「殺す」と「生きる」・後編
森を歩く人影が二つ。距離は一定より離れることはない。
「おい」
「はい?」
「なんでずっと手ぇ離さねえんだよ」
「あなたは人を殺すとき、その人に接触するんでしょう? なら、死ぬまでずっとこのままよ♪」
「は? 便所も風呂も寝る時も?」
「当たり前じゃない」
「オレの自由はどうなる!?」
「命が助かるなら安いものでしょう?」
「……こいつぜってぇ殺してやる」
「願ったり叶ったりよ♪」
なんてことのない、物騒な会話をしながら歩き続けて十数分。新緑の木々を抜けて街道沿いを下った先には、ぽつんと一軒、豪邸が建っていた。赤く高い屋根と、奥行きのある焦茶の壁に、白い扉と窓枠が映えている。
「こんな豪邸に住んでるのか……」
「これは59番目の別荘よ」
「は?」
「仕事柄、方々に赴く必要があってね。大丈夫、隅々まで綺麗にしてあるから」
「……」
感覚の違いにキョウは頭を抱えながら、リィンとともに屋敷へと入った。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
屋敷に入ると、一人のメイドが出迎えた。
「うわ。誰だ」
「私の屋敷で働いているメイドよ。あなた、メイドを見るのが初めて?」
「悪いかよ」
「いえ、何も気にすることはないわ。さ、行きましょ」
特に馬鹿にするでもなく、気にせず進んでいくリィン。キョウは手を引かれてついていった。
───*───*───
自室にて、リィンは何気なくベッドに腰を落ち着ける。キョウはその正面に突っ立っていた。
「あなたが嫌なら、今すぐここから出ていってもらっても構わない。その代わり、命の補償はできなくなるけどね」
「バカ言うな。自由を奪われたくねぇしオレはお前のことが大嫌いだが、借りを返さねえまま他所にいけるかよ」
「あら、案外殊勝なのね」
「損得勘定は契約の基本だ」
「なら、私もあなたに契約の対価を払いましょうか」
「対価?」
「料理を振る舞うとか」
「オレは生気を吸ってりゃ腹は減らねえんだが」
「あなた、料理をやったことは?」
「知らん」
「なら一緒にやりましょ」
「なんでだよ」
「あなたは曲がりなりにも私の左手をうばっている。その状態では料理ができない。あなたも右手を奪われているけど、」
「料理なら片手でもできるだろ」
「あなたが一緒に来てくれないと何もできないわ」
キョウがどれだけ睨みつけても、リィンはコロコロと笑っているだけ。
「あなたがいてくれれば、辛い料理にも挑戦できるもの」
「は? オレと辛い料理と何の関係が?」
「私には痛覚がないの。だから辛い料理は私には作れない。ひどい味になるんですって」
「ふ〜ん? だからってオレが手伝う理由にはなんねえな」
「あなたは私がいなければ今頃死んでいたのよ?」
「ほう?」
キョウはリィンの首に手を回す。
「今ここでお前を殺してもいいんだぜ?」
「やれるものならやってみなさい。骨を折ろうが気道を潰そうが私は死ねないから」
「……」
「隙あり」
「うお⁉︎」
一瞬で、キョウは組み伏せられた。
「呪いのないあなたは私に従わざるを得ない。わかった?」
「……チッ。しょうがねえ」
───*───*───
二人して長い時間キッチンで格闘を繰り広げた結果、グツグツと煮立った赤い辛味鍋が完成した。
「こんなもんだろ」
「できたわね。それじゃあメイドも呼んでご飯にしますか」
「でもオレは利き手が塞がってる」
「大丈夫。私には利き手があるから」
「は?」
「だから、食べさせてあげるって」
「冗談だよな?」
「あいにく食器は人数分しかないの」
「買い足せよ! 今すぐに!」
「そんな神速の馬を持ってる行商人はいないわ」
「だったら」
「はい、あ〜ん」
「んぐ」
キョウの口には、問答無用で鍋の肉が差し込まれた。
スッとスプーンを抜き取り、リィンは悪戯っぽく微笑む。
呆然としていたキョウは、状況を認識した瞬間に青筋を浮かべて強く噛み締めた。
「どう?」
「まずい!」
「あらあら、上達できる伸び代があるって嬉しいわ。退屈が紛らわせそう」
カラカラと笑うリィンを、キョウは睨み続けていた。
───*───*───
夜になり、キョウとリィンは天蓋つきのベッドで寝ていた。二人が繋いだ手は、布で固く縛られている。
隣の寝息を確認して、キョウは静かに目を開く。
「こんな屋敷、出ていってやる」
