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心霊内科5 〜猫又〜  作者: Phanyuxonn


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5/5

 一週間後の土曜日、診察時間終了間際に陽翔はコタローをゲージに入れてつれてきた。晃輔が連れてこれるならば連れてきてほしいと頼んだからだ。

 流石に猫をクリニックへ入れるわけには行かないので、こっそりと裏の休憩室へ通す。昨日動物病院から退院したばかりだというコタローは、傷を舐めないように首にエリザベスカラーが巻かれている。傷を縫うために剃られた箇所が痛々しい。

 陽翔はくるなりどういうことなのか説明してほしいと晃輔に詰め寄った。この一週間、愛猫の怪我も相俟って悶々と過ごしていたのだろう。

 それを晃輔はなんとかなだめて、先ずは陽翔のおでこの創部の状態から診せてもらうことにした。

 酒を飲んだり、走ったりした割には出血もなく創部は綺麗に塞がっている。

 抜糸をするのは晃輔である。普段であれば抜糸も壮亮が行うところではあるが、今回は別の用事もあるので晃輔が抜糸を請け負った。

 二ミリメートル間隔くらいで縫われている糸を一本一本眼科剪刀で切り鑷子でつまんで引っ張り出す。

 細かく縫われているが、特にトラブルもないため順調に抜糸がすすむ。縫い跡もきれいなものである。

 最後の一本を抜いたところで、一度消毒綿で創部を拭い、傷あと保護用のスキントーンのテープを貼る。

 残念ながら検査結果はまだでていないので、もう一度聞きに来てもらうことになるが、今日の目的はそこではなかった。

「傷も問題ないね。もう湯船につかっていいよ」

「わかった。ありがとう。検査の結果はまた来週の土曜日かな?」

「そうだね。その日なら確実に結果は出てるかな」

 いつもの二人の会話。だけどどこかよそよそしい。陽翔は晃輔の顔から目線を逸らさずじっと見つめている。晃輔は反対に陽翔の顔をまともに見れない。

 陽翔は何も言わない。ただ見つめてくるだけ。

──ふぅ。

 晃輔は降参さばかりにため息を付くと、陽翔に向かって声をかけた。まともに顔を見たのは今日はこれが最初である。

「さて陽翔、この後時間あるか?この間の説明をしよう」

 陽翔は目を見開いた。待ってましたとばかりに席を立つ。

「そうだな、コタローさんにもいてほしいし、裏の休憩室でいいか?」

 晃輔も立ち上がって、椅子を戻すと親指で裏の休憩室を指さした。

「わかった、会計が終わったらそちらに行かせてもらうよ」

「そうしてくれ。入り方は朔さんに聞いてくれ」

「わかった」

 陽翔は診察室を出ると受付のすぐ前の席に座った。会計まで二人。当初の予定通り、陽翔が本日最後の患者になった。

 晃輔は着ていた白衣をクリーニングのかごに放り込んだ。そのまま、自分の使ったマグカップを持って裏の休憩室に向かう。

「お連れ様でしたー」

途中晶湖が床掃除しながら晃輔に声をかけてきた。

「お疲れ様」

患者から見えないところで受付、第一診察室、処置室、第二診察室、レントゲン室、トイレの全てを繋ぐ廊下を歩いて休憩室に向かう。休憩室にはコタローがゲージの中で大人しく待っていた。

「やあ、コタローさん。怪我の具合はどうだい?」

 晃輔はゲージ越しに話しかける。

「お蔭様を持ちまして、なんとか一命を取り留めまして、順調に回復しております。先生も治りが早いと驚いておられました。これもひとえに晃輔様と朔様のお陰でございます」

 コタローはゲージのなかで両手を隠すようにうずくまりちんまりと丸くなっている。

 しかし、右首から脇の辺りまでの創の跡はまだナマナマしく残っており、美しい毛並みがそこだけボザボザと跳ねている。

「それは、よかった。歩いても大丈夫なのかい?」

 晃輔はゲージの扉をあける。

「少しくらいなら全く問題ありません」

 そういうと、コタローはのそのそとゲージから顔を出した。

「もうすぐ陽翔がくるからね。何が飲みたい?」

「ではミルクをお願いいたします」

「OK。今日はお皿がいいかな?」

 エリザベスカラーをした姿を見て晃輔はコタローの答えを聞く前にお皿でミルクを出すことに決めた。

 床に置かれていたゲージからコタローはのそのそと出てくると、近くにあった、テーブルの椅子に飛び乗った。その動きには特に不自然さは無かった。ちょこんと椅子に座ると、大人しくミルクが出てくるのをまった。

