は言うだろうか。それとも、
――これでアスペンブロウも終わり!
と泣いて悔しがるだろうか。否、多分母親は何も言わず、唇を噛み締めてそのまま自室に篭るのではないか。どちらにせよバアドクレアは祝福されず、全人格を否定されることになる。アスペンブロウ家は養子を取ることで名前は残るだろう。けれど、それはバアドクレアの母親が望むことではない。そしてキメラの純血種も絶滅は確定することになるのだ。
「……」
バアドクレアは小さなため息をついた。そして、そこで、天幕の入り口から薄明かりとともに人影が一つ静かに滑り込んでくることとなった。黒い髪を長くした背の高い女性であった。ハール・エラートに良く似た印象をもつ美人。落ち着いて穏やかな女性をバアドクレアは見たことがなかったが、しかし、キメラの少女はその人物が何者であるか一目見ただけで理解していた。
「おはようございます……。ユーニスのお姉様ですね?」
見たことがなかった、というのは正確ではない。バアドクレアは、この女性をバウケンで一度だけ見ていた。その時は薬のせいで意識が朦朧としていたが、それでも、意識のどこかに彼女の顔が残っていたのだ。
「お目覚めね。体の調子はどうかしら?」
ユーニスはバアドクレアの問に笑顔で是と答える。黒く長い髪をした美人は左右の手にカップを携えている。カップの中にはホットミルクが湯気を立てているところであった。
「横になっていなくて大丈夫かしら?」
「ええ、大丈夫です。熱も下がったみたいです……。体の痛みもなくなったようですし……」
「それは良かった。よかったら、ミルク。飲むかしら?」
バアドクレアは小さく頷いた。ドゥワルデにしろジュディスにしろ、こういっては失礼だがデリカシーに欠けるところがあり、そこで女のバアドクレアには落ち着いて話ができないような場違いな違和感のようなものがあるのだ。その点、ユーニスは母とも妹とも違い、尊敬できる女性に見える。バアドクレアにとってはありがたいことであった。
「あの、トリセルディ君は?」
バアドクレアはカップを受け取って言った。
「寝てますよ。ちょっと疲れていたみたいだから、代わりました」
ユーニスは言い、そこでバアドクレアは顔を曇らせた。
「……すみません。私が……」
バアドクレアは言ってしまってから変な顔を作った。普段であれば『僕が』というところを舌のほうが極めて素直に『私が』と発したことに気がついたからである。
「どうかしました?」
ユーニスは穏やかに聞いた。父親のハールに良く似た優しい笑顔であった。
「……その、本当に女になってしまったんだなって、そう思って……」
バアドクレアは戸惑いながらも言った。ユーニスは笑って頷いただけであった。
「あの……ユーニスのお姉さま」
バアドクレアはトリセルディに対してはトリセルディと呼び捨て、ドゥワルデに対しては名前を呼んだことすらない。ただユーニスだけは『お姉様』と呼びかける。ユーニスはそのような雰囲気の持ち主であるのだ。
「私……僕、いや、私はどれぐらい眠っていたんですか?」
「一晩とちょっと、と、いったところですか」
ユーニスはカップを両手で握ったままベッド脇の椅子――それはトリセルディがどこかからか持ってきたものであった――に腰を下ろした。
「……そんなに、時間が経ったというわけではないんですね。もう何年も眠っていたような気がします」
ユーニスは穏やかに笑っている。妹のドゥワルデとは違いユーニスは相手の言葉を遮るようなことはしない。長女と次女の違い、であろう。
「……ああ、そうだ、国のほうはどうなりましたか?いろいろとごたごたしていて、街道も封鎖されてしまって」
「大丈夫ですよ。何も起きていません。今のところは」
「そうですか……」
バアドクレアは熱い牛乳の表面、薄く膜の張ったカップをじっと見つめている。
「……お姉さまはとうとう間に合いませんでしたね」
ユーニスは残念そうに言った。バアドクレアの性別固定の際にはアスペンブロウの次女セラーのが着てくれる手筈となっていたのだが、結局、無駄足となったようである。
「北方の街道が全面封鎖されてしまって、そこで、あなたのお姉さまも途中で足止めをもらっているということです。一応こちらからはあなたの様子を逐一ご実家のほうに連絡を入れているのですが……」
実家に連絡。バアドクレアは顔が僅かに強張っている。
「……その、実家のほうはなんと言っていましたか?」
バアドクレアは探るようにして尋ねた。国都の騒乱よりもバアドクレアは自分の評価のほうがよほど気になっている。
「母はなんと?」
「お母様とは直接お話ができていません。私がお話をしたのはあなたのお父上とクリス様といいましたか、その方でしたよ」
「クリスは一番上の姉なんです……」
バアドクレアは小さな声で説明した。
「とくに問題はない、キメラのお医者様をつけているので安心されますようにとこちらのほうからは伝えてありますよ」
「それで……実家には、実家には僕……いや私が女になったことは伝えたのですか?」
「それはまだです。ドレイクの通信回線を使ってあちらと連絡を取り合っていたのですが、夜明け前から回線が遮断されてしまって。恐らく作戦が近いからでしょうけれど」
「……そう、ですか」
バアドクレアはしょんぼりと肩を落とし、ユーニスは静かにバアドクレアが語りだすのを待っている。気が短い母親や次女に比べると長女は恐ろしく我慢強い性質であるらしい。
エラート家の真の母親はジュディスではなく、この長姉であるのに違いない。
「……私が、女になったって聞いたらみんなきっとがっかりするだろうなあ」
バアドクレアは相手が何者であるかを知っており、そこで初対面であったけれどひどく素直に本当の気持ちを吐きだすことができた。トリセルディが相手であるよりもよほど率直になれたかもしれない。何故ならば相手は女性であり、なおかつ何年かバアドクレアよりも余分に生きており、また冷静で穏やかな人物であったから。
「……お話、すでにご存知かもしれませんけれど、僕は……私は、アスペンブロウ家の跡取りなんです。三人子供がいて、上の二人が女になってしまって、それで男になれる可能性があるのが私だけになってしまって。だから、両親、特に母の期待は物凄くて」
ユーニスはうんと小さく頷いた。
「アスペンブロウ家は純血キメラの数少ない血統なんです。母もキメラで、けれど母が女になってしまったせいで母方の実家はなくなってしまいました。養子を取るよりはキメラの血とともに滅びることを祖父は選びました。土地は縁戚関係にある貴族に譲渡され、家臣達も散り散りになりました。家臣で再仕官がかなったのは、十人のうち二人だったそうです。お屋敷も祖父が亡くなると同時に競売に掛けられ、人手に渡りました。母は何年かして実家の跡を見に行ったそうです。屋敷は改築され、昔日の思い出は跡形もなく消えていたそうです。私はそのことを母からではなく、父から聞きました。自分の人生の前半分が消し飛んでしまったことが母にはショックだったようです」
バアドクレアのホットミルクは経る気配が見えない。
「母は同じ思いをしたくないんだと思います。けれど、僕は女になってしまった。婿養子をとれば問題はないんです。法律上は。けれど、キメラにはキメラの誇りがあるんです。ひどい差別主義の裏返しといえばそれはその通りなのですけれど……」
バアドクレアの思いは乱れている。
「きっと……きっと母は何か言うに違いない。何も言わなくても嫌な顔をすると思う。自分が些細なことで悩んでいるって分かっているんです。国はめちくちゃになりかかっているし、戦争も多分近いんでしょう。だというのに私は私のことで手一杯……」
ユーニスは静かにバアドクレアの横顔を見つめている。
「できれば両親の顔を見たくないし、私のことを見て欲しくもない。私のことを母には思い出して欲しくない。私がいたことをみんなに忘れてもらいたい……」
うん。ユーニスはただ静かに頷いた。長女は知っているのだ。バアドクレアが解答を求めていないことを。ただ、心に溜まった澱を吐いて捨ててしまい。それだけであるのだ。
「……家族の、家臣の期待に添えなかったことが辛いんです。結局うまくいかなかった。いろいろと努力はしたんです。けれど、だめだった。アスペンブロウに戻るのがためらわれるんです。多分、もうあそこには私の居場所はないから……」
戻りたくとも戻れない。会いたくないのは会いたい気持ちの裏返し。
「痩せた土地、何もない貧しい領地。大切な砥石の鉱山も頭の悪い叔母の浪費で無くしてしまいました。家臣も皆、老い、疲れ果ててしまいました。けれど、私は私の故郷が好きなんです。春には小川の傍に小さなタンポポが咲いて、綿毛がたくさん飛んで、ノスリが高い梢に止まっていて……」
バアドクレアは感情が昂ぶっている。それをユーニスは穏やかに見守っている。
「……家に……家に帰りたいなあ」
キメラの娘は天を仰いで呟き、そこでユーニスは静かに言った。
「帰りましょう。あなたの家ではありませんか」
「……」
「堂々と帰りましょう。今のあなたのいったい何を恥じることがありましょう。何も悪いことをしたわけではない。胸を張って、笑って、大手を振って家に帰れば良いんですよ。大事なのはあなたが何者であるかではありません。大事なのはあなたが笑顔であること。辺りが闇に包まれているのであれば、あなたが輝いて闇を打ち払いましょう。みなが疲れているのであれば、あなたがそれを支えてあげましょう。何も引っ張るだけが人を導くことではありませんよ。後ろから押してやるのもまた導きには違いありません。方法はいくらでもあります。大事なのはどの方法が一番自分に向いているか。焦る必用はないんですよ」
バアドクレアは黙って聞いている。
「今日帰れないのであれば、明日帰ればよいし、明日が駄目ならその次の日。それが駄目ならばその次の日。そうやっていけばいつか必ず勇気が沸いてくる時がくるはず。そうしたら家に帰りましょう」
「……」
「その日が来るまでずっとここいればいい。その日が来るまで。私達カールクエイツは、あなたを友達として歓迎し、あなたのことを盾と斧で守りましょう」
ユーニスは穏やかに言った。バアドクレアはカップを握ったまま俯き、蚊が鳴くようにして呟く。
「……す、すみません、ちょっと……ちょっとだけ、心が乱れてしまって……。どうしてかな。エラートの人と一緒にいると、気持ちが昂ぶることが多くて……」
バアドクレアは泣き笑いの表情で鼻をぐずつかせ、ユーニスは笑って言った。
「それはきっとあなたが私達を求めているから。私達を必要としているから。だから、あなたはここに来た。そうでしょう?」
「……はい」
「さあ、牛乳が冷めてしまいますよ」
ユーニスはバアドクレアに勧める。キメラの乙女はひどく塩辛いホットミルクを一口だけ啜った。
ただ――ただ、バアドクレアは優しい言葉をかけて欲しかったのだ。本当であれば母親が言ってくれるはずのねぎらいの言葉。
――今日帰れないのであれば明日、明日が駄目ならばその次の日。
バアドクレアはユーニスの言葉を噛み締めている。他の誰かに言われてもきっと心には響かない。けれどユーニスに言われると必ずその日が来るようにバアドクレアには信じられるのだ。
――家に……アスペンブロウにいつか必ず帰ろう……。
バアドクレアは思った。
そしてバアドクレアが何を思い、何に苦しめられているかなどということはステアネーゼ市民にとっては実はまったくどうでもいいことであり――特にグラールに集った人々にとってはそのような傾向が強かった。
日が昇る――。
フェンスで仕切られ、外部から閉ざされたグラール駐竜場。国都から目と鼻の先にある基地にある格納庫のシャッターが次々に開かれていく。黒く塗装された一級戦列機ベレスフォード。灰色に塗られた同じく一級のアリアン。ルイ・グランデールが苦心して集めたドレイクは全部で十八機。二十クロイツ口径のバルカン、空対空バリスタ、光威砲。様々な武装を施された空を行く怪物達。
「……来たか」
あと数分で太陽が東の空に顔を覗かせる。それを待たずにグラール基地に隠匿された機体は大空を舞うことになる。ルイ・グランデールは部下達がすでに乗り込んだ機体を見つめている。王殺しの部隊。おあつらえ向きに国都は空となっている。防空隊のほとんどはブレゼルに出張っており、残されているのは偵察機など、武装の薄い四級以下のドレイクのみである。地上を守る兵団もその多くが北へ去った。繰り返しになるが、国都はがら空きであったのだ。
「……」
ルイ・グランデールは白んでいく空を見上げる。大博打の時がやって来たのだ。失敗は許されない。王弟クリーエフのためにも、王弟夫人のためにも、二人の出来の悪い子息のためにも、国王の息の根をとめなければならない。
髭の機士は傍らに止まっている青い機体を上げる。彼の父親が使っていたグランデール社が作り、すでに絶版となっている名機カリオペ。機士の中の機士はこの愛機とともに南方戦線で戦い、いくつもの武勲を上げてきたのだ。そして、その武勲の先、槍の穂先が最後に狙った獲物が国王の命であるのだ。皮肉な話である。
「これが最後の戦いになるだろう……」
グランデールのそばで、次々にドレイクが発進していく。練達となる機士達はひよっこの学生達のようにカタパルトなど使わない。自力でまるで追い立てられた鳩のようにして一斉に空に舞い上がっていく。風が舞い、砂埃をもらいながらグランデールは目を閉じることはない。機士の視線の先、愛機の腹の下には貫通力に秀でた爆弾がぶら下がっている。国王陛下への弟君からの心尽くしのプレゼントである。
――これで、本当にいいのか。
この期に及んで迷いを見せる。ルイ・グランデールはきっと何か事を起こすには善良に過ぎたのだ。それでも、機士の中の機士は最後には決断をすることとなった。部下達はすでに多くが発進し、頭目を空の上で待っているのだ。今更に職場放棄をするわけにはいかないのだ。
「……神のご加護を」
ルイ・グランデールは北の方角をちらりと見やって呟いた。ヒルカもその方角にいるはずであった。それにしても。恐らくはペドロワなどがその場にいたら、きっと顔を歪めてこう言ったはずである。
――神の加護を祈るなどとはなんともまあ悠長なことを。
光威砲のトリガーを引き、爆弾を投下するのは神ではない。いつでも人であるのだ。神に祈るのであれば人に祈ったほうがまだまし。そして、そのような自分の弱さをルイ・グランデールが気がついていないわけもない。
――あの大使に嘲われるのだけは我慢ならんな。
オカマの大使の冷たい笑顔を思い出し、そこでグランデールは顔をひどく強張らせ、愛機のほうに大股に歩み寄る。キャノピーを開け、ゲルの中に入れば後は羽ばたいて天空に舞い上がるのみ。
「全てに決着をつける」
ルイ・グランデールは鬼の表情になって呟いた。
朝は誰にもやってくる。
バアドクレアにもあさはやって来たし、ルイ・グランデールにもそう。そして、オルバンを再度訪れた小柄な老人ボイイ・クリザラスにも朝は確かにやってきていた。
前日まで降っていた雪は深夜半に一度止み、それからは小康状態のようにしてずっと曇天が続いている。
「どうせまた降るのであろうな……」
国都からオルバン、とんぼ返りで国都、ブレゼル、さらには再びオルバンの地へとステアネーゼを忙しく駆け回った老人の視線の先には一日ぶりのドミニル城が臨まれている。
昨日は査問吏として。本日は最後通牒の施設として。強行軍にも関わらず老人は全く疲れを見せることはない。
「交渉は物別れ……か」
査問の文書は確かに王弟側に手渡した。相手側からの返答は今のところない。
老人は盆地を見下ろす峠道の上から中央にある黒い城を眺めている。黒い城の東、南東、それから南西の平原に黒い煙が上がっているのが見られる。国都からやって来た陸戦団の戦闘車両であろう。雪のせいで軍団の配置はまだ終わっていないようである。
――正午に最後通牒。その後に攻撃。
国王側のタイムスケジュールはそのようになっている。ボイイ・クリザラスは視線を転じて郡都ラヴェールの北のほうを見やる。城の北側にも細々とした煙がいくつか見られる。ドミニル城の危険を知った市民が包囲の切れ間から続々と逃げ出し、野宿をしているのであろう。
「……この寒い折に」
ボイイ・クリザラスは苦い顔をしている。王弟クリーエフ一人が折れれば人々が寒い思いをする必要もない。我の強い王弟殿こそは迷惑の元凶。否、折れれば後がないことをクリーエフが一番知っているのだ。すでにボイイ・クリザラスの手にはクリーエフの悪事に関する証拠が集まってきている。その中には忠臣アスペンブロウ家がカールクエイツの当主を介して秘密裏に提出してきた檄文もある。
――国王を見限って我が陣営につくべし。
そのような文言をしたためた内応の誘いが出回っていることを内務府の現長官も、そしてもと長官も知っていた。ただ、現物を抑えることがどうしてもできなかったのだ。ほとんどすべての貴族達が様子見に忙しく、万一、王弟殿下が天下を取った場合を想定して口をつぐんでいたのだ。ただ、唯一アスペンブロウだけが躊躇せずに檄文をクリザラスに送って寄越してきた。それも写しではなく原本そのものをである。
――アスペンブロウは随分と思い切ったことをする。
ボイイ・クリザラスはキメラの古い一族に僅かに驚き、そして、この原本こそが国王が王弟査問を決断した最後の一押しとなったのだ。
――かようなものが押さえられては言い逃れもできまい……。
ボイイ・クリザラスはそのように考える一方で、王弟があくまでもシラを切りとおすのではないかとも予測している。すべては部下がやったこと。私は知らない。口ではなんとも言える。
――そしてグランデールあたりが詰め腹を切らされる。それで果たして済むだろうか?
