「殺す」と「生きる」・前編
泥が腐っていく。
日のさす森の中を少女が歩く。
地面につくほどの灰色の髪と、足が沈まぬように靄が浮く。
絶えない渇きが、華奢な体と金の目を焦がす。
少女の魂は飢えていた。
ただ、キョウという名前だけを必死に携えて。
──街道に降りれば、また人がいる。そしたら、
揺れる心と黒い靄を纏った体で、千鳥足ながら大きな道へ出た。
「んぁ? なんだてめえ」
少し離れた道脇にいたならず者が、不意の来客に声を上げた。彼の足元には狩られたのだろう獣の死骸が転がっている。
少女は思わず、口元を歪めた。
──……よし、いやがった。
「てめぇ聞いてんのか。あぁ?」
「聞いてねえよ、お前はすぐ死ぬんだから」
少女の妙な格好、妙な口ぶりにならず者は眉を顰めたが、珍しい髪と目の色を見て金の匂いを感じた。
「生意気言ってると、縛り上げて売り飛ばすぞ」
「できるもんならやってみろ」
腰に携えた鉈を男が握るが早いか、少女は脱兎の如く駆け寄った。
とっさに男は鉈を振るが、少女の胴に当たる寸前で黒い靄が間に入った。体を覆う靄に刀の勢いは完全に殺され、それどころか腐り始めた。
「な、なんだ! こんな呪い見たことねえ!」
「あぁ、今まで封印されてたんだからそうだろうよ」
腰が引けた男に、少女の手が伸びる。振り払っても、少女の背から二本三本と細い腕の形をした靄が伸びてくる。
「いやだ、いやだ。やめてくれ!」
「お前は今までそう言われてもやめなかっただろうが。せめてオレがお前を殺してやるよ」
少女の手が男の胸に触れると、ほどなくして男は死に、腐り、塵となってしまった。
最後の一片がなくなるのを見届けてから、目撃者がいないかと左右に首を振ると、すぐさま遠くからこちらを見つめる一人の女性と目が合った。
艶やかな黒髪を一つに結って、深い青の修道服を身に纏う。優しげな垂れ目は、一度ハッと見開かれ、血色のいい唇はキッとひき結ばれた後、疑いのない光をこめて少女に笑いかける。
──仕方ねえ、いや、丁度いいか。しかもうまそうだ。
「おい、何見てやがる」
「ふふ」
「? なにがおかしい」
「いえ、何をしているのかなと思って」
「何もしてねえよ」
「でも、人を殺したのでしょう?」
「っ!」
こいつは一部始終を見ていた。でも、立ち去れなかった。だからこれから死んでしまう。
命は巡る。だからオレが殺すのも、巡りの一部だ。
「見てたんなら、これからどうなるか分かるよな?」
「あら、何をされるのかしら?」
「何って……こうするんだよ!」
駆け出した少女は気付いてなかった。
体が靄に包まれたほぼ裸の女がヒト一人を殺していたというのに、正面の女性はそんな存在と相対して、ひとつも防御行動をとらなかったことに。
女性が身動きする前に走り寄って、修道服からすらっと伸びる首に掴みかかると、
「っ⁉︎」
今まで誰に触った時にも感じたことのない違和感が身体中を駆け巡った。自分の中の全てが彼女に持っていかれるような。全てを見透かされるような。
瞬時に手を離して距離を取る。
「いきなり首を掴んでくるなんて、情熱的ね」
「お前、何なんだ……」
「私は、不老不死」
「……」
「あなたは、殺す呪いの持ち主なのでしょう?」
「何でそれを知ってる⁉︎」
「あなたを探してたから」
「……は?」
「あなたに、私を殺して欲しいの」
「この世の今知れることをほとんど知ってしまった私が、唯一まだ知らないのが『死に近づく感覚』。それをもたらしてくれるのは、あなただけなの」
「……アホらしい」
「あら、人を殺したいんじゃないの? 生気のために」
「お前から食わなくても、人なんて、そこら中にいるからな」
「そう。じゃ、また会える日を楽しみにしてるわね」
最後の言葉を無視して、キョウはその場を立ち去った。
キョウの後ろ姿を、女性はずっと薄ら笑いで見つめ続けていた。
───*───*───
くそ、くそ、くそ!
いくら速く走っても、いくら呪いを振りかざしても、追ってくるアイツを引き剥がせない!