「あれから陽翔とは話したのかい?」

 晃輔は冷蔵庫から牛乳を取り出し、ほんの人肌程度まで電子レンジで温めて皿に移す。

 それをコタローの前に出してやった。そしてコタローの隣の席に取り敢えず座る。

「いえ、それが…いざとなると怖気付いてしまって…」

 どうやら話せていないようだ。

「そうか」

「はい…」

「コタローさん、今日これから、今まであったこと全て陽翔に話そうと思っているのだけれどいいかい?もしコタローさんが困るのであればその後記憶を消すことも可能だ。このままただの飼い猫として陽翔の家にいるか、猫又であることをばらして…陽翔はそれでも君を手放すようなことはしないだろうとは思うが…どうする?」

 コタローがミルクをぴちゃぴちゃと舐めるのをテーブルに肘をついて見つめながら、晃輔はこれから陽翔に話すことについて聞いてみた。コタローはミルクを舐めるのを止めて晃輔を見上げた。

 それから少し考えたあと、

「私のことも話してください。私は…私は主と話したい」

 ミルクの入った皿を見つめてしてぽつりと言った。

「だが、話せば辛いことも増えるだろう。猫又の君はおそらく陽翔より今の家族の誰よりも長く生きるだろう。陽翔や奥方、娘さんたちと死に別れる覚悟はあるかい?」

 晃輔はエリザベスカラーの中へ手を入れておでこを指で撫でる。

「それは猫のままであっても起こることですし…」

 コタローは気持ちよさそうに目を閉じた。

「意思を通じ合った者の死はまた別格だよ」

 コタローはどきりとした。目をパチリと開ける。

──主のいない世界。

 考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

──それでも。

「主には私を知っていてほしい…」

 小さな声、けれど決意のこもった目でコタローは晃輔を見つめ返した。

「分かった。君のことも含めて全て話そう」

 晃輔はコタローの目を見てニコリと笑うと覚悟を決めた。



 しばらくして陽翔が休憩室に入ってきた。朔の案内である。

「すみません、朔さん、お仕事があるのに」

「いいえ、陽翔様で患者様も最後ですし、後は片付けだけですので」

 そう言うと、陽翔を晃輔達のいるテーブルを案内し、自分はキッチンへ向かった。

ケトルでお湯を沸かす。湧くまでの間、受付に戻って何かして、湧いた頃に戻ってくる。

そしてポットにドリッパーを乗せてペーパーをセットする。いつもどこから買っているのかわからない「朔スペシャル」とでも名付けたくなるような香りのいい粉を入れゆっくりと湯をかける。しばらくして休憩室全体に珈琲のいい香りが充満してきた。

「ああ、いい香りだ。朔さんの珈琲だ」

 案内されたテーブルについても、朔の動きをじっと見ていた陽翔は、嬉しそうに首を伸ばして室内に漂う珈琲の香りを嗅いだ。そうして目を落としてテーブルでコタローがお行儀よくお皿のミルクを飲んでいるの見て陽翔は目を見開いた。