老人は黒い城ドミニルを眺めている。
――最後は母親に泣きついて、とりなしを頼む、か……。
最後の最後は母親、王太后に頼み込んで命だけは助けてもらう。国王も母親の泣き落としには弱い。そこで争いは手打ちとなるかもしれない。
「そうなったら馬鹿を見るのはラヴェール市民ということか。毎度のことだがやりきれんな」
老人は吐き捨てるようにして呟いた。そんな馬鹿な、そんな曖昧で出鱈目な決着が許されていいのだろうか?許されていいのだ。国王の一族の争いであるのだから。
最後通牒となる文書はすでにボイイ・クリザラスの手の中にある。正午にドミニルに着き、そこで文書を相手側に手渡せば、そこで交渉の門戸はひとまず閉ざされることになる。ちなみに最後通牒から実際に開戦までは三時間の猶予が与えられている。タイムスケジュールによれば、王弟側からの返答がない場合、十五時を持って攻撃が始まることとなる。すでにブレゼル領内に待機していたドレイクはオルバンの領空哨戒を始めている。カロノール基地からこれに対抗してドレイクが出撃してきたという報告は無い。
「やる気も無く、下る気も無い。優柔不断なのか、馬鹿なのか……」
老人は独り言をぶつぶつ言うと、踵を返して高台の上に駐竜していると飛竜のほうに向かって歩いていく。これから正午まで老人は厳しい時間を過ごさなければならない。
「バアドクレア、大丈夫なのかな……」
シエルはぼんやりとした調子で呟いた。カペルヴィアストルの学生寮。少年の隣の部屋はずっと空いたままとなっている。少年はバアドクレアが血を吐き、そのままトリセディに担がれていずこかに運ばれていった場面に鉢合わせしている。バアドクレアの吐いた血の後片付けもシエルがしていたのだ。以後、一度だけ、トリセルディからはシエルに連絡があった。
――病院までは運べないようなので、身内のところに行く。
最後の連絡から情報はぷつりと途切れてしまっている。
「連絡してくれればいいのに。それともできないのかなあ……」
シエルは椅子の上に正座をするようにして座っている。少年は呟いているのではない。話し掛けているのだ。
「なんか軍隊とかがえらいことになっちゃってるから……」
シエルの語る相手はベッドの上で仰向けに横たわっている。浅黒い肌をした猫のような娘はシエルが使っているベッドの上で横になり、窓のほうをじっと見つめている。
飛竜の防空隊が出撃、ついで陸戦軍団が進発。カペルヴィアストルも休講となってしまっている。校内は閑散となり、寮生達は親元から離れている不安もあって、お互いの部屋を行き来し、ひそひそと声をひそめてはいろいろと情報分析に勤しんでいる。もちろん、一介の見習如きが持っている情報は質も量もたかが知れている。結局は瑣末な噂話。もっと言えば流言蜚語の類。不安だけが募って生徒達は寝不足になるばかり。シエルとエルマもあまり寝ていない。
「情報も統制がされているみたいだし。家との連絡もつかなくて本当に困るよ……」
シエルは愚痴るようにして言った。商才に長けた少年も、難しい政治情勢が相手ではいかんともしがたい。そして。混沌とした情勢にほとんど役に立たない人物がいきなりシエルの寮室に飛び込んでくることとなった。
「参ったわねー、いったい、何がどうなっているのかさっぱり判らないわ」
渋い顔で飛び込んできたのはファーラ・グイドバルドである。情報通のブン屋娘もいきなり始まった軍団の移動に泡を食っている。
「あらら、エルマリィン・デル・カロッツァはまたここにいるの?」
ファーラはあっけらかんとした口調でいった。
「日の出前だって言うのに……。あんた達、不純異性交遊って言葉を知らないの?女子寮と男子寮の行き来は控えるようにっていうお達しが学生課から出ているのよ」
エルマはやましいところがあるので、ひどく嫌な顔をした。
「うるせーな。お前だって、男子寮にきてるじゃんか!それもドアから堂々と入ってきやがって!こっちはこれでも一応、気を遣って窓から入ってきてんだよ!」
「あらま、それはそれは。ご苦労様なことで」
ファーラはエルマの扱いにも慣れている。エルマのほうも追及されるのが嫌なのだろう。ブン屋娘への反撃にいつものキレが無い。
「それにどーせいいんだよ。教官なんか全然来ないんだから」
エルマはちょっとキレ気味に言った。情報収拾に忙しい教官達は生徒が寮内から出なければ、あとは何をしても結構と考えているようであった。
「それで……何か動きはあったのかな?」
シエルが慌ててごまかすようにして尋ねた。いつでもそうなのだがファーラという少女は野放しにしておくとろくなことをしないのだ。
「何もないわね」
ファーラはキュロットのポケットからメモ帳を取り出した。取材、取材、取材、である。 「いろいろと国都を歩き回ったんだけれど、ろくな情報が取れなかったわ。ただ、どうやら陸戦の部隊はオルバンに到着したみたいね。包囲が始まったって、そんなことをプレッカで聞いたわ」
シエルとエルマが寮室にあった時、ファーラはただ一人プレッカに情報を取りに潜入していたのだ。深夜に魔窟に潜入するなどなかなかに見上げた記者魂であるが、肝心の魔窟のほうは事変を嫌って、店のほとんどが扉を閉ざし、臨時休業となっていた。毎度のことながらトンチキ取材記者である。結局ファーラは銃士隊の詰め所に乗り込み、ここでオルバン云々の話を入手したのだそうな。
「あと査問吏が飛んだって」
「さもん?」
シエルが尋ねた。
「そう。まあ言ってみれば、何をやっているんだっていうお叱り係みたいなもんよ。それで、このお叱り係りにきちんと説明ができないと最後通牒が送られるわけ。で、戦争になるのよ」
ファーラは重大な事をまるで手柄話のようにして得意げに語った。
「で、多分、この最後通牒がオルバンに着くのが今日の正午。猶予の時間が何時間かあって、それから総攻撃」
「それで、本当に戦争になってしまうのかな?」
シエルは誰かが聞いていないか、あたりを気にするようにして声を潜めて言った。少年は自分が『戦争』という言葉を発することで本当に言葉が現実となるのではないかという根拠のない不安を抱いている。一方、ファーラにはそのような理屈に合わない不安も、またデリカシーもない。
「戦争、というか内乱になったら……困ったことになってしまうよ」
少年は顔を曇らせ、ファーラはシエルのような考え方があるということに気がつきそこでぼーっとしている。いつものことであるが、ファーラは自分の好奇心を満足させるのに忙しくてそれに付随する不愉快な出来事には全く思い至らないのだ。粗忽というか、抜けているというか、お世辞にも出来た娘ではない。
と。
沈黙をしたままベッドの上に大の字になって横たわっていたエルマが変な声をあげた。
「ふえ?」
エルマの奇声にシエルもファーラも会話を途切れさせる。エルマは横になったまま窓の向こうを見ている。薄雲に覆われた白っぽい空。猫のような娘は怪訝な顔で空を見やり――やがて、不審感を押さえられなくなったのだろう。裸足のままベッドの上から降りる。 「どうしたの、エルマ……」
シエルは恋人の名前を呼んだ。浅黒い肌をした美少女は窓辺から空を見上げ、それから、シエルのほうを振り返った。
「なあ、シエル、あれ……あれ、なんだろう?」
エルマは何となく嫌な予感があったのだろう。表情が少しだけ険しい。シエルも、そしてファーラも窓際に歩み寄り、そこで空を見上げる。
紫の空――。
明けて行く空。高高度をドレイクの編隊が飛んでいるのが見える。それも飛び方がひどくおかしい。まるで上空で円を描くようにして、国都の様子をうかがっている。エルマは窓を開け、バルコニーに裸足のまま飛び出した。シエルもファーラも続く。国都上空には一列になったドレイクが飛び続ける。
「オルバンから戻ってきたのかしら?」
ファーラが言い、エルマが続ける。
「そうかな。けれど、あれ、哨戒、って感じじゃないよな……」
エルマもファーラももう少しきちんと講義を受けておくべきであっただろう。飛竜運用の講義の教材には、そのような飛び方をする場面がちゃんと載っている。そして、そのことを講義を寝ないで受けていたシエルだけは知っていたのだ。
「あ、あれさ、拠点爆撃の時の飛び方じゃないの?」
シエルはおっかなびっくりに空を見上げたまま言い――実際、次の瞬間、空を行くドレイクの一機が急降下を開始したのだ。
「な、なんだ?急降下してきた!」
エルマが喚くようにしていった。急降下してきたドレイクはちょうどエルマ達の真正面から左後方に切り込むようにして飛んでいく。そして、子供達は確かに見たのだ。降下してきたドレイクの腹から何かが外れるようにして飛んでいくのを。
――ば、爆弾?
黒く細長い槍のような何かは子供達の頭上を通過し、そのままカペルヴィアストルの校舎の上をまたぐようにして飛翔する。
そして、次の瞬間のことであった。
顔を引きつらせる三人の生徒達の背後遠くで凄まじい轟音が響く。びりびりと窓ガラスが震え、実際に、寮の窓の何枚かがばりっという音を立てて砕けて飛んだ。
「な、なんで?」
振り返ったファーラは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。寮が視線を邪魔をして着弾点が確認できないが、確かに黒い煙が上がっている。
「な、なあ、どうして、味方が爆弾打ち込んでくるんだ?」
エルマはシエルの腕を握って慌て、一方、ファーラも呆気に取られたようにして呟く。
「あ、あっちって王宮の方角じゃないの?」
煙が上がっている方角――そこには王宮がある。
「……王宮が襲撃されているんだ」
シエルが結論する。上空を行くのが誰であるのかは判らないし、理由も理屈も知れない。ただ目的は明らかであった。国王の寝所を狙い、これを吹き飛ばす。と。上空を行くドレイクの一機が降下のモーションに入るのが見えた。翼を畳みそのまま四十五度の侵入角で目標地点に飛び込んでくる。
「来る!二発目だ!」
シエルはファーラを左手で、エルマを右手で押さえつけるようにしてしゃがませる。次の瞬間、頭上を飛竜がかすめるようにし飛んでいった。二撃目が発射される瞬間をシエル達は見ることはなく、ただ、着弾と爆音を聞いただけであった。ばりりと音がして寮の窓ガラスが再び砕けて飛ぶ。
「な、なんで、なんで国都が攻撃されているの?いったいどうなっちゃってるの?」
ファーラは珍しく狂乱して叫んだが、もちろん、シエルにもエルマにも状況を説明できるはずがない。
「わ、判らない、判らないよ……」
少年はエルマの肩を抱いて途方に暮れたように呟くのみ。エルマのほうもあまりの事態にぽかんとなってしまっている。
焼け跡を見て初めて炎の恐ろしさを知る――。
機士見習達は送ればせながら自分達が乗っていた物がどれほど凶悪で恐ろしいものであるかを知ったのだ。
――ステアネーゼ王宮炎上!
そのような報告を貰ったアイバン・ペドロワは席を発って三階建ての大使館の屋根に駆け上がった。
「閣下、危ないですから、おやめください……」
屋根に開けられた天窓からボルフが必死に叫ぶのだが、主は全く言うことを聞かない。
「やった、始まりましたよ!」
国都上空高いところにドレイクが旋回している。
「十五。いや、二十ぐらいか……。連中にしたら上出来な数でしょう!」
前夜一睡もしなかったペドロワは端正な顔立ちに疲れが浮かび、そこに気味の悪い狂笑が加わったことでさながら悪鬼のような表情となっている。と、ここでペドロワの目に一機のドレイクが急降下する様子が見えた。カペルヴィアストルの寮の窓をぶち破った王宮への二撃目が放たれた瞬間であった。鉄の槍は飛竜の腹部から離れ――そのまままっすぐに高くそびえる王宮目掛けて飛んで行く。
「よし……そこだ……」
アイバン・ペドロワは子供のように目をキラキラと輝かせ両手を握り締めて叫んだ。飛竜が投げて落とした凶器は緩やかな放物線を描いて飛翔し、次の瞬間、王宮の真ん中に直撃した。
空気をばりばりと震わせるようにして爆弾が炸裂し、王宮中心に真っ赤な炎が立ち上る。 「やった、命中だ、命中しましたよ!」
ペドロワは躍り上がっての大興奮である。
「ルイ・グランデール、さすがというべきです!国王に退位など迫らず、そのままあの世に送るつもりだったとは!簒奪者というわけですね!実にすがすがしい!素晴らしい!」
大使は気が違ったようにして明けの空に笑った。一方、天窓のところから首を出して主の様子をうかがうジャガイモ男は前夜、なかなかミイニと連絡が取れずに、ほとんど神経衰弱のようになっていた主が眩暈でも起こして屋根から落ちやしないかと気が気でない。
「か、閣下、そこは危のうございますれば……」
「ははは!ステアネーゼの王宮に比べればここは天国も同じですよ!」
大花火にペドロワは大笑である。状況が状況であれば、ペドロワは間違いなく病院に送り込まれるところであるが、ステアネーゼの人々は突如始まった攻撃にうろたえ、そこで、頭のおかしな人間のことなど誰も気にしていない。
――これは相当混乱している。
文字通りの大爆発、王宮に落ちた爆弾の威力を見たペドロワはほくそえんでいる。
――あるいは攻撃で国王はくたばったかも。
爆発に巻き込まれてステアネーゼの国王が死んでいてくれれば幸い。怪我なりをしてくれれば上々。無傷であったとしても、ステアネーゼの命令系統がガタガタになっていることは間違いない。
「ボルフ!本国に打電!今です。今がその時ですよ!」
ペドロワは叫んだ。今こそがその時。今、クレティアの軍団が北進を開始すれば、ステアネーゼには対処のしようがない。グランデールの奇襲が見事だったのか、それともステアネーゼの上の連中が馬鹿であったのかどちらにしたことろでクレティアは大儲けである。
「……しかし、閣下」
興奮している大使にボルフは言った。
「差し出口のようですが、よろしいのですか?」
「何がです?」
「その、罠の可能性のほうは……」
ペドロワは部下の言葉に凄みのある笑顔で応じる。ミイニが持ち帰ってきた情報。カールクエイツの当主はクレティアの動きを見抜き、すでにそれに対抗する用意が整っているようなことを言っていたのではなかったか。だが、ペドロワはすでに結論している。
「あれははったりです。間違いありません」
ペドロワは前夜、ミイニと極秘に面談をしている。ミイニが逃げたのではなく逃がされたということも大使は知っているのだ。
――相手の駒を使って偽情報を掴ませる。
ペドロワはカールクエイツの小賢しいやり口をすでに看破している。そこで大使は一瞬の躊躇もしなかった。
「仮に、用意が整っていたとしても、この状況ですよ!」
「その通りにございますが……」
「ボルフ、心配は要りません。南方のステアネーゼ軍団は、国王の命令がなければ動くことはありません。頭の無い蛇など恐れるに足りませんよ」
二回の爆撃で王宮は完全に炎上している。ステアネーゼの命令系統は完全に麻痺していると見て間違いない。そして、そのようなペドロワの見立ては完全に正しいかった。国都の人々のほとんどが何がどうなっていて、自分達がどのような状況に置かれているか、そのことすら理解していないのに違いない。
地上は混乱の渦。一方空の高みには反乱軍が遊弋している。
――今ごろはオルバンのほうでも大騒ぎになっているはず。
ペドロワはそのように算段をしている。北方に出張った防空隊がすぐに戻ってくることは恐らくあるまい。国都での騒乱に合わせる形でオルバンはカロノール基地からもドレイクが出撃しているはずである。彼らは国都防空隊をなるべくオルバンにひきつけようと試みるだろう。国都の窮地に防空隊は戻りたくとも戻れないのだ。うるさく集ってくるハエを追い払うのにステアネーゼは忙殺され、結果、南方にまでは手が回らない。
「グランデール達が国都上空にある限りは私達も好き勝手ができるというものです。気にする必要はありません!」
ペドロワは力強く宣言した。
「国境に集結した軍団に、進発の合図を!切り取り勝手ですよ」
大使の言葉にボルフは何か言おうとし、しかし、最後には主の命令に従うことを決めたようである。もとより、ジャガイモ男には反論をするだけのはっきりとした論拠がなかったのである。
――勘で物を言うのはやめなさい。
オカマの大使がそのように言うだろうと部下は理解しており、そこで一礼をすると天窓から顔を引っ込めて大使の執務室に戻っていった。
「さて、どれぐらい頑張っていられるでしょうか。我らが機士殿は」
ルイ・グランデールが国都上空にいる間はステアネーゼの中枢の混乱が終息することはないだろう。逆にいえば、グランデールがいる間しかクレティアが好き勝手はできないのだ。
「三時間、四時間……もって半日」
燃料のこともある。重装備の一級戦列機は半日も飛べばゲルモーターの燃料槽は空となってしまう。グランデール達はそうなる前に国王を丸焼きにしなければならない。とりあえず、今のところ上空の反乱軍は着弾点と、戦果の確認をしているようであるが……。
「国王が死んでいてくれれば一週間のおまけつき」
ペドロワは笑いを隠すことができない。大使は様々な情報を集めており、そこでその日の夜中の二時にステアネーゼ王が王宮の寝所に入ったということも確実な情報として知っていたのである。
「まさに壮大な火葬場ですね。ま、あれだけの爆発から逃げ果せるのは難しいでしょう……」
オレンジ色の炎をあげながら王宮の一部が崩落するのがペドロワの目にも確認される。今まさにステアネーゼという国が瓦解していくのだ。これほど面白い見世物は無い。
「カールクエイツ。武侠の方々、ご苦労様。あなた方の努力は水の泡……」
不確定な要素であった武侠の第一党についてもペドロワはすでに警戒をしていない。ビットプリウスに集結しているのは一級戦列機とはいえようやく五機か六機といったところである。二十機近い機体を集めたルイ・グランデールとはまともな戦いにならないだろう。
もう結末は見えたのだ。
高くそびえていた王宮の塔が傾き、熔けるようにして崩落していく。その様子を見るペドロワが鬼のようにして薄く笑って言った。
「残念。これにて一巻の終わり」
太陽が東の空から頭を除かせている。
「空が青い……」
バアドクレアは久しぶりに見た朝焼けにほっとしたような表情を浮かべる。もう二度と来ないのではないかと思われていた朝。小鳥がガレ場の向こうに広がる林の中で鳴いているのがバアドクレアにも聞こえてくる。騒乱とは無縁、静かな廃城の朝であった。
キメラの若者は寝巻きのまま廃墟の上を歩く。
――朝食を一緒に準備しましょう。
ユーニスはバアドクレアにそのように言い、バアドクレアはその申し出を喜んで受け入れた。キメラの乙女は家事全般は得意であり、そのような細々とした技能はエルマであるとか、ミューネ、ビーステアをはるかに凌駕している。
そして。髪の毛を紐で止めたり、靴をはいたりとユーニスに僅かに遅れて天幕を出たバアドクレアはそこで牝鮫殿と鉢合わせることとなったのだ。
波打つ刃をした凶悪な大鎌を肩に担いだジュディス・エラートにバアドクレアは相当たじろいだ。
――トリセルディのお母様……。
母親という表現から一番遠い女性。バアドクレアはこの凶悪な人物をどう取り扱っていいか、どう声をかけていいかわからないでいる。赤髪のジュディス・エラートはバアドクレアのことを視線で穴を開けるようにしてじっと見つめ、それからこう言った。
「……あー、あれだ、あんた」
最初の一歩、開口一番が『あー、あれだ、あんた』というのもあんまりなのであるが、ジュディスはバアドクレアがジュディスに感じている以上の違和感を息子の友人に感じているらしい。
「……一つ聞いてもいいか?」
ジュディスは言い、そこでバアドクレアは怯んだ顔のまま頷いた。
「ど、どうぞ」
「あんたは、あれだ……あれ、あれか?今日は女なのか?」
ジュディスはキメラの特性について何も理解しておらず、夫君や息子、娘の説明もほとんど聞いていないようである。バアドクレアはそこで言った。
「え、ええ、女ですけれど……」
「……」
ジュディスは胡乱そうな顔でバアドクレアの顔を間近に覗き込む。
「そう……そうか。女か……」
「ええ、女です……」
「だったら、あれか、明日はどうなんだ?明日は男なのか?」
そのような質問をぶつけられるとは思っておらず、そこで、バアドクレアはしばらく面食らい、それからこう答える。
「あの……明日も女です」
「ああ、明日も女か……だったら明後日は?」
「……明後日も女です」
どうも、エラート家の中ではジュディスが一番知的年齢が低いようである。
「ふーん。そうか。明後日も女なのか」
ジュディスは、バアドクレアの理解の及ばぬことであるのだが、明後日のスケジュールがはっきりしたことで納得したようである。今日と明日と明後日。まあ、三日間の性別がわかればジュディスにとっては当面は問題が無い……らしい。どういう理屈でどういう判断基準なのかはバアドクレアにもよく分からないのだが。
「そうか。明後日も女か……」
よく理解できないことであるが納得して頷くジュディスに、バアドクレアは思い切って尋ねてみる。相手から話し掛けてくるのを待つのではなく、こちらから話し掛けてみる。そうすることで得ることも多いはず。
「あの……おば様……」
相手の担いでいる大鎌を気にしながらバアドクレアは言い――そして、ジュティスがまたもおかしな反応を見せることとなった。眉をぴくりと動かして赤い髪の女は落ちつかなそうに当たりを見回し、それから咳払いを一つ。どうも、『おば様』という呼びかけにうろたえたようである。中年扱いされたのを怒ったのではない。ただ、そのような呼ばれ方をされたことが初めてだったのだろう。
「ああ、うん……」
ジュディスは石を抜かれた石垣のように調子が狂っている。バアドクレアはそこで尋ねる。
「私も一つ質問をしていいですか?」
「う、うん……まあ、あの……応えられるかは知らんが……」
ジュディスはぼそぼそと言った。
「……おば様、女に生まれてよくなかったこととか、困ったこととか、嫌だったことってありますか?」
バアドクレアはためらいがちに続ける。
「男に生まれて来たほうが良かったって思ったこと……ありますか?」
少女の問いにジュディス・エラートは変な顔をし、それから時間をおかずに応えた。
「男に生まれて来たほうが良かった?いや……そんなことは考えたこともないな……」 赤毛の牝鮫殿は本当に、本心からそのように思っているようである。凶暴な戦乙女は自分のことを深く考えたり、己の行動を内省するようなことはないのだろう。実におめでたい人物であるといえる。
「別に女に生まれてよくなかったということもないし……だいたい、あれだぞ、男とか女とか、あんまり関係ないぞ」
「……」
ジュディスはちょっと切羽詰ったような顔をして、それからバアドクレアが思いもよらないような奇妙な論理を振りかざしてくる。
「あたしはステアネーゼの市民である以前にジュディス・エラートであり、それは、女である以前に、人間である以前に、生き物で有る以前にジュディス・エラートであるのだ……それは……それは、あんたも同じだろう?」
「は?」
「だからさ、あんたも人間である以前にあんたであって、生き物である以前にあんたであって……つまり、あたしであることとあんたであることは全てに優先するんじゃないのか?」
個人であることが全てに優先する。法律や慣習、常識全てを超越して自我こそが優先される。ジュディス・エラートの理屈は我の強さという範疇をはるかに越えている。しかも言っているジュディスはそれが当然のことと考えて疑っていないのだ。
「男であるとか女であるとか、それ以前にあたしはあたしだしあんたはあんただ。だから、そんなことをいちいち考える必要はないと思うんだが……」
真剣な顔で珍妙な言説を振りかざす母親にバアドクレアは噴き出しそうになった。そうやって困ったように難しい話をする母親の表情がトリセルディそっくりだったからてある。否、トリセルディがジュディスに似ているのだろう。
「……けれど、まあ、うん。女だったことで良かったこともあるな」
笑いを堪えているバアドクレアには気がつかず、ジュディスは続ける。牝ライオンは狐ほどには賢くない。
「あの野郎……あの野郎が頭を下げてきたのは、あたしが女だったからだしな」
「あの野郎?」
「ハールの糞野郎だよ」
まさかあの野郎がイコールで夫のことだったとは。バアドクレアは衝撃の事実に呆然としている。一方、ジュディスのほうは得意げに笑って言う。
「あの野郎の親父、まあ、先代のカールクエイツのことだけれどさ、野郎、あたしを息子の嫁に欲しいってわざわざあたしの親父に頭を下げに来やがったのさ!」
――ん?
