最終章 株主優待の物語は、まだ終わらない
社長室を出ると、瑞樹ちゃんは、さっそく先日の株式情報サイトの編集担当者に連絡を入れた。
先日、俺たちの株主優待について記事を書いてくれたサイトだ。
今回の依頼は――。
「村山ファンドの意見に対する、私たちの主張を記事にしてもらえないか」
というものだった。
サイトからは、驚くほど早く返事が来た。
もちろん、答えは――。
OK。
瑞樹ちゃんは、意気揚々とサイトとの打ち合わせに出かけていった。
そして数日後。
株式情報サイトに、メガ・ディッシュの記事が掲載された。
その記事を見た俺と佐伯は――。
「……え?」
「……これ、マジか?」
二人そろって、言葉を失った。
もちろん、記事に書かれている内容は、先日の社長室で俺たちが話し合ったものだ。
主張そのものに、嘘はない。
ただ――。
なんというか。
盛りすぎというか。
脚色しすぎというか。
タイトルからして、すごかった。
『株主優待対決! アクティビストファンド vs メガ・ディッシュの美人庶務さん。~私から株主優待を奪わないで~』
「……誰だよ、これ考えたの」
俺が呟く。
そして、そのタイトルの下には――。
憂いを帯びた表情を浮かべる、瑞樹ちゃんのアップ写真。
「完全に主人公じゃん……」
佐伯が呆れたように呟いた。
さらに記事本文を読み進めていく。
瑞樹ちゃんの主張は、こんな内容だった。
『今回、弊社が導入したお食事券は、年間2,000円分。株価300円を前提とすれば、優待利回りは6.67%。これは、株主優待としても破格の水準です。
この数字について、村山ファンドが投資効率の観点から疑問を呈することについては、私たちも理解しています。
数値だけを比較すれば、配当や自社株買いのほうが効率的だという主張にも、一定の合理性があるでしょう。
しかし、株主優待には、数字だけでは測れない価値があります。
私たちが株主の皆様にお届けしたいのは、単なる2,000円分の金券ではありません。
弊社のお店で食事をしていただき、家族や友人と時間を過ごしていただく。
その食事を通じて、メガ・ディッシュという会社を、もっと身近に感じていただく。
それこそが、株主優待の持つ大きな価値だと、私たちは考えています。
株主の皆様と会社とのつながり。
それは、配当の金額だけでは測れないものです。
だからこそ、私たちが今回提供する「お食事券」は、額面2,000円を超える価値を株主の皆様に提供できると信じています』
……。
俺は、しばらく画面を見つめた。
内容は、先日の社長室で話し合ったものだ。
村山ファンドの主張を否定するのではなく、「株主優待には数字だけでは測れない価値がある」と訴える。
「……これ、ほとんど感情論じゃない?」
「まあ……そうだな」
佐伯も苦笑する。
だが、記事全体を見てみると、印象はまるで違った。
巨大なアクティビストファンドに立ち向かう、健気な若き女性社員。
しかも、写真付き。
そのうえ、「優待利回り6.67%」という数字まで、しっかりとアピールされている。
つまり、村山ファンドの主張を認めたうえで、それを逆手に取って株主優待の魅力を宣伝しているのだ。
……なるほど。
これが、瑞樹ちゃんのやり方か。
理屈で正面からぶつかるのではなく、相手の主張すら利用して、自分たちの武器に変えてしまう。
なんというか――。
したたかだ。
「……女って、怖いな」
佐伯が、ぽつりと呟いた。
「失礼ね!」
「ひっ!」
俺と佐伯が同時に振り返る。
そこには、不敵な笑みを浮かべた瑞樹ちゃんが立っていた。
◇
それ以来、村山ファンドからの反撃はなかった。
瑞樹ちゃんの記事が、功を奏したのだろうか。
攻めあぐねている村山ファンドの姿を想像すると、俺は思わず頬を緩めた。
だが――。
相手も、アクティビストとして名の知れたファンドだ。
いつ、次の手を打ってくるか分からない。
俺たちは、決して気を抜くことができなかった。
それでも――。
何事もなく、最初の権利確定日を迎えることができた。
数日後。
集計された株主数を見て、俺たちは言葉を失った。
「……え?」
そこに表示されていた数字は――。
株主数、一万人増。
当初、俺たちが想定していた増加数は7,500人。
それを大きく上回る結果だった。
そして、株価も動いた。
300円だった株価は、330円まで上昇していた。
たった30円。
だけど、発行済み株式数は1,000万株だ。
時価総額で見れば、30億円から33億円。
会社の時価総額が、3億円も増えている。
もちろん、株主優待だけが株価上昇の理由とは限らない。
それでも、俺たちが作った制度が、市場からこれだけの反応を受けたことは、素直に嬉しかった。
◇
社長室。
「本当に、よくやってくれた」
社長はそう言うと、俺たち三人の手を一人ずつ握った。
「思っていた以上に個人株主を増やすことができた」
その表情には、これまで見たことがないほどの笑顔が浮かんでいる。
「これも、君たちが真剣に優待設計に取り組んでくれたおかげだ。ありがとう」
「無事、運用までこぎつけられてよかったです」
俺たちは、ただただ恐縮するばかりだった。
こうして、俺たちの株主優待プロジェクトは、ひとまず成功を収めた。
◇
俺たちは、プロジェクトルームの掃除と片づけを済ませた。
それぞれ、この部屋に持ち込んでいたノートPCや書類を手に、部屋を出る。
これから、俺たちは、それぞれの元の部署へ戻るのだ。
「短い間だったけど、楽しかった」
瑞樹ちゃんが、ほほ笑んだ。
佐伯も頷く。
「また、三人で仕事できたらいいね」
「きっと、また集まることができるよ」
俺も、ほほ笑んだ。
これは、希望的観測じゃない。
しばらくは、株主優待の運用が軌道に乗るまで、それぞれの立場から見守ることになるだろう。
でも――。
遠くない将来、俺たちは、また集まることになる。
制度の拡充。
優待券の電子化。
新しいサービスの導入。
俺たちの株主優待は、まだ始まったばかりなのだから。
「それじゃあ。常盤くん、佐伯くん、ありがとう」
瑞樹ちゃんは手を振ると、廊下の向こうへ歩いていった。
「じゃあな、常盤」
「またな、佐伯」
俺たちも、それぞれの部署へ向かう。
ふと、俺は足を止めて振り返った。
さっきまで三人で仕事をしていたプロジェクトルーム。
もう、誰もいない。
机も椅子も片づけられ、いつもの会議室に戻っている。
それなのに――。
そこには、まだ俺たち三人の声が残っているような気がした。
株主優待について何も知らなかった俺。
株主優待が大好きだった瑞樹ちゃん。
そして、瑞樹ちゃんにいいところを見せようと必死だった佐伯。
そんな俺たち三人で、一から作り上げた株主優待。
それは、これからたくさんの株主の手元へ届いていく。
そう考えると、不思議な気持ちになった。
俺は、誰もいなくなったプロジェクトルームに向かって、小さく呟く。
「……また、ここで会おうな」
返事はない。
だけど俺には――。
そう遠くない未来に、またこの部屋で、
今よりもっと進化した――
『株主優待』を作っている。
そんな三人の姿が、俺の目にははっきりと見えていた。
そして、そのときには。
俺たちの株主優待は、今よりもっと多くの株主に愛される制度になっていることだろう。
俺は、もう一度だけプロジェクトルームを振り返った。
そして、静かに歩き出した。
――株主優待の物語は、まだ終わらない。
(完)