「お。コタローいいものもらってるな」

 コタローは上目使いに陽翔を見てにゃーと鳴いた。

「そうか、そうか美味しいか。それはよかった」

 陽翔は猫なで声とはこのこととばかりに、小さな子供に話しかけるように高い優しい声を出してコタローの頭を掻いた。そのままコタローの隣の席に座る。

 美味しそうにミルクを飲むコタローを見て陽翔は笑顔になった。

「にゃー」

「コタローさんとは先に話をさせてもらってたんだ」

 反対の席に座る晃輔が陽翔にそう伝えた。

「話?」

 陽翔は不思議そうである。

「そう、話」

 晃輔はコタローを見つめる。コタローも晃輔を見つめ返した。

「にゃー」

 コタローの鳴き声に反応して陽翔はコタローを覗き込む。

「そうかあ、コタロー話聞いてもらってたのか。よかったなぁ」

 にこにこしながら陽翔はコタローの額や顎の下を指で掻いた。

「で、話って?この間のことだよな?まさかコタローの言葉がわかるとか言い出さないよな?」

 陽翔はコタローの頭を撫でながら半分冗談でそんなことを聞いた。

「失礼いたします」

 朔が珈琲を入れて持ってきた。

「あ、ありがとうございます」

 晃輔と陽翔の前にカップを置く。陽翔の前には砂糖とミルクも。

「ありがとう、朔さん。申し訳ないけれど、櫻川さんも呼んできてもらえないかな?」

 珈琲を受け取ると晃輔は朔にそう言った。

「畏まりました」

 朔がお辞儀をして去っていく。そのまま晶湖を呼びに休憩室を出ていった。

 「二人がくるまでちょっと待とう」

 そう言うと晃輔は珈琲を啜った。

 つられて陽翔も珈琲に砂糖とミルクと一杯ずついれる、スプーンでくるくるかき混ぜると珈琲を口に運んだ。懐かしい香りが鼻から抜ける。ほぅっとちいさく息を吐いた。

 「あれからどうだ。奇妙な猫につけられているとか、気になることはないか」

 晃輔が徐に口を開く。

「ああ…あれからはないね、ピタリと止んだ」

「そうか」

「あれは何だったんだい」

 丁度その時、晶湖を伴って朔が戻ってきた。

「先生、どうされたんですか?」

 急に呼ばれて晶湖は戸惑っている。

「片付け中すまないね。朔さんと一緒に話を聞いてほしいんだ」

「え、私もですか?」

「ああ、頼むよ」

「構いませんけれど、よろしいのですか?」

 晶湖は陽翔を気にしながら聞いた。

「よろしければいっしょに聞いていただきたい」

 気にしているのがわかったのか陽翔もそう言ってきた。

「では…はい」

 晶湖はテーブルの邪魔にならない後ろの方の椅子に腰掛けた。 

 朔は晶湖の分も珈琲を用意して晶湖の眼の前にカップを置くと、自分も晶湖の横に腰掛けた。

「それじゃ…何から話そうか…。この間襲ってきた黒い人物かな?やっぱり」

 晃輔は陽翔に向き直るとゆっくりと話し始めた。

「あれは…信じてもらえるかわからないけど、というか、信じて貰わないと困るんだけど…猫又という(あやかし)なんだ。よく、小説や漫画なんかで言う、妖怪とかモノノ怪とそういった類のモノだ」

「…正直信じられないけど、そういうなんていうかお化け的なものかな、とは思っていたよ」

「そうだよな、信じられないよな。…でもそういう類のモノは実際にいるんだ。俺は子供の頃からずっとそういう類のものに触れ合ってきたし、…ここにいる櫻川さんも実際何度も遭遇している」

「そうなのかい?」

 陽翔は驚いて晶湖を見た。

「はい、何度か目にしました。」

 晶湖は陽翔の目をみて頷く。

「詳しくは説明出来ないけど、このクリニックは特殊な術が施されていて、爺さんの代からそういう妖に被害に合っている人が自分では知らずに訪れるところでもあるんだ」

「そうなのか…」

「ああ、自分では幻聴や幻覚なんかと思っている場合でも、ここにくる人は大抵は妖による霊障だったりする場合が多い」

「…」

 陽翔は言葉を無くして晃輔を見た。

「それで、なんだけど…」

 晃輔はエリザベスカラーをしてちょこんと座るコタローを見た。

「コタローさんも妖の一種だ」

「…!」

 薄々そう思っていたとは言え、面と向かって言われるとやはり驚いてしまう。陽翔は思わずコタローを見る。コタローは飲み終わった皿を前にちょこんと座ったまま、陽翔を見つめ返した。

「コタローさん、話せるかい?」

 晃輔は励ますように優しく声をかけた。

「…あ、あるじ…」

 それは確かにコタローから発せられた声だった。

 陽翔はヒュッと息を飲んだ。

「今は怪我の影響があるから、人型になるのは止めておいたほうがいいからこのままだけど、あの時お前を庇って飛び出してきた少年はコタローさんだよ」

「あのときの…」

 陽翔は思い出す。どこからともなく現れて、自分を庇うようにあの黒い男と対峙した人物。震えながらも一歩も惹かなかった少年。そして自分を庇って傷を負ってコタローの姿になったのは、やはり現実だったのか。 