バアドクレアは得意満面のジュディスに小さな疑問を抱いた。
――以前、トリセルディから聞いた話と違う……。
「みっともないことに、あの糞野郎の親父ときたらあたしの親父の前で土下座したんだよ!ま、そこまでされちゃ仕方が無いだろう。それで、あの馬鹿のところにやって来てやったってわけさ。そういうことがあったのもあたしが女だったからだといえば、女だったからで……」
からからと笑うジュディスにバアドクレアは首をかしげている。
――ち、違う……トリセルディの話によれば、分捕り品の分け前か何かでもめていて、それで手うちをする代わりにツェルニーの首領が娘をカールクエイツに押し付けたって、そういう話だったはず……。
「まあ、それぐらいかな。女だったことで、得したことといえば」
それぐらいと言ったがジュディスにとってはかなり愉快な経験であるのに違いない。惜しむらくは、そのようなジュディスの思い出が完全に事実と食い違っているという点であるのだが、そのことを指摘しても本人が考えを改めるということはないだろう。それにしても、ジュディス・エラートは本当におかしな人物であった。凶暴で血の気がやたらと多く、気に入らない相手は皆殺し。都合の悪いことは無かったこととして知らん振り、さもなくば曲解して自分に都合の良いように記憶も歴史も丸まる改竄して笑っている。そうかと思えば、夫君のことを『糞野郎』と口汚く罵り、そのくせその『糞野郎』との間には子供がなんと三人もいる!本人は自分のことを『ツェルニー』姓を名乗ったり『エラート』姓を名乗ったりと一貫性が全くない。
――めちゃくちゃな人だなあ……。
要するところジュディスは完全にその日の気分で生きているような人物であるのだろう。バアドクレアは半分感心し、半分呆れて、夫君が頭を下げてきた思い出に大喜びのジュディスを見つめるばかりである。
「女だったことで損をしたことのほうは……あんまりないなあ」
バアドクレアは理解した。ジュディスは相当に幸せな人物であるらしい。
そして――。
小さな異変が起こったのはその時のことであった。幸せなジュディスにとってさらに幸せな、ということは、まわりにとってははた迷惑な大事件。厨房がある天幕の中に引っ込んで食事の用意をしていたユーニスが頭にスカーフを巻いたまま飛び出して来たのだ。
「母さん!」
ユーニスの声は緊迫しており、母親はそこですぐに笑顔を引っ込めた。野生の勘であろうか、赤い髪をした牝鮫殿はいさかいの匂いには敏感である。
「国都が襲撃を受けてる!」
「何だと?」
ジュディスは凶悪な雌ライオンの表情を作り、天幕の中に駆けていく。バアドクレアも勢いでなんとなく母親の後を追いかけ、一方、ユーニスのほうはトリセルディが寝ている天幕のほうに走り出す。果たしてユーニスが出てきた厨房付きの天幕には小型の通信機が一台。回線は繋ぎっぱなし――画像にはドゥワルデの顔が映されたままとなっている。母親は小さな机の上に置き去りとなっている携帯型のドレイク用の通信機に向かう。
「どうした?いったい何があった?」
母親は野戦将軍のようにして尋ね――実際、ジュディスは野戦将軍の娘として生まれ、同じように野戦将軍の夫君のところに嫁いできたのだ。そしてジュディス本人も打撃力のある野戦将軍であった――次女は緊張した面持ちで言った。
「ああ、お袋!ちょっとまずいことになったよ。国都が襲撃されてる!王宮に爆弾が打ち込まれた!」
――国都が襲撃!
バアドクレアは裏事情を知っているので、驚きはしたが錯乱まではしなかった。こうなることは判っていたこと。その時が今であったということ。
「敵の戦力は?分かっているだけでかまわん」
ジュディスはひどく冷静である。姉と交替でバウケンに入った次女のほうも家族ということで弁えている。
「十五から二十。率いているのは多分、ルイ・グランデールだよ!」
「気取り屋の髭親父か。あたしは毛深い奴は大嫌いなんだよ!」
ジュディスは脳裏に浮かんだ機士に向かって唾を吐いて、さらに続ける。
「で、こっちの戦力は?」
「二機!」
「なんだって?」
「だから二機だって!親父のフレアーブラッツと、あたしのデ・ダリアル。それだけ!」
国都に残っている戦力がたったの二機!しかも、それは国に属するものではなく、武侠が保持しているものである。自社の車が全部出払い、嘱託のものが二台有るきりのタクシー会社のようなものである。
「国軍の防空隊は何機か残さなかったのか?」
「残っているのは偵察機とか、修理待ちのものとか、そんなのばっかりだよ!」
ドゥワルデは珍しく浮き足立っている。現場近くで王宮炎上を見ているだけに心理的に相当動揺しているのだろう。しかも、国王に従うものの責務としてドゥワルデはこれから迎撃に向かわなければならない。二十機の敵にたった二機で!
「判った……。で、ハールは?」
ジュディスは静かに尋ねる。夫君のことをコケにして笑っていたのが同じ人物とは思えないほどに冷静な物言いである。
「先に出たよ!ドレイクを留めた場所がバウケンからちょっと遠くて……これからあたしも応援に行かないといけないから」
ドゥワルデは父親のことが心配で仕方がない様子である。
「グランデールは強いし……ちょっとヤバイんだよ」
次女は顔を曇らせ、そこで、ジュディスは言った。
「時間を稼げ。二十分……いや、十五分でそっちに行く。相手を撃墜することではなく、自分の身を守ることを考えろ。空には上がらず、地上で遮蔽物をうまく使って逃げ回れ。十五分だ。十五分で必ずそっちに行く!」
母親は勇敢に言い、通信機の向こうの娘は頷いて、そのまま通信機の電源を切るのも忘れて、慌しく去っていった。
「忙しくなってきたな……。相手は二十機。こっちは五機。国教の坊さんか、ビアクの連中が応援に来てくれればいいんだが、無理だな、南方の戦力を回してもらえる余力はない……」
ジュディスはバアドクレアの存在を忘れて戦の算段を始め――そして、そこで弟を叩き起こしに行ったユーニスがトリセルディを連れて戻ってくる。バアドクレアにとっては久しぶりの対面であったが、あまりに緊迫した情勢に相手のことをいろいろと思うだけの余裕はなかった。
「始まったか?」
トリセルディは寝癖で髪の毛がひどいことになっているが、そのことにを気にしている暇はない。
「始まったよ。グランデールの野郎、やってくれたよ!」
ジュディスは悪態をつきながらも冷静に極めて簡単なブリーフィングを始める。
「国都上空にあるのはグランデール率いる反乱軍だ。数は十五から二十。一方、こっちの戦力はあたしらを含めて五機」
「たった五機……」
ユーニスが渋い顔で言った。だが、高い統率力を持った女将軍は即座に言い返す。
「相手は即席の反乱軍だ。チームワークに劣っている。点で相手になるな。こちらは面で対抗する。勝ち目はある」
ジュディスの言葉に子供達は頷き、それはバアドクレアも同じであった。
「とにかく向こうと合流をすることを最重点課題とする。いいな?」
母親の命令に子供達は黙って頷いた。とにかく、今は国都の仲間と合流をしなければならない。それもできるだけ早く。
「行くぞ!ドゥワルデだけだと心配だ!」
母親は天幕から大股で出て行こうとし……そこで、バアドクレアは言った。
「あ、あの、私は……」
バアドクレアも何かしなければならない。ジュディスは言ったではないか。男であるか女であるかは関係ない。バアドクレアであることは全てに優先されること。乙女の言葉にジュディスは足を止めて振り返った。
「ぼ、僕……いや、私も行きます……」
バアドクレアは言った。国難があった時に槍を取るのは貴族の誇り。それ性別には関係ない。
「と、いうか、あの、連れて行ってください……私も」
ジュディスはバアドクレアのことをじっと見つめている。判断をしかねている。そんな表情である。そこでトリセルディが言った。
「おふくろ。連れて行こう。こいつは役に立つ」
黒い髪がめちゃくちゃになった若者は何か思うところがあるらしく、強い調子で断言をし、そこで母親は宣言した。
「着替えの時間はないよ!このまま出撃する!」
責任者の判を貰ったことで、バアドクレアの名前も晴れて出撃者名簿に載り――すぐに発進の準備が整えられる。
カールクエイツの一族は天幕を出ると廃城の片隅に留められた一級の戦列機に向かう。物々しく武装された飛竜。その上に掛けられたシートを家族総出で外しはじめる。ジュディスとユーニスの母娘は協力してまずは母親の愛機となる赤いバステロータを、ついでユーニスの機体である碧色をした戦列機を覆うシートを除けていく。
バアドクレアはトリセルディと協力して黒い機体を包んでいる覆いを取り除く。キャスターがついた幌のようになった布製の覆いは左右から人が押してやれば用意に動かすことができる。バアドクレアは以前、王立機士学校と悶着を起こした時に一度、この作業を経験しており、そこで、特に問題もなく極めて短時間に作業をこなすことができた。
「よし。いくぞ!」
トリセルディはバアドクレアに声をかけると、黒いギガドレイクのキャノピーを開いた。
一分一秒を争う場面。驚くべきことにジュディスとユーニス、二人の機体はキャノピーが締まりきる前から離陸モーションに入っている。
二羽の大鳥は激しく羽を羽ばたかせ、そして、キャノピーが閉まり切った時には飛竜の足が地面から浮き上がっていた。
「は、早い……」
トリセルディに引き上げてもらっているバアドクレアはそこでもたつき、焦っている。
「いつものことさ。おふくろ達が早すぎんのさ」
野人は寝巻きのままのバアドクレアをゲルの中に押し込み、自分もまたコクピットに身体を滑り込ませる。ゼリー状の奇妙な物質。ドレイクの全身を形作るどろどろの半液体にバアドクレアは溺れて息が詰まるような不快感を覚えた。だが、それも一瞬のことであった。乙女の灰にゲルから直接酸素が送り込まれ始める。
「よし、いくぞ……」
トリセルディはコクピット中央の座席に着いて、黒い飛竜の起動にかかる。ゲルモーターが三拍子の鼓動を刻み始め、薄暗い座席の周りが輝き始める。計器に光が宿り、通信回線が息を吹き返す。竜の目も動き始める。そこで、コクピットの内側に三百六十度、ストラブレイドを中心とした全方位の画像が映し出されることとなった。
「席についたか?」
「ちょっと待って……」
バアドクレアはトリセルディの後ろ、広い座席にまたがった。バアドクレアに何ができるというわけではない。だが、何の役にも立たないということはあり得まい。飾りもそれなりに意味というものはある。
「よし!いいよっ!」
バアドクレアはトリセルディの腰に両手を回して叫んだ。すでにトリセルディは機体を羽ばたかせて離陸に入ろうとしている。
「ちょっと揺れるぞ」
黒い髪の野人は右手で操縦桿を、左手で通信機を操作している。左右の足は動力に繋がるフットペダルを小刻みに踏んで推力を調整する。やがて。がたがたっとストラブレイドが震動を始める。見ればすでに飛竜の両足は地面から離れている。砂塵がストラブレイドを中心にした同心円に巻き、小石や枯葉が吹き飛ぶ。
「一気にいくぞ」
「うん!」
トリセルディはフットペダルを強く踏み、そこで黒い怪物は強力に翼を羽ばたき始める。足元のガレ場に落ちる黒い竜の影が急速に小さくなっていく。
――本当にうまい……。
バアドクレアはトリセルディが何気なくやっている動作に素直に感心している。相手の力を認めること。彼女がまだ男でも女でもなかった時分には絶対にできなかったこと。バアドクレアは女になったのではなく、むしろ大人になったのだろう。
「トリセルディ……」
「ああ?」
バアドクレアの呼びかけに黒い髪の野人はいつものように適当に応えた。
「……なんでもない。なんでもないよ」
「そうか。なんか気がついたことがあったら言ってくれ」
トリセルディは言い、キメラの乙女は『判った』とだ応える。そして、ここで動き始めた通信機にノイズが入り、同時に控えめなアラーム音が緑色の光とともに聞こえてくる。
「親父か……」
トリセルディはアラーム音だけで通信の送り主を知ったようである。どうやら、ストラブレイドの通信機は発信元にあわせてアラーム音と光の明滅の具合を微妙に変えて搭乗者に知らせることができるらしい。果たして、通信回線を通して現れたのはハール・エラートの顔であった。
「トリス!」
「親父、大丈夫なのか?」
トリセルディは尋ねた。
「今のところは」
ハール・エラートは修羅場になれているのか冷静さを失っていない。
「時間が無い。状況については聞いているね?」
「ああ、聞いているよ。敵が二十、こっちは五。敵の首魁はルイ・グランデール」
トリセルディはそらんずるようにして言い、それからこう付け加えた。
「国教の坊さん連かビアクの連中に援軍は頼めねえのかな?四倍の敵っていうのはちょっと厳しいぜ」
「無理だ。南方からクレティアが襲ってきている。こっちにまわしてもらえるだけの戦力はない。防空隊のほうも同じ理由で今のところ無理だ。オルバンでも戦闘が始まっている頃だ」
「……」
珍しくため息をつく息子に父親が言った。
「だが、全く無策というわけでもない。こっちには隠し球がある」
父親のほうも離陸モーションに入っているのだろう。視線がふらふらと行き来し安定していない。
「隠し球?」
「カペルヴィアストルに練習機が置いてあっただろう。あれを使いなさい」
ハール・エラートの言葉にトリセルディもバアドクレアもそのようなものがあったことを思い出している。小さな、本当に小さな練習機。武装もない民間機。何かのためにとカペルヴィアストルの校庭に置き去りにされたままのセプティア。
「……け、けれど、親父、あれは、練習機で武装はないよ」
トリセルディは計器に目をやりながら言った。黒のストラブレイドは父親達と合流すべく物凄い勢いで都に向かっている。バステロータとユーニスの機体は機動性が若干劣っているのか、そこで、すでにストラブレイドのモニターにも機影がとらえられている。
「囮にするには足が遅いし、防御も何もない。一級の戦列機が相手ではまともな戦いにならないよ」
トリセルディは父親の苦肉の策を評価しない。だが、ハール・エラートは違う。
「空の戦いにはならないだろう。だが、ギガグラディエとして、地上から砲撃をすることはできるだろう」
竜ではなく人として戦う。機動性は捨ててしまうが砲台ぐらいにはなる。だが。
「砲撃って、武装はどうする?カペルヴィアストルには肝心の武器がないぜ」
トリセルディは言い、そこで、ハール・エラートは言った。
「ゼーノさんのところに頼んで、飛空船で武器をそこまで届けさせる手筈になっている。カペルヴィアストルにはミランを介してすでに了承をとってあります」
「ゼーノのおっさん……」
トリセルディは沈黙し、バアドクレアは太った商人のことを思い出している。バアドクレアのことを『お嬢さん』扱いした人物。
「飛空船……武装もない飛空船を国都に向かわせる。結構無茶じゃないか?ルイ・グランデールがみすみす見逃すとは思わないよ」
「敵でも味方でもない商人を撃墜するだけの余裕は向こうにも多分無いし、それ以前に、向こうさんは、こちらに隠し球があることも、隠し球に下駄を履かせて援軍に仕立てようとしていることも知らない。大丈夫でしょう」
「……そうかな」
半信半疑といった感じの息子にハール・エラートは言った。
「それに。トリス、一番の儲け話は何時だって戦火の中にあるんですよ」
ゼーノが運んでくる武器は無償提供というわけではない。誰かが後で必ずその代価を労賃込みで支払うことになるのだ。その代価が金銭となるのか、あるいは、もっと別な形、たとえば王室御用達の名誉になるのか、それとも商人組合の組合長というポストかはわからない。いずれにせよ報酬は莫大なものとなるのに違いない。
「トリス、そういうわけで、まずはカペルヴィアストルに向かってください。そこでミランと合流して、使える人材を集めて待機するように。おっつけゼーノさんがそっちに行きます」
「武器を受け取ったら、戦列に加わると」
トリセルディは了解して頷き、父親は笑った。
「その通り。頼みますよ!」
通信はそこで途切れ、代わりに母親ジュディスが回線に割り込んでくる。
「と、いうわけだ。あたしとユーニはハールのところにいく。あんたらは、学校に行くんだよ!」
母親の言葉を受けて、トリセルディは躊躇うように沈黙する。恐らくはハール・エラートは戦域に突入したのに違いない。圧倒的な劣勢に立ち向かう父親のことをトリセルディは思っている。そして。
「……行こう。カペルヴィアストルに」
バアドクレアは何もできず、そこでただ、若者の肩を叩いた。だが、それこそがバアドクレアにしかできない唯一の任務であったのだ。
「……ああ、そうだな、行こう。ゼーノのおっさんに待たせるわけにはいかねえしな」
まずは国都に。話はそれからである。
トリセルディ達が向かう国都では、王宮の延焼が続いている。紅蓮の炎が高い塔を焼き、まるで火葬場のようにして黒い噴煙が巻き上がる。国都側からの反撃はなく、そこで突如現れた狼藉者達は悠々として上空を旋回している。
「着弾点の確認を急げ!」
愛機を駆るルイ・グランデールは味方に指示を出す。もっとも、国王が生きているのか死んでいるのか、上空の機士達には判る術が無い。本当であれば地上を行く陸戦の兵士達が死亡を確認するべく王宮に突入するのであるが、クレティアと関係を切ってしまったグランデール達にはそのような余剰の戦力が無い。
――火災が収まったら、兵を何人か下ろして、調査をさせるべきだろう。
機士の中の機士はそのように考えている。残念なことにグランデール達はペドロワが知りえた『国王が夜中の二時まで王宮に確実にいた』という情報を持っていない。機士が知っているのは『国王が王宮から動いていない』というそれだけである。あまり精度のよろしい情報とは言えない。
「戦果の確認の後、完全に王宮を破壊する!」
グランデールは回線を通じて部下達に指令を出した。クレティアから横流しを受けた高性能の爆弾は残二発。きちんと王宮に、それも国王の寝所がある中央の館に命中させる必要がある。
――戦果確認……。王宮の塔と正面門に着弾!