キョウは街道近くの森の中をひた走る。
殺して欲しいとのたまう女性から距離を取った後、運悪く出会ってしまった。彼女を探すもう一つの人影に。
後ろからキョウを追うのは、息一つ乱さず、走りにくそうな白いローブを纏って俊足をみせる、短い緑髪の女性祓魔師。
片眼鏡越しの鋭い眼光がキョウを射抜いて離さない。
新緑の雑草は、キョウが走り抜ければ朽ち果て、追跡者の足で蹴り飛ばされる。
祓魔師は足の回転を速めて数歩、キョウの間近へ迫った。捻りを入れた右ストレートがキョウの左肩を背後から撃ち抜く。瞬間的に黒いモヤは背中へ一点集中し、パンチを防ごうとしたが衝撃は止まず、少女の体は地面を跳ねて宙を舞い、太い幹に背中を打ち付けた。
一歩ずつ近づいてくる祓魔師に、キョウは睨み返すことしかできない。
「かなりしぶといですね。呪いによる身体強化という事例は聞いていませんが」
「何ブツブツ言ってんだ」
「いえ、仔細はあなたに関係ありません。ここで死んでもらいますから」
「は……?」
「あなたは災いをもたらす神の依代になっています。依代を特別な武具で殺すことによって、取り憑いている悪神すらも封印するというのが、今回の任務です」
話しながら彼女が見せた拳は、手首から指先にかけて赤い線が伸びた薄手の黒いグローブで、指の背にある金具に呪文が付いた特別製となっている。
「誰も彼も、オレのことは知ったこっちゃねえのかよ」
「聞くだけ無駄だとは思いますが、あなたにも何か魂胆が?」
「……人間を殺しまくって生気を集めて、この体を抜け出してやる」
「安置されていた悪神にそこまでの自我があったという情報はありませんが、それを聞いてますます殺さねばならなくなりました。改心の兆しもないようですし、遠慮なく対処させていただきます」
最後まで丁寧な口調と所作で礼を払ったのち、一撃を繰り出す構えに入る。
キョウはどうにか状況を抜け出そうとするが、強い衝撃が残っているのか体がいうことを聞かない。
拳が空を切る音が、キョウの鼓膜を揺らした。
「ちょっといいかしら?」
顔に強風が吹き荒ぶ。
あと数ミリというところで、拳は止まっていた。
声のした方向に目を向けると、先頃と同じ不敵な笑みがそこにはあった。
「思った以上に早く再会できて嬉しいわ」
「てめぇ、何しにきやがった」
「あら、命の恩人に対してその態度?」
キョウは女性の登場に不快感を隠そうともしない。
そんなならず者は置いて、祓魔師は姿勢と服装を正して女性に向き直った。
「リィン様、何の御用でしょうか?」
「その方は私の大切な知り合いなの。だから手を引いて欲しいのだけど、聞いてもらえる? ハックベル・シプラス様」
「……分かりました。あなたの反感は我が一族も望むところではありません。しかし努々忘れないでください。あなたも我々の標的ですし、彼女もあなたの管理下を離れれば殺害対象に戻ります」
「それがあなたの仕事だものね。これからも精々がんばってね、悪魔祓いさん」
一礼すると、ハックベルはキョウに目もくれず、その場から一瞬で姿を消した。
リィンはキョウに近寄ると、しゃがんで目線を合わせた。
「というわけで、今日からあなたには私と共に来てもらうわ」
「何でだよ!」
「あなたは何を聞いていたの? 私と一緒にいなければ、あなたは彼女に殺されるのよ?」
「それは」
「加えて、あなたは今のままでは立ち上がることすらできないでしょ? 私の生気を吸っていれば、その傷もたちまち治ると思うのだけど」
「……」
「さあ、選んで? 私と一緒に来て私を殺してくれるか、ここで別れてあなたが殺されるか」
何よりも無垢そうな満面の笑みで、リィンはキョウに問い詰めてくる。
優しく差し出される左手は、この先の面倒すべてをその掌に乗せている。
あの違和感の正体を、キョウはなんとなく気付いている。それが、どうしようもなく嫌なのだ。
しかし選択肢は実質ひとつしかない。ハックベルは立ち去ったように見せてどこかに隠れているだろう。ここでリィンが見放した瞬間に、キョウは殺される。
そこまで正確な思考でもなく、キョウはリィンの手を取った。
激しい違和感がリィンの手から感じられる。
ああ、やっぱりそうだ。
こいつの生気を吸うために、ほぼ全ての力が割り当てられている。黒い靄は晴れ、白い裸体があらわになる。
気色の悪い不安感に、二、三度身震いした。リィンは無言でどこからか取り出した外套を羽織らせてにこにこしている。
「……くそが」
「交渉成立ね」
「交渉なんかじゃねえだろ」
「何でもいいわ。これからよろしくね」
苦い顔のキョウと対照的に、リィンは繋いだ手にもう片方の手を重ねた。