「お前があの黒い猫又に狙われていると知ったコタローさんは、僅かな匂いを頼りに俺のところまで相談に来たんだ。お前に内緒でな」

「そうだったのか、コタロー」

「…秘密にしていて申し訳ありませぬ。主」

 コタローはエリザベスカラーの中で耳を垂らしてしょんぼりと下を向く。

「普通の人はそう言ったことは信じない事が多いからね、コタローさんもお前に直接話しかけられなかったんだよ。…気味が悪いと捨てられたり、最悪処分されてしまう可能性もあった…」

「そんなことはしない!」

 晃輔の言葉を遮るように陽翔は否定した。

「そんなことはしない…」

 だが、コタローがある時急に人間の言葉を話したとして、普通に受け入れられただろうか。

 陽翔はコタローを見つめる。コタローは申し訳なさそうにしょんぼりしながら陽翔を見ている。

 いや。

「それでもコタローはコタローだ。どんなコタローでもうちの子だよ。大事な家族だ」

「主…!」

 コタローは涙目になって陽翔を見つめる、そのまま陽翔に飛びついた。

「いたっ」

 エリザベスカラーが陽翔の顔にぶつかって陽翔が声を上げる。それでも笑いながら陽翔はコタローを受け止めた。

「こら、あんまり動くなよ。まだ怪我が治っていないんだからな」

 陽翔は笑顔でコタローを撫でながら、大して怒っている風でもなくそう言った。

「はい、主」

 コタローは大人しく陽翔の膝に治まって、気持ちよさそうに撫でられている。

 それをみて晃輔は安堵のため息をついた。

「まぁ、お前ならそういうとは思っていたけどな」

 そういいながら珈琲を啜る。それから、カップをテーブルに置くと、少し表情を曇らせた。

「…あの黒い猫又も最初は人に飼われていたんだと思う。多分悪質なブリーダーのところで生まれたんじゃないかな。狭いところで飼われて、兄弟たちがみんな死んでいったのを見て人間に不信感を抱いてしまった」

 酷く人間を嫌っていたあの黒い人物を思い出す。自分をバケモノと言い、人を喰らうのが当たり前だというあの黒い人物──黒い猫。

「…誰か保護しようとした人はいなかったのでしょうか」

 晶湖は自分のマグカップを両手で握りしめて思わず疑問を口にした。

「彼の話し口調ではいたと思う。…だけど、人間が信じられなかったのと、彼が猫又だったことから、()()()()()()()()()()()()()()()()()。もしも、只の猫だったなら結果は違ったかもしれない」

 晃輔はそう言いながらも、言っても仕方ないことだとばかりに首をふった。

 コタローは陽翔の膝の上で撫でられながらあの黒い猫又を思い出していた。もしも、自分の主のような人に出会えていたら違った出会いがあったかもしれない。たまの猫又集会で顔を合わせるような仲になっていたかもしれないと。

 でもそうはならなかった。なれなかった。

「…あるじ」

 コタローはエリザベスカラーごと陽翔に頭を擦り付ける。

「なんだ?甘えん坊か?」

 陽翔はコタローを抱き上げると顔を覗き込んで鼻をくっつけた。

「大丈夫、お前はああはさせないよ。」

「主は僕が気持ち悪くないんですか?怖くないんですか?」

 コタローは少しだけ答えに怯えながら確認するように陽翔に聞いた。

「…言ったろ、コタローはどんなコタローだったとしてもうちの子のコタローだって。家族なんだから怖くなんてないだろ?ん?」

 鼻を擦りつけながら陽翔が話す。

「はい、主…」

 鼻を擦りながら、コタローはまた涙目になった。

「でも、お前がアヤカシとかモノノ怪とかに慣れているとして、どうしてお前に相談にいったんだ?お前は人間だろ?」

 コタローを再度膝の上に戻すと、陽翔は晃輔に向かって疑問を口にした。

「ああ…それは、まぁそうだな…俺は他の人より少しばかり妖力が強いが人間だ…けど、朔さんは人間じゃないんだ」

 晃輔は少しだけ困ったようにこめかみを掻きながら朔に目をやった。

「え?!そうなの?」

 陽翔はおどろいて朔を見た。

 朔は黙って珈琲を飲んでいる。

「朔さんは狐の(あやかし)で、何代か前のうちの祖先に恩を感じて、そのまま代々うちに仕えてくれているんだ。あのとき小さな…サッカーボールくらいの大きさの狐がいたのを覚えているか?」