低空で飛んでいた部下の報告がグランデールにも伝えられる。爆弾で吹き飛んだのは東第二塔と呼ばれる迎賓用の施設と、正面の門。どうやら館そのものには損壊はないらしい。 「外したか……。まあ良い」
グランデールは部下のミスをそれほど咎めなかった。最悪の場合は自らが王宮にドレイクを強行着陸させ、バルカン砲を乱射してこれで国王を射殺する。そこまで髭の機士は覚悟をしている。
「残りは二発。次は外すな!」
グランデールの言葉に十八機をそろえた飛竜の一機がすっと機首を下げ、降下を開始する。残された爆弾の一つを抱えた一級戦列機。地上からは対空砲火もなく、また、上空には防衛の機体も無い。まるで縁日の射的のように緊張感のないままに爆撃の任を背負ったドレイクが高度を下げ――そして、燃え盛る王宮目掛けて黒い金属の槍を投下する。三発目の爆弾は音もなく、くるくると右回りに旋回しながらステアネーゼの中心に向けて落下し、次の瞬間、オレンジ色の炎とともに大爆発をする。
――やりました!命中です!
爆撃の任を背負った若い機士のはしゃぐ声が通信を通してルイ・グランデールにも聞こえた。確認の必要も無い。反撃が無いということで緊張が揺るみ、それが良い結果に繋がったのだろう。三発目の爆弾は、王宮ど真ん中に突き刺さっている。
――国王陛下が鉄の身体を持っていたとしても、これだけ貰っては無傷で済むまい。
グランデールは空しさのようなものを感じながらもそのように判断している。見下ろせば明るくなる国都の大路を人々が恐れおののき逃げ惑っているのが見える。老人を背負うものがあり、子供を抱くものがいる。慌てて転んでいるものもいる。逃げ惑う人々の上に爆発炎上する王宮から飛び散った木片や火の粉が降り注ぐ。
「……」
グランデールはそのよう人々の姿を合えて黙殺する。
最後に残った一発、グランデールの愛機カリオペが抱えている爆弾をどうするか。念には念をということで王宮に叩き込んでやるか。それともそこまではする必要はないと家に持って帰るか――。
ほんの一瞬だけ髭の機士は迷い、そして、そこで状況が一片することとなった。国都の空を南から北に何かが駆け上がってくるのがグランデールにも確かに確認された。都の建物を縫うようにして飛翔するそれは、炎上する王宮の手前で弾かれたようにして急上昇をし、そのままグランデール達反乱軍の輪の中に飛び込んでくる。真っ白い装甲版を輝かせた一級戦列機。白いドレイクは左右の肩に乗せたガンポッドから無数に弾丸をばら撒きながら、反乱軍の一機に襲い掛かった。
――うおッ!
反乱の機士の一人。その叫びが通信機を通じてグランデールの耳にも飛び込んでくる。一時に数百発の鉛弾を貰ったドレイクは文字通り蜂の巣にされて地上に落下していく。
「ちっ、あれでは、助からん……」
穴だらけにされ、墜落する仲間のドレイクを見ながらルイ・グランデールは舌打ちをした。部下の命はもはや諦めるより他ない。否、ルイ・グランデールは他人の死を悼むよりも、むしろ自分の明日を心配するべきだったろう。驚くべき上昇力で反乱軍の編隊に迫ってきた白い機体は狙いすましたようにして今度はルイ・グランデールにガンポッドの斉射を浴びせてくる。
「くそ……」
爆弾という重しを抱えているグランデールはものすごい勢いでばら撒かれる鉛の玉を避けるべく、翼を畳んで機体を自由落下させる。機速の出すぎた白いドレイクはそのままグランデールのカリオペの上をまたぐようにして飛び去り、一方、荷物を腹に抱えたグランデールは機体を立て直そうと必死になる。
「翼が……揚力がうまく得られん……」
操縦桿を握るグランデールの表情が険しくなる。地表が見る見るうちに目の前に迫る――もう少しで地上に激突かと思われた瞬間、グランデールの機体操作が間に合い、そこでカリオペは喘ぐようにして羽ばたき、上昇を開始する。
「フレアーブラッツ……カールクエイツだな!」
ルイ・グランデールはすべての機体で送受信が可能な一般回線を開くと怒鳴った。返答があった。
――いかにも。カールクエイツ当主ハール・エラート!
「たった一機でやってくるとは恐れ入る。だがな、エラート殿、貴君のやっていることはただの蛮勇。逃げるのであればこちらは追わぬ故、早々に退散されよ!」
機士の中の機士は何度かハール・エラートに会ったことがある。若くて穏やかな青年。ちょっと見たところでは頼りが無いが、実は空撃戦の天才。奥方のジュディスが装甲の厚い重武装の機体で敵弾をもろともせずに突き進むタイプであるのに対して、白いフレアーブラッツの乗り手は華麗に舞い、傷一つ負わずに空いての頭を噛み潰す、そのような技巧派であった。果たして技巧派の天才からの返答があった。
――ご配慮痛みいる。さりながら、私は貴君らを逃すつもりはない。神妙に縛につくかこの空を死に場所とするかどちらかを選ばれるが良い!
たった一機で乗り込んできたカールクエイツの当主に、グランデール配下の若い機士がいきり立った。
――ほざけ!死ぬのは貴様だ!
罵声が回線を通じて投げつけられ、反乱軍の若い機士が一人、カールクエイツの当主に襲い掛かる。
「待てッ!」
グランデールは叫んだが、すでに遅かった。いきり立った機士が走らせたドレイクの真下、地上から青白い光の球がものすごい勢いで飛んでくるのがグランデールにも見える。 「電磁弾!」
青い光の球はいきり立った若い機士が走らせる機体の首の根本を真下から打ち抜いた。
――うわっ、な、何がっ……。
若い機士の声はそこで途切れた。頭をもがれた反乱軍のドレイクはそのまままっさかさまに地上に落下し、民家に激突してばらばらに砕け散った。
「もう一機いたのか……」
ルイ・グランデールが見下すと、プレッカ近くの市道には青い塗装をした一級の戦列機が人型の姿のまま電磁砲を構えている姿が見えた。
「デ・ダリアルか……。カールクエイツめ……」
ルイ・グランデールは渋い顔をした。白は囮、青が支援。武侠の第一党は冴えた連携を見せている。しかも、冴えているのは連携だけではなかった。機体よりも長い電磁砲を抱えた青い機体が市道を北に向かって走り始め、その助走を利用して一気に人型から飛行形態である竜の形に姿を変えたのだ。翼を得た巨人は地表すれすれ、まるで白い機体の陰のようにしてジグザグに飛び続ける。
――並の技量ではない……。
ルイ・グランデールは感心をしている場合ではなく、部下に指令を出す必用があった。小賢しいカールクエイツをどうするのか。
「ソーン、ブリュネー、ゼラ……青い機体が見えるか?」
髭の機士の問いに即座に名前を呼ばれた部下の応答があった。
――見えます!
「三人は、あの青い機体を追え!白い奴と分断せよ!残りのものはテュケラ殿について白を狙う」
二機を失ってグランデールの持ち駒は十六。機士の中の機士は青い機体の乗り手を評価しながらも、白のほうがさらに上であると判断している。と。そこで、逃げ去るかに見えた青い機体が再び竜から人の姿をとった。市道に強行着陸したドレイクは振り返るとその場に膝をつくようにして携えていた電磁砲を構え――次の瞬間、無音のまま青い光が煌いた。砲口から放たれた光の球はまっすぐにグランデールの機体目掛けて飛んでくる。機士の中の機士は慌てることなく愛機を降下させて電磁砲の砲弾を避けた。何気ない動作であるが、並の力量の兵士であれば、恐らくは光弾の餌食になっていたはず。
――たいした腕だ……。
グランデールは唸り、一般回線を通じて青い機体の機士が漏らす呟きが聞こえてくる。
――ちぇっ、よけやがったよ!
少女のがっかりしたような声に、機士の中の機士も、彼の部下も一瞬沈黙する。
――相手は小娘。
その小娘に大の大人が遅れをとっている。大空の勇士の面目も何もあったものではない。 「ソーン、ブリュネー、ゼラ、早くあの青を追え!狙い撃ちにされるぞ!」
グランデールは部下を叱咤した。小生意気な青い機体はもう次のモーションに入っている。翼を広げて人から竜へ。変形のなった青い機体はそのまま街中に張り巡らされた市道を縫うようにして次の狙撃ポイントを探して始める。一方、青い機体に気をとられすぎたのであろう、反乱の機士達は再び白い機体のガンポッドの斉射を貰うこととなった。まるで、青空に投網を打つようにしてカールクエイツの頭領は弾丸をめちゃくやちゃにばら撒き、それを受けるグランデール率いる機士達は弾かれるようにして隊伍を乱した。もっとも、乱戦に慣れた機士達である。そうそう何度も同じ策が通じるわけもなく、そこで、ハール・エラートの連射によって被害を受けた機体はなかった。
「敵の戦力は判った。見ての通り白と青の二機のみ!取り囲んでこれを撃破せよ!」
グランデールは余裕をもって指示を出した。所詮は多勢に無勢。それほど恐れることはない。反乱の機士達が指示を貰ったことで一斉に白と青を追尾にかかる。一方、グランデールはただ一人王宮の上空に止まっている。最後に残った爆弾を投下するか否か。投下するとなればいつになるのか。それを見極める必要がある。だが。
――国王は王宮に本当にいるのか?本当にあそこにいたのか?
グランデールはなんとは無い不安かのようなものを感じている。前夜までは国王が王宮にいたという確実な情報をグランデールは知らない。
「国王は動いていない。動いていないのだ……」
機士の中の機士は自分に言い聞かせるようにして呟いた。
と。眼下に動きがあった。燃え盛る王宮の中から女官であろうか、火達磨になって飛び出してくるのが髭の機士にも見えた。炎をまとった女は城壁と塔の間にある木立の中に倒れ込み、それを見た同じ女官の仲間と衛士らしき人物が羽織っていたコートで女の身体を焼く炎を叩いて消そうと躍起になっている。炎に焼かれた女官はやがて動かなくなり、コートを振り回していた男女も動かなくなった仲間のそばで立ち尽くすこととなった。
「……」
髭の機士は黙然とする。いろいろと言い訳はできるだろうが、それがグランデールのしたことであったのだ。
「す、すごいことになっちゃってるわ……」
空を飛びまわり、砲火を交えるドレイク。燃え上がる王宮。あまりのことにファーラも呆然としてメモをとることを忘れてしまっている。
「どうなってんだよ、いったい……」
エルマも壮絶な空激戦にぼんやりしている。
雨どいを伝って寮の屋根の上へ。少女達は手足が埃で汚れるていることも忘れてただ空を見ている。
「あの、二機、あれ、防空隊?」
ファーラは尋ねた。
空激戦はかなり遠いところで行われているのであるが、それでもカペルヴィアストルの敷地からは戦いの様子がよく見て取れる。二十機ほどの機体が王宮を攻撃し――ということは、これはステアネーゼの敵であり――これにたった二機のドレイクが果敢に責めかかっている。
「いや、違うな……国軍の機体じゃない。あんなふうにカラーリングはしないはずだから」
真っ先に雨樋を登ったエルマは両手も、裸足の足の裏も真っ黒になっている。
「多分、どこかの戦団の所属だと思うんだけれど……」
「あれさ、トリセルディのところの人じゃないかな?」
鼻の頭がすすけて黒くなったシエルが言った。
「カールクエイツか……」
ファーラは戦闘から目を離さずに言った。反乱軍のドレイクからたった二機の防空隊に容赦なく焼けた弾丸が飛ぶ。防空隊の側も果敢に反撃をするのだが、相手が多いのでいかんともしがたい。と、エルマが叫んだ。
「あ、やられた!」
三機の敵に追いまくられた青い機体にバルカン砲らしき銃撃が加えられ、翼の一部が吹き飛ぶのが見えたのだ。青いドレイクは何とか体勢を立て直し、街の建物の間を縫うようにして逃走する。
「このままじゃ、いずれ撃墜されてしまう……」
ファーラは哀しげに言った。燃え上がる王宮からは火の粉が溢れ、所属不明のドレイクはやりたい放題。流れ弾や誤射によって国都のいたるところに損害が出ている。
「なんとかしねーと……」
機士の端くれとして、国都を愛するものとして、エルマは何かをしなければならないと思っている。だが、一介の学生風情になにができる?ただ指を加えてみている。それだけではないか!
「なんとかしねーと……ああ、どうすれば……」
「……こんな時に、トリセルディがいてくれたらなあ」
シエルはぽつりと言った。黒い野人。連絡の途絶えてしまった頼りになる友達。今、ここに彼がいてくれれば、きっと奇跡を起こして混乱を収拾してくれるのではないか。だが、トリセルディは実際にはその場におらず、そこで、少年達はただ立ち尽くすだけであった。
――なんとかしなければ。
それはみんな分かっている。けれど、答えは判っていてもそこにいたる方法がわからないのだ。そして、判らないままにじりじりしている子供達の足元でおかしな動きがあった。
「……」
無言のまま少女が一人、屋根の上に顔を覗かせたのである。
亡霊のような変態少女小説家。ぶびょーのミューネ・バンクラフトであった。
「……あ、あの……」
ミューネは上腕の力が足りず、雨樋を登ってくることが出来ない。そこでシエルの部屋から椅子を引っ張り出してきて、その上に乗って仲間に話し掛けている。
「あの……」
誰も足元のミューネには気がつかない。今はそれどころではないのだ。
「白いのが危ない!」
十機以上の敵に囲まれた白いドレイクはそろそろ逃げ場がなくなってきている。ガンポッドの残弾もこのままではいずれ尽きてしまうに違いない。
「あの……」
ミューネは粘り強く、蚊の鳴くような声で言い続け、しかし仲間達はいっこうにミューネに気がつかない。そこで、変態少女小説家を引き摺り下ろして、教官の女戦車が叫ぶ。
「おまえら、早く下りてこないかッ!」
怒声に少年達は慌て、そこでようやく、すぐ背後に興奮した教官の姿を見とめることとなったのだ。
「きょ、教官……」
シエルは困ったような顔をして呟いた。悪いことは多分していない、していないはずであるが……。校則違反を叱責されるものと怯えている子供達に女教官はそれまでに学内で一度も見たことが無いような厳しい表情で言った。
「そんなところで見物をしていないで、早く下りて来い!やってもらうことがある!」
やってもらうこと?