昼間のことを思い出してか、繋いでない手に力が入る。
起きてる時は欺くしかなかったが、不意打ちの傷も治った今、ここにいる理由はない。
リィンをできる限り起こさないようにしながらも、力づくで二人を縛る布を解こうとした。
どこをどう結ばれたのかもわからない。だが、一つだけわかっていることがある。
リィンと離れれば、力は戻る。
「クソが……」
どうにか布を緩め、リィンと重ねていた手と手の間に、隙間があいた。
瞬間、キョウを黒い靄が包み、ベッドは沈み、床が抜けた。
落下の衝撃を靄で受け流したキョウは、そそくさと窓に近寄る。
「ようやくだ」
靄を操り、庭へと続く掃き出し窓を消し去って外に出る。
雲に隠れていた月が姿を表すと同時に、庭が明るくなり、一人の人物の影を映した。
「こんなところで何してやがる、散歩か?」
「あなたが保護対象から外れたので、殺しに来ました」
「そうか、でも俺はもう手負いじゃねえ。お前にやすやすと殺されるかよ」
「みたいですね。今までよりいきいきしている」
「じゃあ、死ね!」
キョウが手を前に振ると、腕から無数の靄の蔓が相手に向かって伸びていく。
ハックベルは息ひとつ乱さず、次々迫ってくる蔦を拳で払いながらキョウに向かって走り出した。
想定通りとでも言うように、靄は次々に地面に進路を変え、キョウと着地点の間を底なし沼へと変容させる。
土地の腐敗に足を取られそうになるが、ハックベルは背後とキョウを一瞥すると、前方に向かって天を駆けるように、身長の何倍も跳躍した。右手を構え、キョウを見据える。
「前から来るってわかってりゃ、やることは一つ!」
キョウもハックベルの動きを見て、身の回りに残った靄を右手に集中させ始める。
ハックベルが構えた拳にも何か細工が施されつつあるのが気配でわかった。
が、キョウは打ち破ることしか考えていないように、狂気じみた大きな笑いを浮かべる。
「封印します」
「なんかお前も凄そうだな……だけど死ね!」
二人の拳がかち合う──と、二人も気づかぬほどの歩法で、リィンが間に入ってきた。
「は?」
「っ⁉︎」
キョウとハックベルの拳がリィンに直撃した。
呪いの勢いは失われ、ハックベルの打撃はリィンを吹き飛ばした。
余った風圧でキョウも大きく後ろへ、ぐでんぐでんと転がされる。
起き上がってリィンの方を見ると、一部がバラバラになるほどボロボロの体が、すでに再生を始めていた。
ハックベルのパンチによって吹き飛んだ手足はくっつき、地面を転がって擦り破れた皮は縫い目ひとつなく綺麗な玉肌に戻る。
閉じていた目が、ゆっくりと開かれる。
「夜中にしては、随分騒がしいわね」
リィンの言葉に、キョウは苦々しそうに目を逸らし、
リィンの視線に、ハックベルは無言で目を伏せる。
「今夜は帰ってくださらない? それで不問とします」
「承知しました」
あっけなく、ハックベルはその場から文字通り姿を消した。
邪魔者がいなくなったことを確認すると、柔和な笑みでキョウを見つめるリィン。
月光と夜風も相まって、さながら妖精のような艶やかさを孕んだ目は、すっと前を見据えている。
「さて、これはどういうこと?」
「いや、あいつが襲ってきたから、仕方なく庭を」
「どうして手を繋いでないの?」
「……は?」
キョウは、リィンの発言に呆気に取られる。
「あなた、私を殺してくれるんじゃないの?」
そんなことより他に言うことがあるだろうよ。
ハッと吐き捨てて、試すようにリィンを睨む。
「死にたいからって、死ぬほどの思いをしてでもオレを助ける必要があったのか? あいつらなら」
「今あるすべての方法を試してもらって、彼らでは私は殺せないことがわかった。だから、数少ない『糸口』をみすみす殺させるわけにはいかないわけ。わかる?」
今度は逆にキョウを諭すように、リィンが半目で挑発する。
二人を、雲間から月が見守る。静かな風が庭に残った草木を揺らす。
リィンは、笑みを崩さない。
「私は命をかけた。世界で一番安い命をね」
「……命に安いも高いもあってたまるか」
リィンの言葉が気に入らない。気に入らないからこそ、キョウは手を差し出した。
決して自分から近寄ろうとはしない。
キョウの不遜な態度を気にも留めず、リィンは軽やかな足取りで近寄る。
「お前は、オレの命にかけて殺してやる」
「ふふ、もう嘘はつかないでね♪」
二人が、手を繋いだ。