「ああ!なんかちっこい威勢のイイ…え?あれ朔さんだったの?」

 朔さんてアヤカシだとあんなに可愛いの?とでも言いたげな顔で陽翔は朔をまじまじと見つめる。

 朔は何も言わず澄ましたままカップを口に運ぶ。

「正確にはあれは朔さんの尻尾。朔さんは複数の尻尾をもつ狐の妖なんだよ」

「そうだったのか…どうりで…」

「どうりで…?」

「いや、まぁ…あれだ」

 陽翔は言葉を濁した。

「何だよ」

 晃輔は怪訝そうに陽翔を見る。

「いや、何でもない」

 陽翔はそう誤魔化すとそれより、と

「櫻川さんもまさか人間じゃないとかないよね?」

 と陽翔は晶湖に聞いた。

「わ、私はいたって普通のにんげんですっ」

 晶湖は両手を振って否定した。

「彼女は家族を抜かして俺や朔さんの事を知っている唯一の人だよ」

「へー…ん?今までのスタッフは?いただろ?」

「いや、そういえば、櫻川さん以外のスタッフに話したことはないな」

「ほう」

「変な見方するなよ。彼女は申し訳無かったけど、成り行き上どうしても知ってもらう必要があったからだからな。」

──成り行き上…。

 不思議と晶湖の胸がチクリと傷んだ。

──分かってる。私は絹人の事を忘れないでいられるように先生が記憶を消さないでいてくれたから。だからだって。特別な意味なんてないって。

 晶湖の表情が少しだけ翳ったのを陽翔は見逃さなかったが、それについて何か言うのはやめにした。

 晶湖にも何か事情があるのだろう。だがそれを好奇心だけで聞くのは憚られた。

 それとは別に朔が隣で何故か苦虫を潰したような顔をしているが、これについても何も言わなかった。

「そういう訳でコタローさんは人語が分かるし、人の姿にもなれる。だが、これはお前だけの胸に留めておいてくれ。細君や娘さんには言わないでほしい」

 晃輔は気が付かなかったようで、陽翔にそう話を続けた。

「妻にもダメかい?」

 陽翔は少し困ったように、眉を寄せてそう聞く。だが、晃輔は首を縦には振らなかった。

「出来れば。知っている人は少ないほうがいい。万が一にも外部へバレたらどうなるか見当もつかない。最悪──」

「最悪?」

「お前の記憶を消さなければならない」

「!」

 晃輔の言葉にコタローを撫でていた陽翔の手が止まる。思わず膝にいるコタローを見つめる。コタローも陽翔を見つめ返していた。

「俺も出来ればお前の記憶を消したくない」

 晃輔も陽翔を真剣な顔で見つめる。

「…わかったよ。秘密は守る」

「そうしてくれ、コタローさんのためにも」

「ああ」

 晃輔はほっとすると残りの珈琲を啜った。

「話はこれくらいかな?後何か聞きたいことはあるか?」

「いや、大丈夫そうだ。そうだな、残りはゆっくりコタローに聞くさ。誰もいないところでね」

 陽翔はそう言って膝の上のコタローを見つめながらゆっくりと腰からお尻辺りをなでる。

「はい、主。何でも聞いてください」

 コタローは膝の上から嬉しそうにそう答えた。

「それじゃ、今日はこの辺で失礼するよ。コタローも昨日退院したばっかりで疲れているだろうし。あまり連れ回すとうちのが心配するし」

「そうだな。じゃあ、次は一週間後に結果を聞きにきてくれ」

「分かった。そうだな、そうしたらその日はまた飲まないか。酒は解禁だろう?」

「ああ、いいね。この間の店にしよう」

 晃輔は陽翔の誘いにニヤリと笑った。

「それじゃ、失礼するよ。朔さん珈琲ご馳走様でした」

 陽翔は残った珈琲を一気に飲み干すと、椅子から立ち上がってコタローをゲージに移した。コタローも素直にゲージに入っていく。

「いえ、陽翔様、お帰りはお気をつけて」

 朔は立ち上がって美しいお辞儀をした。

 それを見て陽翔はニコッと笑うと、今度は晶湖の方に顔を向けて声をかけた。