それは、自分達にできることであるのか?そして、その自分達にできることというのは上空での空撃戦を見ることよりも重要なことであるのか?ミランは蒼白の顔ではっきりと宣告した。
「各員、乗機用の服を着て、すぐに校庭に集合しろ!これよりカペルヴィアストルは総力をもって賊徒を迎撃する!」
風が西から東に流れる。
国都上空では激戦が続けられている。光威弾が飛び、反撃の電磁砲が光球を打ち返す。追いつ追われつ、命がけの鬼ごっこが続き、人々は砲火に逃げ惑う。緊迫仕切った都のなかにあってそこだけはまるで別世界のようにのんびりとしていて――。
「だ、大丈夫なんですかい、本当に……」
船を預かる屈強な槽舵手が唇を震わせて、雇い主に尋ねる。問われた太っちょの商人は臆することなく目を爛々と輝かせたまま部下の問いに答えない。
ゼーノ武器商と書かれた小型の飛空船。フェラッカと呼ばれる左右に二枚の帆を張った木造船はいわゆる観光船であり、荷物もごく僅かしか運ぶことが出来ない小さなものであった。左右に帆を張った小船はまるで遊覧でもしているようにして国都上空をふんわりと飛び続ける。前方では王宮が紅蓮の炎に包まれ、その上ではルイ・グランデールの機士達とカールクエイツの父娘が激しくぶつかり合っている。射線上にもしも小さな飛空船が入り込めば、間違いなく大破撃沈ということになるだろう。だからこそ、槽舵手は尋ねたのだ。『大丈夫ですか』と。
「親方、これはちょっと……」
「黙って舵輪に集中せんか!」
「しかし、ですな……」
太っちょの武器商人は顔を紅潮させて言った。
「男には三度博打にでなければならんときがある!一度目は嫁さんを選ぶとき。二度目は仕事を選ぶとき。三度目は天下をとるとき。今がその三度目の博打の時だぞ!」
太っちょの商人がハール・エラートから仕事の依頼を受けたのは、ルイ・グランデール達の攻撃が始まってすぐのことであった。
――小型の練習機でも扱える武装を大至急用意して欲しい。
ハール・エラートは戦士であり、そこでドレイクの武装についても詳細な知識がある。小さな、武装のためのポイントを持っていない民間の練習機でも取りまわしのできる装備があることもカールクエイツの当主は知っていたのだ。そこで戦うずっと以前から、そのような武器を用意するようにとハール・エラートからゼーノに依頼がなされていた。
――いざというときには、カペルヴィアストルの練習機も動員しなければならないかもしれない。
ハール・エラートはそのように考えており、残念ながら『保険』となるカードが切られることとなってしまったのである。そしてゼーノは契約の通りに商品を命がけで運搬している。
セプティアでも使うことのできる取り回しの良い電磁砲を二門。貫通力の高い対ドレイク用のライフル三丁。ドレイク用の携行機関砲を三丁。それらの弾薬に、さらに最新式のドレイク用のシールド。武器の設置ポイントがもともと存在しないセプティアにはこれらの兵装を空中で使用することはできない。だが、飛ぶことを諦め、地上戦用のグラディエのみの使用ということに特化すれば、このような重装備も十分に使うことが出来る。
――地上からの移動砲台として練習機を使いたい。
ハール・エラートには最初からそのような戦略があり、そこで商品を提供するゼーノも迷うことなく『お勧め品』を提供することが出来たのだ。
「敵……グランデールのものと思われるドレイクがこちらにやってきます!」
槽舵手のそばで通信を兼務する見張りが喚いた。カールクエイツの白い機体を追いまわしていた飛竜が突然戦場に現れた飛空船に気がつき、急速に接近してくる。槽舵手も見張りも揃って無骨でむさくるしい男であるのだが、ドレイクの接近に文字通り『びびって』しまっている。
「……ま、まずいです、襲ってくる気ですぜ!」
「大丈夫だ!そのまま進め!」
脂ぎった太っちょ商人はとんでもない胆力で怒鳴り返す。
――うまくいく。うまくいくとも……。
ゼーノには読みがあったのだ。もしも、商人が乗ってきた飛空船がドレイクを運べるような大型のものであれば、グランデールも危機を未然に防ぐべくこれを攻撃してきたかもしれない。だが、ドレイクを運搬することが物理的に不可能な小型の船であれば、彼らは襲ってはこないのに違いない。そしてこのペテンの肝となるのはそのような小型船は飛竜の運搬は出来なくても、その武装ぐらいは運べるというところ――。果たして、白い機体の追尾を止めて、ゼーノ達のほうに近づきかけたドレイクは、侵入してきた飛空船のみすぼらしさに嫌気がさしたのか、何もすることのないままに再びカールクエイツの首領を追跡し始める。
「……い、行っちまいましたぜ」
舵輪を握る槽舵手は脂汗を浮かべてため息のような呟きを漏らした。
「あちらさんからの通信は?」
商人は見張りに尋ねる。
「……いえ、ありません」
通信機に噛り付いたままの無骨な見張りも、ほっとしたようにして言った。ゼーノはとりあえずのところ賭けに勝ち――一方、ルイ・グランデールの優位は、この何気ない瞬間から音を立てて崩れていくことになるのである。
そしてアザラシの皮で出来た乗機服に身を包んだ少年達はカペルヴィアストルの校庭に集結し――。
「げ、迎撃って、本気なの?」
ファーラはいつものように元気がなく、完全に怯んでしまっている。ファーラの言葉にシエルも、エルマも沈黙で応え、それはミューネも同じであった。
ミランによって召集された学生は四人。カペルヴィアストルの栄誉ある生え抜き、といえば言葉は綺麗だが、毎度のように寮生が貧乏くじをめでたくひかされたというそれだけのこととも言える。もっとも、選抜をしたミランにはそれなりのに意見もあったようだ。
「……集まったな。状況が状況だ。手短に説明をする」
女戦車も表情が切迫している。
「これより、上空で交戦中のカールクエイツを援護する」
「……僕達だけで、ですか?」
「シエル、今は質問は受け付けない。最後まで話を聞け」
ミラーナ・バレルは厳しい調子で子供の質問を頭ごなしに踏み潰す。
「おまえ達を選んだのは、以前に王立機士学校と悶着を起こした時に地上で防御陣地を敷いた経験があるからだ」
空を諦めて地上で待機し援軍の到着を待つ。シエル達はトリセルディに教えられて、そのような防御の方法があることを体験として知っている。
「あれの応用だ。以前は相手側には武装があり、こちらには武装がなかった。今回はこちらも武装をする」
「武装って言われても……」
質問は受け付けないと言われているにも関わらずファーラは思わず呟いてしまう。確かに校庭には記念祭の時からドレイクが置かれたままとなっていて、これに乗ることは出来るだろう。だが、練習用のセプティアには肝心の武器が無い――。
そし、これからのことを説明しようとした戦車殿の頭上を大きな黒い影がすっと横切った。黒い飛竜――。その姿にシエルか小さな声で『あッ!』と呟いた。
「トリセルディだ!」
少年はかつて一度見ただけ。それでもシエルはトリセルディの愛機ストラブレイドの精悍なフォルムを忘れたりはしなかった。黒い機体は校庭の隅みに強引に着陸すると、ただちにキャノピーを開いて、荷物をその場に下ろしにかかる。ゲルの中から誰かが降りてくるのが見える。シエル達はその人物を良く知っていた。
「バアドクレア・アスペンブロウ!」
ファーラは目を丸くして言った。寝巻きのまま黒い飛竜から出てきたバアドクレアは仲間達のところに走りより、一方、バアドクレアを下ろしたトリセルディはそのまま仲間に何も言わずに校庭から飛び去っていく。土煙がもうもうとあがり、ゲルで濡れたところに砂をまともにもらったバアドクレアはそれこそ衣を着けられて油の中に放り込まれるのを待っている白身魚のようになっている。
「すみません、遅れました!」
「バアドクレア……」
呆気にとられたようにしてシエルが行った。突然に戻ってきたキメラの若者に仲間達は驚き、ただ、ミランだけが平気な顔をしている。教官はすでに情報としてバアドクレアが戻ってくることを知っていたし、これを戦力として使うことも決めていたのだ。一方、バアドクレアのほうでもすでに状況は理解している。校庭に集められた機体は全部で七機。だが乗り手となる機士は不足している。パイロットは一人でも多いほうが良いのだ。
――私がやろう。
バアドクレア・アスペンブロウ――もとい、クレア・アスペンブロウはトリセルディの機体の中ですでにそのように決めていたのだ。迷いのようなものは全く無い。
「アスペンブロウにはすでに、状況は伝えてある。とにかく時間が惜しい。各員、速やかに機乗せよ!武装その他については追って指示を出す!」
隊長となるミランは部下に指示を出す。
「分かっていると思うがこれは実戦である!気を抜けば本当に命取りとなりかねない。覚悟をもって任務に挑むように以上だ!解散」
ミランはそのように言うと手近なところにある練習機に乗り込んでいく。一方、生徒達のほうは上官よりもちょっとだけ動きが遅れている。戻ってきた仲間のことが気になっているのだ。
「バ……バアドクレア……」
ミューネが戻ってきたバアドクレアに何かを言おうとした。きっと『お帰りなさい』と言いたかったのだろう。キメラの乙女は笑顔で頷くと、ミューネに言った。
「話は後にしようよ」
「……ん、そ、そうだね。そうだ……」
バアドクレアの笑顔にミューネも厳しい顔で頷いた。今はそれどころではない。なんと言っても国難であるのだ。それにしても。かき集められた生徒達がいつものように『機士』という職務から一番遠ざかった人物ばかりというのはどういうことなのだろう。否。そのことをバアドクレアも他の生徒達も卑下することはない。多分、カペルヴィアストルとはそういう学校であり、そして運命の歯車を回す女神はかかるトンチキな連中をいたく気に入っているのに違いない。
「急げ!時間がないぞ!」
練習機に乗り込もうとしているミランの叱責が飛び、機士見習達も散り散りになって機体に乗り込んでいく。ファーラが無言のままキメラの乙女の脇を走りぬけ、そこでヘイゼルの娘は戦友をねぎらうようにしてバアドクレアの肩を軽く叩いていった。バアドクレアははこちらも無言でファーラに笑って返す。生徒達は興奮し、高揚しているせいもあるのだろう。自分達が死ぬかもしれないという不安を全くといって良いほどに感じていない。
――とにかく急ごう。
バアドクレアも空いている機体に走りより、そのまま、練習機に乗り込みにかかる。エルマの機体がすでに起動し、シエルが乗り込んだドレイクも機体の顔に穿たれた七つある眼に輝きが灯っている。幸いなことに、上空には反乱軍のドレイクは見えない。恐らく、合流がなったトリセルディ達が時間を稼いでくれているのだろう。
「よし……」
バアドクレアはキャノピーを開き、そのままゲルの中に身を躍らせる。寝巻きのままであるが、格好のことなど今更構っていられない。
「六番機……アスペンブロウ、起動します!」
バアドクレアは手順に従って改修なったばかりの練習機を動かしにかかる。
「ゲルモーターの起動……よし。各種計器チェック、よし……」
ゲルモーターが脈打ち始め、そこで機体内部に輝きが戻る。全方位のモニターに外の様子が映し出され、一瞬だけ狂っていた計器類がすべて正常な値を指し示す。
――デル・カロッツァ、出撃準備完了。
――アリスティア機、同じく。
――グイドバルド……発進よろし。
――……ミューネ・バンクラフト……大丈夫です。いつでもいけます。
起動が終わった生徒達の声が通信回線を通して聞こえる。バアドクレアもそれに続く。
「クレア・アスペンブロウ。飛行隊長の指示を待ちます!」
男になったらバアド・アスペンブロウ。女になったらクレア・アスペンブロウ。キメラだからこその二重名も女になってしまったバアドクレアには意味が無い。
――よろしい。全機、竜から人に形態移行に移り、その場で待機。
バアドクレアではなくクレアと名乗ったキメラの若者に教官は何も言わなかった。そして、バアドクレアのほうも相手の無反応に何も感じなかった。とにかく今は機体を竜の形から人の形にしなければならなかったし、それよりもなによりも、一同が思ってもみなかったところに、思いもよらない人物が駆け寄ってきたことに、バアドクレアも、他の生徒達も慌ててしまっていたのだ。
今まさに戦場に向かおうとしていた突撃兵達のところに、金髪をなびかせて駆け寄ってきたのはビーステアであった。
「ビー?なんで?」
バアドクレアは、モニターの向こうに見える金髪の令嬢を不思議そうに見ている。クオレルリオンの姫君は彼女専用の白い乗機服を身にまとって颯爽と駐竜中の期待に向かってくる。
――クオレルリオン、何をやっているか!
ミランの人選ノートにはく折れるリオンの姫君の名前は載っていなかったのだろう。外部マイクを通してミランに叱責を貰ったビーステアはきっとなって言った。
「私も参ります!国の一大事。私の国都を汚す狼藉者をどうして許すことができましょう!」
御令嬢はただ浪費をするだけにあらず。国を守護する気概に溢れている。昂然とミランの乗機を見上げるビーステアに、教官は言った。
「七番機が空いている!それを使え!時間が無いぞ!」
ビーステアは教官の言葉にすぐに動き始め、翼を休めているかつてのオンボロ機に乗り込みにかかる。取り扱うのが難しいお荷物のようなドレイクも改修がなり、操縦に余計な気を使う必要もなくなっている。果たして、ビーステアは素早くドレイクを起動し、そのまま竜を人の姿に形態移行を始める。そして。
――来たぞ!
ミランが叫んだ。左右に帆を張った小型の飛空船がカペルヴィアストルの校庭に強行着陸をしてくるのが生徒達にも見え――それと同時に飛空船からも生徒達の機体に通信が入る。生徒達の通信画面に太っちょの商人の顔が大きく映し出された。
――バレルの姉さん、お預かりの品を持ってきましたよ!お代のほうは気にせずにどうぞ。好きなだけ使ってくださいな!
ゼーノは景気良く言った。どうせ支払いは国庫もち。否、ゼーノは本気で武器弾薬の代金を受け取らないつもりである。商人はお金よりも御用商人という立場を望んでいるのだ。
僅かな武器と弾薬で御用商人の地位が手に入る。はっきり言ってぼろもうけである。
――ゼーノ殿、了解した。これより各員に武装を渡す。武装を受け取ると同時にトラム街に向かう。いいな!
――了解!
生徒達は教官の叫びに呼応して、すぐに機体を動かしはじめる。飛空船の船倉がゆっくりと開き始め、ミランが操る人型がその中から武器を選って取り出しにかかる。
――シエル、エルマ機は電磁砲を使え。
ドレイクの肩に乗せる形の大型の砲門。もちろんであるが、生徒達はそのようなものを使ったことが無い。画像は映らず、そのかわりに商人の声だけが聞こえてくる。
――そんなに難しいもんじゃありませんよ。敵にサイトを合わせて引き金を引く。それだけです。
ミランの機体から電磁砲を貰ったシエルのドレイクの足が苦しげに数センチばかり校庭に沈み込む。
――オストリッチ社製四二○電磁砲。砲弾は空中で炸裂する対空弾を二十発用意しました。ちょっと重いでしょうが、そのぶん威力は保証しますよ。
商人の説明にシエルもエルマも緊張して応えず、そこで教官ミランはミューネとファーラにライフル銃を手渡す。
――弾丸は十発。予備の砲弾パックを二つずつ渡しておく!パックの中にはそれぞれ十発ずつ球が入っている。それから、ライフル組にはシールドも渡す。
巨大な装甲版。大型の凧にも似た盾。ミランは説明する。
――バアドクレアとビーステア、ミューネ、ファーラの四人でシエルとエルマの電磁砲を四方から護衛しつつ敵に砲撃を浴びせる。
簡易トーチカを作りつつ地上から攻撃をする。生徒達は教官の作戦を理解している。
――バアドクレアは、私と同じ機関砲だ。
ミランの指示を貰ってバアドクレアはドレイク専用の携行機関砲を受け取る。ゲルの中の乙女は教官が差し出した機関砲に手を伸ばし――バアドクレアの動きをトレースした練習機の腕が機関砲のグリップを握る。グリップを握った練習機はただちに自分が握ったものが『ゼルナーブラウ社製』の『携行機関砲』であることを認識し、そこでバアドクレアが身体を預けているコクピットの中、少女が握っているゲルの一部が硬化を始める。硬化したゲルは機体が握っているものを正確に縮尺コピーをし、そこで数秒を待たずにバアドクレアの手には青く輝く半透明の『ゼルナーブラウ社携行機関砲』が握られることとなった。
「武器を取るのは初めてだ……」
バアドクレアは砲身の短いコンパクトな機関砲を手に呟いた。キメラの乙女の指先がゲルで出来たコピーのトリガーに軽く触れると、その動きをトレースした練習機の指も機関砲のトリガーに軽く触れる。極めて出来の良いマリオネット――。
――バアドクレア、換えのパックも渡しておく。
ミランはそのように言ってバアドクレアに弾倉を手渡してくる。
――予備のパックはシールド裏に取り付けのポイントがあるから、それを使うように。
「了解です」
バアドクレアは予備の弾丸受け取りながら言った。ミランの機体はシールドは使わずに左右の手に機関砲を装備している。
――私とバアドクレアで電磁砲組とライフル組を援護する。ゼルナーブラウの機関砲は弾丸が多くて重宝するが、射程が短い。あくまで私達は電磁砲とライフル組の護衛だ。いいな?
「了解しました」
バアドクレアは応えた。バアドクレアは緊張を感じず、そのかわりにひどく高揚している。自分が死ぬというようことは全く考えず、恐怖も感じなかった。
――負けるわけがない。
バアドクレアにはそのような自信があり、そして、それは、他の機士見習達も同じであった。やはり、王立機士学校の教官を相手に生徒だけで抵抗をした経験は大きい。と。
いつでも動き出せる体勢が整ったにわか作りの防空隊で、悶着が起こった。
――ビーステア、何をしているか、早く……。
一人遅れてきたビーステアの機がいまだに起動をしていないことに教官が怒声を発した。自分達の武装のことに気が行っている生徒達はそこで、初めて、ビーステアの遅れに気がつき、同時に、御令嬢がもたもたしている理由を知ることとなったのだ。
動き始めたビーステアの練習機の前で、誰かが両手を振り回して、何事かを叫んでいる。 「な、なんだ?」
バアドクレアは目を凝らし、そこで、ビーステアの機体の前で両手を振り回しているのがリンツであることに気がついた。
「リンツ……なんで?いつ来たんだ?」
バアドクレアはぼんやりとした顔で呟いた。ビーステアが国都の危険を察知し、すぐにカペルヴィアストルに駆けつけたように、リンツもまた母校に馳せ参じたのだろう。そして、揉め事を起こしている。
いったい、金髪の令息は何を言っているのか?バアドクレアはマイクを操作して、ハイメリオンの子息の言葉を拾いにかかる。
――頼む……代わってくれ!ビーステア!僕に行かせてくれ!
リンツは気負いに気負っている。前回の王立機士学校の時に、遅れをとってしまったことを貴公子はひどく気にしている。再びのミスは許されないのだ。だが、ビーステアも強情である。クオレルリオンの令嬢は練習機のマイクを通して叫んで返す。
――リンツ、リオンの総領にもしものことがあったらなんとします!私の代わりはいるでしょうが、あなたの代わりはいないのですよ!
ビーステアは目立つ女性で、驕慢な性格も手伝って、彼女のことを嫌う女子生徒も多かったが、それでも、いざというときには先頭に立って砲火に身をさらそうとしている。これはなかなかにできることではない。バアドクレアは修羅場で気骨を見せるビーステアの同窓であることをしみじみと嬉しく思い、そして、同じように気負って戦地に飛び出していこうとする大貴族の若者にも尊敬の念を抱いている。
――僕はリオンの総領だ。だからこそ、この時に黙って見ているわけにはいかない。どうしてもいかなければならないんだ!
リンツは必死にビーステアを説得しようとし、一方ビーステアも譲らない。
――もう、いかなければなりません!私達が戻ってこなかったときには、その時には後をお頼みします!
そして、双方に叫んでいる従兄妹の姿にミランが激怒してマイクの音量めい一杯に大喝する。
――何をやっているか!こんな時に!
一刻を争うときに、何故、もめてしまうのか。だが、リンツも決意が固い。
――僕は引き下がるわけにはいきません!
リンツにはトリセルディへの対抗心もあるし、貴族としての自負がある。それになによりもこの御曹司は国都を愛してやまないのだ。王宮の炎上にリンツはほとんど逆上し、怒り狂っている。教官は決断した。
――判った。リンツ、私の機体を使え。急げ、時間が無いぞ!
教官が下りてしまって、それではいったい誰が指揮をとるのか。女戦車は解決策をすでに考えている。
――ゼーノ殿、飛空船を貸していただきたい!
ゼーノが乗ってきた飛空船。これを借り受けて、ここから指示を出す。装甲の薄い飛空船はドレイクに攻撃を受ければひとたまりもなく撃沈されてしまうだろう。だが、生徒達が命がけで有る以上、教官が安全な場所に止まるわけにはいかない。
一方、突然の提案に太っちょの商人の元で舵輪を握る操舵手は、やめてくれといった具合に首を左右に振った。冗談ではない。命を削る思いで武器を運んできたのだ。これ以上の勤務の強制は契約違反……。
――よろしい、お貸ししましょう!
ゼーノの通信機を通しての快諾に操舵手がっくりとうなだれる。やはり、そうか、そうではないかと思っていたのだが。舵輪を握る商人は自分の運命を呪っているが、主のほうは全然気にしていない。
――乗りかかった船。やれるだけのことはやりましょう!
太った武器商人は通信回線を通じて笑った。のるかそるか。中途半端なことでは御用商人にはなれまい。
勝つか負けるか。生きるか死ぬか。攻め手、守り手、すべての人にとって勝負の時がやってきたのである。
「あーッ!畜生!なんてこんなにうじょうじょ出てくるんだーっ!」
青色にカラーリングされた一級戦列機は翼も、装甲もボロボロ、飛んでいるのがやっと。パイロットとなる生意気な小娘もいつも以上におしゃべりになっている。
一機の一級戦列機と二機の二級機。しつこいハエのようにして追いかけてくる敵機にドゥワルデはイライラしている。
「まずいよ、ゲルの流失が止まらない……」
地表すれすれに機体を飛ばし逃げ回るドゥワルデであるが、無傷では済んでいない。砲撃を貰い続け、あちこちを吹き飛ばされ、削られと機体は傷む一方。旋回能力も少しずつ落ち、いつまでも持ちこたえられるとは思われない。
「残弾……あと、二発……」
電磁弾の砲弾は残り二発。二十発ある砲弾の内すでに十八発を使い、戦果は最初に落としたたった一機だけ。
「ああ、あたしも腕が鈍っちったのかな……」
電磁砲が弾切れになったあとは、携行用の機関砲だけが頼り。だが、ドゥワルデはこのちまちました武器をあまり好いていない。効果がいまいち劣るし、装甲の厚い一級戦列機の中には機関砲の弾丸を受け付けないものがあるからである。
「……どうするよ、どうするよ……」
焦っているドゥワルデの後背、急接近する三機のドレイクのうち一機が続けざまに光威弾を放った。ドゥワルデは必死に機体を滑らせて光の塊を避ける。砲弾はドゥワルデが操るデ・ダリアルの翼を僅かにかすめ、市道に突き刺さって大爆発した。
「くそーっ!危ないじゃんか!なにしやがる!」
エラートの次女はがなりたてた。ゲルの中ということで目立たないが、冷や汗の流れる瞬間である。
――このまま逃げ切れるとは思えない。反撃をしようにも相手は侮れない。
ドゥワルデを追ってくる三機は相当の手錬。一対一であれば、ドゥワルデのほうが多分優っているだろう。だが、三人一度にかかってこられるとエラートの娘でも苦戦する。
――こいつは着陸しかねーか。
地面に下りて、地上戦を展開する。幸い街中ということで、遮蔽物となる建物はいくらでもある。
――最悪、動けなくなるようだったら、機体を捨てるしかない。
ドゥワルデがそのように決断をしかかったその時のことであった。
「うあッ!」
かしましい次女は小さな叫びをあげた。目の前すぐを突然、ドレイクが横切るようにして現れたのだ。ルイ・グランデールの一派、父親を狙いこれを追っていた機体が、目標を変更してドゥアルデに襲い掛かってくる。
「いけねっ……」
二級戦列機は肩に乗せた強力な重バルカン砲を乱射し、そこでドゥワルデの機体は射撃をもろに貰うことになってしまった。青い機体の装甲版が飛び散り、背中に積んでいた電磁砲が一瞬にして消し飛んだ。ドゥワルデは暴れる自機を必死に押さえつけて地表すれすれを飛び続け、正面に現れた敵機の腹の下を曲芸のようにして潜り抜ける。
「い、今のは危なかった……」
豪胆な次女も窮地の連続に肝を冷やし、同時に、父親のことを思って焦っている。
――親父、大丈夫なのか?
父親のドレイクを追っていた機体がこちらにやってきたということは、あるいは、カールクエイツの当主はすでに撃墜されたのではないか。
「まさか、落とされたんじゃないよね……」
ドゥワルデは不吉な予感に顔を歪めて、ゲルの上に輝いている通信画面に向かって喚く。
「親父、ちょっと、やばいよ!そっちは……そっちはどうなの?」
通信機からの応答はない。そして、叫ぶ次女のドレイクに後方から追ってきたドレイクの砲門が一斉に火を噴いた。猟犬に追われるウサギのようにしてドゥワルデは身を翻し――たつもりであった。だが、猛攻に猛攻を貰い続けた機体は乗り手の意思に従うことが出来ず、一瞬動きが遅れた機体右翼の中央、薄いゲルの皮膜に敵弾が命中する。
「くそッ……」
揚力のバランスが崩れ、大きく機体が傾き、そこでドゥワルデは潔く飛ぶのを諦める。竜の姿から人の姿に。カールクエイツの次女は自機を空中で形態移行させると、そのまま地上に強行着陸する。
「どいて、どいて、どいてー!」
市道には車があり、いきなり始まった空撃戦に逃げ惑う人々の姿が見える。ドゥワルデは、その真ん中に機体着陸させたのだ。機体速度が出すぎている青いドレイクはすぐに止まることが出来ず、そこで、三段跳びの選手のようにして不恰好に飛び跳ねる。
「あーっ、ちくしょーっ!」
ドゥワルデも必死である。車をまたぎ、人の頭を飛んで避け、最後は市道の中央分離帯につまずいて転倒、そのまま車道の上を滑るようにしてスピンしながらポプラ並木に激突、そこでようやく青い機体は止まった。
突如失速して落下したデ・ダリアルの上を追尾する反乱軍のドレイクが追い抜いていくのがドゥワルデにも見えた。息止めを刺そうと思っていたところにドゥワルデが失速したので、追尾の部隊は最後の一撃を放つことが出来なかったのだ。まさに間一髪の判断であったが、その判断によって状況が好転したというわけではなかった。行き過ぎた追尾部隊はすぐに反転し、ドゥワルデの息の根を止めようと再び襲ってくる。
「しつこいなーっ!」
ドゥワルデは蒼白の表情で悪態をつくと、ポプラ並木に激突した愛機に鞭を打つようにして立ち上がらせ、路地に逃げ込む。
「しつこい奴は大嫌いなんだよ!
カールクエイツの娘はキレて叫ぶと、機体の背中に積んであった携行機関砲を引っ張り出してくる。砲口は急速接近してくる敵機へ。ドゥワルデは建物の影に隠れるようにして反撃のトリガーを引く。白く焼けた弾丸が飛び、薬莢があたりにばら撒かれる。国都市民は突然始まった銃撃戦に大混乱である。
「みんな、早く逃げろっ!巻き込まれっから!」
ドゥワルデも外部マイクを通じて市民に呼びかけたが、砲声の下でどれだけ警告が市民に届いたか……。
取り回しは良いが弾がばらけてしまう機関砲では、速力があって、武装も厚い一級戦列機に致命打を与えるのが難しい。果たして、ドゥワルデにたかってくるアブのような連中は路地裏からの反撃に平気な顔で飛行を続けている。
「ちっ、やっぱ一級相手じゃだめか……」
ドゥワルデは追い詰められ――そして、それは父親の白い機体も同じであった。十機以上の敵に囲まれて、逃げ回る白いドレイクの姿が地上に降りたドゥワルデが確認したのはその時のことであった。
「親父……よかった、まだ生きていたか……」
通信機がやられたのか、フレアーブラッツからの応答はない。そこでドゥワルデは機体の腰にぶら下がっていた信号弾を取り上げ、機関砲の砲門に取り付ける。そのまま信号弾を空に向かって発射――。
光り輝く火の玉が空に向かって勢い良く舞い上がり、それに白い機体も気がついたようである。カールクエイツの領袖は反乱兵の隙を突くようにして機体を反転させ、娘のほうに舞い降りてくる。娘の側は機関砲を乱射して、父親の逃走を援護する。
「親父、早くッ!」
娘は火砲を乱射して父親が路地に入ってくるのを助け、白い機体はそこで竜の形から人の形に形態移行をして建物と建物の間に逃げ込んでくることができた。
――助かります、ドゥワルデ!
父親の声がようやく娘の通信機に入ってるきたのはその時のことであった。増幅回路にでも弾を貰ったのだろうか、父親の機体は電波が飛ばなくなっているようである。画像も出てこない。娘の機体もぼろぼろであるが、父親の白い機体もいたるところが傷んでる。
――何機かやりましたか?
「だめだよ。一発打つと十発返って来て、とてもじゃないけれど、撃墜なんかできないよ!」
娘は換えの弾丸を機関砲に叩き込む。一方、父親の機体は一万発以上ある弾丸をすべて使いきっているらしい。
父子そろってよく生き伸びている――。本人達もそうであろうが、多分、敵てあるルイ・グランデール達のほうがそのように思っているのではないか。しかも、父親は語らないが、白い機体は敵に追いまくられながら、曲芸のようにして立ち回り、グランデールの配下をさらに一機撃墜していたのだ。
なぜ、追っているほう、それも数で十倍以上の優勢を保ちながら、反乱軍のほうが損害が出るのか。追われるほうも焦っているが、追っているほうはもっと焦っている。
「ああ、くそったれ、ハエみたいに煩く飛びまわりやがって……」
ドゥワルデは見上げて言った、最初に二機、父親が一機墜として残りの反乱軍は十五機。カールクエイツの側は飛ぶことができなくなり、弾丸も残り少なくなったぼろきれのような機体が二機。
――機体を捨てる用意をしなさい。
父親の声が娘にも聞こえる。カールクエイツは武侠であり、通常の軍隊とは違ってゲリラに近い。機体を捨てて逃げてしまうことにもそれほどの躊躇いはない。とにかく生きていればいつか反撃の機会もある。
「生きて逃してくれるとも思えないんだけれど……」
娘は呟いた。仲間をやられた反乱軍の機士達は殺気立ち、そこで、上空から銃弾を雨霰のごとく降らせにかかる。
盾として使っている建物は無差別の砲撃に見る見る削られて小さくなり、カールクエイツの父娘も逃げ場がなくなっていく。
そして――。
なす術が無いカールクエイツのドレイクの上をルイ・グランデールの駆るカリオペが旋回するのがドゥワルデの目にも捉えられる。
「あの野郎、余裕かましやがって、ムカツクぜ……」
娘は荒れた不平を漏らし、その不平はすぐに悲鳴に変わった。グランデール配下となる一級戦列機が南から北に、カールクエイツの父娘の上を駆け抜けていく。ただ駆け抜けたのではない。爆雷の置き土産つきであった。路地に爆音が響き、ドゥワルデの目の前の建物が木っ端微塵に吹き飛ばされる。瓦礫が飛び、砂煙が舞い上がった。
「く、くそーっ!ふざけやがって、危ないじゃんかッ!」
一テンポ。わずかに一テンポ投下が遅れ、そこで、爆雷は獲物をそれて身代わりにレンガ造りの建物を半壊させた。ドゥワルデたちにとってはぎりぎりの幸運――否、ただ結審の時が僅かに伸びたというだけのことで、父娘にとっては幸運というよりは不運であったかもしれない。
――爆殺、ですか……。市民のことを考えないんですかね、連中は……。
父親の呟きが聞こえた。グランデールの機士達は路地に逃げ込んだネズミをいぶりだしにかかっている。その場に止まれば爆薬で吹き飛ばされ、市道に逃れれば砲撃を貰って蜂の巣にされる。どちらに転んでもろくなことにはならない。と。
――ドゥワルデ、次が来ますよ!
父親の鋭い警告が飛んだ。先ほど爆雷を落としたのとは別の飛竜が急速に接近してくるのが見える。すでに遮蔽となる建物は半分ほどが消し飛んでいる。カールクエイツの父娘が砲火に直にさらされるのは時間の問題であった。
「ふざけやがって!」
砂と漆喰、泥で茶色くなったドゥワルデの機神が壊れた建物の隙間から機関砲を乱射し、反乱軍の飛竜を迎え撃つ。一方、突撃してくる反乱軍のドゥワルデの砲撃を気にしない。小さな砲弾をいくら貰っても一級戦列機はほとんど傷みがない。そして。父娘の上に爆雷が撒餌のようにして撒かれた。父親も娘も一歩も動くことができない。絶対絶命の『詰み』の一手であった。
「まずいッ!」
次女は落ちてくる爆雷を凝視している。ドラム缶のような形をした金属の筒。時間の流れが急にゆっくりになったように次女のドゥワルデには思われ、そこで、少女は自分のほうに向かって落下する爆薬の缶詰の継ぎ目が見えたような気がした。と、次の瞬間のこと。ドゥワルデの見ている前で、青空に放物線を描いて落下してくる爆雷の軌道が突然に狂った。まるで何かがぶつかったようにして爆薬の缶詰が弾き飛ばされ――そのまま、空中で大爆発をする。
「な、なんだ……」
ドゥワルデの感じた『不思議』。それは、その場にいた敵味方すべてが感じた同じ感覚であった。いったい何が起こったのか。何故、爆雷は目的を果たすことなく空中で爆発してしまったのか。疑問の正当を一番最初に見出したのはカールクエイツの当主であった。
――来たな……。
父の呟きに、娘ははっと我に返り、そこで、奇跡を起こした人物の声が一般回線を通じてその場にいたすべての人々の耳に届くことなった。
――はッ!エラートの領袖が、地べたを這いずってるなんて、まったくだらしないったらないよッ!
大喝するようにして女性の叫び。娘はようやく何が起こったか理解し、一方、ルイ・グランデールの配下達はまだ何が起こっているか分かっていない。そして彼らが事態を理解するよりも、真っ赤にカラーリングされた重武装の機体が戦域に飛び込んでくるほうがはるかに早かった。真っ白い光威砲の弾丸が飛び、ぼんやりしていた反乱軍のドレイクが一機、首の中心、延髄の部分を打ち抜かれて空中分解する。女の狂った笑い声が通信回線を通して響いた。
――あははは、はははッ!死ね死ね死ね!
グランデールの側はようやく敵に増援があったことを理解する。重武装、重装甲、光威砲を四門も積んだ紅い一級戦列機。機体の背中の部分にはツェルニーの紋章である『ネコザメ』が描かれている。紅いドレイクの乗り手は狂笑とともに宣言した。
――随分とうちのものが世話になったようじゃないか!糞共め、自分で舌噛んで死ぬか、あたしに頭を撃ちぬかれるか、どっちか好きなほうを選ばせてやるよ!感謝しな!
戦場の狂える女神は笑って光威砲の出鱈目に斉射する。グランデールの機士達は狙いも何もない、めちゃくちゃなジュディスの射撃に一瞬怯みながら、それでも編隊を崩すことはなかった。重武装とはいえ、たった一機。二機が三機になったところで反乱軍の優位は変わらない。げんに、地上に降りた二機は動くことも難しいくず鉄のようになっているではないか。取り囲んで撃ち込めばそれほど恐ろしいことはない。反乱軍の機士達は割合に冷静に、遅れてやってきた紅い機体に殺到し、これを撃破しにかかる。だが。状況がそうは簡単ではないことを、上空で待機していたルイ・グランデールだけは気がついていた。
爆弾を抱えて国都上空を旋回していた機士の中の機士は視界が広く――そこで、白い機体がそうであったように、紅い色をしたドレイクもまた囮である事を理解していたのだ。 「いかん……」
遥か遠く。地表すれすれを飛んでいる米粒のような黒い影に髭の機士は誰よりも早く気がついた。碧色をした広い翼面積を持つ機体。独特のフォルムを持つ機体のことをグランデールも知っていた。滑空能力に優れた超長距離狙撃用の機体。
「ランスワグナ!気をつけろ!撃ってくるぞ!」
ルイ・グランデールは喚いて部下の注意を喚起したが、警告が一瞬遅かった。碧色の機体に搭載されていた長い砲身を持つ長距離ライフルが火を噴く。強力なスピンを貰った砲弾はそのまままっすぐに飛翔し、グランデールの配下の機士が駆るドレイクの一機の翼の先を粉砕した。ゲルは直ちに修復され、そこで被弾した機体は墜落だけは免れることが出来た。
「何という腕……」
ルイ・グランデールは呟いた。もしも、髭の機士が警告を発しなければ、狙撃は成功し、反乱軍は仲間を一人失っていたはずである。
「だが、そうそう好きにさせはしない」
ルイ・グランデールは厳しい顔のまま言った。もとより彼もまた援軍になりえる兵力がカールクエイツの兵力五機ということを知っている。そのうち二機はすでに潰したも同然。新しくやって来た二機も同じ要領で囲んで潰してしまえばよい。とにかく五機。この五機を撃破すれば、少なくとも半日は国都上空をグランデール達が占拠できるのだ。
「各員に継ぐ!カールクエイツを殲滅せよ!勝敗は今。この瞬間に決せられるのだ!」
機士の中の機士は昂ぶって叫ぶ。もう少し、もう少しであるのだ。もう少しですべてが報われる。もう少しで功は成るはず――。
青い光がさらに別の方角、トラム街の方向から一発、まるで流星のようにして飛んでくるのがグランデールの眼下に確認される。
「光威弾!気をつけろ、また来るぞ!」
反乱軍の首魁は叫んで警告し、一方、カールクエイツの狙撃をかわした後ということで気が張っていた反乱軍の兵士達はこの第二撃をなんなく避けることができた。
「最後の一機か……」
グランデールは苦々しく呟いた。カールクエイツの五機。これで、全機が揃った計算になる。小賢しい狙撃を貰うのはグランデールとしても面白くはないが、相手の駒が確認されたことで逆に落ち着くということもある。もう、これ以上に敵が増えるということは無い。これが本当の打ち止め。
「ソーン。ブリュネー、ゼラ、トラム街だ。カールクエイツ最後の一機はそこにいる!撃破してこい!」
ルイ・グランデールはカールクエイツ最後の一機を視認していない。恐らく、白と青のようにして地上に紛れ込んでいるのであろう。あと一押しということで髭の機士の声も自然と大きくなり、指示を貰った機士達もそろそろ自分の受け取るだろう報酬のことが気になりだしている。そして、運命の歯車が逆回転を始めたのはまさにこの時であった。敵を狩り立てるべく動き出した三機の勢子に向かって、突然、無数のつぶてが飛んできた!
電磁弾の青にライフル弾の赤。続けざまに地上からの狙撃があり、そこで、一番先頭を飛んでいたソーンという名前で呼ばれた機士の機体がぐらついた。ソーンは確かにライフル弾を避け、電磁弾も直撃を免れたはずであった。だというのに、機体が一瞬、安定を失う。
「炸裂弾!」
ルイ・グランデールは叫んだ。電磁弾には空中で破裂し、無数の子弾丸をばら撒く特殊な対空砲弾が使われている。ソーンは電磁弾本体を避けることはできたが、この小さな子弾丸にやられたのだ。そして、ツェルニーの娘は相手のふらつきを断固として見逃さなかった。まるで隼が鳩を引っつかんで喉を食い裂くようにして、赤い機体が急上昇し、光威弾をソーン機に叩き込む。一斉射撃を至近で貰った反乱軍のドレイクは文字通りの串刺しになり、空中で分解して四散した。
――あはははッ!死んだ死んだッ!まったく屑に相応しい末路だよ!
死者を鞭打つようにしてジュディスの高笑いが聞こえ、一方、ルイ・グランデールは僅かに動揺している。敵弾の数から逆算すると、どう考えても、狙撃をしてきた相手は一機とは思われない。複数、最低で、二機、場合によってはそれ以上ということになり……。
グランデールは足し算に追われ、その算術を邪魔するようにして再びトラム街の方角から砲弾が飛んでくる。赤く焼けたライフル砲弾は、首魁に輪をかけて動揺している反乱軍の機士達を狙い撃ちにしている。
「おのれ、いったい、どこの部隊だ……」
ルイ・グランデールは呟き、そして、僅かに怯んでいる髭の機士にも地上からの伏兵から取って置きのプレゼントが贈られる。青く輝く電磁砲の弾丸が、一人高度を上げて飛んでいるグランデール機を狙って飛んで来たのだ。
「……ちッ」
髭の機士は翼を畳み、自機と、自機に積んだ爆弾の重さで一気に高度を下げ、そこで炸裂弾の効果範囲を脱する。
「ブリュネー、ゼラ、バルデス、私について来い。敵を確認する!残りはテュケラ殿に任せる。カールクエイツを殲滅せよ!」
いったい何が起こっているのか。ルイ・グランデールは我が目で敵の姿を見て、状況を判断しなければ気が済まなくなっている。
――いったいどこの部隊だ?ビアクか、それても、国教の坊主共?南に張り付いた連中がこんなに早く戻ってこられるわけはないし、連中が動いたという情報は聞いていない……。
だとすれば、トラム街にいるのは誰?
――駄目だ、外れか……次、次行くぞ!
バアドクレアの耳にエルマの叫びが聞こえる。
――もう少し、向こうのスピード、なんとかならないの?
ファーラも声にエルマが吠えて返す。
――なるわきゃないだろーが!
そして、バアドクレアが出来るのはただ盾を構えて敵の襲撃に備えることだけであった。
「実戦……本当の、本当の実戦……」
バアドクレアは呟いた。右手に握られているのは携行機関砲を縮尺コピーして硬化したゲルの塊。射程が短い機関砲ではバアドクレア達が防御陣を構えるトラム街から敵を狙うことはできない。
「敵が来るのを待つんだ……敵が来るのを……」
バアドクレアは独り言を言い続ける。キメラの少女は恐怖をあまり感じていない。やるべきことが多くて、何かを感じる暇がないのだ。
――よし、二番街から、四番街に移動!もたもたするな!
一斉射撃を終えた見習機士達に上空高いところに陣取った飛空船から指示が下る。同じ所にいては、反撃を貰いやすくなる。とにかく動いて、動いて、相手を撹乱し続ける。セプティアは練習機であり、小型機であったから、トラムのような道の狭い商業地を走り回ることにそれほどかさばることがない。道路から道路、路地から路地。機士見習達は上手にゲリラ戦を戦っている。
――行くぞ!
右手に携行機関砲を抱えたリンツが号令をかけ、そこで、機士の見習達は一斉に動き始める。先頭はリンツ、ビーステアとファーラが続き、重い電磁砲を担いだシエルとエルマがそれを追う。バアドクレアとミューネがしんがりを務める。
南から北へ。四番街。バアドクレアが倒れた時にトリセルディがシチューを買いに行った店が見える。
――よし、そこでいい!
上空から教官が吠える。街を使った実弾使用の将棋戦。指揮官であるミランもいつも以上に声が出ている。
――対空砲撃を始める。急げ!
指示を貰った生徒達は素早く機体を走らせる。リンツとファーラが先頭に立ち、左右をミューネとビーステア、後方をバアドクレアが頑張って盾を掲げる。四方の防御を固め、その内側にあるエルマとシエルを守り――砲撃が直ちに始められる。
――機体のモニターに浮かぶサイトを敵機に合わせてトリガーを引く。
商人はそのように武器の扱いを簡単に説明してくれたのだが、実は簡単なことが一番難しいのだ。敵機は小うるさいハエのようにぶんぶんと飛び回り、なかなかこちらに狙いを絞らせない。生徒達は実弾はおろかゴム弾を使ったこともなく、そこで射撃の要領がいまいち飲み込めていない。それでも、上空の飛空船からは指令だけは降りてくるのだ。
――よし……いいぞ、いくぞ!
エルマの機体が砲撃をしようと電磁砲を構える。次の瞬間、青い砲弾が耳障りな金属音とともに発射される。狙ったのは赤い機体を追いかける反乱軍の一級戦列機。青白い光の弾はまっすぐに敵機のほうに飛び――そして、外れた。それでも、生徒達は諦めない。
――次!