「櫻川さん、色々大変だと思うけれど、これからも晃輔のことよろしく頼みます」

「そんな、私なんて!」

 晶湖は慌てて立ち上がって両手を振る。

「コイツ、どうやら貴方を随分と頼りにしているようだ」

 そう言って陽翔は意地悪そうな顔で晃輔を見た。

「うるさい。櫻川さん、コイツの言うことは気にしなくていいから」

「はははっ。それじゃこれで失礼するよ。また来週よろしく頼む」

「晃輔様、朔様、櫻川様、お世話になりました」

 陽翔がゲージを持ち上げるとゲージの中からコタローが挨拶をした。

「ああ、コタローさんもお大事にな」

 晃輔も椅子から立ち上がってコタローに手を上げて見送った。

「コタローさん、また来てね」

 晶湖も立ち上がってゲージを覗き込むように小さく手を振った。

 その横で朔も頷いている。

「ありがとう存じます」

 それにコタローもお辞儀をして答えた。



 陽翔をコタローを入口まで送って休憩室に戻ってくると、晶湖と朔は締めの片付けの続きに戻ったようで二人とも部屋にはいなかった。

 晃輔は先程の椅子に座って、朔が新しく入れ直してくれたらしい珈琲に口をつける。

 珈琲を啜りながら、陽翔とコタローの先ほどのやりとりを思い出していた。

 陽翔はコタローを少しも怖がったり、気味悪がったりしなかった。

 それを嬉しく思う反面、あの黒い猫又も陽翔のような飼い主に出会えていたら違った生き方が出来たのではないかと、考えても仕方のない事を考えてしまう。

──もしも、もしも誰かちゃんとした飼い主が彼にいたなら、人を喰らうバケモノにならなかったのではないか──。

 晃輔は首を振った。自嘲ぎみに笑う。

 彼は人を喰らう妖だった。陽翔を狙い、コタローを傷つけた。その事実は変わらない。

 だが、晃輔の胸には何かが引っかかったままだった。

 あの黒い猫又に憐れみはあるが、それだけだった。

 そうではなく、もっと何か、晃輔も言葉に表せない何かが強く心に引っかかっている。

──疲れてるのかな。

 晃輔はテーブルに肘をついて指でこめかみを押さえた。

「あら先生、お背中が丸まっていますよ」

 不意に肩を揉まれる感覚がした。

 驚いて振り返ると、晶湖がいたずらっ子のような顔をして笑ってこちらを見ていた。

 そのまま晶湖は晃輔の肩を揉む。

「先生凝ってますねー」

 指に少し力をいれて晶湖は揉む。それが晃輔には気持ちいい。

「あー気持ちいい」

 晃輔は素直な感想を口にした。

「そーでしょう、ほらここなんてコリコリですよ」

「あたたたたたた」

 固くなっているところを優しく丁寧にもみほぐす。

 晶湖は暫く無言で肩を揉む。晃輔もその気持ちよさに目を閉じて体を委ねていた。

 あまりの気持ちよさに眠ってしまいそうになって晃輔は口を開いた。

「ありがとう。もう大丈夫」

「…もういいんですか?」

「ああ、これ以上やってもらったら眠ってしまう」

 半分寝ぼけまなこになって笑いながら晃輔は振り返った。

「ふふふ。またやって差し上げますね」

 晶湖は最後の仕上げとばかりに首から肩のカーブまでゆっくりと何度も撫でる。

 それすらも気持ちがいい。

「ああ、それはありがたい。またお願いします」

 いつの間にか、先ほどまで心に引っかかっていた何かが少し軽くなった事に晃輔は気がついた。

「ありがとう、()()()()。助かったよ」

 思わず晃輔はお礼を口にする。

「!…どういたしまして」

 晶湖は笑顔で答えた。

 窓の外はすっかり桜は散って新緑の季節が始まっていた。

 窓から差し込む光の中で、少しだけ何故か晶湖の笑顔が眩しいと晃輔は思った。

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