エルマの叫びに、シエルが砲のトリガーを引いた。青い火花と共に炸裂砲弾が発射される。ビーステアが、ミューネが、ファーラが一斉にライフル弾を発射してこれに続く。
下手な鉄砲も数を撃てば当たる――というわけにはいかず、子供達の弾丸はすべて的を外すことになった。だが、それで十分であったのだ。砲撃に気をとられたグランデールの部下は一瞬、自分が追いかけている獲物のことを失念し――そこで、赤い機体から手痛い反撃を貰うことになった。牝鮫ジュディスは夫と娘を痛めつけた相手を許す気は全くなく、光威弾が無慈悲に反乱軍の機士を貫くことなった。硬い防備がなされた一級戦列機も四連の光威弾をコクピット中央に集められてはいかんともしがたい。熱線を喰らったドレイクのコクピットは中に乗って機士もろともに熔けて蒸発し、主を失った機体はまるで打ち上げ花火の残りかすのようになって四散する。
――よしッ!やった!
敵を撃ち落すことはできなかったが、結果は上々。敵機が消し飛んだことに、ミューネが珍しく歓声を上げた。にわか作りの防空隊は士気がだんだんに高まり――一方、グランデールの部隊は明らかに動揺をしている。気がつけば少しずつ少しずつ仲間が消えていく。そして、カールクエイツの側は、特にジュディスは意気軒昂である。
――泣きながら地獄に落ちるといいさ!
ジュディスのひどい罵り声は生徒達も通信回線越している。トリセルディの母親の悪罵に堪えいひいもであるのだが、戦場で聞くと、不思議と嫌な気分はしない。否、これは、バアドクレアたちが味方であるからそう思われるのであろう。嘲られ、怒鳴りつけられ、罵声をぶつけられるグランデールの側にしてみれば、このジュディスの叫びは実に不愉快なものであり、心理的に嫌な影を落とす言葉の爆弾とも言うべき代物であったのだ。
そして、少しずつ焦りの色が濃くなった反乱軍の機体に超遠距離から砲撃が浴びせられる。長い砲身をもつ狙撃砲。碧色をした機体を操るユーニスが放った一撃であった。機士見習達のものとは比べ物にならないほどに正確で無慈悲な一発は、地上にいる白い機体を狙うか、それとも新しく増援にやってきた赤い機体を狙うか、どちらにするか逡巡するようにして中途半端な高度で飛んでいた二級戦列機の頭を叩き割り、バランスを失った反乱軍の機体はそれを操る機士の悲鳴と共に失速し、そのまま民家に激突、大破した。
すでにグランデールの配下は六人が戦列から去っており、残っているのは十二機。一方、にわか作りの防空隊は上空を飛ぶジュディスとユーニス母娘、地上にいるセプティアが七機の計九機――。機体そのものの性能だけを見れば、総合力はグランデールの側にある。一方、バアドクレア達には地の利があり、自分達の戦力を把握されていないというアドバンテージがあった。上空を行くグランデール達はまさか、自分達を狙い撃ちしているのが機士学校の小型練習機であるとは知らないし、練習機を操っているのがひよっこの学生達であることも知らない。
――いったいどれほどの機体がどれだけあるのか。
不安は、反乱軍の側に大きなプレッシャーとなる。だからこそグランデールは我と我が目で自分達を狙撃する小賢しい連中の姿の確認に動いたのである。果たして、髭の機士は愛機をぎりぎりの戦速で走らせ――そして、トラム街に陣取った小さな機体に歯噛みすることとなったのである。
「あれか……」
盾を構え、陣形を保つ小さな練習機。一級戦列機に全長で三分の二、重量で半分にも満たない小型の機体。それが、反乱軍を惑わせる不確定要素のすべてであった。
「民間機か?あんなものを持ち出してくるとは……」
戦闘に使うには小さすぎる機体に武装を施し、足りない装甲は盾で補い戦力に転化するというような発想は国軍の人間にはない。間違いなく武侠集団の手口であろう。
「賢しらな真似を……」
まんまとペテンにかけられた自分自身にルイ・グランデールは腹を立て、一方、地上で輪形陣を組んだ小さな機体は急速に接近するグランデールとその部下達に一斉に砲撃を加えてくる。
電磁砲とライフル砲弾。ルイ・グランデールは砲撃をしなやかに避け、首魁についてきた機士達も同じように砲撃を回避する。
――それほどの腕ではない。
全くの素人ということはないだろうが、戦場を経験したベテランのものとは程遠い、お粗末な攻撃。ルイ・グランデールはすでに六人の部下を失い、焦りを感じ初めていたが、その焦りも実際に敵の内実を確認したことで薄れ始めている。
奇策はしょせん奇策。まともにぶつかることが出来ないからゲリラ戦をするのである。だとすれば、奇兵には正面からぶつかって押しつぶせばいいだけのこと。
「これより、地上にいる小型機を殲滅する!」
グランデールは部下に指示を出した。一つ一つ敵を各個に潰していけば、それほど恐ろしくはない。機士は確信をもって言葉を付け足した。
「時間をかけるな!一瞬で粉砕せよ!」
「来た……」
グランデールがバアドクレア達を認識したように、バアドクレアもまたグランデール達を認識している。重装備の一級戦列機。カペルヴィアストルの見習達が乗っている練習機の倍の質量を誇る空の凶器。バアドクレアもそうだが、生徒達の緊張が一瞬にして高まる。
――くそったれッ!
エルマが罵声と共に電磁砲を発射する。的が接近して大きくなっているはずなのに、砲弾が敵を捉えることはない。今度はスピードが速すぎて、追いつかないのだ。
――撃ってくるぞ!
リンツが叫ぶのがバアドクレアにも聞こえる。髭の機士と、その部下計四機。巨大な悪魔は地上からの砲撃を嫌って、アウトレンジから攻撃を加えてくる。学生達はあっという間に守勢に立たされることとなった。
硝煙が立ち昇り、砲火がストロボのようにして輝く。ファーラも、リンツも必死になって盾を上空に向けて砲撃を防ごうとする。弾丸の伝わる衝撃で小さな練習機の膝が軋み音を鳴らす。
――この盾……どれぐらいもつの?
ファーラの悲鳴が響き、そこでビーステアの叱咤が飛んだ。
――舌を噛みますわよ!黙ってなさい!
生徒達の機体上空を反乱軍の兵士達は煩く飛び回り、砲弾を情け容赦なく吐き散らかす。東から西、来たから南。動きの遅い地上の練習機をルイ・グランデール達は狙い撃ちにする。
――畜生!
盾の内側にしゃがみこむようにして砲撃を避けていたシエルの機体が立ち上がり、電磁砲を発射する。出鱈目、というほどではないが、照準も合わせない適当な見切り発射であった。だが。これが、思いもよらず、接近しようとしていた反乱軍の機体に真正面から直撃することとなったのだ。翼の根本を吹き飛ばされた一級戦列機はバランスを崩し、生徒達の頭の上をかすめるようにして市道の真ん中に頭から墜落していく。
――やった!
シエルは喜びの声をあげ、それは、他の生徒達も同じであった。初めて、学生達は自分達の手で敵機を撃墜したのだ。もっとも、事はそう簡単ではないらしく……。
――あ、あれ、あの機体、まだ生きているよ!
翼を打ち抜かれた一級戦列機は墜落地点である市道の上にもっさりとした動作で立ち上がり――そのまま飛竜から機神へと形態移行を開始する。敵の機士は小生意気なチビ共を地上戦で粉砕するつもりであるらしい。
「来る……」
バアドクレアは自分の目の前に落ちてきた機体を前にして呟いた。仕事の場面であった。キメラの少女は小さな機体の中で機関砲のグリップを握りなおして、砲口を形態移行がなされた敵機に向ける。
やらなければやられてしまう。キメラの若者はトリガーを引き絞る。火薬が炸裂し、焼けた砲弾が星のようにして飛ぶ。機関砲の震動がゲルの内部に伝わり、薬莢が飛び散る。バアドクレアの放った弾丸は敵の機体に吸い込まれるようにして命中する。だが。
「!」
機関砲の弾は確かに敵機に命中している。だが、装甲の硬い一級戦列機は、小型の携行機関砲の弾丸を弾き返してしまう。
「だ、だめだ、効かない……」
バアドクレアは慌てる。敵の機体はロッドと呼ばれる機神専用の槍を構え、盾を構えた学生達ににじり寄ってくる。
いったいどうすればいい?どうすれば、相手を倒すことができる?キメラの少女はトリセルディのことを思った。黒い髪の野人であればこのような時にどうする?相手の防御は固く、砲弾で撃破をすることはかなわない。
――撃破する必要はない。
相手の機士を殺さなくても、相手が動けなくなればそれでよい。襲ってこなくなれば、それで十分。トリセルディ・エラートならばそのように考えるはず。バアドクレアはそこでもう一度引き金を引いた。今度は相手の胴体ではなく、腿、形態移行という飛竜の機能から装甲をどうしても薄くせざるを得ない腿の部分を狙ったのだ。速度の出る軽い弾丸が飛び、反乱軍の機神の内腿のゲルが削られていく。やがて、バアドクレアの放った弾丸の一発が、敵の機体の膝上、ほとんど装甲のない関節の部分を打ち抜いた。大型の機神がぐらりと揺れ、足が止まった。そして、その時のことであった。相手が動きを止めたのを見たのだろう。エルマの機体が振り返る。
――バアドクレア、頭を下げろ!
猫のような娘はそのように警告を発し、そこでバアドクレアは機体をその場に跪かせるようにしてゲルの中でしゃがみこむ。キメラの少女の動きをトレースした小さな練習機は銃と盾を構えたまま中腰になり、エルマは至近距離から電磁砲を発射する。青い火花が飛び散り、砲弾が飛翔する。足を打ちぬかれた敵の機体は、恐らくそれ以前から、中の機士が傷でも負っていたのだろう、エルマの必殺の一撃をかわすことができなかった。青い砲弾は一級戦列機の首から上を吹き飛ばし、頭を失った反乱軍のドレイクは融解するようにしてその場に崩れ落ちた。
――よしッ!
エルマの歓喜する声が聞こえる。だが、その喜びの声はすぐに悲鳴に変わることとなった。バアドクレアがしゃがんだために盾による防壁が途切れてしまい、そこに反乱軍の機体が銃弾を放り込もうとしてきたのだ。防備のないエルマ機は格好の的となっている。
――まずい、来るッ!
エルマの悲鳴に応じたのはビーステアであった。盾を構えたクオレルリオンの姫君はバアドクレアとエルマの間に割って入るようにして敵弾を防ぐ。
鈍く重たい金属音が二度響き、そこで敵弾の直撃を貰ったビーステアの盾がひしゃげることとなった。弾き返された砲弾はそのままあらぬ方向に飛び、一つは市道に突き刺さって止まり、もう一つは近くの民家の屋根を吹き飛ばす。
――貸しに……貸しにしておきますわよ!デル・カロッツァ!
通信機を通して聞こえるビーステアの声には凄みが感じられる。エルマは令嬢の宣言にちょっと笑ったようにして応える。
――すぐに……すぐに返してやらあ!
いがみ合いながら、通じるときには通じ合う。女同士、なかなかに微妙なものがあるらしい。
「ビー、助かったよ!」
バアドクレアは、そのように言うと、さきほどまでビーステアが守っていた部署に機体を走らせ、破綻しかかった防御陣を再構築する。
――やっぱり、一度、経験したことは大きい……。
バアドクレアは敵弾を必死に抑えつけ、今のところ職責を完全にこなしている仲間達を見やって思った。経験があるからこそ、体が動く。ミューネも、ファーラも落ち着きを失うことなく上空の敵機に砲撃を続けている。
そう考えれば、王立機士学校の生徒にバアドクレア達は感謝をしなければならないのかもしれない。
バアドクレア達は経験を自分達の守りが崩れない要因と考えていたが、上空のルイ・グランデールは別の意見であった。
「なんと硬い盾だ……」
機士の中の機士はドレイクの兵装についてもよく知っている。だが、髭の機士が小型の練習機の盾を見るのは実はこの時が初めてであったのだ。軽く、薄く、その上に滅法硬い。
この盾はゼーノ武器商がビルブセザンという甲冑職人と共同で開発した最新兵器であったのだ。これで守られた機神は完全な移動トーチカと化している。
「いったい、どこで、あんなものを……」
髭の機士は忌々しそうに舌打ちをした。盾もそうだが、的が小さいということも、グランデール達のやり難い原因となっている。何もかもが反乱軍にとっては不利に働き――気がつけば、髭の騎士が苦心惨憺集めた反乱の伏勢は半数近くが撃破されてしまっている。防衛側も焦っているが、反乱軍のほうは焦るというよりはむしろ恐慌状態に近づいている。
増援でやって来たカールクエイツの赤い機体は健在だし、翼面積の大きな碧の支援機も生きている。そして地上の練習機の部隊はトーチカに守られて無傷。髭の機士は物凄い逆風をなんとしてでもやり過ごす必用に迫られている。
ルイ・グランデールは決断を迫られ――そこで、髭の機士はあることに思い至った。国都上空を飛空船が飛んでいる。ゼーノの武器商の船であることはルイ・グランデールにも船に描かれた蜜蜂の紋章から理解している。
「そうか……」
機士は移動トーチカからつかず離れずに航行している船が指令船であることに気がついたのだ。視界が広い上空から、飛空船が情報を逐次下の練習機に伝える。下の練習機はこれに従って動く――。
「……気がつかなかった」
グランデールは苦い顔のまま呟いた。恐らくは反乱軍の機士達の中には、これまでにこの小さな飛空船の存在に気がついたものもいたはずである。ただ、彼らはこのあまりにも小さい指令船がそのような大それた任務を負うているとは思いもしなかったのだ。なんとなれば、飛空船は武装も装甲もなく、ドレイクと交戦すれば、まず間違いなく一撃で撃沈の憂き目を見るからである。だから、誰一人としてこの無謀な飛空船のことを気にもとめず――そして傷口を悪戯に広げることとなった。
「頭を潰さなければ駄目だ……」
グランデールはそのように自分に言い聞かせるようにして言い、そこで、高度をとった飛空船に自機を走らせる。頭を潰した後には、忌々しい小バエのような連中を最後まで残していた爆弾で吹き飛ばす。お世辞にも綺麗な手口とはいえないが、すでに髭の機士は悪事に大いに手を染めており、今更に自らを飾る必要もなくなっていた。
髭の機士が駆る一級戦列機は尾を振って方向転換をすると、一気に飛空船との距離を詰める。
武装もなければ、防弾設備もない丸腰の相手。だが、襲う側、山賊の首魁には躊躇いのようなものはなかった。
「畜生、あのカリオペ……あれは、グランデールの機体ですぜ!こっち、向かってきます!」
狙われる側も反乱軍の実戦部隊長の接近に気がついている。真っ青な顔で飛空船を操る操舵手は危機に脂汗を流し、子供たちの指揮を執る女教官も顔を強張らせる。非武装の飛ぶ空船は撃たれれば一瞬で決着がつく。ミランもゼーノも船の乗組員も揃って壮絶な火の玉心中ということになる。
「見つかったか……」
ミランはそうなるのではないかと予期して船に乗り込み、一方、ゼーノのほうは何も言わない。
泣こうが喚こうが博打は勝ちと負けで終わる。ゼーノはリスクは高く、ゲインも高い『のるそる』の目に張ったのだ。もちろん、商人はある情報を集め、よくよく考えたうえでエラートに賭けたのであるが、その努力も無駄であったか。
「だ、だめだ、逃げられねえ!」
無骨な操舵手が泣き声を上げる。ゼーノは低い声ですごむようして言った。
「がたがた喚くな」
――まずい、教官のほうに一機行ったぞ!
リンツの叫びが通信機を通してバアドクレアにも聞こえた。
地上で輪形陣を組んでいる生徒達も上空の異変には気がついている。隊長機らしいドレイクが一機、羽ばたいて臨時の指令船に向かっている。
――船には武装がない!
ハイメリオンの貴公子は叫んだ。一発貰えばその時点で飛空船は終わりであるのだ。
――ちくしょう、撃墜してやる!
エルマが喚いて電磁砲を急上昇をかける一級戦列機の背中に向ける。
――一撃で撃ち落してやる!
いきり立つエルマをファーラが押さえる。
――射線上に教官の船が入る!下手をすれば、砲弾が船に当たるわよ!
生徒達は混乱し、そして、その混乱の中、ビーステアが味方に当たるかもしれないという『瑣末な』ことを無視して対ドレイク用ライフルを発射する。弾丸はグランデールの機体を捉えることもなければ、教官が乗る指令船を破壊することもなかった。
「ビー、教官に……教官に当たったらどうするつもりなんだよ!」
バアドクレアは何の躊躇も見せずにライフルを発射したビーステアを思わず非難する。 ――おだまりなさい!アスペンブロウ!
ビーステアはバアドクレアの叱責に興奮して怒る。
――なんとかしないと、本当に船はやられてしまうのよ!
令嬢は激昂して叫んだ。クオレルリオンのお嬢様はまだ怒鳴り足りないのであろうが、ヒステリックな怒声はすぐに、悲鳴に変わることとなった。
グランデールの部下となるドレイクが二機、南北から挟み撃ちにするようにして生徒達が作った陣地を砲撃してきたのだ。激しい連射に盾を構える練習機の膝が軋む。
――も、もちこたえられない……。
ミューネの弱気な呟きが、通信機を通して聞こえ、そこで機士見習達は全員が一様に黙り込む。もはや教官を救うどころの騒ぎではない。バアドクレアも歯を食いしばって盾を空にかざす。
なんとかして、この窮地を乗り越えなければならない。窮地を乗り越えなければならないのだが……。
砲火に圧されてたじたじとなってる学生達を尻目に反乱軍の首魁は自機を急上昇させる。
「よく戦った。敵ながら、褒めてやる――」
一級戦列機のゲルの中、グランデールは呟く。髭の機士は背中越しにライフル弾が一発飛んできたのを知っている。だが、歴戦の勇士はすでに地上の機士達が並以下の能力しかもっておらず、射撃の腕も劣っていると見切っている。果たして初心者の銃弾はグランデールの機体を大きくそれて雲間に消えていった。
「こちらもいつまでも諸君らにかかずらっている暇はないのだよ!」
山賊の親分に成り下がった機士はトリガーに指をかける。国都を必死に守ろうとする人々にとっては魂が凍りつくような瞬間であった。そして――。
――あっ!
小さな声が通信回線を通して聞こえる。ミューネの呟くような囁くような声。変態少女小説家は盾と盾の隙間から何かを見とめたのだ。
それは青空を切り裂いて飛んでくる黒い鷲であった。翼の先端からスモークを流しながら飛翔する大型の一級戦列機。翼の先端から流される煙の色は赤と黒。信号の意味は明確にして簡潔。
――刃向かうものは撃滅する!
高速で戦域に飛び込んできた黒い機体の乗り手は小船とグランデールのドレイクの間に自機を割り込ませると回線を通して、こう叫んだ。
――おっさん、あんたの相手は俺がしてやるぜ!
バアドクレアはその声の主をよく知っている。何故ならば、その人物は彼女が一番信じ、頼りにしている人物であったのだから。
「トリセルディ!」
バアドクレアの声は多分トリセルディにも聞こえていたはずである。だが黒い髪の野人はバアドクレアの呼ぶ声には応えず、代わりに、国都を荒しまわる狼藉者に向かって光威砲の砲弾を熨斗紙にしてこう宣言した。
――病院では結構痛い目見せてもらったぜ!あの時の決着をつけようじゃねえか!
トリセルディの声には不安のようなものは全くない。
――彼、戻ってきたわ!
トリセルディの帰還にファーラは歓喜し、一方、ビーステアはまたも不満を漏らす。
――あの人、本当に頭に来るわ!なんでいつもいつもこんなに待たせるのよッ!
令嬢の憤りは凄まじく、そのあまりの荒れっぷりを恐れて従兄のリンツを含めた学生全員がビーステアの言葉を聞かないふりをして耳を閉ざす。
もっとも。トリセルディにはトリセルディの言い分があっただろう。エラートの若者には弾丸が切れた父親の下に予備の弾薬を運ぶという使命があったのだ。敵の砲火を潜りぬけて父親と接触し、ガンポッドに弾薬を補充するのは手練であるトリセルディにも骨の折れることであったのだ。
かくして、激しく揺れる運命のシーソーはトリセルディの戦列参入で再びバアドクレア達の側に有利に振れて来る。弾薬の補充がなったカールクエイツの白い機体も再び空に舞い上がり、鬼のような牝鮫殿と連携して、反乱軍に反撃を開始している。
――おっさん!剣で正義は殺せねえぜ!勝負だッ!
トリセルディは機体を急降下させて、反乱軍の首魁に真正面から挑みかかる。ルイ・グランデールはそこでようやく、自分と向き合っているドレイクの乗り手を思い出すことになった。
――剣で正義は殺せない。
病院地下で出会った斧を使う若者。殺せるときに殺しておけばと思ったところですでに遅い。
「あの時の……」
行く手を遮られたことで髭の機士は飛空船の撃沈が限りなく不可能に近くなり――。そこで、反乱軍の首魁は若造が操る黒い機体に向けてドレイクを走らせる。それにしても。要所要所で反乱軍の行動に的確に楔を打ってくる武侠の第一党の機動性が髭の機士にはなんとも疎ましい。
「バルデス、指揮を任せる!地上にいる連中を殲滅せよ!」
グランデールは部下に指示を出し、それからトリセルディに向かって呼びかける。
「小僧……相手になってやる」
髭の機士が吠える。ルイ・グランデールは自分達が分水嶺に立っていることを理解している。ここが踏ん張りどころ。ここを落とすと取り返しがつかないことになってしまう。それと同時に髭の機士は自分が対峙している若者の技量が並をはるかに越えているということも理解している。髭の機士はそこで迷うことなく機体の腹に取り付けてあった爆弾を空中に投げ捨てた。足枷をつけていて戦える相手ではない。そのような判断はグランデールとしては当然のことであったが、地上にいるバアドクレア達にしてみれば、機士の決断は迷惑なものでしかなかった。
――爆弾が……。
ファーラが言った。
胴の長い凶器が緩い放物線を描くようにして地上に落下してくる。バアドクレア達がトーチカを組む地点から一ブロック先。市道の中央に爆弾は落下する。
――着弾するぞ、衝撃に備えろ!
リンツが喚き、そこで生徒達は爆発に備えて盾をかざしたままその場に機神をしゃがませる。次の瞬間、まるでトランポリンに乗っているような衝撃がバアドクレアのことを襲った。赤い炎がバアドクアの背後で噴煙と共にあがり、衝撃を貰った民家が一件本当に倒壊してしまった。瓦礫が飛び散り、学生達がかざしている盾に火山岩のようにして石屑がばらばらと音を立てて降ってくる。
――ば、馬鹿じゃないの?
ファーラはめちゃくちゃをやる爆弾男に呟き、トリセルディはもっとストレートに怒りを反乱軍の首魁に通信を通してぶつけた。
――おっさん、てめえ、何、考えてやがる!街中に物騒な物を落としやがって、あぶねーだろうがッ!
トリセルディの罵声にグランデールは応えなかった。応えるだけの余裕がもはや髭の機士にはなかったのだ。
上昇急加速する髭の機士と翼をたたんで最大戦速で下降する黒い機体。
無言のまま髭の機士はトリセルディの機体の真正面から自機を寄せ――そのままトリガーを引く。真っ赤に灼熱した重バルカンが青空にミシンをかけるようにして飛び、一方、攻撃を予想していたトリセルディは自機を揺らすようにして砲撃を避けた。昇る機体と降りる機体。両者が翼の先が触れ合うほどの超近距離をすれ違った。朝日にトリセルディの黒い機体がきらりと光りを照り返す。
――うまい……。
エルマの声が通信機を越えてバアドクレアの耳にも届く。二機のドレイクはどちらも速度を落とすことのないままに飛翔を続ける。上昇を続けるルイ・グランデールのカリオペはミランが乗っている指揮空の脇をかすめると反転、降下を開始し、一方、トリセルディの機体は地上すれすれで大きく一度はばたいて、一気に急加速、上昇を開始する。両者、再びの正面からの激突であった。
グランデールは地上に弾丸をばら撒くことに躊躇いはなく、一方、トリセルディのほうは明らかに国都に被害が出ないように配慮をしている。先ほど、グランデールの砲撃に、トリセルディは回避運動をしただけで反撃をしなかったのも『できなかった』のだ。
果たして、トリセルディは髭の機士がばら撒く重バルカンの砲弾をかいくぐって、お返しの光威弾を発射する。
「当たるものか!小僧!」
真っ白い光の弾を髭の機士は翼を完全に畳んで避け、ここで再び上昇する機体と下降する機体がぎりぎりの距離ですれ違う。
「そんな攻撃で私を墜とせると思っているのか?」
グランデールは罵りながら、真正面からの撃ちあいを嫌って愛機の進路を東に向ける。トリセルディはそれを迷うことなく追尾する。
追われるグランデール、追うトリセルディ。両者揃って機体の限界速度ぎりぎりを搾り出し、命を賭けた追跡撃を繰り広げる。
――トリセルディ!
シエルが仲間に声援を送るようにして叫び、そこに、主の命令を貰った反乱軍の機体が二機襲い掛かってくる。砲弾が飛び、狙いをそれた弾丸がバアドクレアたちの足元でまるで雨粒のようにしてはじける。だが、学生達が浮き足立つということは無かった。敵のドレイクは四機から三機、さらに二機に減ったことで、バアドクレア達にも余力が生まれてきている。
――大丈夫か?
ようやく危機を脱した上空のミランからも指示が再び入り始め、生徒達の『勝てる』という確信はさらに強くなっている。
――本当に煩いこと!
ビーステアが盾を掲げたままライフルで応戦し、ファーラやミューネもこれに続く。もはやミランの指示も必要ではない。地上からの猛烈な対空砲火に、上空を旋回する反乱軍の一機が怯み――そして、その怯んだところをカールクエイツの長女が超遠距離から確実に捉えていた。光の軌跡が青空を裁断するようにしてまっすぐに飛び、腰が引けた反乱軍のドレイクの左翼を根本から吹き飛ばした。翼の骨の部分を根本から折られた機体はつんのめるようにして失速し、そのまま地上に落下し、三階建ての民家に頭から激突してぴくりとも動かなくなった。
「ユーニスさん、本当に凄いな……」
バアドクレアは正確無比なユーニスの狙撃にほとほと感心し、一方、生徒達はいよいよカサにかかって最後の一機を狙い打ちにしてこれを追いまくる。集中砲火に嫌気がさした反乱の機士はそのまま、仲間と合流を果たして体勢を立て直すべく、バアドクレア達が築いたトーチカ上空から逃げ去っていく。
――よしッ!
リンツは大いに意気が上がって叫び、それは、他の学生達も同じであった。少年少女はもはや勝った気になっており、そこで、教官のミランが戒めるようにして言った。
――まだだ!気を抜くな!戦いはまだ終わっていないぞ!
バアドクレア達は自分達に向かってきた部隊が別働であることを忘れてしまっている。視線を転じれば、主戦場ではいまだにカールクエイツの部隊と反乱軍が一進一退の攻防を続けているのだ。学生達は局地戦に勝っただけ。まだ戦闘は続いている。
――これより、カールクエイツを援護する。
指揮官の言葉に学生達は非常に素早い対応を見せた。ミューネが誰に言われたわけでもないのにライフルの弾倉を交換をはじめ、他の生徒達もこれに習って次の激戦を戦う準備を始める。実戦は訓練の倍以上の経験を人に与えるのだろう。バアドクレアをはじめ、学生達はチームとして十分に機能を始めており、そしてそのことは上空にいるミランにとっても非常に面白いことであったのに違いない。
「よしっ!」
バアドクレアも弾倉の交換を果たした。国都上空を煩く飛ぶ反乱軍の息の根を今こそ完全に止めなければならない。
一方、トリセルディはグランデールの機体を追いかけて急速に主戦場から離れつつあった。高度はトリセルディのほうが上、髭の機士の斜め後方上をぴったりと張り付いている。射撃の位置取りとしては悪くないのだが、トリセルディはトリガーを引くことはない。トラム街から、シセの住宅街、さらにはラタン。人口の多いいわゆる下町が足元には広がっている。
グランデールはトリセルディの撃ってこない理由を完全に理解しているらしく、そこで、悠々としている。撃てば国都に被害が及び、撃たざれば戦いは終わらない。
「どうすっかな……」
思案したのが悪かったのだろう。トリセルディの目の前で、グランデールのカリオペが風を捕まえるように左右の翼を膨らませる。突然失速した髭の機士の上を踏み越えるようにしてトリセルディのストラブレイドが行き過ぎ、今度はグランデールの機体がトリセルディを斜め後方下から付け狙うことになった。
「くそ……」
一瞬で悪い位置取りとなったことにトリセルディは苦い顔をする。そして、ルイ・グランデールはエラートの若者ように街の人の住居や命、生活のことを考えることはなかった。重バルカンが耳に騒々しい火薬の炸裂音を響かせて砲弾を吐き散らし、トリセルディは左翼を畳むようにして機体を傾け、砲弾を避ける。
――どうした、逃げるしか能がないか?
グランデールが珍しく通信機越しに悪罵をトリセルディにぶつけてくる。あるいは、ジュディスのめちゃくちゃな罵声が、機士の中の機士にも伝播、品性を劣化させたのだろうか?
――糞野郎、地獄に落ちな!
一般回線の向こうではグランデールだけではなく、ジュディスの怒声も聞くことが出来る。叫んでいられるうちは母は生きているということで、息子も安心であるのたが……。
「まいるな……」
トリセルディは母親の常識の無さにではなく、ルイ・グランデールのしつこい銃撃に文句を言った。もっとも、若者がどれほど不平を言ったところで、髭の機士は追撃の手を緩めるつもりはなかったろう。
「結構、機速も出てるぜ……ストラについてきている」
重バルカン砲が火を噴きトリセルディの機体を襲う。若者は黒い飛竜の操縦桿を倒し、機体を滑らせるようにして敵弾を避ける。少しずつルイ・グランデールの照準がタイトになってきている。狙いが合い、リズムがよくなってきたということは、つまり、トリセルディにとっては危ういということであった。
「くそ……」
トリセルディはさきほどグランデールがやったように翼を広げて期待の速度を落としにかかる。うまく行けば、グランデールの機体はトリセルディを追い抜いて追跡する側と追跡される側が入れ替わるはずであった。だが。グランデールの側も読んでいる。トリセルディが機体を失速させたその瞬間を見計らって、髭の機士も期待の翼を拡げて風を捕まえて速度を落とす。結果両者の距離はほとんど変わらず、しかも、的の速度が落ちたことで、髭の機士はリズムを取りやすくなる。
「やべッ!」
トリセルディは読まれていたことに気がつき、慌てる。照準が合い、髭の機士は重バルカンのトリガーを引き絞る。真っ赤に焼けた砲弾が連続で飛び、集中打を貰った黒い機体の右翼先端が吹き飛んだ。バランスを崩したストラブレイドはそのまま失速急降下をしていく。
「くそったれ……」
地上に激突するまでに残された時間はわずかに、一、二秒といったところであったか。トリセルディは操縦桿を引いて必死に機体を立て直しにかかる。姉がそうしたように空中で機神に形態移行をするという選択はトリセルディにはなかった。ルイ・グランデールが読んでいることをトリセルディの側でも理解しているからである。エラートの若者は欠けてしまった翼の先端部のことを頭で計算しながらぶれてしまった機体を必死に立て直し、一方、グランデールは戦いに決着をつけにかかる。トリガーが引かれ、失速したトリセルディに砲撃が行われようとするその時のこと。髭の機士の砲撃を遮るようにして赤く焼けた弾丸が飛び込んでくる。弟の窮地を見て取った姉のユーニスが放った一撃であった。ルイ・グランデールのところからでは米粒大にしか見えない超遠距離からの正確な射撃。結果として狙撃は失敗し、髭の機士は無傷で済んだが、ルイ・グランデールも生意気な若造に止めを刺すということが叶わなかった。
「危ねえところだった……」
トリセルディは胸をなでおろし、そこで、ようやく安定させた黒い機体を羽ばたかせて窮地を脱しにかかる。一方、ルイ・グランデールは諦めることなく黒いストラブレイドを追跡する。グランデールにとっては酷であったかもしれないが、彼の指揮官としてのそれが限界であった。髭の機士は味方を統率してことに当たらなければならない時に、自分が指揮権を持っていることを一瞬忘れて、若造との命のやり取りに没入してしまったのである。否、そうではなくて、グランデールはもとより反乱などという大それた計画がうまく立ち行かないだろうことを心のどかかで認識していたのだろう。無意識の諦めが彼を最後の最後で一介の機士という立場に封じ込めてしまい、そこで戦線も崩壊することになってしまったのだ。一方、カールクエイツの当主は最後まで優秀な指揮官であった。自らの機体を囮に使うような無茶も、援軍がやってくる時間を計算した上での行為であったし、自機の弾丸の補充するタイミングまで考慮している。結果、カールクエイツの側では死者は出さず、学生達に実戦経験まで与えるというおまけまでついている。もちろん、両者には、寄集め部隊と、連携のとれた家族――生徒達の指揮を執るミランもカールクエイツに極めて近しい存在であり、完全にファミリーの一員であった――という違いや、絶対に勝たなければいけない人々と、負けなければいいという立場の差があり、その点では考慮の余地もあるのだが、それでもグランデールという人物は指揮官は一流とは認められなかったのだ。
――おのれ……。
髭の機士が悔しそうに呟くのがトリセルディにも聞こえた。若者は髭の機士がどのような思いで反乱に臨んでいるかであるとか、どういう動機で、誰を思っているかなどということを知らないし、また知っていたとしても相手に手心を加えることはなかっただろう。砲弾を交えるだけの相手。トリセルディにとってはグランデールの存在ははそれ以上のものでもそれ以下のものでもない。
――次は逃さん!
ユーニスの狙撃に水をさされた格好となるが、髭の機士は改めてトリセルディの追跡にかかる。体勢を立て直したとはいえ黒のストラブレイドは小破しており、推進力も旋回力も落ちている。だが。
――うおっ!
今一度、フットバーを踏んだグランデールは彼にしては珍しい呻き声を上げる。再びの狙撃が髭の機士を襲ったのだ。しかも、今回のものは前回のものとは違い、ピンポイントの精密射撃ではない。滅多打ちの一斉射撃、ほとんどやけくそのような対空砲火であった。
電磁砲にライフル弾。とにかく何でもいいからぶちまけてやれといった具合の五月雨は、地上からのもの。バアドクレア達、学生がトリセルディの危機を察知して雨霰のようにして無茶苦茶な援護射撃を髭の機士に見舞ってきたのだ。狙いは不正確であるが、次々に飛んでくる砲弾にルイ・グランデールは出鼻を挫かれている。特に電磁砲弾は空中に投網を打つように点ではなく面で襲い掛かってくるので、髭の機士も回避するのが非常に難しい。 ――煩い連中だ!
髭の機士は鬼の形相で歯軋りをし、一方の学生はまるで砲弾を避けるルイ・グランデールのダンスに合いの手を入れるようにして矢継ぎ早に砲撃を続ける。
――あいつが隊長だ!撃墜しろ!
一般回線は混線し、そこで叫ぶエルマの声がグランデールの耳にも届いたはずである。
――これ以上好きにさせるな!
ハイメリオンの次期当主の声も、機士の中の機士には届いただろう。
――もう少しよ……もう少しで、あいつらをやっつけられるわ!
――撃て、撃って、撃って、撃ちまくれ!トリセルディを助けろ!
ファーラの声、シエルの声。機士は自分を狙っているのが子供であることをそこでようやく認識したのだ。少年少女達にとってはルイ・グランデールは完全で純粋な悪であり、そして、ルイ・グランデール自身も自分の行動がそれほどの正当性がないことを知っている。機士は砲弾にやられる以前に学生達の執念によって打ち抜かれていたのだ。
髭の機士は一瞬、不束な王弟の子息の顔を思い出す。地上からめちゃくちゃに砲弾を飛ばしてくる子供達は恐らく、声の質からハーディと同じ年ぐらいであろう。出来の悪いハーディは自分の父親がルイ・グランデールではないかと疑っていた。機士はその疑いにまともに応えず、と、いうことは、本当にそのような事実はないということであった。出来の悪い息子は間違いなく出来の悪い父親の子であったのだ。髭の機士は、きちんとハーディにそのことを伝えるべきであったとその時になってふと小さな後悔の念にかられる。きっと。それは虫の知らせであったのだろう。そして。
砲撃をかわすことに忙殺され、敵機を見失ったルイ・グランデールの機士の視界に黒いストラブレイドが入ってくる。
トリセルディは翼で飛ぶことを諦め、仲間達が稼いでくれた僅かな時間の間に着陸を果てしている。黒い機体は背中に積んでいた光威砲の砲口をグランデールの愛機に向ける。
「おっさん、あんたの仲間はもう終わりだ。あんた達の策謀も、何もかもが終わったんだ!」
トリセルディはグランデールに呼びかける。視線を転じれば、すでに、反乱軍の機体は三分の一に減っている。士気も低下するばかり。髭の機士達の策動はやはり失敗したのだ。
「おっさん、これが最後だ、さあ、来い!」
トリセルディの黒い機体に手招きをさせる。若者が投降ではなく、最後の一戦を機士に求めたのは、報復のためではない。生き伸びてもろくなことにならない反乱軍の首魁に最後の花道を飾らせようという小さな配慮であったのだ。
髭の機士は雅量を見せる若造に一瞬言う言葉を失い、それから苦笑いを浮かべる。
――エラート殿は……カールクエイツの当主殿はさずかに教育がしっかりしておられる。
髭の機士は笑って呟き、その呟きはトリセルディにも聞こえている。黒い髪をした若者は何も応えずに光威砲をグランデールの愛機カリオペに向ける。
――行くぞ!
ルイ・グランデールは愛機を地上に向けて走らせ、一方、トリセルディはこれを地上から迎え撃つ。重バルカンと光威砲。凶器と凶器が向き合い、一時に砲弾を発射する。赤い弾丸と白い砲弾。人の命を奪うためだけに作られた業の深い道具が飛び交い、石畳を削り、青空を貫く。
そして。トリセルディは目を閉じる。赤い砲弾は若者の機体の頭をかすめ、一方、黒い機体が放った砲弾はルイ・グランデールの乗るカリオペの胸部を貫き、コクピットを粉砕する。主が絶命して果てたカリオペはそのまま空中でばらばらに空中分解する。ゲルが、焼け爛れた骨格が飛び散り、辺りに四散し、トリセルディはそこで小さなため息をついた。 もとよりルイ・グランデールは若者の命を絶つ意思は毛頭無かったのだろう。最初から外すつもりでの斉射。トリセルディもそのことを知っている。だから若者は呟くのだ。
「……おっさん、あんまり格好つけるもんじゃないぜ」
機士の中の機士は、最後まで機士の中の機士であったのだ。トリセルディの物憂い呟きは、しかし、敵の首魁が吹き飛んだことに歓喜する仲間達の声にかき消される。
――やったッ!
ミューネの興奮する叫びがあり、ビーステアの歓喜の声がある。
――隊長機を隊長機を、撃破しましたわっ!
生徒達の気が違ったような歓喜の声は、反乱軍の機士達にも聞こえていたはずである。ルイ・グランデールの機体が消し飛んだことも反乱軍の機士達は見て確認していたであろう。そこに子供達の歓喜の声。決着がついたことにグランデールの配下達の戦闘意欲は完全に粉砕されることとなった。
勝負はあった。
ぼろぼろになった白い機体の主がすべての機士達の前で翼から通信連絡用のスモークをすーっとたなびかせて旋回する。緑色と黒のスモーク。降伏を勧告する発煙信号であった。反乱の機士達はもはや抵抗する意思を持ち合わせておらず、あるものは逃走し、あるものは、運命を悟って地上に機体を下ろしにかかる。
長い時間をかけて練ってきた王弟クリーエフの反乱計画も結局は水泡に帰したのである。




